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【準硬式野球】特別開催引退試合 これが4年間の結晶だ! 4年生チームが意地を見せ3年生以下チームに勝利!花道を飾った!

2020年11月8日(日)
法政大学多摩キャンパス

リーグ戦の中止を受け、特別開催となった引退試合。慣れ親しんだ多摩キャンパスのグラウンドで行われたこの試合は和やかな雰囲気で行われ、参加した4年生が全員出場した。結果は7-3で4年生チームが勝利。試合後には胴上げが行われ、中川大輔(社4)らチーム幹部が宙を舞った。

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4年生の意地を見せた!

試合結果

トータル試合結果

1 2 3 4 5 6 7 8 9 H E
4年生 0 0 4 0 1 2 0 0 0 7 15 1
3年生以下 0 2 0 0 0 1 0 0 0 3 9 1

(4年生) ○尾崎、水谷、阿部−安倍、荒井、内田
(3年生以下) 前芝、●長谷川、湯浅、春、西村ー渡邉、澤野、吉田

二塁打:上田(3回、5回)、大石(4回)、高橋(6回)
三塁打:松本(6回)
盗塁:塩唐松(9回)

打撃成績(4年生)

打順 位置 選手名 出身校 打数 安打 打点 四死球
1 (7)8 中川大輔(社4) 日大三 5 3 0 0
2 (8)79 大石悠月(経4) 静岡 5 2 1 0
3 (DH) 鎌田航平(社4) 鳴門 3 1 2 1
DH 岩本大河(スポ4)  浜松西 1 0 0 0
4 (9)7 南太貴(営4) 法政二 4 2 1 1
5 (5) 上田雄己(社4) 法政二 4 3 2 0
6 (6) 石下隆浩(スポ4) 宇都宮北 5 0 0 0
7 (2) 安倍正貴(経4) 日大鶴ヶ丘 3 1 1 0
23 荒井大樹(経4) 法政二 2 0 0 0
8 (3) 竹下和宏(経4) 東福岡 4 2 0 0
2 内田裕馬(経4) 法政二 1 0 0 0
9 (4) 篠けん太(現4) 法政 4 1  0 0

投手成績

被安打 奪三振 四死球 自責点
尾崎 5 6 0 2 2
水谷 1 2 0 0 1
阿部 3 1 3 1 0

打撃成績(3年生以下)

打順 位置 選手名 出身校 打数 安打 打点 四死球
1 (8) 鈴木歩夢(社1) 明星 2 1 0 1
PH8 松本翔三郎(経2) 法政 1 1 0 0
PH 塩唐松宏将(社1) 鳴門 0 0 0 1
2 (5) 堀江悠介(経3) 健大高崎 2 0 0 0
5 伊藤駿紀(社2) 法政二 0 0 0 1
PH5 小池永紀(スポ1) 法政二 2 0 0 0
3 (6) 福本陽生(経1) 星陵 2 0 0 0
6 中井雄也(社2) 済美 1 0 0 0
PH6 余語哲匡(スポ1) 法政 1 0 0 0
4 (3) 堀尾浩誠(社2) 報徳学園 2 0 0 0
3 近藤匠(経2) 札幌第一  1 0 0 0
PH3 寺田幸紀(スポ1) 法政二 1 0 0 0
5 (7) 藤平心(社2) 藤代 3 2 0 0
7  和泉直人(文1) 札幌第一  1 0 0 0
6 (4) 細木雄斗(社3) 報徳学園 1 0 0 0
4 高橋凌(社1) 花巻東 1 1 0 0
 PH 唐橋悠太(経1) 桐光学園  1 0 0 0
7 (2) 渡邉慶輝(現3) 上田西 2 1 1 0
2 澤野智哉(社1) 国士舘 1 1 1 0
2  吉田大晟(人1)  小山台  1 0 0 0
8 (9) 古屋一輝(経2) 健大高崎 2 1 1 1
9 飯田隼(社2) 法政  2 0 0 0
9 (DH) 横田涼(社3) 日大二 2 0 0 0
PHDH  小野寺貴一(経3) 川越  1 0 0 0
PH 狩谷佳考(社3) 法政 1 0 0 0

投手成績

被安打 奪三振 四死球 自責点
前芝 2 4 1 0 0
長谷川 2 6 2 1 4
湯浅 2 5 1 0 3
2 2 4  0  0
西村 1 0 0 0  0

 

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4年生のみなさんお疲れ様でした!

『去りゆく戦士たち』最終回 内田裕馬学生コーチ

 今季リーグ戦期間中では、対戦カードごとにラストイヤーとなる4年生の特集を行います。第5回目の『去りゆく選手たち』では、内田雄馬学生コーチ(経4)選手にフォーカスしました。ぜひご一読ください!

「今日が一番楽しかったですね」。笑顔で振り返るのは内田裕馬学生コーチ(経4)。普段は本間隆洋監督の右腕としてベンチからチームを見守る名参謀だが、引退試合では代打で登場し、背番号27番は9回裏、自らマスクをかぶり試合を締めくくった。

法政二高時代は捕手としてプレー。しかしメンバー入りがかなわず、最後の夏はスタンドで迎えた。法大へ進学し、一時は硬式野球部のマネージャーも考えたが、選んだのは準硬式野球部だった。「最後の学生生活でユニフォームを着たい思いがあって」「(同じ法政二高出身の)上田(雄己、社4)とか荒井(大樹、経4)に『準硬楽しいよ』と言われて選びました」。もう少しだけこのユニフォームと野球人生を。選手でもマネージャーでもない、学生『コーチ』としての4年間が始まった。

明るい雰囲気の準硬式野球部。仲の良いメンバーと野球に関わる事に楽しさを感じることもあった。しかし、選手と同じ学生でありながら、コーチとしての俯瞰的、客観的な目線を求められることや、チームの中での立場に苦悩することも少なからずあった。「選手と監督の野球への考え方や取り組み方の部分が合わないことや、チームが練習試合や公式戦で勝てない時期が毎年どこかのタイミングであって、そのときに自分がどのように立ち回ればいいかという所は、先輩がいたころはすごく難しかったですね」。選手と首脳陣の間で、板挟みのような息苦しさがあった。本間隆洋監督は内田と過ごした4年間について「選手ではなくて学生コーチをやりたいと言って入ってきたので、こっちも説教、説教になるところはありました。学生コーチとはいえど結局は『コーチ』ですから。自分と同じ目線を持つことができるからには相当厳しく教育しましたね」と振り返る。副官としても決して気を抜けない日々だった。それでも内田は必死にチームの一員として戦い続けた。選手起用についての進言をためらわず、平日開催の試合で本間監督が不在であればチームの指揮を執った。「楽しくないことやつらいことが8割くらいで、残りの2割を楽しかったと思えたのは最後の1年を過ごしてからですね」。内田は全てが終わった今、4年間をこのように表現する。しかし、嫌な思い出であるような印象は彼の言葉から感じられなかった。勝利のため、チームのための4年間は、苦しさと同時に充実感に満ちた時間だったのだ。

「縁があってこのチームに入ることができて、本間監督には本当に感謝しかないですし、準硬式野球部に入ったことで野球は素晴らしいスポーツだと思い直すことができました」。選手としては届かなかった舞台。それでも選手の力になりたいと、学生コーチとして試行錯誤した4年間。内田の存在はまさに学生野球の象徴のようだった。

(記事:磯田健太郎)

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愛する仲間たちをベンチから支えた内田学生コーチ。引退試合の最終回は自らマスクをかぶった

これまでの去りゆく戦士たち↓↓↓
第1回 石下隆浩(スポ4)
第2回 大石悠月(経4)
第3回 上田雄己(社4)
第4回 水谷憲正(経4)

選手・監督インタビュー

本間隆洋監督

―4年生の世代の第一印象は
気分屋が多かったですね。そんなイメージでした。みんな明るいんですが、爆発的な集中力がないというか、上がってるときはいいんだけど…というイメージでした。

―最上級生になって印象の変化はあったのでしょうか
水谷(憲正、経4)をキャプテンにしようと思っていたのですが、中川(大輔、社4)が3年の夏に「自分をキャプテンにしてくれ」とすすんで言ってきて、本人も思うところがあったようで、その頃から彼の取り組み方も変わりました。最初は中川で本当に大丈夫かなというところがあったんですが、彼がやる気をだすことで学生幹部に厚みが出たというか、中川を中心に置くことで脇に鎌田(航平、社4)、水谷を置くことができたので、最終的にはすごく頼もしい学年になりました。野球の実力も当然ですが、リーダーシップが非常にたくましい学年になりましたね。

―4年生に向けて
一緒にもっと野球をやりたかったですね。今年の状況だとそれだけです。ただ本音を言えば最後は引退試合で終わりたくなかったというか、公式戦で終わらせてあげたかったですね。これまでの先輩たちもそうであるように、やっぱり最後は公式戦を戦って負けて涙を流していって、その姿を覚えているのですが、勝とうが負けようが最後は公式戦で追われるというのは「出し切った」というか、「やりきった」というか。そういう感覚になれるのが公式戦だと思うんですよね。人間っていうのは次にステップに進むときに、そのきっかけとなる場所が必要だと思うんです。「ここで終わったんだ」と思える場所が重要で…だからこそ最後は紅白戦で終わりたくなかったですね。

―内田学生コーチは4年間副官としてどのような存在でしたか
ピッチャーのやりくりや選手起用について色々助けてもらいました。ただやっぱりたくさんの事を詰め込みましたね。選手ではなくて学生コーチをやりたいと言って入ってきたので、こっちも説教、説教になるところはありました。「これができてない」「あれができてない」「これが気にならないのか」と言うこともありました。学生コーチとはいえど結局は『コーチ』ですから。自分と同じ目線を持つことができるからには相当厳しく教育しましたね。内田本人も思うところはあったと思うし、文句を言いたい部分もあったと思いますが、良くついてきてくれて、最後の1年もっと一緒にやりたかったですね。選手を鼓舞する部分も、叱責する部分もできるようになったので、成長を感じますね。

中川大輔主将

―今日の引退試合を振り返って
朝のミーティングで本間さんも楽しく野球をしようとおっしゃっていたので自分たちも楽しむということにこだわってプレーをしていました。

―4年間を振り返って
一言で言ったら本当に楽しかったです。1,2,3年生の時は自分の好き勝手にプレーさせてもらって4年生になってからはキャプテンということでチームのことを考えることが増えて今年の1年は自分の中で難しかったなと思います。

―今年は異例のということでキャプテンとして例年の先輩とは違う大変さがあったのでは
自粛期間の時は一人暮らしをしている人たちとは毎日会ったりはしていたのでコミュニケーションは取れていましたが、一人暮らしをしていない同級生や下級生とは関わりすら減ってしまったので練習が再開してからはなるべくみんなと会話するようにしていました。

―この4年間を今後どう活かしていきたいか
4年間というか16年間野球を続けてきて1番思ったことは自分の中で目標を作ってそれに向かってどうしたら達成できるかということを考えて努力していくことが大事だということなので社会人になってもそれを続けていきたいと思います。

鎌田航平副将

―今日の引退試合を振り返って
4年生全員は来れなかったのですが、みんなで最後楽しくできたのは良かったと思います。

―4年間を振り返って
僕は2年生から試合に出るようになって全日本選手権も経験させてもらい最後の年に自分たちの代で出ることはできませんでしたが充実した4年間を過ごすことが出来ました。

―今年はコロナで最上級生として大変な年だったのでは
コロナで練習自体も3班に分けて各班にリーダーが必要だったので僕がリーダーとしてチームを引っ張り、最後のリーグは出れませんでしたがすごくいい経験になりました。

―これまでの野球生活を今後にどう活かしたいか
僕は色んな指導者の方に出会って色々教えてもらい、ここまで来れたので何かの形で野球に関わることがあれば僕が教えられたことを伝えていければと思います。

水谷憲正副将

―4年間を振り返って
全部終わって楽しかったと思えた大学生活で、人間的にもとても成長できた場所と時間でした。

―2、3年次は登板機会が多くはありませんでしたが、その時期はどのように過ごしていましたか
試合で投げるためにはどうすればいいかということと、自分がスポーツ推薦で入ってきて、これまで試合で投げてきたという実績に悩まされていた時期で、真摯に練習に取り組んでいた時期でした。

―4年生になって、今季は投手陣のリーダーとして一歩引いた立場で見ているように感じられますが、そのように考えるようになったきっかけはありますか
昨年からピッチャーリーダーを務めているのですが、先輩がいるときは先輩に頼ってばかりでした。準硬式野球部は4年生になると就職活動でいなくなることが増えてしまうので、2、3年生が中心になります。そのために、自分の代では周りを見て、一歩引いた立場で、チーム全員が変な方向に逸れないように支えることを意識していました。

―引退試合での登板はいかがでしたか
楽しかったですね。無事に終わることができてよかったです。

―水谷選手から見て4年生はどのような印象ですか
面白いメンバーが多くて、僕が今まで野球で関わってきた中で一番いい人たちというか、誰かが困っていれば助けるし、悩み事の相談に乗ってくれますし、良いメンバーで野球ができました。

―後輩投手陣に向けて一言
前芝(航太)を中心に、チームを勝たせられる投手陣になることを期待しています。

尾崎海晴

―今日の引退試合を振り返って
今日は最後の試合ということで自分の野球人生としても最後なので楽しんでやることを考えました。あとは仲間との最後の時間をかみしめながら楽しみました。

―今日は尾崎投手の笑顔がすごく目立っていました
今年自分自身もなかなか結果が出なかったのですが、最後は楽しみたかったです。

―4年間を振り返って
下級生のころは調子が良くてタイトルも取れましたし関東選抜に選ばれて良い思いをしましたが3年生にケガをしてからかばいながら投げてしまってそれが今日やっと解放されたかなという感じです。

―異例の年でしたが最上級生として大変だったことは
野球だけでなく就活も大変でしたが周りの4年生と励ましながら乗り越えることが出来たのでこの経験はこれからの人生に活きていくと思います。

―今までの野球人生を今後どう活かしたいか
高校では野球の厳しさを森脇監督(鳴門高校時代の監督)に教わり、監督のおかげで法政に来れたし森脇監督には感謝をしています。そしてこれから社会人になるので営業マンとしてどんな困難な局面になっても決して諦めないことなくやり遂げる僕の気持ちを見せていきたいです。

―最後後輩に向けて
来年僕が期待している選手は唐橋と近藤と藤平と堀尾なので3年生はもちろんこの4人には期待しています。

 岩本大河

―今日の引退試合を振り返って
自分は公務員試験で去年の12月から練習に参加していなくて今日1年ぶりに打席に立ちました。こういう機会を作ってくださったことに感謝ですし、練習に来れなかった中でも試合に出て自分の中で今までの野球生活の締めくくりとしては良かったと思います。

―一般入試で入学され、準硬に入部したきっかけは
元々受験の時、早稲田と法政を考えていて早稲田に落ちて法政に入りました。自分の中で野球をやるか自分の中で不明でしたが周りの人や高校の監督に相談してやってみようと思い、実際入部してレベル高いメンバーの中で負けないように頑張りました。

―4年間を振り返って
1、2年のころは試合を出させてもらいましたが1番最後の年にあまり関われなかったのは残念でした。ですが、最後今日みんなでワイワイできて楽しかったです。

―岩本さんにとって同級生とは
とても温かいメンバーで困ったときに助けてくれる人たちだと思います。

―これまでの野球の経験を今後どう活かしていきたいか
自分が困ったときに他のメンバーに助けてもらったことがあるので社会人になって困っている人がいたら助けてあげられるようになりたいです。

内田裕馬学生コーチ

―引退試合を振り返って
15年ほど野球をやってきたのですが、一番楽しかったですね。

―試合にでることは前々から決まっていたのでしょうか
昨日の夜に(中川)大輔(主将)から連絡があって、明日の4年生のスタメンを決めようという話をしているときに、「うっちー出たい?」ということを聞いてくれたので、一打席だけお願いしますとは言いました。いざ試合になったら9回裏の守備があって、そのまま守備行けよと荒井(大樹)と大輔に言われたので、キャッチャーをやらしてもらいました。4年ぶりに試合に出ました。大学1年の練習試合でセンターフライを打ったのが最後だったのは覚えています。ああいう形で打席に立つのは久しぶりですね。

―学生コーチとしての4年間を振り返って
楽しくないことやつらいことが8割くらいで、残りの2割を楽しかったと思えたのは最後の1年を過ごしてからですね。

―1年生のころ、いきなり選手ではない立場で野球に関わるようになった時はどのような気持ちでしたか
スポーツ推薦の選手が各学年にいて、レベルの高さを感じていたのはもちろんでしたが、それ以上に全員の人の良さを感じました。上下関係はしっかりしているけど、1年生からでも上級生に声をかけられるようなチームの雰囲気だったので、楽しさがありました。

―苦しかったこともあったということですが、具体的には
選手と監督の野球への考え方や取り組み方の部分が合わないことや、チームが練習試合や公式戦で勝てない時期が毎年どこかのタイミングであって、そのときに自分がどのように立ち回ればいいかという所は、先輩がいたころはすごく難しかったですね。先輩とのコミュニケーションは慣れないというか、特に固くなる必要もないのですが、なかなか上手くコミュニケーションをとれないこともありました。去年は堀(皓貴、令2卒)さんや佐々木さんが声をかけて下さったので、本当に感謝しています。

―いざ4年生になっては意識の変化はありましたか
後輩がやりやすいチームを作ることが『全員野球』じゃないかとずっと思っていたので、そこを意識するようになりましたね。

―今年一年の結果についてはどのように受け止めていますか
関東選手権で準優勝というのはみんな悔しいと良いつつも、これまでの先輩たちはみんなスタートダッシュに苦しんでいる印象だったので、僕の中では満足なところがありました。ただ、コロナの影響で大会も練習試合もできない状況で、サマーカップで明治に負けたときに、これ以降の大会は少し厳しいなと感じていて、今となっては関東大会の勢いのまま春のリーグ戦を迎えたかったと思いますが、結果的には悔しい1年ですね。

―普段とは違う1年の終わり方になった訳ですが、そのことについてはいかがですか
後輩や監督を含めてこのような形で準備してくださって、今日のような機会を与えていただいたことには感謝していますし、僕個人としても最後にみんなで笑って野球ができたことに感謝しています。

―4年間で得た経験は
組織やチームというのは難しくて、なかなか思ったようには動いてくれません。しかしチームで勝つことができたときや、つながれたときはやりがいを感じますね。組織作りの難しさを経験しました。

―内田さんから見て4年生はどのような存在ですか
個人的にはくせが強くて全員が違ったタイプなのですが、大輔を中心に、チームが勝つためにはどうすればいいかということをおのおのが考えられる世代でしたね。人の良さに恵まれましたね。

―チームに一言
縁があってこのチームに入ることができて、本間監督には本当に感謝しかないですし、僕の中で野球が嫌いになりそうな時期もあったのですが、準硬式野球部に入ったことで野球は素晴らしいスポーツだと思い直すことができました。同期にも恵まれて、かわいい後輩ばかりだったので、学生最後の野球を準硬式野球部で終わることができてよかったですね。

森華月マネージャー

―今日の引退試合を振り返って
コロナの影響でこの一年の合宿や試合や大会が中止になってしまうのがすごく怖く感じていました。最後が引退試合で終わりになってしまったのは残念でしたが、すごく充実した1年だったと感じています。私自身は悔しさや悲しさのような負の感情はそこまでなくて、ここまで同期みんながけがなく一年元気にやってきてくれたことが、すごく嬉しいなという気持ちです。

―マネージャーは大学から始められましたか
高校のころからマネージャーをやっていました。小中学校のころは自分で軟式野球をプレーしていたので、野球に関わるようになったのは15年くらいですね。まさかここまで長く関わるとは思っていませんでした。ご縁ですね。

―準硬での4年間を振り返って
最初は高校のマネージャーのような役割のイメージが強かったのですが、良いマネージャーの先輩に恵まれて、うちのマネージャーの役割だとか、チームワークはどのようなものかについて色々教えていただきました。マネジメント的な部分がすごく勉強になりましたし、良い経験になりました。もちろん苦しいことや理不尽なことも多少はありましたが、それも忘れられるような楽しい4年間だったなと。後輩がそれを受け継いでいってくれたら嬉しいですね。

―森さんから見た4年生たちはどのような存在ですか
プライベートをそんなに共有していなくて、意外にサバサバしたところが準硬に入ったときに少しカルチャーショックではありました。でも段々と愛着がわいてきました。大学に来てまで体育会で部活をしてるわけですから芯がある人たちで、野球が好きなことは変わりがなくって、私を含めた同期19人で最後までなんだかんだやってくれてよかったです。母親みたいな気分です。

―後輩のマネージャーたちはどのような存在ですか
私が『かわいがり気質』なところがあって、マネージャーの子たちからも母親なように思われているところがあると思います(笑)。それぞれに得意なことや向いていることがあって、できないことも少なからずありますが、それをカバーするのがマネージャーチームだと思います。4年生になると指揮をしないといけなくて、自分のさじ加減で全てが変わるので難しいところはありました。後輩のマネージャーたちはみんな芯があってしっかりしているので、問題ないと思います。私が1年指導して、良かったところも悪かったところもあると思うので、悪いところは改善して、良いところは伸ばしていってくれればいいですね。マネージャーが良くないとチームが上手くいかないので、チームの要として、人に見られているところも見られていないところもしっかりやっていってほしいです。

―森さんにとって法大準硬式野球部とは
帰ってきたくなる場所ですね。思い入れもあるし、縁があってつながれた関係だと思うので、大変なときには帰ってきたくなりますし、4年間はとても楽しかったです。

フォトギャラリー

  • DSC 9219 R巧みな打撃が光る鎌田副将
  • DSC 9251 R二塁で出場した篠
  • DSC 9256 R石下と上田の三遊間
  • 外野全ポジションをこなす大石
  • DSC 9296 R華麗な守備が持ち味の石下
  • DSC 9298 R尾崎の躍動感溢れる投球は多くの人々を魅了した
  • DSC 9307 R4番で出場した南
  • DSC 9316 R長打を放った上田
  • DSC 9327 Rスタメンマスクの安倍
  • DSC 9445 R水谷副将が救援登板
  • DSC 9511 R2安打を放った竹下
  • DSC 9609 R終盤を締めた阿部
  • DSC 9671 R代打で出場の岩本
  • DSC 9832 R最後にマスクをかぶった内田学生コーチ
  • DSC 9882 R4年生のみなさんお疲れ様でした
  • DSC 9890 R全員の集合写真

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