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【陸上競技】第102回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会・選手・監督インタビュー後編

第102回箱根駅伝予選会振り返りインタビュー

10月18日(土)に開催された第102回箱根駅伝予選会。法大は惜しくも11位と本戦出場を逃す結果に終わった。今回は、予選会チーム内上位5名の選手と坪田監督のインタビューをお届けする。後編は野田晶斗(社3=京産大付)、大島史也(社4=専大松戸)、坪田智夫駅伝監督、3名のインタビューをお届けする。

前編はこちら

▼チーム成績

総合成績

順位 大学 記録
1位 中央学大 10時間32分23秒
2位 順大 10時間32分35秒
3位 山梨学大 10時間32分44秒
4位 日大 10時間32分57秒
5位 東海大 10時間34分07秒
6位 東農大 10時間34分59秒
7位 神奈川大 10時間36分07秒
8位 大東大 10時間36分12秒
9位 日体大 10時間36分14秒
10位 立大 10時間36分56秒
11位 法大 10時間37分13秒

(10位までが本戦出場)

個人成績

順位 選手名 記録
29位 野田晶斗(社3) 1時間02分36秒
32位 大島史也(社4) 1時間02分49秒
74位 平井蒼大(スポ3) 1時間03分28秒
84位 花岡慶次(経4) 1時間03分35秒
101位 太田煌(社1) 1時間03分50秒
119位 田井中悠成(経3) 1時間04分02秒
125位 澤中響生(現4) 1時間04分06秒
128位 重山弘徳(経3) 1時間04分08秒
142位 山際晃太朗(経2) 1時間04分16秒
154位 湯田陽平兵(社3) 1時間04分23秒
220位 佐上湘哉(経1) 1時間05分02秒
258位 平山櫂吏(社2) 1時間05分29秒

インタビュー

野田晶斗

――総合11位という結果をどのように感じているか
17秒差で敗れてしまって、本当に悔しいというのが一番の感想です。夏もしんどい練習をこなしてきましたし、夏前から箱根予選のために準備はしっかりしてきたんですけど、それでも負けてしまったのは、練習以外の部分が疎かになってしまっていたのかなと感じています。

――個人29位という結果に関しては
最初から坪田さんの方で「日本人集団には無理につかないように」と指示があったので、大島さん(史也、社4=専大松戸)と2人でしっかりレースを進められたのは良かったです。ただ公園内に入ってから、日本人集団争いに加わることができずに終わってしまって。29位という結果になってしまったのは、自分の攻めの姿勢がもう少しあれば変わったのかなと感じていますし、他大学のエース選手に負けてしまったというのは本当に悔しい結果です。

――3年生からはエントリーメンバーの5人全員が当日も出走したが、振り返って
3年生の出走メンバーは、全員チームの中で10番以内に帰ってきたということで、しっかりみんな安定して走れていたのは良かったと思います。ただ17秒という差は3年生でも稼げたかもしれない差ではあったので、そういった部分ではもう少し3年生としても頑張れれば良かったのかなと思っています。

――予選会当日のご自身のコンディションは
朝練習を行った段階でも調子は悪くはなかったんですけど、夏合宿が終わって東京に帰ってきてから、結構夏を頑張った分、多少疲労が抜けきれていなかった感覚があって。レース当日も、走っていて少しペースに対しての体の動きにくさを感じる部分もあったので、少し夏の疲労が残っていたのかなと感じました。

――エースの大島選手とタイムを稼いでいく役割だった。チームを引っ張る上で感じていたことは
自分と大島さんの2人が、もちろんチーム内トップで帰ってこないといけないのは分かっていましたし、タイムを稼がないといけない存在ということで、2人でしっかり走る前から作戦を練っていました。結果的にもう少しタイムを稼ぐことができていれば良かったんですけど、2人とも予選会の中で大外しせず走れたというのは良かったと思っています。

――駐屯地から市街地にかけての走りを振り返って
駐屯地と市街地は大島さんの後ろにつかせてもらっていて。なるべく公園内に入るまで余力を残しておこうと考えていたので、そこはリラックスして大島さんを使わせてもらいながら、良い走りができたのかなと思っています。

――公園内での走りを振り返って
公園内に入るまでは結構余力があって、自分でも公園内に入った段階で上げてこうと思っていました。やっぱり自分と大島さんが2人で行っていたというのもあり、公園内に入った段階で日本人先頭集団に置いてかれていて、その差がキツかったです。余力はあったんですけど、上げるにも上げきれない状態で終わってしまいました。

――初の公式戦となった平井蒼大選手(スポ3=川西緑台)や、太田煌選手(社1=和歌山北)が好走を見せた
太田は夏合宿でも強いなと感じましたし、しっかり公園内に入ってからもペースを落とさず走っていて流石だなと思いました。平井に関しては、正直同期としても、もう少し期待している部分がありました。レース前もレース当日も「絶対野田に追いつくから」と何度も言っていたので、もう少し自分を追い詰めるような走りをしてほしかったというのはありますね。

――箱根予選を通過した10校との差はどこにあったとお考えか
正直練習の部分は、夏合宿でもかなり質の高いものをやってきましたし、悪くはなかったと思っています。ただそれ以外の部分。それこそ体調不良者が出てしまったり、そもそもスタートラインに立たないといけない人がけがをしてしまったり。生活面や練習以外の面でのゆるさが目立ってしまって、そういったところが箱根予選を通過できた大学との差なのかなと感じています。

――ここからは新チームについて。駅伝主将になった経緯は
10月18日の午後に大学に帰って、全体でミーティングがあったんですけど、そこで坪田さんの方から全体の前で「主将は野田」と任命されました。立候補ではなく、副主将の重山(弘徳、経3=西京)、平井に関しても坪田さんから指名がありました。

――駅伝主将として、今後法大をどのようなチームに導いていきたいか
どのようなチームを作りたいかという前に、自分が主将としてどうあるべきかというのを一番に考えていて。チームを変える前に自分が変わらないと、下の子たちもついてきてくれないと思います。まずは自分が主将としての自覚や責任をしっかりと持って、後輩や同期たちから「野田主将ならついていきたいな」と思われるような主将を目指して頑張っていきたいです。その上で、昨年僕が感じた練習以外でのゆるさや、基本的なことをこれまで以上に徹底するようにして、そうしていけば自然とチーム力も上がってくると思います。まずは練習外の部分を徹底していきたいと思っています。

――来たる学生ラストイヤー。野田選手にとって同期はどんな存在か
この同期以外考えられないような恵まれたメンバーです。一緒に生活していてもすごく楽しいですし、競技力もみんなついて、箱根に絡める実力が持てるぐらい成長してきていると思っています。次の箱根まであと1年2ヶ月と短い期間ではあるんですけど、かけがえのない時間を大切にしていきたいと思えるような同期ですね。

――大学に入学してから、多くの時間を共にしてきた4年生の存在とは
走りで引っ張って下さった面が僕の中では大きいなと感じていて。それこそ大島さん、矢原さん(倖瑛・経4=今治北)、花岡さん(慶次・経4=世羅)、清水さん(郁杜・社4=米子松蔭)といった方が練習で引っ張って下さったおかげで、僕はここまで走力をつけることができましたし、レースでも安定した結果を残せるようになってきたので、すごく感謝しています。

――中でも大島選手とはチームのトップとして関わる機会も多かった。大島選手との関係性について
自分の中では、どの練習にしても大島さんに喰らいつきたいという思いでいましたし、すごくいい形で引っ張って下さったので、練習でもそれ以外の部分でもすごく良い関係だったのかなと思います。

――先日の2025国士舘大学 Combined Challengeでは青手木陽太選手(経2=自由が丘)が5000mで13分53秒77と大幅にPBを更新。新チーム2人目となる13分台が誕生した
直接応援に行っていたんですけど、目の前で力強い走りをしてくれて、新チームの初戦として良い形でスタートを切れたなと感じています。青手木があの記録を出してくれたことで、みんなも同じ練習ができていているので自信にもなったと思います。

――今後出走予定の大会は
まだハーフの部分が詳しく分かっていないんですけど、自分としては坪田さんの方から「MARCHで記録を狙おう」ということだったので、MARCH対抗戦で1万メートルのタイムを狙うというのは確実な部分かなと思います。

――最後に法大のファンの皆様へ
17秒差という悔しさを忘れることなく、日々大切に取り組んでいきたいと思います。また、法政大学を箱根路で再起させられるよう、主将としての覚悟と責任を持って取り組んでいきますので、今後とも応援の程よろしくお願いします。

(インタビュー:髙瀬真帆)

チーム内1位、全体29位と好走を見せた野田。新体制ではエースで主将としてチームを引っ張る

 

大島史也

ーー予選会から1週間と少しが経ったが現在の心境は
予選会が終わった直後は現実を受け入れられなくて、悔しいという気持ちしかなかったです。1週間が経っても時々、予選会の結果発表の瞬間を思い出したりして苦しい1週間でした。悔しさはずっとありますし、4年生なのでもうこの悔しさを晴らせない辛さもあります。今は新チームを支えて、応援することしかできないと思うので、何を残すかというのを意識しています。

ーーご自身の走りを振り返って
設定タイムが決められていて、前半はスローペースで設定通りではありました。自分は野田(晶斗、社3=京産大付)を安心させられるようにペースを作り、できるだけ省エネの走りを意識していました。16キロでは余裕がありましたが、そのあと野田に置いていかれて。粘りの走りになってしまい、自分の弱さが出てしまって後悔しています。もっと自分が絞り出して、タイムを稼がなくてはいけなかったと感じます。

ーー終盤の走りに後悔があるということか
前半は余裕を持って走れていて、16キロまではほぼパーフェクトだったと思います。それ以降の自分の走りは0点に近くて、不甲斐ない走りになってしまいました。

ーー共に法大勢の先頭を走った野田選手とは、レース前に何か話をしていたのか
野田の力を使うのではなくて、自分が引っ張るというのを夏合宿から言っていました。野田も自分を信じて「大島さんにつきます」と言ってくれていました。去年は走りでもあまり関わりがありませんでしたが、予選会の前に(野田が)自分を信じくれてるからこそ、野田に応えたいと思っていました。自分は練習でもガツガツ走りたいタイプですが、予選会前は一緒にいこうと話していました。攻める2人という意味では良い雰囲気だったと思います。

ーー予選会突破に足りなかったと感じる部分は
まず1つは予選会を経験していないからこそ甘かったです。1時間スタートが早まり高速化すること、後半になれば例年以上に他校も引き上げてくることも分かってはいました。ラップを見ても公園内のラップが上がっていなかったので、絞り出すというのが足りなかったです。

ーー副将として過ごしたこの1年間はどうだったか
坪田監督が1月に指名してくださって、自分は3年生までチームに貢献するということがあまりありませんでした。先輩方についていく立場で、人生でもチーム運営に関わることもなく不安ではありました。それでも、指名してくださったからには意味を見出そうと思っていたので、走りで引っ張るというのは意識していました。走りで引っ張るという意味では、貢献できたかなと思います。チーム運営という部分では、もっとできたことがあったのではないかと思います。

ーー現状、箱根駅伝には学連選抜で出場する予定はあるか
一応、坪田監督からは自分が行くと言われているので、準備しているところです。16人エントリーされて10人出走という形なので、その選考に向けてやっています。

ーー希望している区間は
自分としては1区を走りたいです。法政として箱根駅伝に出ていたら、2区を走りたいという思いがありました。4年生たちの責任で、予選会を突破できなかったのに、学連選抜が自分でいいのかということでも少し悩みました。もし学連選抜で走るなら、少しでも法政の「H」のユニフォームを見せたいという思いで、1区を志望しています。

ーー現在は箱根駅伝に向けて練習しているのか
今はMARCH対抗戦の1万メートルに向けて練習しています。具体的にどこの試合で走るか明確ではありませんが、1万メートルはどこかで走ると思います。スピードという部分に今はシフトチェンジしています。

ーー4年間を振り返って
最後予選会も落ちて、3年生も体調不良で箱根を走れませんでしたし、2年生も当日変更で1年生も故障で年間を通して全然走れませんでした。やっぱり良い記憶よりも、苦しかった記憶が強く残っています。それでも、4年間続けられたのは同期、チームメイト、坪田監督、トレーナーさんといった色々な方々の支えがあったからだと思います。振り返ってみると恵まれた環境でやらせてもらえて、幸せだったと思います。

ーー4年間で思い出に残っている試合は
3年生の時の上尾ハーフですかね。日体大記録会の1万メートルを走った1週間後で、ペース走ではありましたが、尊敬している小泉先輩(樹=令六年度卒、現・黒崎播磨)と一緒に走れました。小泉さんが故障で苦しんでいたのに入賞して、結果を出したことがうれしくて、自分の記録会よりも思い出に残っています。

ーー5000メートルと1万メートルで法大記録を塗り替えたことについては
個人として良かった記憶はそこですね。

ーー4年間で1番成長した部分は
もともと自分はチームに貢献したりすることができていなかったので、大学の4年間でチームのことを考えて行動できるようになったことが成長した部分だと思います。細かいところまで自分が気づけるようになり、良いところも悪いところも見れるようになりました。

ーー同期へのメッセージ
入学した時に高校時代の実績から見ても、良いメンバーが揃ったというのは当時思って、自分たちの代は絶対勝負できると思いました。そこから、彰太(高橋、令五年逝去・享年19)が亡くなったり、部員が辞めていってしまうこともありました。それでも、最後まで残ったメンバーは色々な苦しいことを乗り越えてきて、一生このメンバーは忘れないと思います。そして、最後自分が学連選抜で良い走りを見せたいです。

ーー期待している後輩は
野田ですね。野田は来年エースになってくると思います。太田(煌、社1=和歌山北)だったりエースにくらいつけるような選手もいるので、野田には後輩たちにずっと背中を見せて、突っ走ってほしいです。

ーー後輩へのメッセージ
4年生は自分と慶次(花岡、経4=世羅)が中心になって考えてチーム運営をしてきましたが、詰めきれなかった部分がありました。自分たちが予選会を突破できなかったので、1年間苦しいと思いますが、頑張ってほしいです。

ーー今後の進路は
競技の方は実業団で続けます。自分は優勝争いをするようなチームで勝負したことがないので、ニューイヤー駅伝で優勝争いをすることが1つの目標です。個人としては世界の舞台に立つというのが目標なので、そこに向けてやっていきたいと思います。

ーー坪田監督へのメッセージ
自分のやり方というのが高校の時からずっとあり、それが正しいと思い込んでいました。それで、故障ばかり続いていましたが、坪田監督の指導のおかげで練習がつながるようになりました。ハーフもずっと苦手でしたが、長い距離にも適応できるようになって感謝しかないです。結果として、陸上を今後も続けられることにもなりました。箱根本戦にチームを導くことはできませんでしたが、チームは違くても世界で活躍する姿やニューイヤー駅伝を走っている姿で、感謝を示したいと思います。

ーー応援してくださった方へのメッセージ
当日たくさん法政大学の服やうちわなどで、応援してくださっている方がいらっしゃいました。それがすごくうれしくて、目に入るたびに勇気になりました。こんなに応援されるのが初めてだったので、箱根本戦に出れずに申し訳ないと思います。自分は引退してしまいますが、引き続き法政大学の応援をしてくださったら幸いです。

(インタビュー:松野要)

エースとして最後までチームを引っ張った大島

坪田監督

――予選会のレースを振り返って
予定通りのペースでレースを進めることはできていました。チームの目標としてはゴールタイムを良くて(10時間)35分台くらい、例年だと38~39分で(予選を)通るのかなと。過去のデータを見てもそれくらいのラインでした。気象条件によってタイムも結構変わるので、かなり条件が良かった年でも37分台でしたらクリアできる予定だったので、その辺りを設定していました。ただ他大学さんがそれ以上のタイムを出し切っていた状態でしたね。チーム状態も良い状態ではなかったです。故障者が出たりとか、実際インフルエンザが出て、攻めたい選手が攻めきれなかったです。ただそれはどこのチームでもあることなので、それ含めたチームのコンディショニングの持っていき方に問題があったのかなと思います。

――その体調不良の影響は
実は佐上(湘哉、経1=光明相模原)も矢原(倖瑛、経4=今治北)と同じタイミングで発熱をしまして、その前だと山際(晃太朗、経2=小林)も体調不良でした。加庭(翔太、社2=富岡)も加えた(エントリーした)14人中4人が体調を崩していましたので、1番回復が早かった2人(佐上・山際)を出走させたところです。山際はすぐに戻ってきてくれたので大丈夫だったんですけど、矢原に関してはかなり良い状態だったので、本当は攻めるポジションにいたんですけど、出走させてあげられなかったです。加庭に関しても(タイムを)稼ぐポジションではないにしろ、割と良い状態だったので彼も出走させる予定だったんですけど、発熱が出て完全にインフルエンザでした。

――ここからは予選会での戦術について。タイムを稼ぐ役割だった大島史也選手(社4=専大松戸)と野田晶斗選手(社3=京産大付)にレース前に指示は
スタートの時に気象条件が良かったんですが、体調不良が出て後ろの選手がどうなるか分からない状態だったので、攻めたレースをするのではなく、公園内に入ってからが勝負だと思っていました。なので「余力を持って10~15キロを通過してくれ」と指示を出していました。ゴールタイムも(1時間)2分30秒~悪くても2分50秒くらいと思っていました。野田に関してはタイムをクリア(1時間02分36秒)、大島は実力を考えると野田の辺りで+20秒くらいは出して欲しかった(1時間02分49秒)というところでした。予定通りではありました。

――その次に花岡慶次選手(経4=世羅)と平井蒼大選手(スポ3=川西緑台)を出させた
2人に関しては2分台を出してくれればと思っていました。平井に関しては経験値が多くない選手ですけど、十分に力があると判断していました。花岡に関しては年間通して練習ができていたので、2分台を出してくれると思っていました。

――不安があった後ろの集団も機能していた
かなり余裕を持たせた設定タイムだったので、「(1時間)4分20秒くらいで遅くても戻ってきてくれよ」と。後半上がることができたら(1時間)3分台で戻ってくることは可能だったので、「その辺りをターゲットにして集団を形成してくれよ」と指示を出していました。その中で必ず周囲に同じくらいのタイムをターゲットにしている選手がいるので、「他大学さんの選手を使いながら攻めていこう」と話をしていました。ここの集団もほぼパーフェクトでゴールにきてくれました。(遅れてしまった)佐上に関してはその集団とは別に、体調不良明け1週間でしたので、「5分フラットでいい」と思っていました。前の集団の誰かが落ちてくる可能性もあったので、そうなった時に状況判断をして「我慢をしてそのまま押し切ってくれよ」と。集団走が機能せず、最後もしも6分とかかかってしまうと、勝負できない状況になってしまいますので、集団とは別の単独走の形にしていました。

――レース最中の指示は
私は5kmと13.5kmで指示を出していました。「予定通りにいっているから、公園内でペースを上げるように」ということを意識して伝えていました。選手の表情とか見ていても余力があったので「順位も予定通りにきているから」と声をかけていました。

――結果として公園内で日本体育大学と神奈川大学に捲られる形となった
予選会を知らないチーム状況だったので、1秒1秒の重みを選手たちには年間を通して意識をさせていました。17.4キロでは(日体大とは)89秒差あったので、選手の様子から見ても油断ではなく、右肩下がりに落ちていく感じではなかったです。ただ神奈川大学さんや日本体育大学さんは予選会巧者で予選会の怖さや走り方を熟知していて、選手だけでなくマネージャーやスタッフ全員が意識していて最後上げていけるようにしていました。ただ我々も決して力がなかったとは思っていませんし、選手たちはレースプラン通りに走ってくれましたが、最後の絞りだしの部分で他大学さんと力負けしてしまったと思っています。

――戦術も成功した、選手たちも力を出し切った中での予選落ち。ここから見えたチームの課題は
10月18日のポイントだけ見れば力を出し切れたとは思っているんですけど、基準値を10時間30分前半まで持ってこないと勝負できないところだったので、色々な部分で上げていかないといけないと思います。生活面や練習面でバージョンアップしてきたつもりだったんですけど、他大学さんがそれ以上に上回って準備をしてきたことも含めてチーム力だと思っているので、その辺りを含め見直さないといけないと思っています。

――その中でもチーム上位で走った平井選手や太田煌選手(社1=和歌山北)などの新戦力の台頭もあった
平井、太田に関してはしっかりと走ってくれましたし、何より下級生ですね。佐上に関してもコンディションが悪い中、しっかりと走り切ってまとめてくれました。2年生に関しても山際を始めしっかりと芽が出てきてくれたと思います。田井中(悠成、経3=滋賀学園)や重山(弘徳、経3=西京)に関してももう少し上の設定で走らせることができる内容はできていました。ただチーム状況を考えてもう一つ踏ん切りがつかなかったんですけど、力は確実についてきています。本戦出場は叶わなかったんですけど、下の選手が芽を出し始めているのは事実なので、明るい材料だと思っています。

――ここからは新体制について。先日発表された役職に付いた選手は全員予選会を走ったメンバー。やはり悔しさを知っているからか
新体制に関しては副主将2人(重山、平井)にしました。特に平井に関しては一般生の寮外生で地道にやってきて結果が出始めた選手です。重山に関してはずっと学年リーダーをやっていて、野田をサポートしてくれると思います。(主将の)野田に関しては1年生の時から箱根を走っていて、新体制のエースになってくれると思います。(新3年生の学年リーダーの)平山(櫂吏、社2=八千代松陰)は大きいレースを経験しているんですけど、なかなか結果が繋がってこないので、本人の自覚を促すためにも一つ上のステージでやってほしいです。また平山に関わらず新3年生世代は苦労もあった中で、今シーズン芽が出始めた学年になってきているので、それを踏まえてチームをまとめてほしいです。(新2年生の学年リーダーの)佐上は夏を乗り切り予選会まだ持ってこれた選手なので、また新しいリーダーとして引っ張ってほしいと思います。幹部だけがやっても意味はないので、周辺の選手も巻き込んで来年の予選会に向けて頑張ってほしいなと思います。

――先日の2025国士舘大学 Combined Challengeでは青手木陽太選手(経2=自由が丘)が5000メートルで13分53秒77、池永航選手(スポ2=九州国際大付)が1万メートルで29分15秒47と予選会を走らなかったメンバーが結果を残した。
2人がしっかりと走ってくれたのは大きいと思います。青手木と池永は予選会のメンバーから外れても良い練習ができていました。もう少し早くにやってくれたら(笑)予選会のメンバーに絡んでこれたと思っているんですけど、予選会で負けて暗い雰囲気がある中で、大幅自己ベストを出したのは明るい材料だと思います。青手木に関しては関東インカレのA標準記録(14分00秒)を切ってくれました。池永も今シーズンのチームの3番手の記録になります。予選会外のメンバーが好走してくれたので、チームとしての基準点を引き上げてくれたと思います。

――久しぶりの駅伝がないシーズン。出られない悔しさもある一方で、来年に向けた一歩を踏み出した。ここから選手たちをどのように成長をさせていきたいか
今までやってきたこと全てではないが通用しないということで、負けた時こそチャンスだと思っています。チームとしても我々スタッフも変えていく時期だなと考えています。練習の流れや内容に関しても、1つ1つ整理しながら見直して、1万メートルのタイムを持っていなくても箱根では通用していたのが、今回を通してもう通用しないと感じたので、トラックのタイムを引き上げつつ来年のトラックシーズンに準備したいと思います。

――最後に応援してくださっている方へ一言
箱根駅伝に期待をしてくださっている方々が多い中、今回は単独チームでは出場することは叶いませんでした。もう一度基本に立ち返って、箱根駅伝というものを一つの目標として頑張っていきますので、引き続き応援のほどよろしくお願いいたします。

(インタビュー:松下天)

試合後の挨拶をする坪田監督

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