硬式野球

【硬式野球】4年生特集『結束』最終回 ~福田光輝、朝山広憲、清水俊作、宇草孔基~

東京六大学野球秋季リーグ戦
2019年10月27日(日)
神宮球場

 青木久典監督が不在となり、5位に終わった春。そこから課題を一つずつ潰し、快進撃を見せた秋。ここまでチームが立ち直り、『結束』することができた理由には、最後のシーズンで『覚悟』を持って戦った4年生の力があった。

 弊会では「4年生特集」として引退にあたってのインタビュー、記事を掲載。最終回となる今回は福田光輝主将、朝山広憲副将、清水俊作副将、宇草孔基副将のインタビューをお届けする。(※取材は東大2回戦後に行ったものを掲載しております。)

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主将として時に厳しく、時に優しくチームメイトに接した主将の福田

選手インタビュー

福田光輝 主将

1年間を振り返って
結構苦しいことが多かったんですけど、こうやって最後勝って終われてみんなの力が合わさって勝てた試合だったので、自分的にはほんまにすごくうれしく思いますし、みんなのおかげで自分もここまでできたと思っています。

主将を務めてみて
そんなに試合の中で意識することはなかったですけど、みんなが着いてきてくれましたし、本当に少しは良いチームになれたかなと思っています。

具体的にどんなチームになれた
粘りのないチームだったんですけど、秋にはしっかり粘れるようになれましたし、みんな考えて野球をやってくれたので、自分がキャプテンをやっていたんですけどそんなに言うことも無く、ほんまにみんなのおかげでここまで来れました。

4年間を振り返って
苦しいことも多かったですけど、みんなと野球ができたのでそこが一番よかったかなと思います。

印象に残っていることは
4年生になってキャプテンになってからは全部印象に残ってますけど、今日の試合は自分の中でも忘れられへん試合になりました。

理由は
自分も(本塁打を)打てましたし、みんなもああいうところから逆転できたのですごくいい試合になったなと思います。

法大でよかったと思う点は
ここまで育ててくれた監督もそうですし、チームメイトも常に自分を先頭でやらせてくれたのでそこは本当に感謝したいです。自分は上の世界でやることができるんですけど、ここで経験したことを絶対忘れずに上でも頑張りたいなと思います。

青木監督からの印象的な言葉などは
自分はキャプテンなので「弱いところを見せないように。常に先頭に立っていく上でみんなが見てると思うから、先頭に立って引っ張っていけ」と言われたので、そこは変えずにできたと思います。

同期はどんな存在だった
めちゃめちゃええやつらばっかりですし、たくさん支えられたので自分は「ありがとう」とみんなに言いたいです。

後輩に期待することは
神宮で思い切ってやるためには練習からしっかりやるしかないと思います。しっかり覚悟決めて一日一日やっていけば大丈夫だと思うので、神宮でいい結果出せるようにみんなで頑張っていけばいいんじゃないかなと思います。出ていたメンバーは経験を生かしてやるしかないと思うので、2年、3年から出ているようなメンバーが引っ張っていければと思います。

プロ1年目の目標は
開幕一軍です!

ファンの方々へ
たくさん応援してもらったので感謝の気持ちでいっぱいですし、最後もスタンドを見渡した時はオレンジ色の服を着た人たちがたくさん見られたので、すごく自分の力になりましたし、本当に財産になりました。

朝山広憲 副将

4年間を振り返って
9割辛いことだったり、しんどいことばかりでした。

印象深い出来事は
1年生のときに怪我をしていたのですが、ひたすら走っていたことですね。未来が見えないというか、闇雲だったのですが、投げられないので走り続けることしか出来なかったので、本当に辛い1年間というのは1番心の中に残っていますね。

4年間で悔しさ、辛さが多かったと思いますが、なぜ乗り越えられたのでしょうか
しんどい時期を乗り越えて、オープン戦含めて抑えたときにチームメイトや周りのファンの方々に声をかけていただくことが凄く嬉しくて、応援してくれる方がいるというのを改めて感じられたというか、そういう想いを感じられたのでここまでやってこれたのかなと思います。

4年間で成長したところは
1、2年生のときリーグ戦投げられないときに、周りの同級生だったり、下級生がリーグ戦で投げている姿を見て、あまり心地良い気分ではなかったですし、また去年の秋優勝したときも、チームとしては優勝したので嬉しい気持ちもあったのですが、心のどこかでは自分が活躍できていないので悔しい気持ちはありましたし、そういう反骨心というか、チームが優勝するのが1番ですが、自分が活躍してナンボだと思うので、そういう意味では反骨心を持ってここまで練習して来れたというのは自分の中では大きな財産です。

副将として1年間やってみてどうでしたか
本当にチームをまとめてこれたかというと、他の副将に任せてしまい、僕自身副将として大きな仕事をできたかというと全然なのですが、ピッチャーとしては学生コーチはいますが、ピッチャーコーチもいない中で、投手責任者の内沢と一緒になって、4年生主体で(投手陣を)まとめることはできたのかなと思います。

思い出に残っている試合は
1番記憶に残っている試合は、正直打たれた試合なんですよ(笑)試合ざっくりで考えると…今年の春打たれた試合ですかね。打たれすぎてどの試合ってのはないのですが。あとは、添田とは高校3年生のときに「お互い対戦できたらいいね」と話をしてお互い六大学に入って、そういう意味では夢が実現できたので、それは凄く印象深いですね。

同期との4年間を振り返って
今の4年生は、性格含めて我が強くて、面白いメンバーで、高校時代は中心選手だった選手が集まってくるわけですから、お互いぶつかり合うことも多々あったのですが、結果、今年春不甲斐ない結果になってしまって、春のリーグ戦終えて一丸になって、みんなでまとまれて、秋こういう結果出せたというのは良い思い出です。

同期へ
全然頼りないというか、全然貢献できなかった副将であり、ピッチャーであるのですが、ここまで仲良くしてくれて、そして支えてくれたことを感謝したいと思います。ありがとう。

期待する後輩は
ありたきりなのですが、三浦銀二ですね(笑)彼は1年生のときもそうですし、今年もチームを引っ張ってくれてますし、彼の実力は上級生以上のものを持っているので。野球の面では申し分ない、いや、もっと頑張ってほしいですけど。(三浦は)私生活であったり、練習の取り組み形であったりとか、自分だけではなくてチームメイトを引っ張るというような器の大きい人物なんです。上級生になったら野球以外の面もそうですし、練習のときから私生活からどんどん引っ張っていかないといけない立場になり、ゆくゆくは三浦も4年生になったら、幹部になると思います。そういうところ含めて全て期待しています。

後輩へ
4年間というのはあっという間なので、本当に1日1日大切に、無駄のない時間を過ごして、悔いのない4年間にしてほしいと思うので、頑張ってください。

感謝の気持ちを1番伝えたい人は
やっぱり、両親ですかね。怪我して大学に入って、先の見えない毎日だったので、そういうときに、母親であったり、父親はLINEくれたりしてて、「調子どうだ?」とか「大丈夫か?」とか、辛いときに心配してくれてたのは親ですし、ここまで野球をやらせて頂けているのも両親のおかげですし、野球をやっているのも父親の影響ですし、本当に全てにおいて両親には感謝しています。

両親へ
野球以外の面でもお世話になりましたし、大切に育てて頂いたので、次はもう社会人になりますし、逆に親孝行していきたいと思っているので、期待しててください。

進路について
ホンダ狭山で社会人野球を続ける予定です。

社会人での目標は
まだ社会人野球がどういうものか具体的には分からないのですが、しっかり1年目からチームに貢献できるような選手になりたいということと、ゆくゆくはやっぱり、この前も宇草と福田がドラフトで名前を呼ばれていていいなと思ったので、2年後は2人と同じ舞台に立てれば良いなと思います。

大学野球の面白さとは
良い意味で楽しめるというか、高校野球にはない楽しさというか、高校野球は1回負ければ終わりのトーナメントですけど、大学野球は1回負けても2連勝すれば勝ち点取れますし、逆に最初1勝しても2連敗したら勝ち点取れないですし、そういった高校野球とは違うような戦いというか、精神面であったり、そういう意味では一発勝負ではない分、気楽に、良い意味で楽しんで野球ができることですかね。

最後に4年間応援してくれたファンにメッセージをお願いします
法政大学野球部の一人として、貢献できないシーズンの方が多くて、ファンの方々の期待を裏切ってしまったのですが、最後に少しでも貢献できたことが嬉しいですし、ファンの方々に温かい声援を頂いたことで立ち直れたと思っているので、本当に感謝しています。4年間ありがとうございました。

清水俊作 副将

最終戦を振り返って
小林君も4年生で、最後の年で。昨日からだったんですけど、いつもよりも全然球筋が違いました。変化球もすごく良いところに決まっていて。うちの打者陣は普通に力不足で打てなかったんだと思います。良い試合だったかと言われると、そうではなかったのかなと思います。

その中でも、最後に意地を見せました
今までは悪い流れのままずるずると最後までいって負けてしまうことが多かったんですが、今年の秋は簡単に三振をしないだとか、とにかく投手に投げさせるということを徹底して、大雑把な野球をすることを辞めようということをやれました。最後にこうした粘りの野球をできたことは良かったと思います。

自身として序盤に代打で出場し、凡退という結果に終わりました
最悪です。絶対に打ってやろうと思って打席に入ったんですが、低めの変化球に手を出してしまいました。

個人としては悔いの残る結果になった
個人としては悔い残りっぱなしです。ただ、チームとして、東大戦を粘って勝てたということは、チームとしてうれしいです。

1年を通して代打での出場の準備をしながら、ベンチでのサポートという仕事を献身的に行い続けました
正直に言って、きつかったです。やっぱり代打として、良い場面で出場させてもらえる中でしっかり自分のことを考えていかなければならないし、バッティングを評価されてベンチに入らせてもらっているわけなので、自分のことを考えながらチームのサポートをするということはすごく難しかったです。でも、自分が声を出すことで自分も勢いがつくし、チームも勢いがつくと思っていたから、そこは徹底してやり切ろうと思っていました。

指定校推薦で入学した中、副将にまではい上がりました
副将になったことに関しては監督に選んでもらったということで、それに関しては感謝しかないです。指定校からここまではい上がったということに関しては、スポーツ推薦の人たちに絶対負けたくないという思いがありました。でも、最後、スタメンになれずにベンチという形に終わってしまって、試合に出たかったなという悔しい気持ちがたくさんあります。

チームのために声を出すその姿が印象的でしたが、自身としては試合に出たいという思いが大きかった
自分が試合に出て、チームに貢献するという、それがやっぱり理想です。自分が頑張ればチームのためになると思っていました。でも、秋の初めに、スタメンではなくベンチという風に言われて。そこでシフトチェンジしました。もう一度、チームのためにできることは何かと考えて。スタメンで出て貢献できないんだったら、ベンチで声を出して、スタメンの奴らが気持ちよく試合に出られるように、ということを意識しました。

チームメイトが結果を出した際、誰よりもその選手を褒める姿が印象的でした
大学ではミスをしたらやっぱりめちゃくちゃ怒られるし、選手層も厚くてすぐ交代ということもあって。でもその中で、選手本人はエラーしたくてしているわけじゃないし、ミスをしたくてしてるわけじゃないというのは十分わかっていて。そこで、自分はちょっとでも選手のやる気が出るような声掛けを心がけてました。

同期の存在について
古山だったり、札葉だったり、指定校や付属高上がりで一緒にやってきた同期の存在っていうのは自分にとっては本当に大きくて、札葉に関しては立教戦でヒットを打って本当にうれしくて、すごく刺激になりました。本当に。古山も試合には最後だけしか出られなかったけど、ブルペンでの立ち振る舞いとか、自分が出られていないにもかかわらず、チームを第一に考えて、ピッチャー陣を支え続けていた姿を見ていて、本当に刺激になっていました。俺にとって、2人は本当に大切な存在でした。

4年間での1番の思い出は
1番の思い出ですか。そうですね…。夜中にバットを振ったことですかね。自分にとってはそれしかないです。良い思い出ではないですけど、1番の思い出です。「悔しい」と思いながら、バットを振っていたことです。それが1番の思い出です。

挫折は
日々上手く行かないことばっかりでした。今年の最初もすごく実は状態が良くて、スタメンでいくということを言われていたんですけど、やっぱり調子を落としてしまって。毎日の9割5分が挫折でした。あとの5分は、3年生の時に優勝できたこととか、この4年生の仲間で最後まで野球ができたことです。それは自分にとってすごくうれしいことでした。

高校時代から、けがなどで試合に出られない時期が続いていた中、大学野球界でトップレベルの法大を選んだ理由は
高校はけがが主な原因であまり試合に出られなくて、このままでは絶対に終わりたくないと思いました。他の大学でやるという選択肢もあったんですけど、一番レベルの高い法政でやるだけやってやると思いました。

社会人でも野球を続けますか
続けます。1年目はフレッシュに、でもがめつく、泥臭く、声を出して戦力になれるように頑張ります。

青木監督との思い出は
自分は守備が課題だったんですけど、朝の4時、5時くらいから守備練習に付き合ってくれました。すごく地道な練習だったんですけど朝から付き合ってくれて。あとは、練習が終わってからもバッティングの調子が悪かったら投げてくれました。もう、何というか感謝しかないです。それで、恩返しがしたかったんですけど、できなかったというのが本当に悔しいです。

青木監督に向けてメッセージをお願いします
全然実力のない副将だったんですけど、副将に選んでもらって本当にうれしかったです。ここまでこれたのは青木監督のおかげです、恩返しができなくて本当に申し訳ないです。ただ、4年間本当にありがとうございました。

後輩へ
慶応に勝ってほしいです。あとは指定校、付属高上がり組の中で特に頑張って良い位置につけている片瀬には頑張ってほしいです。リーグ戦にはまだあまり出れていないけど、すごく努力している選手だから、あいつには頑張ってほしいです。後輩全体としては、先を見ずに、一戦必勝で、一日一日を大切にして、リーグ戦優勝してほしいです。

同期へ
本当にみんなに感謝しています。特にさっき話した古山、札葉。あと、宇草はスポーツ推薦組だったけど、1年の時からずっと練習を2人でしていたし、感謝しています。自分は第2寮にいたんですけど、あいつから練習に誘ってくれて。自分からも誘って一緒にやりました。宇草からは教わることは本当にいろいろあったので、本当に感謝しています。同期全員、本当に個々の自我が強いメンバーだったけど、最後に一つになれて本当に良かった。感謝しかないです。ありがとう。

宇草孔基 副将

—今季を振り返って
苦しかったです。悔しい気持ちでいっぱいですし、この悔しい気持ちを必ず生かさなきゃなと思います。自分は今まで悔しい気持ちを糧にしてがんばってきた人間なので、そこの所はより強い気持ちを持って、自分と向き合ってこれから頑張って生きたいと思います

4年間を振り返って
今は正直悔しい気持ちでいっぱいなんですけど、たくさんの人に自分は成長させていただきましたし、本当にに感謝したいなという気持ちでいっぱいです。

4年間で挫折したことは
挫折だらけでした。

一番印象に残っている試合又は出来事は
今、いろいろありすぎてぱっと出てこないですね。

今季対戦した投手の中で打ちにくかった投手は
全員です。みんな打てる気しなかったです。

プロで対戦したい投手は
全員一流だと思うので、この人っていうのは正直いないです。

副将として振り返って1年間は
ちゃんと周りを見てチームを良くしていきたいなという気持ちだったんですけど、本当に力になれたのかは分かりませんが自分なりに毎日やりきることはやりきったなと思えるようにやってきました。

大学日本代表で学んだことは
『全力疾走』を学びました。

来年から森下暢仁選手(明大)とチームメイトになりますが、連絡は
取ってますね。頑張ろうなど話してます。

来年から高橋樹也投手(広島東洋カープ)とも同じチームになります
樹也から連絡くれて、高校の時から仲良かったので色々頼りたいなと思っています。

今1番感謝を伝えたい人は
みんななんですけど、同期の中でも特に仲良い人たちにはほんと支えて頂きましたし、刺激をもらってきたので本当にありがとうと伝えたいです。

プレイバック

福田光輝 主将

 「みんなのおかげでここまで来れました」。リーグ最終戦後、主将・福田光輝(人4)はこう振り返った。今季は惜しくも秋連覇には届かなかったが、『結束』を体現したシーズンとなった。 それは紛れもなく、時に優しく、時に厳しくチームをリードし続けた福田の存在があってこそだ。

 ルーキー時代からリーグ戦に出場してきた福田は、2年秋のフレッシュトーナメントで主将を務めた。接戦をものにして決勝に進出したが、明大に敗れて準優勝に。試合後、ミスをして少々落ち込んでいた後輩に冗談を言って明るく鼓舞する姿が印象的であり、2年生にしてリーダーとしての自覚は十分だった。3年生になるとスタメンに定着し、リーグ優勝を果たすなど上級生と共に多くの経験を積んだ。そして、向山基生(平30年度卒=現NTT東日本)から主将のバトンを受け取った。

 だが、迎えた春は困難の連続だった。青木久典監督が開幕直前に謹慎処分を受ける。さらに、昨季王者として挑むも最終成績は5位。チームの雰囲気は決して悪かったわけではないが、ただただ投打が噛み合わなかった。福田自身は打率.354の成績を残したが、喜ぶ様子は一切ない。「秋に向けて絶対にチームを立て直す」。すでに視線は秋へと向いていた。

 9月、ラストシーズンが始まった。チームは開幕から6連勝を挙げ、春に福田が発破をかけた投手陣は見違えるように次々と0に抑える。個人としては、最終戦の東大2回戦で起死回生の同点ソロ本塁打を放ち、主将としての意地を見せつけた。また、10月17日にはドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから5位指名。プロ野球選手への切符をつかんだ。2季ぶりの優勝こそ逃したが、集大成のシーズンで主将としても一選手としても充実感を味わった。
そんな主将について、今季中継ぎとして躍進を遂げた鈴木昭汰(キャ3)は、「怒ってくれたし、打たれた時にはケアしてくれた」と語った。厳しいイメージを持たれがちな福田だが、周りへの気配りは常に欠かしていなかった。

 千葉ロッテとの契約を終え、いよいよプロ野球選手としての人生が始まる。持ち前の鋭く、力のある打撃とガッツを武器に、スターへの階段を登る姿を皆が心待ちにしているはずだ。

 マリーンズの『顔』となり、大学で置いてきた『日本一』の忘れ物をプロの世界で取り返してほしい。

(渡辺詩織)

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福田光輝(ふくだ・こうき) 
人間環境学部4年 
1997年11月16日生まれ 
大阪府出身・大阪桐蔭 
176㎝80㎏・右投左打 
通算成績:73試合 248打席 218打数 60安打 4本塁打 25打点 24四死球 46三振 打率.275

朝山広憲 副将

  朝山広憲(法4)の目標は4年間で常に変わっていた。「ボールを投げたい」、「リーグ戦で投げたい」、「先発をしてみたい」、「防御率0.00を目指したい」。4年間朝山は目標を達成する度に、新たな目標を設定し、常に上だけを見て全力で走り抜いた。「9割辛いことだったり、しんどいことばかりでした」と朝山は4年間を振り返る。

 朝山の大学野球は「ボールを投げたい」という目標から始まった。作新学院高時代には3年連続で甲子園に出場。3年夏は16強入りを果たす。しかし、大会後に右ヒジを手術し、『けが人』として大学生活のスタートを迎えることに。投げたくても投げられない、ただひたすら走ることしかできない。そんな辛く長い日々が入学後およそ1年間続いた。「未来が見えないというか、闇雲だった、投げられないので走り続けることしかできなくて、本当に辛い1年間でした」と当時を振り返る。

 2年になりようやくボールが投げられるように。次なる目標は「リーグ戦で投げたい」。リバビリ期間中、多くの同級生は既にリーグ戦で華々しくデビューを果たしていた。その姿に「あまり心地良い気分ではなかった」と朝山は振り返る。とにかく悔しかった、自分も早く投げて活躍したい。そんな想いでひたすら練習に取り組んだ。作新学院高時代の同期、添田真海(明大)は言う。「朝山はすごく負けず嫌いで、悔しさをもってやるタイプなので野球には凄く真面目です」。高校時代から朝山は人一倍に『負けず嫌い』だった。

 そして、3年春にリーグ戦初登板。また一つ目標を達成する。しかし、思うような結果を出せない日々が続いた。1年間で13試合に登板、0勝1負、防御率5.11。当時「投げやすさで言うと、抑えが投げやすい」と話す朝山。しかし、あくまで目標は「先発をしてみたい」だった。

 ついに最終学年を迎える。春のオープン戦では絶好調、「出来すぎかと思うくらいいい感じなので、このままリーグ戦に入れればいいと思います」。と当時朝山は話す。東大・浜田一志監督(当時)も「朝山あたりが今年、化けるような気がして怖い」と言うように、朝山の高いポテンシャルは誰もが認め、誰もが活躍を信じてやまなかった。

 しかし、現実はそう甘くはなかった。秋春連覇に向けて山場となった慶大1回戦。同点の緊迫した場面で中継ぎ登板するも、投球が定まらず痛恨の3失点。そこから悪夢のような日々が続く。立大2回戦、9回の同点の場面で登板し、4者連続安打含む5安打を許し4失点で敗戦投手に。自らの手で自力優勝の可能性を消滅させてしまった。「投げるたびに打たれてチームに迷惑をかけてしまった本当に辛いシーズンでした」と振り返るように朝山にとって振り返りたくないほど悔しいシーズンとなった。この悔しさは忘れることはできなかった。そして、「僕はゲームとかでも負けたらめちゃくちゃ悔しがるのでめちゃくちゃ練習します。何事にも負けるのが嫌なのでとにかく練習します」と自ら話す朝山は夏のオフシーズンひたすら自分のするべきことを行い、練習を積み重ねた。よほど悔しかったのだろう。

 そして迎えた集大成となる学生ラストシーズン。学生最後の目標は「防御率0.00」。悔しさから『負けたくないという気持ち、反骨心』を持って練習に取り組んだ朝山は見違えるほどたくましくなっていた。3年時からの「先発をやってみたい」という目標通り、立大1回戦で大学初先発を果たすと、8回途中1失点で圧巻の投球を見せた。その後も、打者と上手く駆け引きをしながら勝負して、野球を楽しんでいる朝山の姿があった。

 悔しさの果てに咲いた大輪の花。「最優秀防御率賞、防御率0.68、法政大学、朝山広憲投手」そう閉会式でアナウンスされると、常に悔しさを持ち続け、人一倍に努力してきた剛腕に惜しみない拍手が送られた。そして4年間、目標を達成するごとに成長してきた朝山は最後にこう締めくくった。「今までやってきたことは間違いではなかった」と。

 卒業後、社会人野球で硬式野球を続ける朝山。「宇草と福田がドラフトで名前を呼ばれていていいなと思ったので、2年後は2人と同じ舞台に立ちたい」と、次なる目標は「2年後のプロ入り」に定まった。もう一度、目標に向け上だけを見て走り抜ける朝山を陰ながら応援していきたい。もう一度大輪の花を咲かすまで。

(髙橋尚輝)

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朝山広憲 (あさやま・ひろかず)
法学部4年 
1997年11月25日生まれ
栃木県出身・作新学院
176㎝79kg・右投左打
通算成績:26試合 46回 4勝 2敗 38被安打 13与四死球 31奪三振 17自責 防御率3.33

清水俊作 副将

 『試合に出なくても、チームが勝てばそれで良い』。副将の清水俊作(文4)は傍から見ればそういう思いを持っている選手だと感じるかもしれない。4年間を通してスタメン出場はゼロ。通算で立った打席数は17。それでも青木久典監督が副将に清水を選んだのは、技術面以外の良さを評価していたからだ。『チームを陰で支え続けた副将』。清水にとってそんな言葉はぴったりかもしれない。

 事実、清水はそうだった。声を出し、チームを鼓舞した。「声に関しては、自分はかなり大事だと思っています」。そういうこだわりも持っていた。チームメイトが活躍すれば誰よりも喜び、ほめる。ベンチになくてはならない存在だった。

 しかし、その状況に『それで良い』と思うことはなかった。「自分が試合に出て、チームに貢献する。それが理想です」。最終戦を終え、改めて発したこの言葉の裏には、悔しさが込められていた。

 指定校推薦で入学した清水。高校時代から、けがの影響で先発出場することは少なかった。「このままでは絶対に終わりたくない」。「一番レベルの高い法政でやるだけやってやる」。「スポーツ推薦の人たちに絶対負けたくない」。そういうある種の強い『エゴ』をもって法大野球部の門をたたいた。

 当然のように、努力を重ねた。第二寮からスタートし、古山侑杜(社4)、札葉弘樹(経4)ら指定校推薦や付属校から入学した選手と絆を深めながら練習に励んだ。「古山や札葉の存在は自分にとって本当に大きかった」と清水は振り返る。また、「バッティングだけは誰にも負けないように」とバットを振り続けた。課題だった守備は自ら青木監督に頼み込み、練習前の朝の4時、5時から地道なゴロ捕球。それは着実に実を結び、3年次からベンチ入りを果たすと、代打で結果を残し、少ないチャンスをものにした。華やかな活躍はなかったものの、泥臭く、しがみついた。

 そして、4年になり青木監督から副将に任命された。先発出場を狙えるほど、技術も身についていた。しかし、それがかなわなかった現実があった。

 「試合に出たい」。「活躍したい」。そういう誰もが持つ思いを誰よりも強く持っていた。「自分は活躍しなくて良い」なんて、微塵も思っていなかった。ただ、出られないのなら、自分は何をすることができるのか。「シフトチェンジしました」と清水は言った。そして清水は当然のように声を出し、仲間を励まし、鼓舞していた。根本にあるのは『チームのために』という思いだったからだった。試合に出ることの難しさ、結果を残すことの難しさ、それを誰よりも痛感していた。だからこそ、厳しいスタメン争いを抜け出し、試合に出て、結果を残す選手に対しては尊敬の念を忘れなかった。そこからにじみ出る姿が、我々が傍から見る『チームを陰から支える副将』になっていた。

 4年間での一番の思い出を問うと、こう答えた。「夜中にバットを振ったこと。自分にとってはそれしかない。良い思い出ではないですけど、一番の思い出。『悔しい』と思いながら、バットを振っていた。それが一番の思い出です」。

    清水の持っていた『悔しい』という思いは最後まで晴れることはなく、「個人としては悔い残りっぱなし」と素直に語った。それでも『チームのために』やりきった清水。「最後に一つになれて本当に良かった」という言葉もまた、素直な言葉だった。

    社会人でも野球を続ける。「フレッシュに、でもがめつく、泥臭く、声を出して戦力になれるように」。意気込みはこう語った。たとえ表舞台に出なくても、清水はチームのためになれるだろう。清水の歩んだ4年間を見れば、それは自明だ。でも、次は理想をかなえてほしい。夜中に感じた悔しさを晴らして、『チームのために』なってほしい。そう、強く願わずにはいられない。

(山﨑有馬)

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清水俊作(しみず・しゅんさく)
文学部4年
1997年7月29日生まれ 
東京都出身・佼成学園
180㎝85㎏・右投右打 
通算成績:17試合 17打席 16打数 5安打 0本塁打 2打点 1四死球 5三振 打率.313

宇草孔基 副将

 宇草孔基(営4)の4年間は決して順風満帆な4年間ではなかった。

 高校時代は第87回選抜高校野球大会で一試合盗塁タイ記録を打ち立てると、夏にはU18 日本代表にも選出された。こうして甲子園のスターとして高校野球を沸かせた宇草は満を持して法大に入学。しかし、1、2年生時はけがなどでなかなかリーグ戦出場機会に恵まれず、苦しい日々を送ることになる。「自分の良い経験にできるように取り組んでこられたので、それが今に繋がっている」と宇草は振り返る。

 けがも癒えた3年夏。宇草に転機が訪れる。青木監督の指導で打撃フォーム改革を行った。以前までは足をあげたフォームをすり足の打法に変えると3年秋のリーグ戦からついにそのベールを脱ぐ。開幕からスタメンをつかむと全ての試合に先発出場し、法大の12季ぶりの優勝に貢献した。

 4年からは副将へ。チームを引っ張る立場へと変わった。迎えたラストイヤー。本塁打、盗塁数、打率ともにキャリハイの成績で、春リーグは大ブレイクを果たす。惜しくも首位打者は逃したものの自身初のベストナインを獲得し、一気に東京六大学でもトップクラスの選手へと名乗りを上げる。その成績を買われ、夏には自身初の大学日本代表入りへ。日米大学野球選手権ではすべての試合で先発出場を果たし、自慢の積極的な打撃と走塁で日本の優勝に貢献した。そして迎えた運命のドラフト会議では、広島東洋カープから2位指名を受け晴れてプロ野球の選手へ。部員たちとともに喜びを分かち合った。

 宇草は幼いころから壁ぶつかると自分で考えぬき、行動にうつし、そして何度も復活を遂げてきた。大学生活でもそれは見られた。けがで満足に練習もできなかった下級生時代の下積みがあったからこそブレークを遂げた。ラストシーズンは宇草にとって決して満足の結果とは言えなかった。副将として大きな期待を受けるもなかなか安打が打てず苦しいシーズンだったが、「自分は今まで悔しい気持ちを糧にしてがんばってきた人間なので、より強い気持ちを持って自分と向き合ってこれから頑張っていきたい」と宇草が語るように、どん底を味わったからこそ、必ずやまた這い上がり、一回り強くなった姿を次はマツダスタジアムで披露してくれるに違いないだろう。

 六大学のスターから球界のスターへ。プロに入るにあたり掲げた目標は『全力疾走』。「走攻守の三拍子そろったスケールの大きい選手になりたい」と抱負も語った。新たな目標、そして理想の選手像に向けて宇草はこれからも走り続ける。必ずや自慢の積極的な打撃と走塁でマツダスタジアムを大いに沸かすであろう。今まで取材を行ってきた記者として、一人の宇草ファンとしてこれからの宇草の活躍を期待する。

(須藤大樹)

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宇草孔基(うぐさ・こうき)
経営学部4年 
1997年4月17日生まれ
東京都出身・常総学院
185㎝83㎏・右投左打
通算成績:47試合 193打席 180打数 45安打 7本塁打 21打点 11四死球 42三振 打率.250

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