硬式野球

【野球部創部100周年記念インタビュー】稲葉篤紀~“全力疾走”の野球人生(後編)

2015年11月25日(水)
ザ・プリンス パークタワー東京

1915年創部の法大野球部は、2015年に創部100周年を迎えました。スポーツ法政新聞会ではそれを記念し、法大出身でプロでも2000本安打の偉業を達成するなど活躍された稲葉篤紀氏にお話を伺いました。後編は大学時代の思い出、現役学生へのメッセージなどを中心にお届けいたします。

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自身の代名詞である"全力疾走"を掲げた

神宮は憧れの場所

―野球を始めたきっかけは
父親が草野球をやっていまして、それに連れていってもらってキャッチボールをやったり、バッティングをさせてもらったりしたことがきっかけでした。

―高校時代などに東京六大学野球に抱いていた印象などはありましたか
昔、NHKで六大学野球を放送していたんですよね。正直に言うと僕はあまり大学野球というものを知らなくて、テレビで初めて見たときに「ああ、六大学ってものがあるのか」と。セレクションに行った時にも高校で見ていた選手ばかりで「そういう(レベルの高い)ところなのか」ということを初めて知りました。

―法大に入学を決めた経緯は
高校の監督に「セレクションに行ってみろ」と声を掛けていただいて、そこで受かったことがまず第一の理由ですね。どこでも選べる立場ではなかったです。僕は甲子園にも出ていないので。高校・大学間などでいろんなつながりが少なからずあったりだとかで、僕は高校の監督に勧められたことが始まりです。行ってみたらやはりみんな体が大きいですし、すごい選手ばかりで。「こういうところでやってみたいな」という思いはしました。

―学生時代に感じた神宮球場の雰囲気は
初めて神宮球場に入った時は憧れといいますか。やはりプロも使っている球場で試合をできるんだということは今でも覚えていますし、憧れの球場でしたね。当時は人工芝の球場もなかなかなくて、初めて人工芝の球場で野球をやらせてもらえたんですけど、すごくきれいで感動しましたね。

 

野球漬けの4年間

―どのような大学生活を送っていましたか
大学生活ですか…。僕、一つ心残りなことがあって。高校の監督に「女の子の友達をつくりなさい」と言われていたんですよ。それは何かというと、勉強を手伝ってくれるからという理由で(笑)。僕は経営学科だったんですけど、当時は女の子が一クラスに4~5人しかいなくて。練習ばっかり行っていたので大学はそんなに行けていなくて、友達もあまりつくれずといった状況で、あまり学生らしく遊んだという思い出は正直ないんですよね(笑)。本当に野球漬けの4年間でしたね。

―大学で最も成長したと感じる部分は何でしょうか
スピードじゃないですかね。高校と大学では体つきも違いますし、六大学といえば全国からすごい選手たちが集まってくるので、そういう選手たちを相手に打っていかなければなりません。スピードは(高校野球とは)違いましたね。身に付いたと思います。

―当時の息抜き方法などは
そうですね…。遊ぶっていうと何して遊んだんだろうな、当時は。昔みんなやっていることといえばパチンコとかが多かったのかな(笑)。今の大学生はどんな遊びをしているんだろう。学生っていったらパチンコみたいなイメージがありますよね(笑)。今考えてみれば親のお金でパチンコなんかやって、と思いますし、迷惑も掛けたなと思いますけど。でも例えば1、2年生のころは9時という門限もありましたし、練習が終わってから9時までの時間以外に本当に息抜きができなくて。だから当時はパチンコをやることが一番の息抜きだったんじゃないかな(笑)。やっぱり息抜きは必要なのでね。

―同期には現在法大の監督を務めています青木久典氏もいらっしゃいました。当時はどのような方だったでしょうか
真面目だったですね。真面目で熱い男でした。声が出ていなかったり、気持ちが入っていないプレーにはちゃんと言っていましたし、本当に野球が大好きで一生懸命にやっていたイメージです。基本的にどちらかといえばおとなしい方だったんですよ。あんまりワイワイする方ではなくて、淡々と自分のプレーをするようなタイプでした。

―監督就任以降に連絡を取り合ったりはされましたか
取っていますよ。(夏季キャンプで)北海道に遠征してきた時に試合を見に行ったり、法大のグラウンドにも久しぶりに行きました。何回かお会いして、話もしました。

 

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 思いを背負って

―大学4年間で最も印象深かった出来事は何でしょうか
4年秋にリーグ優勝したことですね。最後明大と戦って。当時は1年生で川上憲伸(元中日ドラゴンズなど)くんが投げていたのかな。最後の最後の試合で勝ったことが一番の良い思い出ですね。一番嫌な思い出は東大戦に負けたこと(1993年秋)ですね。40何年ぶりに勝ち点まで落としてね。そのときの監督は山本泰さんといいますけれど、僕は4番を打っていて。負けた日に監督室に呼ばれて「お前のせいや」と怒られたことですね(笑)。

―野球人生を通じての良い思い出、つらかった思い出は
やっぱり良い仲間がたくさんできたことですね。小さいころから野球をやってきて、野球で知り合う仲間はいつまでも続く仲間が多いですね。野球をやっていて悪いことはないですよ。チームワークとか一つになることができますし。野球って何か独特なのかなと思います。団体スポーツのようで、実は個人スポーツ。ピッチャー対バッターの競技でもありますし、またそこで助け合いが生まれていったりだとか。誰かが失敗すればほかの誰かがカバーしたりということをやれるのが野球だと思います。また、野球の良いところは"間"があるスポーツなんですよね。一球一球に間があります。そこでいろんな駆け引き、考えができるんです。プロ野球の試合ではいろんなファンの方々が監督になれるわけですよ。自分だったらこの場面で何を投げようか、代打に誰を出そうか、投手交代をどうするんだ、と。僕はそうやって頭を使ってやるのが、野球のすごく良いところなのかなと思いますね。

―現在も東京六大学野球をご覧になることはありますか
やっぱり気になりますね。特に今年は、同級生の青木監督にもなりましたのでね。春は2位だったのかな。秋は5位ということで「なかなか勝つのは難しいよ」というメールも(青木監督から)入ってきましたけどね。部員も100人近くいる中で、それを一つにまとめるのは非常に難しいことなんだろうなと思います。気になりますよ。どういう試合になっているのか、誰がどう打っているかなどですね。

―学生野球の"あるべき姿"というものをどのようにお考えでしょうか
難しいですね。例えば今年、高校野球を見に行ったんですが、球児たちはいろんな思いを背負っているわけですよ。都道府県の代表でもあるし、地域の皆さんの期待を背負っているわけです。そういうもののぶつかり合いというものには、非常に感動させられます。大学でもいろんな高校であったり、いろんな県から選手たちは来ているわけなので、そういうものを背負いながら、そしてさらに「法政大学」という大学を背負う。そういうことを考えながらやってほしいなと思いますね。プロであれば当然僕はファイターズの球団を背負っていると。そして北海道の皆さん、ファイターズファンの皆さんの気持ちを背負っている。そういうことを思いながらプレーしていました。おのずと「自分がどうしなければならないか」ということがだんだん明確になってくるんですよね。一つのプレーに対して失敗すれば「こんなんじゃ駄目だ」という思いにもなってきますし、大学生にも常日頃そういうことを考えながらやってほしいです。そして、当然上級生は下級生に「お前ら見てろ」と。下級生は「先輩たちを押しのけて絶対にレギュラーを取ってやる」。そういう気持ちを持ってやっていけば、学生たちも熱い気持ちでできるんじゃないかなと思いますね。

 

「リーグ優勝」ではなく「日本一」

―今年創部100周年を迎えた法大は、2012年秋を最後に優勝から遠ざかっています。これからの法大に期待したいことは何でしょうか
優勝してほしいですよね。僕がこんなこと言っても説得力ないかな。1回しか優勝してないから(笑)。やっぱり日本一になってほしいです。リーグ優勝ではなく、目指すは大学日本一です。そこを目指してやってほしいですよね。選手たちも「リーグ優勝目指して頑張ります」ではなく「日本一になるために頑張ります」と。そうやって言えるチームになってほしいです。

―現在の若い学生たちに伝えたいメッセージ
とにかく「自分を信じろ」ということを言いたいですね。人の言うことに流されず、自分の信念を持って「これをやる」と決めたらそれに向かっていくということです。今の子供たちもそうなんですけど、夢がないというか。昔は変な話、男だったらプロ野球選手とかサッカー選手になりたいとかあると思うんですけど、今は少なくなっていると思うんです。ひょっとしたら学生さんたちにも、実は自分で何をやっているのか分からないと思っている方たちもいるんじゃないかなと思います。いろんなことにチャレンジしてほしいですし、自分の才能・能力は、いろんなことをやることによって見つかるんじゃないかなと思っていて。「あ、俺これ合ってるわ」とか「私これ好き」とかそういうところからでもいいので、何か見つけてチャレンジしてほしいと思います。その中で自分はこれをやる、と決めて信念を通してやっていくというね。そうしていったらどうかなと思いますね。

―最後になりますが、ご自身にとって「野球」とは
自分自身を成長させてくれたスポーツですよね。人間性もそうですし、野球というスポーツはここまで深く考えさせてくれて、いまだに答えが出ないというね。これはたぶん死ぬまで答えは出ないです。それはなぜかというと、時代って流れていくので、その時代の流れに合わせて自分自身も変化していかなければならないと思うんですよね。だから、これはもう答えが見つからずに死んでいくんだろうなと思いながら、でもやっぱりそれだけ野球というのは奥が深いスポーツなんだと思います。これだけ没頭させてくれた野球に感謝しなければいけないと思いますし、これまでも成長させてもらい、これからも成長させてもらえる。そんなスポーツだと思います。

(取材:遠藤礼也)

 

プロフィール

稲葉篤紀(いなば・あつのり)
1972年8月3日生まれ。愛知県出身。中京高(現・中京大中京高)から法大に入学。ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団し、2005年には北海道日本ハムファイターズへFA移籍。2012年には史上39人目となる2000本安打を達成した。引退後は侍ジャパンの打撃コーチや解説者として活躍。
東京六大学リーグ通算88試合出場、打率.280、6本塁打、50打点

 

フォトギャラリー

  • 1自身の代名詞である"全力疾走"を掲げた
  • 3笑顔で学生時代を振り返る
 

 

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