関東大学リーグ戦閉幕
2020年12月下旬
昨年から順位を2つ上げ、リーグ戦を4位で終えた法大ラグビー部。昨年は新型コロナウイルスの影響で春季大会が開催されず、練習もままならない期間が続いた。関東大学リーグ戦では無観客試合が開かれ、まさに異例のシーズンとなった昨季。そんなリーグ戦を駆け抜けた橙の戦士たち9名に今シーズンを振り返ってもらった。ラストとなる今回は、チームの大黒柱として1年間支え続けた根塚洸雅、吉永純也両主将に話を聞いた。
関東大学リーグ戦1部 順位表
順 | 大 学 | 通算成績 | 勝点 |
❶ | 東 海 大 | 6勝1敗 | 24 |
❷ | 流 通 経 大 | 6勝1敗 | 24 |
❸ | 日 大 | 6勝1敗 | 24 |
④ | 法 大 | 4勝3敗 | 16 |
⑤ | 中 大 | 2勝4敗1分 | 10 |
⑥ | 大 東 大 | 1勝5敗1分 | 6 |
⑦ | 関東学院大 | 1勝6敗 | 4 |
⑧ | 専 大 | 1勝6敗 | 4 |
※白抜きは第57回全国大学選手権大会出場校。勝点が同点の場合、当事校の試合の勝者が上位になる。
橙の戦士の素顔
「声が自分の中で一番の武器」。根塚洸雅(経4)が取材中に何度も口にした言葉だ。1年次から試合に出続け、これまで類まれなるランスキルによって数々のトライを奪ってきた。トライゲッターの印象が強かっただけに、少し意外な言葉だった。
1年次には大学選手権に出場し、ハットトリックを決めた。
物心がついたときには、もうラグビーを始めていたという根塚。「元々はラグビーは好きじゃなかった」と、あまり真剣には取り組んでいなかった。進学先も、地元の仲の良い友達と公立の高校に行くつもりでいた。そんな根塚に転機が訪れたのは中学3年生のときだ。兵庫県のスクール選抜として出場した県代表の大会があった。その際に、大阪の選抜を相手に1トライ差で敗れたと言う。しかし、僅差での敗北が根塚の負けじ魂に火をつけた。
「このままラグビー終わられへんな」。
ここから本格的なラグビー人生がスタートを切る。目標とする選手が決まったのも中学生の頃だ。たまたまテレビで点けたオーストラリア代表の試合。ある1人の選手に目を奪われた。日本でもプレーしたことのあるアダム・アシュリークーパーだ。多彩なプレーのできる万能選手で、決定力も高い。加えて、アシュリークーパーはCTB(センター)やWTB(ウイング)など、様々なポジションをこなす。「言われたらそのポジションになるってだけで、自分らしさが一番大事だなってことに気づいた」。
WTB、CTB、FBと多岐にわたって活躍し、2年連続リーグ戦のベスト15に選ばれた。
その言葉通り、法大に入学した根塚はWTB、CTB、FB(フルバック)とユーティリティプレイヤーとして躍動した。特にジュニア・ジャパンでの経験が生きたと言う。2年連続でU-20代表に選ばれ、初めて就いたFB。一番後方であまりボールが回って来ないため、何もしていない時間が長かった。「自分が一番チームに貢献するってなったら、常に声を出してみんなが見えていないビジョンをみんなに伝えること」。自分の役割を見つけられたことが功を奏し、代表のサブメンバー、さらにはリーダー陣にも選ばれた。
最終学年となった今年度は、吉永純也(経4)と2人体制の主将に抜擢され、吉永純は『背中』で、根塚は『声』でチームを引っ張った。「嫌われ役のような、口酸っぱく言える人がいるチームの方が強くなる」と、自分よりもチームのことを考え、動いた。プレーの面では、サポート役に徹した。前評判が高かったことを逆手に取り、相手の目を自分に向けて他の選手の攻撃に利用したと話す。「ディフェンスでは最後の砦。自分が最後仕留める役。アタックにおいては、周りを生かす役という形」で、大学選手権まであと一歩のところまで迫った。
最終戦では専大を圧倒し、有終の美を飾った。
4年間で培ったスキルを武器に、来年度からは兄・聖冴(現=ホンダヒート)の待つトップリーグの世界に挑む。法大では成し得なかった日本一。新たなステージでも、目指すところに変わりはない。ゆくゆくは、日本代表も視野に入れる。『橙の戦士』から『桜の戦士』へ。根塚は、夢舞台へと駆け上がる。
(取材/文・髙安寛)
インタビュー
根塚洸雅(経4)主将
ー今季を振り返って
1年間通して、やっぱりコロナに苦しめられた1年だったのかなと思いますね。でも、コロナがあったからこそ、多分例年とは違った刺激がありました。特に自分たちの代としては、コロナがあったからこそ、余計に一致団結ができた年になったんじゃないかなと思います。なので、普通にいつも通りできない分、4年生は特に学年主体でやろうと今年チームで決めていました。4年生からコーチにやらせてもらう(形で)、自分たちでチーム作りに一番取り組めた年になったんじゃないかなと思いますね。
ーどのような部分からコロナで一致団結できたと感じられましたか
まずラグビーができない部分で「どうしようか」ってなったときに、ミーティングを増やしたりとか、4年生に自分たちリーダー陣から「今どういうことしたら良いかな」ということを聞いて、特に4年生に意見をいっぱいもらったりしました。そのミーティングを増やしたことで、やっぱり4年生とラグビーについて語り合う時間が増えたことが一番良かったのかなと思います。グラウンドでもラグビーができない、ウエイトもウエイト場が使えないという中で、いつもだとキャプテンだけが引っ張る年が多かったんですけど、それだけじゃ乗り越えられないなって思いました。リーダー陣から4年生に助けをもらいに行ったら、それにちゃんと答えてくれたのでコロナでいつも通りできない分、協力し合えました。コロナでできないことに対して、話し合いができたことが一番大きかったかなと思います。
ー主将就任の経緯は
自分と吉永純也は昨年度の終わりに、4年生も含めてチーム全体でキャプテンは来年誰が良いかアンケートを行いました。僕と純也がトントンだったらしく、五分五分だったので、キャプテンを2人でやろうかって話になったんですけど、元々自分は副キャプテンが良かったです。キャプテンは純也の方が良いかなとずっと思っていました。純也が1年の前半は海外に行くってことだったので、じゃあ2人でキャプテンやろうかって話になりました。
ー副将が良かった理由は
一番嫌われ役になれるキャラクターだったところですかね。純也は別に喋りがめちゃくちゃ上手い訳ではないんですけど、キャプテンとしてチームを引っ張る力はめちゃくちゃあるなと思います。自分は、逆に言葉はめちゃくちゃ喋れます。1年生のときからメンバーに入れてもらって、ラグビー中に良いこと、特に悪いことも言える人が少なかったです。厳しいことも自分は結構最初から言えてたなって客観的に見ても思うので、そしたら自分が副キャプテンになって、純也を1人にさせて自分が周りを支えるチームの方が上手くいくんじゃないかなと思いました。後は、どこのチームでも嫌われ役のような口酸っぱく言える人がいるチームの方が強くなると思うんです。この学年で一番なりやすいキャラクターだったのかなとういう部分も含めて、副キャプテンが良かったかなと思いました。
ー吉永純選手の主将としての役割は
純也はキャプテンになって発言量がすごく増えたんですけど、やっぱり一番は自分自身のストイックさであったりとか、プレーでも自分が一番最初に相手に突っ込んで行くという背中で語るタイプでした。発言力というよりかは行動力です。口数は多くないんですけど、みんなが「純也さんはすごいな」って思う感じのキャラクターです。いつも言わない分、純也の「そこはちゃんとしようよ」と、一つ思いっきり気持ちが入った言葉をみんながもらったら、気持ちを締めることができました。だからずっと自分が言っていたんですけど、一番大事なときは純也に言ってもらうようにしていました。
ー自粛期間中に取り組んだことは
ランニングやウエイトは、自主トレーニングという形で取り組みました。ミーティングは自分たちで5、6人で1グループを作って、LINEのグループやZOOMで今、動画を共有することができるじゃないですか。それで、昨季の試合だったりとか、昨年度のW杯のラグビーの試合を流して話し合いました。ミーティングは(地元に)帰っている間もずっとやっていました。ラグビーはできないんですけど、ラグビーに触れる時間を1週間でちょっとでも増やそうとしていました。ただ、やっぱり試合ができないので、経験値を増やせない分ラグビーIQを高めようと話し合いました。
ー秋のリーグ戦も見通しが立たない状況でしたか
そうですね。4年生で結構集まって話したりしてたんですけど、最初は「正直試合できるか分からんけど、頑張ろ」みたいな感じでしたね。合宿も無くなってしまって、言えばシーズンまで練習試合無しで行くんじゃないかと思っていました。最後は山梨学院さん、福岡学院さんと(の練習試合)入れてもらったんですけど、不安でした。やっぱり経験値0で今年の自分たちの強みだったり、弱みだったりが分からないまま試合に挑むんじゃないかって不安がすごくありました。
ー不安があったとのことですが、リーグ戦で準備不足は感じましたか
正直ありますね。特に僕たちは他の外国人がいるチームに比べて、元々体が大きいチームじゃないじゃないですか。プラス今年はウエイトが全然できなかったので、体つきからしてもそんなに太く強い体質じゃなかったです。そうなってくると、一番自分たちにとって大事なのは経験値だったりとか、器用さとか、アイデアとか、走力で勝つしかないと思っていました。今年は初戦から3強と戦うって決まったことに対して、準備不足だったかなと思います。FWとBKのアタックで行くとか。多分試合観て頂いたファンの方は言われると思うんですけど、後半3、4戦はディフェンスもアタックも大分法政として良いラグビーの形になっていました。前半戦はやっぱり3強にただただコンタクトの部分で負けてペナルティにしてしまって、ゴール前でほとんどモールで(得点を)取られたってイメージだったです。もっと春から準備できていれば、もうちょっと楽しい試合ができたのかなという感じです。そこはもうしょうがないですけどね。
ー駒井新監督になって変化は
色々新しいことを試して頂いたりしました。今年の駒井監督はコロナもあって、4年生の意見をすごく尊重したいって言って下さったので、その言葉もあって、自分たちで今年1年引っ張ろうなって話にもなって行きました。学生主体のチームに賛成して下さったので、自分たちとしてはやりやすかったなと思います。自分たちがやりたいラグビーの形もできたし、コーチ陣がやりたいラグビーとのバランスが今年はすごく良くなって来たと思いますね。
ー今季印象に残っている試合は
やっぱり一番は日本大学戦ですかね。自分たち的に一番勝ちたかった試合です。日大戦は一番みんなの気持ちはすごく熱い試合だったのかなと思います。2週間空いたんですけど、コロナで中3日しか練習できなくて、あれだけみんなが頑張ってくれたので、あそこまで頑張れた、だったらもうちょっと練習してたらどうなってたのかなって悔しい気持ちがあります。その試合へのみんなの気持ちの入り方がすごく好きだったので、印象に残っています。
ー自身がMOM(マン・オブ・ザ・マッチ)に選ばれた大東大戦については
自分としては、久しぶりの試合でした。昨年度、大東大との試合で脳しんとうをしてしまって、最後の流経戦に出られませんでした。今年春とか練習試合が無くて、大東大戦が初めての試合だったので、ちょっと不安はありました。練習で軽い肉離れをして臨んだ試合だったので、ちょっと不安を抱えていました。でも8年間勝っていない大東に前半すごく良い試合ができて、そこからは不安より試合やってる楽しみの方が増えて来たなって感じです。大東にここまでできるっていうことは、今年1年頑張って来たことは無駄じゃなかった実感を得られました。個人的にはすごく良い1試合だったなと思いました。
ーけがをしないために気をつけていることは
僕らで言うと、朝練なので練習終わってすぐ授業となると、ストレッチがちょっとおろそかになると思うんですよ。1日をどれだけストレッチに時間をあてられるかが大事だと思います。後は、頑張り過ぎちゃうことです。例えば、疲労がすごく溜まっているのに、無理しちゃってけがが一番もったいないので、危ないときにちゃんとコーチの方に言って休むことも、自分はすごく大事だと思います。高校とかだと、頑張り過ぎることが結構試合のメンバーに入れることにもつながるじゃないですか。大学に入って、来年自分も社会人になるので、そこでけがしないことの方が大事なので、経験的にも(やってきたことが)0に近づくので、けがしないことを優先するのが一番かなと思います。やっぱりストレッチをどれだけやるかは大事だと思いますね。
ートライゲッターの印象があるが、トライを取るために意識していることは
トライはいつでも取れる準備をしています。自分は多分型にはまらないタイプです。法政でもサインとか、チームとしてのムーブがあると思うんですけど、「これ行けるな」って感じたときに自由に動いちゃうんですよ。良くも悪くも。それがハマったときはやっぱりトライにつながりやすいし、自分がディフェンスしてても、なんとなく相手チームも同じようなムーブが多いので慣れてくるんですけど、1人トライに対して嗅覚を持っているような人が自由な動きをして来ると、一気に「あれ?」っという印象を受けます。それはわざと意識しています。ずっとチームの型にハマるんじゃなくて、相手が疲れてきたときとか、自分たちが勢いに乗っているときは、「行けるな」と思ったときに、思いっきり勝負を仕掛けるようにしています。
ーそれがゲインにつながっているんですね
そうですね。それが多分法政らしくないプレーだったときが、自分もそうですし、トライに近づくと思います。トライを取るっていうことに関して言えば、今年1年はフォローにつく早さをすごく意識していました。FB(フルバック)で付きやすいっていうこともあるんですけど、誰かが抜けた後のセカンドタッチの早さは、今年本当に意識していました。誰かが抜けた後、ボールをもらってトライを決めようと思っていました。最後の専修戦で石岡と結構2人でフォローし合ったのも、形になってきたのかなと思います。
ーFBとしての声出しで心がけていることは
声が自分の中で一番の武器だと大学に入って感じていますね。ジュニアジャパンに行かせて頂いて初めてFBを試合でやるってなったんですけど、WTB、FBってボールもらってトライを取るイメージって大きいですけど、ボールを触ってる時間ってめっちゃ少ないじゃないですか。タックルする時間もそんなに多くないです。ボールを持っていない時間とか、何もしていない時間の方が多いんですよ。そうなったときに、自分が一番チームに貢献するってなったら、常に声を出してみんなが見えていないビジョンをみんなに伝えるのが自分の仕事かなと思います。自分が声かけることによって、やっぱり前の人じゃ気づけないことを前の人に気づかせてあげることができるので、声だけでも出しておかないとと思っています。声があるかないかは大事かな。試合勝つために声を出すことがFBとしては、一番大事だと思います。
ーチームを鼓舞するという面でも有効ですか
プレー中はプレーのことが多いですけど、セットプレーとかでプレーが止まったときにキャプテンとして、チームを盛り上げるのは自分だとずっと思っていました。今年は僕プラスアルファで斉藤大智がすごく熱いプレイヤーだったので、チームを鼓舞するという部分では、僕と大智が一番声を出していたかなと思います。それでチームが盛り上がったと思います。特にスクラムでは、FWがペナルティをもらったときにすごく勢いに乗れたので、良かったと思います。
ー今季支えられたチームメイトは
今年1年はやっぱり吉永純也かなと思いますね。今年は、一番自分たちにとってでかい1年でした。最初結構僕1人できつかったんですよ。コロナでどうしたら良いのか分からなくて。自分たちのビジョンが全然見えない中で、純也が帰って来ました。一番はオーストラリアはもう試合ができていたので、純也が「こういうのはもっと取れるよ」とか、FWとしての技術を一個一個持ち帰って来てくれました。精神的にもすごく支えられたと思います。ラグビーが始まって後半戦からは、自分1人より2人の方が良かったとすごく思いますね。
ー吉永純選手とのプライベートでの思い出は
純也とはプライベートで一番思うのは、ストイックさに驚いています。今でもそうなんですけど、自分でダンベル買ってウエイトしているのを見て、じゃあ俺もやるわみたいになります。プライベートなんですけど、食事にめっちゃ気を使っていて、俺も気を使おうってなるので、すごくストイックですね。純也と高校代表で海外の一緒の寮にいたことがあるんですけど、そのときから「法政行くやんな」ってずっと喋っていたので、最初から結構仲良かったです。
ー期待する後輩は
一番で言うと伊藤浩介。今年何回かメンバーに入っていたんですけど、あいつも結構ラグビーが好きです。自分も大好きなので、今年のスーパーラグビーがあったときも、あいつの部屋で2人で観ていました。まだプレーで自分に自信を持てていないところはあるんですけど、努力とかラグビーIQはめちゃくちゃ高いと思うので、来年めちゃくちゃ楽しみだなと思います。
ー法政大学に入学した理由は
大阪ではちょっと有名だったくらいで、関西の大学からは結構推薦を頂いていたみたいなんですけど、自分的には関東行きたいと思っていました。高校のときはけがが多かったので、もしけがで(ラグビーを)できなくなったらということと就活することを考えたら、頭良いところに行きたいなと考えていました。法政か明治に行きますと言っていました。兄が法政にいたこともあって、法政から先に推薦を頂いたので、法政を選びました。法政に行くことが決まってから、明治からも推薦が来ました。関西よりも関東の方が頭を使うラグビーをやっていたので、関東に行きたかったです。1部でラグビーが思いっきりできて、頭が良いところという基準、でその2択でした。
ーU-20代表に選ばれたりしましたが、大学で成長したと感じる部分は
一番は声を出すという部分ですかね。代表にもなって、代表でメンバーに入ろうとすると、みんな上手いじゃないですか。自分の色を出すってめっちゃ難しいので、そのときに、自分が一番目立っていることは何かなって考えました。自分はトーク、喋ることが苦手じゃなくてむしろ好きだったので、私生活でも、ラグビー中でも声引っ張ることが向いていると思いました。声で引っ張るようにしていたら、サブメンバーに選んで頂けて、代表でもリーダー陣に選ばれました。法政でも2年生、3年生くらいから声で引っ張ろうかなと考えていました。
ー今までラグビーで挫折した経験はありますか
中学2年生くらいのときは、ラグビーでここまで来られると思っていませんでした。高校も、そもそも公立の高校に行こうとしていました。元々はラグビーは好きじゃなかったです。中学のときはなんとなくでやっていたという感じです。兄貴は推薦で高校に行って、自分も兵庫県の代表に選んで頂いてたんですけど、気持ち的にはやることが無いからラグビーをやっている感覚でした。地元の友達と今でも仲が良くて、地元の友達といる方が楽しいし、公立に行こうと思っていました。ところが、中学3年生のときに菅生で県代表の大会があって、自分は兵庫県のスクール選抜で出場しました。そのときに、後1トライ差で大阪の中学校の選抜に負けて、「このままラグビー終わられへんな」って思って、そこからちゃんとラグビーを始めた感じです。だから中学3年の最初の方までは、中学でラグビーをやめると思っていました。ラグビーだと特に負けず嫌いな部分があると思います。
ー感謝する人は
一番は親ですかね。一番迷惑かけてるし、(兄弟)3人の中でも特にけがが多かったので、一番ヒヤヒヤさせたかなと思います。今でこそ寮に入ってますけど、高校まで家だったので。ラグビーって結構お金がかかるんですけど、何も文句を言わずに「好きなことやったらいいよ」ってずっと支えてくれたのが親だったので、ラグビーをする上で一番感謝するのは親です。
ー根塚選手にとってFBとは
最後の砦です。自分が抜かれたら、トライとずっと思っていました。アタックについては、今年はトライゲッターというより、サポート役かなと思いました。15番って一つ後ろから入るから、どんな動きでもできるじゃないですか。1年生からずっと試合に出てて、去年も結構色々やらせてもらって、敵チームの人から注目されていることは分かっていました。逆に、自分は12番の有田に「自分にそんなボール預けんで良いから。自分を相手の目を向ける役で良いから、自分を上手く使ってほしい」とずっと言っていました。それが結構最後の方には、ハマって来ました。今年の15番としては、ディフェンスでは最後の砦。自分が最後仕留める役。アタックにおいては、周りを生かす役という形を一番フォーカスしました。
ー目標としている選手は
そんなに有名じゃないんですけど、アダム・アシュリークーパー選手です。元々オーストラリアのCTB(センター)とかWTB(ウイング)をやっている選手です。その選手を追いかけたからこそ、今ユーティリティになってるかもしれないです。アダム・アシュリークーパー選手を自分が中学のときに初めて見て、めっちゃ目立つプレイヤーじゃないんですけど、13番、14番とかポジションはバラバラでした。それを見て、ポジションはバラバラで良いんだって中学、高校のときに思いました。言われたらそのポジションになるってだけで、自分らしさが一番大事だなってことに気づいたのは、その選手のおかげだなと思いました。
ー今までラグビーをやっていて、良かったことは
一番はやっぱり人間力じゃないですかね。ラグビーって結局チームスポーツで、人に気を使ったりとか、礼儀だったりとか、人としての基礎の部分は、ラグビーをやっていなかったら、教わっていないことや身についていないことも多いと思います。ラグビーをやっていて人間として、人としてすごく成長できたと思います。そこがラグビーをやっていて、一番良かったと思います。
ー今後の目標は
トップリーグでまずメンバーに入ること。後は、トップリーグで日本ーになることです。自分が高校2年生のときに、(東海大)仰星が優勝しているんです。春大会でメンバーに入っていたんですけど、自分たちが主体のときに取ってないので、引退するまでに、自分がしっかりメンバーに入って、チームを引っ張っている状態(キャプテンやリーダー陣)で日本一になってみたいです。それが引退するまでの目標です。後は、代表も目指して、入れれば入りたいです。
吉永純也(経4)主将
ー今季を振り返って
今季の僕たちの目標としては、リーグ戦を3位で勝って、選手権でベスト8でした。けれど、それもできなくて。今回は難しいシチュエーションが多く、ラガーマンとしてウェイトトレーニングに励むことができなかったり、自分たちとしては満足して練習することができずに、試合へのモチベーションをキープすることができないという状況が今回見られました。そこが結構自分たちとしては痛かったかなと思います。
ー例年と違う状況でしたがだからこそのメリットはありましたか
寮に残る時期が多くて、例年よりも下級生と関わる機会が増えました。一致団結して難しいシチュエーションをどう乗り切るかっていうのを考えてチームで協力して乗り越えることできたのはコロナの中で自分たちが成長できたことかなと思います。
ー主将として今季のスクラムについて
僕たち法政のスクラムは、リーグ戦で1番強いんじゃないかな思っていて。東海さんとか流経さんのところに勝てていたので、やはり自分たちのスクラムからいい流れを作るのが法大としては目標だったのでそこはよかったかなと思います。
ー開幕戦でけがでの途中交代もあったが全試合に出続けたように、けがをしても何度でも立ち上がる印象があります
けがというのは不慮の事故で、僕としてはけがをしないために準備してきています。けれど万が一けがをしてしまった場合に主将としてチームが勝つために導かなければいけないポジションなので、そこはずっと痛みを我慢してやり切ろうと思って毎試合出場することを目標にがんばっていました。
ー今季悔しかったことは
けがもそうだったし、(リーグ戦の)前半の途中で自分が悪い影響をもたらしてしまったので、そこはけがをしてでも試合に出続けることがキャプテンの役目だったんじゃないかなと思っていて。あとは、練習中に僕はチームキャプテンで、もう一人のゲームキャプテンの根塚くんなんですけど、今回コロナの影響もあって、チームの道標になるような、チームのお手本として自分がまず行動するということを目標にしていました。例年そう言うことはなかったので、自分としてはどうチームを持っていくのか難しい状況で、僕だけではできないことを彼がサポートしてくれて、僕1人でも、もっとチームに貢献できればよかったかなというのがあります。
ーキャプテンである根塚選手との関係
コロナのことをまず第一に考えました。監督とコミュニケーションをとるのもキャプテンが先なので、監督と話し合って、キャプテン同士で話し合ってチームに伝えていました。彼と仕事を分けて、ゲームのことは彼に任せて、チームのことは僕がやって、チームの行末をどう持っていくかて言うのを二人で話し合ったりしましたね。
ー根塚選手曰く、吉永純選手は食事に気を使っているとお聞きしました
去年と今年の春シーズンに留学をしたんですけど、その間は寮じゃないので自分で料理をしないといけないんです。自分で自炊してたときに、やっぱり栄養面が寮の食事だけでは難しいなと学びました。日本に帰った後に、やはり寮の食事は脂っこかったりするんですよ。なのでラグビーに必要な栄養が足りてないとこが見受けられたので、やはりたりない所は、自分たちで工夫するというのを一人一人が学ぶべきだと思って僕は結構自炊をしていましたね。
ーシドニーに留学した経験はどう生きましたか
向こうもコロナの影響もあったが、グループごとに分けての人数制限や工夫をして試合をやったりしていたので、向こうから感染予防だったりやっていることを発信していました。
ーシドニーでのエピソード
語学学校にも通っていたので、英語を結構学んでいたんですけど、チームメイトとのコミュニケーションが難しかったです。英語に結構なまりがあって。僕は試合中は全然話せなくて、結構チームメイトからあんまり信頼されてない感はありました(笑)。こいつは危険だからって見られてたのは悲しかったですね(笑)。最後の方が去年も(留学に)行ってるのもあったのでちょっとずつ改善されましたね(笑)。アイコンタクトとか雰囲気とかで分かってもらえるくらいにはなりました。
ーラグビーを始めたきっかけは
親にラグビーどう?て言われて色々なスポーツをやったんですけど、最終的にラグビーが1番楽しそうにやってたと言うふうに親が感じてラグビーを勧めてくれました。
ーラグビーで挫折したことは
ありますね。沢山あります。僕は小学校から柔道もしていて、平日は柔道で土日はラグビーていうのを中学までやっていて。自分のプライベートな時間が作れなくて、ずっと何か部活をやっている状態で、友達とも遊べませんでした。なのでどっちもやめて勉強と遊びだけするっていうのも悪くないかなと思ったんですけど、やっぱり何か自分が得意な部分を持っていないと今後どうなるんだろうていうのを幼い頃から考えていたのでそこはラグビーと柔道を両立してやろうと考えていました。どっちかに絞るてなった時にいろんな人にアドバイスをもらいながらラグビーの方が僕には合っているのかなと感じたのでラグビーを続けて。高校は高校代表に入ったり順風満帆だったんですけど、また大学に入ってけがに悩まされて、ラグビーのモチベーションが下がった時があって。そういう時はナイーブになってしまいましたね。けどリーダー的役職を2年生の頃から頂いていたので自分がやらないといけないなと思って続けてきましたね。
ー吉永純選手にとってラグビーとは
やっぱり人と人をつなぐスポーツかなと思っています。僕は小さい頃からラグビーをやっているのでほとんど友達とかラグビーの人なんですけど、やはり楽しいことしかないです。時にはつらいこともありますけど、それはチームスポーツなのでみんなで分かち合って自分たちでどうにかそこを乗り越えていくのがラグビーのいいところじゃないかなと思います。
ー期待の後輩は
1個下に大澤蓮と今一年生の石岡玲英と竹部力ですね、あと弟もいるんですけど、吉永昂生がオススメの選手ですね。彼らはチームにいい影響を与えてくれる選手だと思っているので、今後も彼らのプレーに期待しています。
ー同期の方々は
個性があふれる人たちなので誰といても毎日楽しく過ごせましたね。他の部活では味わえない環境があるし、寮は人数も多いのでそういう環境で過ごせた毎日は忘れられないできごとですね。
ーその中でも思い出は
自然が大好きなので川とか山とかに行く機会がありました。一度高尾山に行ったんですけど、高尾山登るか!てなってて1番険しい道に行ったんですよ。登りきってやっと終わったと思ったら、またそこからまた違う山に行くか!てなって。ひたすら山の頂上を歩き続けて、全部で20キロくらい山道を歩いて合計で5つくらい山を越えました(笑)。流石にきつくて帰り道は楽をしたくて1番簡単そうな近道を選んだんですけど、そこが1番険しくて。冬で地面が凍っていて、幅40センチくらいの崖をラグビー部がハイハイしながら行くっていう命がけのイベントでした(笑)。仲間たちと一緒に乗り越えることができて、けが人もいなくてよかったですね(笑)。楽しかったです。
ー進路について
僕はまだ決まっていなくて、いくつかお誘いはいただいたんですけど、けがとか留学とかあって、どうなのかなと考えて。もっと高みを目指すために模索中ですね。けがを治してから今後のことを考えたいですね。ラグビーを後悔しないくらい続けてそのあとのことは終わってから考えたいです。
ー最後に応援してくださる方々にメッセージをお願いします
今回難しいシチュエーションの中でやってこれたのは父兄の皆さんや、コーチ、監督、僕たち応援してくれる皆さんのお力と援助があったからだと思っています。自分たちの目標を達成することはできませんでしたが、皆さんの支えがあったからこそやりきることができました。本当にありがとうございました。
(取材・春名結衣)