スケート

【リオ五輪特別インタビュー】第1弾~ウエイトリフティング女子48㌔級 三宅宏実選手~

2016年4月5日(火)
味の素ナショナルトレーニングセンター

2016年8月5日、リオデジャネイロオリンピック(リオ五輪)が開幕した。4年に1度のスポーツの祭典に、法大からも現役生1人、OB・OG7人が出場する。今回は第1弾として、ウエイトリフティング女子48㌔級に出場する三宅宏実選手(平19年度キャリアデザイン学部卒=いちごグループHD)にリオ五輪への思いをうかがった。

スポホウでは各出場選手の取材内容を随時公開致します(女子セブンズの2名は除く)。ぜひご覧ください。

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4度目の五輪に挑む

三宅宏実選手コメント

―リオ五輪出場おめでとうございます
ありがとうございます。

―リオの目標は何か具体的にありますか
目標は無事にオリンピックの舞台に立てるように準備をしたいなと。そこで6本成功できるように頑張りたいなと思います。

―前回取材をさせていただいた際(ロンドン五輪前)に、目標として『メダルとは言いたくない』とおっしゃっていましたが、実際のところは
メダルという重みは物すごいもので、私は「メダルを取ります!」といって取れるようなメンタルの強い選手ではないので、胸に秘めて。メダルばかりにこだわってしまうと過程がおろそかになってしまうので、自分自身の軸をぶれさせないように。やるべきこと、目の前にあるひとつひとつのことを精いっぱいやりたいので。やっぱりそっちのほうをメインに一日精いっぱいやるということを心掛けていたので、それで結果が付いてくればいいなと思っていました。

―実際に銀メダルを獲得したお気持ちは
嬉しいですね。当時が三度目のオリンピックで12年目だったんですが、競技を始めた2000年のときからオリンピックに出場する、またはメダルを取ることを目標にずっとやってきました。父もメダリストでもあったんですけど、やっぱりメダルを取るというのはなかなか容易なことじゃなくて凄く難しいんだなと思います。12年かかってようやく手にしたときはすごくうれしいなという気持ちでした。簡単に取れないからこそ、その過程には苦しいことなどいろんな思い出があるんです。その過程で夢がかなうっていうのは本当に一瞬のことですが、その一瞬のためにやってきているのでうれしいなというのはありました。

―今までで一番苦しかったことは
苦しかったことですか...。いっぱいあるんですけど、何だろう。競技を続けてきて16年目になるんですけど、良いときと悪いときは悪いときが9割くらいなんですね。毎日同じことの繰り返しなんですけど、ああじゃないこうじゃないって。フォームが毎日の体調の変化で変わってきたりとか、やっぱり睡眠と疲労だったりとかで良いパフォーマンスができなかったりするので。でもやっぱり一昨年の12月に腰を痛めてしまって、腰の炎症だったのでどうにもこうにも練習することができなかったので、それが私にとって一番つらかったのかなと思いましたね。でも半年間練習がほとんどできなかったんですけど、一から作り直して、去年の世界選手権に向けてちょっと吹っ切れることができました。メダルを取ることができたので、とりあえず諦めないでやり続けて良かったなと思いますね。

―ロンドンでメダルを取ったときに一番思い出したことは何ですか
ロンドンのときはやっぱり北京(五輪)のことですね。北京前後の4年間というのはけがもずっとしていてなかなか治らなくて。1㌔伸ばすのに5年くらいかかったんですね。でも今も気づけば2011年から記録が伸びてなくて、5年くらい停滞しているんですね。その当時は2005年から記録が出てなくて、2009年に1㌔を更新することができてすごく嬉しくて。やり続けて良かったなと思ったので、そのときやっぱり苦しかったといえば苦しかったんですけど、今のほうが苦しいのかなとは思いますね。

―最も印象に残った試合に北京五輪を挙げられていましたが
北京は私にとってもやっぱりアテネオリンピックで経験を踏まえた上の2大会目だったので。オリンピックというのは本当に素晴らしいところで、出てみないと伝えられないんですけど、4年に1回なのでやっぱり物凄いプレッシャーがあるんですね。その中でいろんな方々に8年間支えていただいたりとか、応援していただいたんですけど、そこで結果が出せなかったので。自分の未熟さだとか悔しさも大きかったのが北京だったので。でも人間やっぱり優勝だったり成功よりも、悔しさだったり失敗のほうが得るものは大きいので、自分にとっては全てが必要なことだったなと思います。

―ロンドンから今までどのような気持ちで練習されてきたのでしょうか
ロンドンでメダルを取ってやっぱりモチベーションというか気持ちが切れてしまって。夢がかなったので、そこから立て直すことがなかなか難しくて。やっぱり3年くらいかかってしまいました。そこからやっとやる気が出てきたのに、その矢先に腰を痛めてしまったので心がぽっきり折れてしまって。「ああどうしようかな」ってずっと思っているうちに、でもオリンピックは迫ってくるし、世界選手権もやってくるし。とにかく治すことに専念して。何か変えなくちゃいけないという中で、全日本が去年あって、ちょっと一区切り。世界選手権に向けて、しっかり切り替えてもう一回基礎から積み重ねて、底辺の土台の部分からちょっとずつ目標を設定して。50%、60%、70%って計画を立てていって、計画して実行して反省っていうのが大事なことなので。やっぱりそういう過程を踏まえて世界選手権はここ3年のなかでは練習らしい練習ができたので、納得はしていますね。

―モチベーションを上げる要因となったものは
2016年にオリンピックが迫ってきていたんですよね。オリンピックを迎えて、オリンピックに出たいっていう気持ちだったりとか、周りがオリンピックの雰囲気になっていきますし。3年も経っていたのでいい加減気持ちの切り替えもできてきましたし。オリンピックを3回味わって、オリンピックの良さであったり怖さであったりの経験もしてきて、私はオリンピックに挑戦できる内定をいただいているので、そこでやっぱり出るからには、一生懸命やりたいと思っているので、気持ち的にはやっぱりトライしたいなっていう感じですかね。自然にこうモチベーションが上がっていったのかなと。それはやっぱり当面にオリンピックっていう目標があったからだと思います。

―4度目のオリンピックとなります。オリンピックに対して特別な気持ちは
特別ですよね。1年に1回ある世界選手権とはわけが違うので。4年逃しちゃうと4年出られないので。その4年に1回に合わせることって凄く難しいんですね。調子が良いときっていうのはパッと重量を挙げられるんですけど、オリンピックっていうのは試合も全部決まっていて。その中で時差であったりどの選手も同じ条件で4年に1回、全世界が注目する祭典に最高のパフォーマンスがだせるっていうのは難しいと思うんです。だからこそ面白さでもあったり、怖さでもあったり、いろんなものが混ざっているのがオリンピックだと思うんですけど。そこで勝つといいこともたくさん、願いが叶ったり、嬉しいこともたくさんあるので。北京で負けた時も知っているし、ロンドンで勝った時も、両極端を知っているからこそ分かることがたくさんで、全て私にとって16年の経験は先につなげるためにいい経験だったと思います。

―ロンドンでは日本記録更新がありましたが、大舞台で記録が出せたのはなぜでしょうか
記録的には、練習では205㌔とかをやっていたんです。それでも197㌔っていうベストで、ロンドンでは出せなかったんです。だからこそ、そのオリンピックの舞台っていうのは100%調整しているけれど、そこに合わせられないっていうのが難しいんです。なので205㌔っていう準備をしていて、減量が悪かったとしても10㌔落ちたとしても絶対勝てるっていうのがあったので、成功率が勝負になってくるので。成功するだけを考えて臨みました。1本落とすとチャンスが無くなっちゃうので、とにかく全部取ること。周りのことを気にせず、自分自身が挙げないと人のことを気にしても仕方ないので。挙げる、ってそれしか考えてなかったですね。

―2015年の世界選手権では1位の選手が12歳年下(中国・蒋恵花選手)でしたね
強いですよね。やっぱり中国って層も厚いですし人口も多いので。日本の柔道のように、国内で勝つことが難しい状態が中国なんですね。中国の選手が1人だめだったとしても代わりの選手がいっぱいいるので。今度のオリンピックもその選手が来るとは限らないので、本当に強い選手が選抜されて来るんじゃないかなと思います。

―特に意識している選手・ライバルは
やっぱり自分ですよね。いくら人を意識したところでもちろん人があって順位が決まるものなんですけれども、自分が重量を挙げないとその人にも並べないですし。なので挙げることに目標を置いて6本挙げるからこそ結果が付いてくると思っているので、目の前のことの過程を大切にしたいし、一日一日の積み重ねが8月6日につながると思っているのでこの瞬間を大切にしたいなと思っています。

―48㌔級と52㌔級に変化することについては
常に減量をしてしまうとやっぱり筋肉にダメージがあって、1回試合に出ることによるダメージって結構大きいんですね。なのでもともとアテネまでは53㌔級でずっとやっていたんですけど、53で勝てないから下の階級に降りることになりました。5㌔の減量はきつかったので、それをしないためにも2004年から50㌔前後でずっと約10年間キープしていて。その持ち体重で上の階級でどこまで記録を残せるかっていうのが私の目標なんですね。だからこそ大事な試合に出る準備として上の階級と戦ってしっかり記録をもとに戻したいっていうのがあるので。マックス53㌔いつもあるっていうわけじゃなくて、ずっと50㌔前後で。自分との戦いですよね。どこまで出せるかっていうので、上の階級で戦うんです。

―階級を変えることで成績の変化は
全然違いますよね。2㌔落とすのと落とさないのでは全然記録も変わってくるので、もちろん体重があるのとでは重量の感じ方も全然違ってくるんですね。でも階級が上がれば上がるほど、持つ重量もどんどん上がってくるんですね。やっぱり50㌔のと53㌔あるのとでは扱う重量も変わってくるんです。なので本当は体重があるほうが重量を扱えるんですけど、私は53㌔級で勝負するところじゃないので。53㌔級で勝負するとしたら(スナッチ)100の(クリーン&ジャーク)130くらいやらないといけないんですね。やっぱり日本の今のレベルでいったら(トータル)195から200前後なんですけど、世界とは差があるんです。そうなるとやっぱり48㌔級でしっかり戦いたいっていうのがあるので、50㌔前後で調整をしてどこまで近づけるかっていうところに焦点を置いています。

―昨年の全日本選手権では2002年以来初めて優勝を逃してしまいましたが
けがはもちろんありましたね。でも1回負けても、全日本とオリンピックって比べ物にならないんです。やっぱりオリンピックは大切なので。そこで出し切っちゃってけがでもしたら大変だし、私にとって勝つこと負けることも大切だと思っているので。私が当時出せる力も分かっていたことなので、大きなけがのないように全日本に出場できればよかったのかなと思っていたので、いいかなと。周りはいろんなことを言いますけど、でもまあそこが私のゴールじゃないから、通過点としてそれはそれで必要なことだったと思っているので、良い経験かなと思います。

―オリンピックの出場内定が早く出たことによるメリットは
それは人よりもちゃんと準備を整えることができるというのが一番大きくて。来月の5月(取材当時は2016年4月)に選考会なんですね。選考会があると選考会の5月に向けてみんな100%で臨んでくるんですね。そのあとに8月だとまた作り直してもう1回仕上げていくことになるんですが、それは身体のダメージも大きかったりするので。でも先に内定をいただいているとそこからちゃんと土台を作りながらゆったりとした気持ちで合わせていけるっていうのがあります。そこは出し切らないでちゃんとオリンピックに向けて本番につなげる試合ができるので、そこの差っていうのは大きいですね。もちろん5月の全日本(選考会)っていうのは出場するんですけど、オリンピックにつながる試合ができればいいかなと思います。

―今強化していることは
今はパワー練習もそうですし、あとは技術練習ですね。パワーをつけながら技術練習をして、重量的には80%、90%くらいの重量には触るようにしているんですけど、その中にも反復練習であったりとかをしてきている段階ですかね。

―昨年の世界選手権で銅メダルを獲得したことについては
あの試合のときは取れないって思ったんですね。諦めていたんですけど他の選手が失敗して、というのもありました。周りが重量を挙げることができなかったので銅メダルを取ることができたんですね。自分がその受け身の状態で、攻める試合ができなかったというのがすごく悔しくて。練習でも112㌔はクリーンすることはできたんですけど実際本番は107㌔で終わっているんですね。そこに減量というものがあって落ちていて、割り引かれていて。練習でそれだけしかやっていないからそれしか出せないっていうのも反省として分かったし、だからこそロンドンではトータル207㌔持っているんですけど、そこまで近づけた上での減量、割引をしたいと思っていて。でもその世界選手権で銅メダルを取れたっていうのは、やっぱり取るのと取らないのとでは違うので。終わってみて悔しいけれども、取れたっていうのはうれしいなと思いましたね。

―諦めていたというのは
試合中、自分が最後の試技をして、失敗したんですね。なのでこれはもうだめだと。メダルは取れないと分かっていたので悔しいなあと。あっという間に終わってしまって、みんなにいろんな壮行会とかしてもらったりしたのに、メダルを持ち帰ることができなかったので、悔しいなあ帰りたくないなあなんて思いながら。でもなんかこう運がよかったので、取ることができました。やっぱりあるのとないのとでは全然違うので、ホッとしましたね。

―内定はその世界選手権の結果によってのことなのでしょうか
全部の試合が終わって、団体戦ということで、日本は9番にいたんですね。団体で9位までは(出場枠が)4枠なんですね。そのあと3枠2枠って減っていくんですけど、協会の中で4枠とったら1枠は内定するっていう規定があったので。終わってみてちゃんと4枠取ることができて、最終日位に内定ということを新聞社の方から聞いたので、いただけたのかなと思って。そんな感じでしたね。

―もしメダルが取れていなくても、内定していた可能性はあるということでしょうか
順位として...どうだったんですかね。でもやっぱり日本チーム全体として順位が上のものが1枠決まるって思っていたので。とりあえず6本成功して。自分が6本成功させたいというのに全力を注いでいたので。それはあとから着いてくるのでとにかく目の前にあることを一生懸命やろうと思っていました。そんなこと考えてなかったですよね、内定とかオリンピックとか。目の前にある重量を挙げなきゃいけないっていうのに必死すぎたので。結果的にメダルを取れたので良かったなって感じですね。

―ご自身で考える弱点などはありますか
いっぱいありますね。本当に。これだけやっていてうまくならないなって思いながら毎日葛藤するんですけど。その重いものを挙げる上で、途中の膝上から通るコースが私はとても苦手です。本当は加速していくんですけど、失速してしまったりとか。身体全体をもっと使えるように、細かいところも少しでも良くなれるように、欠点は少しずつ直しながら。でもいいところは伸ばしながら、しっかりまんべんなくやっていけたらいいのかなと思いますね。

―今年30歳になられましたが、競技を続けている要因、また辛さは
要因?モチベーションとか?うーん...。15のときから競技を始めて、気づけばもう30になって。ここまで続けてこられたっていうのは本当にうれしいことだなと思います。やっぱり高校大学まではみんな続けていたりとかするんですけど、でも卒業して、ウェイトリフティングをお仕事として続けられたというのはやはりいろいろな方々に支えられて今日に至るので。みんなの支えがあって環境も提供してもらって支えてもらっているので、続けることができてうれしいですね。今この年代で残っている選手って本当に少ないんですよ。でもその中で自分が続けていけるっていうことは本当にうれしいので。できるときに、限界が来るまで。自分の限界は絶対に分かると思うので、それが来るまではずっとトライしたいなと思います。常に挑戦者であることを忘れたくないので。人間ってこうマンネリ化しちゃったりすると挑戦っていうことを忘れちゃったりするので。何でもいいので一日のなかで目標だったりとか挑戦して、挑戦者であることを忘れないで、向上心を高めながらトライしたいなとずっと思いますね。

―所属チームではコーチとしての活動もされていらっしゃいますが
それに関しては、私は教えてないです!一応もう名前としてコーチとなってはいるんですけど、2人ともそれぞれの場所、埼玉千葉でもやって、ナショナルチームに入る選手で自立心も強くて、自分というものを持っている選手なので、全然私は指導してないです。いつもその質問困っちゃうんですけど(笑)。そんな感じですね。今はもう自分の競技に、当面オリンピックがあるので、そこにしっかりできたらいいのかなと思っています。

―試合前のルーティーンはありますか
ルーティーン...なんだろう...。特に無いですかね。でもちゃんと海外に行くときには行く前に氏神様の神社に参拝しに行くことと、ルーティーンというか、試合では勝負タオルとか。自分の好きなものに囲まれて試合はしたいので。着る服だったり靴下だったり、そういうものはちゃんと決めているのがルーティーンかなと思いますね。

―趣味やオフの過ごし方は
オフは最近は30にもなってきたので健康とか、疲労回復っていうところに凄く興味を持ち出していて。温泉の出ているお風呂屋さんがすごく好きなので、時間があったらお風呂屋さんに行って岩盤浴とか香草風呂とかそういうのに走っていますね。常に疲労回復をして、疲れをその日のうちにとって、次の日の準備、練習ができるようにしていきたいので。お風呂行くとリラックスできて、お湯に入るのと温泉って疲労回復とかが全然違うんですね。なのでそういうところであったり、たまに旅行したりとか、そういう気晴らしをしています。買い物行ったりとか。それは皆さんと一緒なんですけど。あとは趣味の足だけネイルしたりとか、おいしいもの食べるとか。そういう感じですね。

―オリンピックを終えたらしたいことは
免許取りに行きたいんですね!まだ免許持ってなくて。なので早く免許を取りたいなと思っています。

―仲の良いアスリートは
お会いしたら結構いろんな方とお話しとか挨拶とかしたりするので、あんまりこの人っていうのはいないかもしれないですけど、お話しさせていただいたりするアスリートさんはいらっしゃいますね。

―学生時代はどういった学生生活を送られましたか
大学はですね、もちろん勉強が第一なので勉強と練習の両立が難しくて、大変でしたね。とにかく3年間フル単で、4年目は練習に当てたかったので。とにかく授業に行って練習して、っていうスケジュールで。私は夜練習するのが嫌だったので、毎日7限を取っていました。明るいうちに練習をして、授業によって朝行かなくちゃいけない日は朝行って、その合間に練習して、授業に行ってというスタイルだったので、みんなでご飯に行くとかがなかったので本当にあっという間でしたね。ゆっくりなんかできなかったというか。授業についていくのに必死だったし、合宿とかでいなかったりするとその分勉強できないじゃないですか。でも出られるうちは出たりとか。授業行って練習、授業行って練習だったので、本当にあっという間の大学生活だったなと思います。

―その中で楽しかった思い出は
教授の先生方とご飯に行ったことがすごく楽しくて。授業が終わって、たまに教授がご飯に誘ってくださってみんなで行ったりするんですけど、そういう時間が楽しかったです。やっぱり年配の方もいらっしゃいますし、教授の先生方と結構ご飯に行ったりとか。当時笹川先生という方が学部長の方だったんですけど、今でも試合に来てくださったりとかするんですね。だから凄く大学の先生方には恵まれたというか、可愛がっていただいたので。いい先生たちばかりでした。

―2013年の入学式では祝辞のほうも述べられていましたが、現在でも大学とつながりがあるということについては
うれしいですよね。ニュースとかでも法政大学の学生の選手とかが活躍されているのを見るとやっぱり注目して見ますし。大学の側を通ったりすると今すごく綺麗になっちゃってて。うわ、すごい大学綺麗になってる、いいな!って思ったりとか。市ヶ谷の方とかも綺麗になっちゃってて。私は当時使っていたのは結構ボロボロのほうの市ヶ谷だったんですね。ずいぶん大学も変わって新しくなって。でもやっぱり大学って本当に規模が大きいので。壮行会にしろ何にしろ大きいので。思い出もあるし、いいなと思いますね。

―親子でメダリストになったことについては
ようやくメダリストに並べたなというか追いつけたなという気持ちで。12年間取ったことがなかったので。父・叔父は取ったけれども自分は結果が出せないという。親が偉大だと子供はってやっぱりあるじゃないですか。それが悔しくて。私も取りたいなって思って。人ができることができないって嫌なんですよ、悔しいので。できるうちは挑戦して。結構負けず嫌いなんですよ、頑固だったりとかもしますし。父・叔父に早く並びたいな、三宅の名前に恥じないように私もその同じステージに並べたらなっていうのを思いながらやってきたので、良い意味で良い存在でした。

―お父さまは銅メダルでしたが
メダルの色とかは関係ないです。親は親で超えられないものなので、銀取ったからと言って私の意見が通るであったりとかそういうことってないんですね。50年以上この世界にいてウエイトリフティングに携わってきた師なので。やっぱり私が意見を言ったら2、3倍になって返ってくるので。それはやっぱり親子であって、経験値も私の倍以上なので、そこはもう叶わないところだなと。いつになっても父は超えられないなって思ってますね。

―練習においては選手とコーチですが、普段との違いはありますか
あんまり変わらないですね。ずっと競技を始めた時から監督選手っていうきっぱりそういう感じではなくて自然な感じでずっとやってきているので。本当だったら監督に対して敬語とか使わないといけないと思うんですけど、そうやってきてないので。自然に師弟関係はその中ではありますけど。ある程度はその中にやっぱり尊敬はしてますし、言いたいことをわたしも言ったり。それがあるからこそいい関係、良い距離感で、近すぎず遠すぎずっていうのがあるからいいのかなって思いますね。

―ロンドンのあとに引退のことを考えたりは
一瞬ありましたね。もうダメかなって思った時期があって。全然記録が伸びなかったりとか、やる気が入らなかったりとか。どうすることもできなかった時期があったんですけど、でもやっぱりウエイトリフティングが好きなんですね。好きっていう気持ちがあったし、リオも目指したいっていう気持ちもあったので。そこに好きだったからっていうのと、まだ諦めていない夢があるっていうのがあったからこそ、あとプラスいろんな人たちからのサポートもいただいているのでここで諦めるわけにはいけないなって。家族であったりとか応援してくださる方が、私をここまで支えてきてくれていると思います。それがなかったらもう心は折れているので。誰かのためにっていうそういう人たちがいるからこそ続けられているんだと思います。

―夢というのは金メダルでしょうか
具体的なメダルの色っていうのはあまり言いたくないんですけど、でもオリンピックの舞台に無事立てるっていうことと、それは置いといて、目の前にある過程、準備期間。8月6日までの過程をどれだけ仕上げるかっていうことのほうが一番大切なので。そこで自分自身早くトータル200以上出せるような練習ができるように持っていきたいです。そこに標準を合わせています。

―オリンピックでやり残したことはありますか
後悔はしたくないのでやりたいことは全てやって出たいなと思っています。もちろんそのなかでやらなくちゃいけないものがあるんですけど、とにかくそれを全部やってリオに備えたいなと。じゃないと後悔してしまうのが嫌なので。後悔しないでリオに臨めれば納得できる試合になると思うので。そういうものを作らずにちゃんと日本でやれることをやって備えたいなと思っています。

―リオが終わってからのことについてはお考えでしょうか
今は特に考えてないですね。でも終わってから自分がどういう気持ちになるかということであって。先のことはやっぱり分からないので、まあなるようになるという形で。当面は今あるべきことをやりたいので、先のことは先で考えようかなと思います。

―リオに向けて意気込みをお願いします
4度目のオリンピックに出場できるということは私にとってもすごくうれしいことなんですけれども、しっかりあの舞台で、笑顔で終われるようなオリンピックにしたいと思っています。とにかく一日一生という気持ちで、そして後悔の無いように。無事にあの舞台に立って6本成功させたいなと思っています。

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大学で行われた壮行会後にも撮影に応じてくださった

〈取材:安藤優花・八木下伸一、撮影:阿部暁野〉※取材内容は4月5日に行ったものです。

フォトギャラリー

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競技日程(日本時間)
8月7日 7時00分~(NHK)
♦三宅 ウエイトリフティング 女子48㌔級

 

 

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