【硬式野球】「4年生特集~感謝」第3回 ~河野太一朗、小林満平~
東京六大学野球秋季リーグ戦
2018年10月21日(日)
神宮球場
12季ぶりの優勝に神宮大会出場。これには、下級生の頃からリーグ戦に出場し、優勝を目指し努力を重ねてきた4年生の力があった。走り抜けてきた4年間を、今回は、法政二高出身の投手としてリーグ戦でも存在感を示した河野太一朗(文4)と、苦しい不調を乗り越え今季の優勝に大きく貢献しベストナインも獲得した小林満平(法4)の2人に振り返っていただいた。(※取材は東大2回戦終了時のものを掲載しております)
選手コメント
河野 太一朗 投手
–今日の試合を振り返って
今日の試合は高田(孝一、法2)が先発だったんですけれど、「0でつないで4年生に回します。」というふうに試合前からずっと言っていてくれていて、頼もしかったですね。この秋初めて登板できて、最初準備していた時は緊張していたんですけれど、森田(駿哉、営4)が2失点してくれて気持ちが楽になったので森田に感謝したいです(笑)。
–三者凡退に抑えました
余裕を持って勝っていたので、一人ずつ丁寧にやれば点は取られることは無いのかなとは思っていたので、すごくよかったと思います。
–4年間を振り返って
下級生の頃は、色々きつい練習だったり、私生活でもきつい部分があったんですけれど、それも良い経験というか、成長できたのかなとは思います。
–法政二高出身として部員にはスポーツ推薦の選手が多数いる中、2年生時からベンチ入りをし、リーグ戦を戦ってきました
スポーツ推薦人達が多くいる中で、最初はやっぱり「すごいな」という思いはあったんですけれど、(自分の)結果もついてきているし、少しずつ自分に自信がついてきたので、誇りに思っています。
–今年は投手陣のサポートも多くしてきた1年でした
投げていない時はブルペンで必ず次投げる投手に声掛けたりとかしていたので、役割は果たしたのかなと思います。
–実際、石川達也(キャ2)選手が「河野さんが登板時に毎回和ませてくれた。」と言っていますが、具体的にどのような言葉を
あいつには、ちょっと緩んでいる時は喝を入れたり、表情が固いなという時はグラブを隠したりとか場面によって(掛ける言葉を)分けていますね。
–走りこみが肺の病気で思うようにできない中、夏の期間どのような練習を
やる時はやるというか、きつい練習もあったんですけれど、メリハリつけて練習をやってきたので、走りこみトレーニングなどはそのようにやってきたことが多かったかなと思います。
–病気になる前と後でパフォーマンスに影響は
ピッチングに関してはそんなに変わりないんですけれど、ランニングがちょっと。最初は別メニューでやっていて、タイムを計らずにやっていました。ランニングはきつかったですね。
–思い出の試合は
2年秋の早稲田(1回)戦で初登板した時に三者三振に取った試合と、また2年秋なんですけれど立教(2回)戦で満塁で勝っている時に登板したんですけれど、逆転満塁ホームランを打たれて、それで優勝が無くなってしまった試合ですね。この2つの試合はかなり印象深いですね。
–試合以外で思い出に残ったことは
寮生活ですね。みんなでわちゃわちゃしていたのですごく楽しかったなと思いますし、その生活が終わってしまうのは悲しいなと思います。
–進路の方は
愛知県の社会人チームに進んで野球を続けます。
–そこでの目標は
社会人ではもっとレベルが高いと思いますし、東海地方は今年の4年生も5、6人ぐらい野球をやると思うので、そいつらに負けないように頑張りたいなと思います。
–社会人野球でやりたい事は
都市対抗に出て優勝したいですし、いずれはプロにも行けたら最高かなとは思います。
–高校から共にプレーをしてきた向山基生(営4)選手に向けて
高校からあいつをキャプテンとしてやってきて、大学でもキャプテンという役割をしっかりやってくれて。高校よりも大学でキャプテンをやっていた時の方が引っ張ってくれているという感じはしますね。高校の時も良かったんですけれど、大学でキャプテンをやっている時の方が引っ張っている感はあったので、成長してくれてるなと思いました。感謝ですね。
–他の4年生に向けて
メンバー以外の人達も、登板前とかすごい声を掛けてくれましたね。ベンチの中だったら森田と原田(寛樹、法4)ですね。自分と2人はスタメンで試合に出ていなかったので、謎の絆というか(笑)。そういうのが生まれて、すごく楽しくできましたね。
–真木助監督、青木久典監督に向けて
練習試合などで自分の結果が出ていなくても、リーグ戦にずっと入れてくださいましたし、使い続けてくれて本当に感謝していますし、今後社会人でも(野球を)やるので、結果残し続けていけたらいいなと思います。
–後輩に向けて
まだまだなので、これから投手は走りこみ、打者は振りこみときつい練習を頑張ってください(笑)。
–ファンの方へ一言
今年は特に応援の数がグラウンドから見ていてもすごい多かったですし、自分達もそれ見て頑張ろう、勝たないといけないなと思えたので、すごく感謝していますし、これからの法政野球部のことも見守ってほしいなと思います。
小林 満平 内野手
–4年間を振り返って
辛い思いも、苦しい思いも、良い思いも神宮でたくさんしたな、という思いがまず1つですね。
–毎年し烈な二塁手、外野手のスタメン争いがありました
入ったときは同級生のレベルが高くて、レギュラーを獲れるか心配になったこともありました。でも、練習を重ねてきて、レギュラーとして神宮で3年間プレーすることができて良かったです。
–打率が4割を超すシーズンもありながら、絶不調に陥ったシーズンもありました
(調子の)波が激しいと周りから言われることもありましたが、社会人野球ではそういう波を減らせるような、良い選手になりたいと思っています。
–日本代表としてプレーをした経験を振り返って
レベルの高い仲間たちに出会うことができて、また、そのプレーを見て、たくさん勉強になり、良い経験だったと思います。
–進路について
愛知県のチームで、野球を続けます。
–今後の目標は
2年間しっかり活躍して、プロに行きたいと思っています。
–大学野球を通して得たことは
高校でも同じことが言えるのですが、やっぱり、練習をしている人が結果を残して、神宮で活躍するなというのは改めて思いました。
–4年間で最も印象に残っている試合は
やっぱり、今季の慶応との3回戦ですね。自分の野球人生の中で見ても、一番の試合になりました。
–同期について
本当に個性が強くて、自分にないものをたくさん持っている同級生でした。そのような意味で、とても恵まれていたと感じていて、良かったなと思います。
–4年間でやり残したこと、後悔は
後悔はしていないですけど、4年の春のシーズンは人生で一番練習して臨んだのですが、うまくいかなかったので、気持ちの面と技術の面の両面で反省したいと思っています。
–真木将樹助監督から受けた『脇役』という言葉について
この秋のシーズン中に、スカウトの方と真木さんが話しているときに、「(小林満平選手が)良い脇役になっているから、今、チームが勝てている」ということを言われました。春は打席に入るときに、自分で決めよう、と思ってしまい、苦しくなってしまいました。その経験をした中で、『脇役』という言葉がうまく自分の心にはまって、結果につなげることができたのだと思います。
–後輩に向けて
結局、練習している選手が、最後には勝つので、そこ(を伝えたい)ですかね。特に中京大中京の後輩には、そのことを意識して頑張っていってほしいと思います。あと、今日のように、こうして神宮をオレンジに染められるような試合をたくさんしてほしいと思います。
–感謝している人は
一番は、東京の私立大学に高いお金を払って通わせてくれた両親です。本当に感謝しています。
–ファンの方々に向けてメッセージをお願いします
今シーズンは特に応援にたくさん来ていただいて、本当に、感謝してもしきれないシーズンでした。4年間、本当にありがとうございました。
プレイバック
河野 太一朗 投手
「一時期は、野球を続けるのが厳しいと諦めていたこともあった」。厳しい状況から奇跡の復活を遂げたのは、大西千洋(営4)だけではない。かつて、法政二高でエースを務め、法大でも2年次からベンチ入りをし投手陣を支えた河野太一朗(文4)も、またその一人だ。
河野太が頭角を現したのは2016年の夏季オープン戦。171㌢と小柄な身体から繰り出す力強い直球と鋭いスライダー、そして勝気な性格が魅力な右腕として、2016年秋季リーグ戦のベンチ入りを勝ち取る。開幕戦では2回を投げ奪三振3、自責点0と好投を見せ勝利に貢献。上々な滑り出しを見せると、2017年は春・秋季リーグ戦共にベンチ入り。2017年秋季リーグ戦ではロングリリーフもこなすなど、最上級生としての活躍を期待させた。
そんな順調だった河野太に立ちはだかったのは、予想外の病気だった。『肺化膿症』。肺胞に細菌が繁殖し膿が溜まり、炎症を起こす病気だ。河野太は昨秋リーグ戦が終わってから肺炎後にこの病気にかかった。40度の熱が3週間にわたって続き、約1カ月半の入院。「4年間で何より辛かった」と当時を振り返る。今も、肺機能が完全に戻っているわけではない。だが、ランニング練習などの練習メニューを調整し、オープン戦で登板を重ねると、昨季も25人の枠の一つをつかみとった。
そんな昨季は、石川達也(キャ2)や高田孝一(法2)、三浦銀二(キャ1)ら下級生投手が好調。河野太は、登板機会こそ少なかったが、助監督になりベンチにいることが増えた真木将樹氏に代わって、活躍を見せた下級生投手のサポート役を主に担った。特に今季は「精神的柱になる」と臨んだシーズン。競った場面でマウンドに向かう後輩が少しでも本来の投球ができるように、緩んでいるときには渇を入れ、緊張しているときにはおどけたことをして和ませた。石川も「いつも登板時は河野さんが和ませてくれた」と語る。
自身の登板は、1年で2試合のみ。だが、病気を乗り越え、投手陣における『精神的柱』として1年間下級生ののびのびとした投球を支えてきた河野太は、陰の優勝の立役者だ。「みんな声を掛けると表情がやわらかくなっていくのが分かった。良かった」。あくまで控えめに語った河野は、今後も野球を続けていく。
次のステージでは、『精神的柱』としてだけでなく、『投手陣の柱』としても存在感を示す。奇跡の復活を遂げた男が、新たな仲間と共に笑顔で躍動する姿が待ち遠しい。
(中西陽香)
河野太一朗(かわの・たいちろう)
文学部4年
1996年6月14日生まれ
東京都出身・法政二
171㎝74㎏・右投右打
通算成績:8試合 12回2/3 勝0負0 被安打6 与四死球7 奪三振14 自責1 防御率0.71
小林 満平 内野手
2年春にベストナイン受賞、3年秋には打率.400でリーグ2位、そしてラストシーズンとなった今季も打率.419でリーグ2位の位置に付け、華々しい実績を残した小林満平(法4)。しかし、そんな実績の陰には、一転して絶不調に陥り、全く出場機会が得られない時期も経験があった。「辛い思いも、苦しい思いも、良い思いもたくさんした」。小林が最終戦を終え、4年間を振り替えった際に発したこの言葉は、まさに小林の大学野球生活を表している。
小林は愛知の名門・中京大中京出身。甲子園常連のこの高校で、スポーツ推薦で入学した小林だが、「入った時は同級生のレベルが高くて、レギュラーを獲れるか心配になったこともありました」と当時を語る。小林の守備位置は、二塁手。毎年力のある新入生が入部する中、特にこのポジションは毎年激しいスタメン争いがあった。しかし、しっかりと自身の強みを生かし、2年次の春季リーグ戦でスタメンを勝ち取ると、打率.382をマークし、ベストナインを獲得。その実力を遺憾なく発揮してみせた。
そんな小林が最終戦で語ったのは「練習している選手が、最後には勝つ」という言葉。結果が残せていない時期も、練習をするしかない。練習をした選手が最後には勝つ。こうして、練習の大切さを信じ、それを実行に移していった小林。3年次の春季リーグ戦で不調に陥るも、秋には打率.400をマークし、見事に復活を成し遂げた。
一度どん底を味わった小林はその後も練習を信じ、その地位を確立していった。「もう小林がスタメンから外れることはないだろう」。多くのファンがそう思っていた中、2度目の不調に陥る。
「4年の春のシーズンは人生で一番練習して臨んだ」。打率.091で終わったシーズンを小林はこう語った。万全の準備をして迎えた最後の年。それだけ懸ける思いも大きかった。そして、いつも通り、血のにじむような練習をして臨んだ。それでも、それは報われなかった。
しかし、4年の秋、最後のシーズンで再び小林は完全復活を遂げる。その要因は真木将樹助監督から言われた『脇役』という言葉だった。「春は打席に入るときに、自分で決めようと思ってしまい、苦しくなってしまった」春のシーズンをこう振り返った小林にとって、真木助監督からの『脇役』という言葉が心にうまくはまった。『チームのために』。脇役に徹した小林の結果は打率.419で自己最高をマーク。首位打者には届かなかったものの、2度目のベストナインを獲得し、有終の美を飾った。
誰よりも努力し、さらに、大きな挫折もこの大学野球で経験した小林。プロになるという目標のため、この法大で経験した様々な経験を糧に、さらなる練習を積み、小林は社会人野球の舞台で再スタートを切る。
(山﨑有馬)
小林 満平(こばやし・まんぺい)
法学部4年
1996年11月8日生まれ
愛知県出身・中京大中京
175㎝80㎏・右投左打
通算成績:71試合 275打席 231打数 74安打 2本塁打 15打点 29四死球 38三振 打率.320