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【硬式野球】「4年生特集~継承」第1回 笠原康平、清水ジュリアン鷹、福居涼

硬式野球

【硬式野球】「4年生特集~継承」第1回 笠原康平、清水ジュリアン鷹、福居涼

東京六大学野球秋季リーグ戦 対明大3回戦
2015年10月26日(月)
神宮球場

秋季リーグ最終戦を劇的な勝利で飾った法大。この試合をもって、チームをけん引してきた4年生たちは引退となった。波乱万丈の4年間を終えた彼らはこの法大で何を得て、何を残したのだろうか。積年の思いを語っていただいた。

笠原康平 #51

学生コーチコメント

笠原康平 学生コーチ

―4年間の最終戦を勝利で終え、どんな気持ちがこみ上げてきましたか
僕は早い時期(1年時の冬)からコーチをやっていたので、他の選手とは少し違った感じで終わった気分です。でも最後、畔上が本当によく走ってくれたので、良かったです。

―三塁コーチを務めていらっしゃいましたが、畔上選手が三塁に来たとき塁上でどんなことを話しましたか
「絶対に点取って、勝とう」と。それだけでした。

―試合後のロッカールームではどのようなお話がありましたか

僕たちは監督が3回も代わったりと(他では)味わえないことをたくさん味わってきました。「良い意味でも悪い意味でも絶対成長できているから、自信を持って次のステージに行こう」という話をしました。

―コーチとして準備してきたことは
日々ノックを打つこと、選手の足の速さを知ること、いかに次の塁に走者を進ませるかが僕の仕事なので、しっかり準備していました。

―この秋を振り返って
優勝したかったですね。早々に優勝が無くなってしまったということは、弱かったというか、自分たちの力を出し切れなかったのかなと思います。

―コーチ転向は監督の指示ですか
いえ、自分からコーチになりました。

―その前は内野手をやっていたそうですが、それはいつから
野球を始めた小学3年のときからです。

―コーチ転向の理由は
けがとかであまり野球ができる体ではなかったので。思い切ってチームに貢献する立場になりました。

―プレーする側から、指導する側になり感じた違いは
練習ひとつにしても、見方が変わりました。学生コーチになって、いろんなところから練習やプレーを見て視野が広くなりましたね。人として。

―コーチをしてきてうれしかったことは
単純ですけど三塁コーチをやっていて、走者を自分が還してホームで生還できたときはうれしいですね。

―今春は2度のサヨナラ勝利もありました
そうですね。めちゃめちゃうれしかったです。

―後輩コーチとはどのようなお話を
監督に求められていることはあります。特に「お前だったらどうだ?」とか「何を求められている?」といった話は後輩にもしています。

―笠原コーチにとって「コーチ」とは
「みんなを支えるべき立場」です。

―その「みんなを支えるべき立場」から見た畔上主将は
最高のキャプテンでした。畔上が「右向け」と言ったら、たぶんみんな右を向くので。誰でもついていくと思いますよ。

―同期へメッセージ
こんなバカな学生コーチについてきてくれてありがとう、くらいです。

―後輩たちへメッセージ
絶対に青木さんについていって、優勝してください。

―応援してくださったファンの方々へ
今までも、これからも法政大学野球部として強くなければいけないので。変わらず、応援よろしくお願いします。

 

清水ジュリアン鷹 学生コーチ

―今季最終戦を振り返って
これまでできていなかったことが全部やれたと思いますし、2年前に明治にやられたことをやり返した(※13年春季リーグ戦、勝てば優勝という試合で明大に敗戦)ので「これでようやく卒業できる」と思いましたね。

―勝ち越しのスクイズが決まった時の心境
最後まで試合は分からないと普段は考えますけど「もらった」と思いましたし、絶対に勝てると思いました。

―玉熊将一、菅野秀哉、熊谷拓也各投手のリレーで明大打線を1点に抑えました
この秋は調子が悪かったんですけど、彼らは普通にやればあれぐらいの投球をやってくれる選手です。今後の3人の成長が楽しみです。

―今季を振り返って
3年までは早く終わってしまった印象でしたが、4年生になってからは1日が長く、初めて苦労というものが分かるようになりました。今季はその苦労が報われない感じがしました。でも、やはり畔上主将が「練習は嘘をつかない」ということを今季は証明してくれましたね。彼と野球をやれたことを誇りに思います。

―法大での4年間を振り返って
練習もしんどいですし、一般の大学生って楽しそうじゃないですか。それを見ていると「なんでこんな苦労を」と最初は憎んでましたけど、今になって引退するのが惜しいですし、嫌ですね。ずっと野球をやっていたかったです。

―この4年間で成長したと思う部分
腰のケガで現役で野球することが厳しくなって学生コーチに転向した時は、前線でやっている選手とは距離感を感じていました。最初は「なんで自分が」というやるせない気持ちがあったんですけど、自分がノックを打ったり打撃投手をやることでどんどん選手が成長していくのを見て、やっぱりやれて良かったなと思ったのが成長だと思います。

―コーチとしての苦労ややりがいは
他の大学もそうですけど、六大学には才能がある選手がたくさんいます。今までは才能ある選手が集まれば勝てると思っていましたけど、チームのまとまりや選手たちの感情というものが集まって生まれる勢いやエネルギーが勝利に結びつくので、みんなの感情をいかに勝利に向けていくかということは苦労しましたし、そこに一番のやりがいを感じました。

―同期への思い
監督も変わりましたし、今の4学年の中では一番やんちゃな代かもしれないですけど、その分いざという時はまとまりが強かったですし、引退しても一生会う仲間なんだなと思います。

―監督への思いは
青木久典監督や、前監督の神長英一監督、金光興二監督を含めて今の4年生が形成されているので、すべての方に感謝しかないですね。

―4年間で一番の思い出は
1年生の頃はビデオ係をやっていて、バックネット裏から(12年秋の)優勝を眺めていました。うれしかった反面、悔しい気持ちもありました。その後、オープン戦で結果を残して初めてユニフォームに袖を通した時が一番の思い出ですね。

―期待する後輩選手は
捕手の森川大樹選手ですね。彼は上級生の捕手に遠慮してあまり自分を出せてないところがあり、大事なとこで成り上がろうという野心めいたものが足りなかったんですけど、この1年でそこが急成長したと感じます。将来が楽しみです。

―卒業後の進路は
冬に内定が出ると思いますけど、その会社に就職する予定です。

―後輩たちへメッセージを
4年間振り返ってみて、何度も挫けることもありましたが絶対に練習を続けてほしいし、周りの仲間を大事にしてほしいです。

―最後にファンの方々へメッセージを
法政の常勝は、現3年生からもう一度始まります。

 

福居涼 学生コーチ

―今季を振り返って
最後にあのような形で終われたので、それがすべてだと思います。

―きょうでリーグ戦を終えられましたが、4年間を振り返って
つらいことの方が多かったです。でも、頑張ってきてよかったなと思える最後でした。

―学生コーチになったきっかけは
将来は指導者になりたいので、指導者側に立って野球に関わりたいと思ったからです。

―コーチになったことで生活は変わりましたか
生活はガラッと変わりました。野球をやっていない寮で過ごす時間も生活指導であったり、その辺も気に掛けるようになりました。

―教える立場に回り、新たに勉強をしたりしたのですか
勉強というよりは、自分の経験を伝えることですね。捕手は今は森川が出ていますけど、4年生にはいません。僕はもともと捕手だったし、高校のときはある程度のチームではやっていたので、教わったこととかを伝えていました。自分が経験で得たものを下に教えるというか、それが主な仕事でした。

―選手と違った難しさは
意図が伝わらないというか、教えているようにならなかったりするところです。また、試合中は投手の方を見させていただいていて、継投で投手を代えるタイミングなどを監督と相談していたんですけど、そのタイミングを一つ間違えただけで相手に大量得点を許したりしてしまうこともあったので、そこは難しいところでした。

―最も苦労したことは
監督との距離と、選手との距離ですね。ちょうど監督と選手の中間に立つ接着剤のような仕事なので、選手の意見もある中で監督からの意見もあり、そこを合わせるのが難しかったですね。

―そのような時はどんなことを意識していましたか
互いの意思疎通を取るしかないので、「選手はこう言っているんですけど」と監督にも言いましたし、「監督はこういうふうに言っている」と選手にも伝えました。そこは変換することなく、双方の意見を双方に伝えるということを意識しました。

―コーチ生活で一番印象に残っていることは
自分で推薦した選手たちが、試合に出て結果を残してくれるのがうれしかったです。特にどの試合というのはないんですけど結構そういう選手がいてくれたので、とてもうれしかったです。

―指導者になりたいということでしたが、この4年間でご自身の夢には近づけましたか
学生コーチになり指導者側に立つことによって、選手だったら監督から聞けないようなことも聞くことができました。自分の知識を増やす上ですごく勉強になりました。

―今後の進路、野球との関わり方は
地元に帰って一般就職します。土日であったりそういう休みの日は、母校の高校に行って指導できればなという感じです。

―引退後の目標を
まず一番は、1週間後の新人戦で優勝することです。人生の目標は…普通の、平凡な人生を送りたいです(笑)。でももし母校に戻ることができるのであれば、甲子園を優勝できるように、指導者としても1番になれるように頑張りたいです。

 

プレーバック

笠原康平

今季最終戦。13回、決勝のスクイズは成功しなかったかもしれない。笠原の3年間の努力がなければ。

笠原が学生コーチになったのは大学1年の冬。けがもあり、野球をはじめた小学3年のときからの内野手の道を諦めた。「野球ができる体ではなかった」。そう振り返る表情は、どこか悔しげにも見えた。

選手の能力を把握し、試合で発揮させるという役目を与えられた笠原。「(コーチとは)みんなを支えるべき立場」。三塁ベースコーチに入る笠原は、練習ではプレーを様々な角度から観察し、試合では声や体を存分に使って走塁を助ける。精神面でもチームを支えた。それは最終戦7回の攻撃にも表れている。1死一、三塁のチャンスに中軸の若林、畔上が二者連続三振。流れが明大へ行きかけたとき、誰よりも大きな声で二度「切り替えて!」と叫んだ。「視野が広くなりましたね。人として」。選手を支え続けた男らしい行動だったといえるだろう。

選手としての出場はかなわなかった。それでも笠原の体は三塁コーチャーズボックスで躍動した。「最後、畔上が走ってくれたので良かった」。決勝点のホームを踏んだ主将を自らのコーチングで還したことは、野球人生の宝物になったに違いない。オレンジの陽を浴びながら、背番号51は神宮を後にした。支え続けた仲間たちの、最高の笑顔とともに。(伊藤華子)

 

清水ジュリアン鷹

「この試合、もらった」。今季最後戦となった明大3回戦。勝ち越しのスクイズが決まった瞬間、清水はそう確信した。「勝ち越してもまだ試合は分からないと普段は思う。でもきょうは絶対に勝つと思った」。その言葉通り明大を振り切り、有終の美を飾った。これまで何度も苦汁をなめさせられてきた明大相手の快勝に「これで卒業できる」と胸をなでおろした。

当初はプレーヤーとして法大に入学。「オープン戦で結果を出して、初めてユニフォームを着たことが一番の思い出」と、神宮のグラウンドをひたすらに目指してきた。しかし、腰のケガでプレーヤーとしての道を断念。学生コーチへと転身した。「何で自分が…」。そんな苦悩の日々もあった。だが、選手たちの成長していく姿を見て「やはりやって良かった」とコーチとしてのやりがいを感じていき、そのような思いは消えていったという。

つらい練習を共にした同期は「引退しても一生会う仲間」だ。誰よりも努力をし、チーム一の成績をのこした畔上には「練習は嘘をつかないこと証明した」と賛辞を送り、「彼と野球ができたことが誇り」と胸を張った。

最後に残した言葉は「法政の常勝は再び始まります」。熱い気持ちを受け継いだ後輩たちが、法大の新世紀を拓いていってくれるはずだ。(渡辺拓海)

 

福居涼

劇的な勝利で試合を終え、福居は瞳を潤ませながら4年間を振り返った。「つらいことの方が多かったけど、頑張ってきて良かったと思える最後だった」。

将来は指導者になりたい。その夢を追って学生コーチに転身した。試合中は主に投手の指導を担当。投手交代のタイミングを見極め、監督に意見をぶつける。一つ間違えてしまえば大量失点。とても責任の重い仕事だった。教えた通りにうまくいかないことも多々あり、指導の難しさを痛感した。コーチになってからは、野球以外の生活も一変。寮では生活指導にも目を光らせるようになり、コーチという立場から監督・選手間の距離の取り方に悩んだりもした。

それでも最後まで続けてこられたのは、選手たちが期待に応えてくれたから。自身が指導した選手たちの活躍が、福居にとって何よりの原動力。最終戦も2戦連続先発の玉熊。あとに続いた菅野、熊谷。ブルペンから送り出した投手たちの力投で、宿敵明大を打ち破った。それは、自身最後の仕事にも花を添える結果であっただろう。

卒業後は、地元企業へ一般就職する。しかし、野球との関わりが無くなるわけではない。休日には指導者として、母校で野球に関わっていくという。今後の目標は「母校での甲子園優勝」。4年間法大で培った経験を生かし、指導者として1番を目指す。第二の野球人生のスタートだ。(菅野響子)

 

 

プロフィール

笠原康平(かさはら・こうへい)
経済学部4年
1993年4月9日生まれ
神奈川県出身・法政二
173cm63kg 右投左打

清水ジュリアン鷹(しみず・じゅりあん・たか)
文学部4年
1993年4月19日生まれ
アメリカ・カンザス州出身・法政
178cm86kg 右投右打

福居涼(ふくい・りょう)
経営学部4年
1993年8月9日生まれ
岡山県出身・倉敷商
177cm72kg 右投右打

 

フォトギャラリー

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