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【ラグビー】特集記事 『橙の戦士の素顔』 大澤蓮「今年に懸けていたので、めちゃくちゃ焦っていました」~大澤蓮・山下憲太インタビュー~

関東大学リーグ戦閉幕
2020年12月下旬

昨年から順位を2つ上げ、リーグ戦を4位で終えた法大ラグビー部。昨年は新型コロナウイルスの影響で春季大会が開催されず、練習もままならない期間が続いた。関東大学リーグ戦では無観客試合が開かれ、まさに異例のシーズンとなった昨季。そんなリーグ戦を駆け抜けた橙の戦士たち9名に今シーズンを振り返ってもらった。今回は、同じ長崎出身で副将としてチームを引っ張った大澤蓮、山下憲太の素顔に迫った。

チームの原動力となった強力なスクラムを作り上げた大澤と山下憲。

関東大学リーグ戦1部 順位表

大 学 通算成績 勝点
東 海 大 6勝1敗 24
流 通 経 大 6勝1敗 24
日   大 6勝1敗 24
法   大 4勝3敗 16
中   大 2勝4敗1分 10
大 東 大 1勝5敗1分 6
関東学院大 1勝6敗 4
専   大 1勝6敗 4

※白抜きは第57回全国大学選手権大会出場校。勝点が同点の場合、当事校の試合の勝者が上位になる。

橙の戦士の素顔

  リーグ戦で4位が確定し、3年連続で大学選手権出場を逃した昨年。選手権に出られなかったことを人知れず誰よりも悔やむ男がいた。NO8(ナンバーエイト)として、FWのまとめ役を務めた大澤蓮(現3)だ。「(昨季は)絶対選手権に行ける力はあった」と実力に確かな自信を見せ、「心残りがあるシーズンだった」と振り返る。「正直この年に懸けている思いがありました」。そう語るように大澤にとって、2020年は大事な1年だった。

 ラグビーを始めたのは長崎に住んでいた幼少期の頃だ。父がラグビーを始めた2人の兄にDSを買ってあげたのを見て、DS欲しさに自分も始めたと言う。きっかけこそ些細だったものの、大澤はラグビーでめきめきと頭角を現していった。長崎南山高時代には主将を任され、高校日本代表候補にも選ばれた。後にチームメイトとなる山下憲太(社4)とも国体の長崎代表として、一緒にスクラムを組んだ。

 法大に入学してからは、1年次にフランカー(FL)としてリーグ戦で初先発出場を果たすと、2年次には主にロック(LO)でチームに貢献。その年はリーグ戦全試合にフル出場し、レギュラーとして不動の地位を築き上げた。

1年次は山下憲と一緒にフランカーとして活躍した。

 満を持して迎えた3年の春。飛び込んで来たのは、春季大会中止の知らせだった。「春は3年生にとって結構大事なんですよ。ラグビーで就職したい人にとって、春の試合を見てもらうんですよ。大事な春の試合が無くなったことは僕にとって結構ショックでした」。さらに、いつできるか分からない試合まで「モチベーションがつかめなくて、本当になんのために」と動揺を隠しきれなかった。

 長く辛い日々を耐え抜き、やっとの思いで開幕したリーグ戦。昨季は、NO8に転向し、スクラムを一番後ろから支えた。「色々な企業からすごいなと思われて、企業から声がかかることを目標」に掲げ、スタートしたリーグ戦。そんな矢先、大澤に魔の手が襲った。膝のけがだった。勝負の1年と位置づけていただけに、試合欠場は考えられなかった。次からの試合は東海大戦、日大戦と多くのスカウトが観に来る有観客試合であり、リーグ戦で上位に入るためにも重要な試合が続く。焦る気持ちばかりが先行し、気づいたら傷付いた体でスクワットを行っていた。毎日の治療の甲斐も虚しく、トレーナーから試合出場の許可は下りなかった。大事な2試合にベンチ入りできず、「この試合に出られないならもう(いいや)という気持ち」までメンタルが崩れたと言う。チームも連敗し、結果として選手権出場は叶わなかった。

3年次からNO8として、アタックにも意識するようになった。

 悔いを残した昨季だったからこそ、来季への思いは人一倍強い。主力だった4年生の抜けた穴を憂慮し、自らが考える次期チームの編成に至るまで熱く語ってくれた。山下憲は「これからの将来が期待できる選手」と評し、根塚洸雅(経4)主将は「自分たちの代とも仲が良く、人付き合いが良い。面倒見が良く、慕われるキャプテン」になれる器があると話す。まだ次の主将は決まっていないが、目標は既に決まっている。「選手権に出ることが目標。次こそは絶対に」。

(取材/文・高安寛)

山下憲は今年で卒業だが、大澤には来年のFW陣をまとめることが期待される。

インタビュー

大澤蓮(現3)副将

ー今季を振り返って

僕は、正直この年に懸けている思いがありました。絶対選手権に行ける力は全然あったと思うんですけど、僕自身もけがをしてしまいました。それで2試合に出られなくて、ちょっと心残りがあるシーズンだったかなと思います。

ー自粛期間中の練習は

4月から5月、6月の半ばまでは僕は地元に帰っていて、個人でトレーニングをしていた感じです。そこから6月の半ばに集合して、結構練習にも制限がかかっていました。ちゃんとした練習も1ヶ月以上全然できなくて、8月くらいに入ってからやっとまともな練習ができるようになったって感じで、制限されてた部分もあったので、春シーズンが無くなった分の代わりとしての練習としては、いまいちでした。

ー地元ではどんな練習を

とりあえず帰ってから2週間はどこにも行かないようにしていました。2週間経ってから、ジムに通って、高校のリーグにもお邪魔させて頂いていました。ウエイトは自分のペースでできるので、大分体は大きくなって、良い時間は過ごせたと思います。

ー自粛期間中の気持ちのモチベーションは

春は3年生にとって結構大事なんですよ。ラグビーで就職したい人にとって、春の試合を見てもらうんですよ。大事な春の試合が無くなったことは僕にとって結構ショックでした。秋のシーズンも開幕が10月で、6月17日に集合して、結構時間があるじゃないですか。そのときはモチベーションがつかめなくて、本当になんのためにという感じでした。近くなれば試合のために練習頑張るんですけど、やっぱり先あと4ヶ月くらいあったので、本当にモチベーションを作ることができなかったです。新チームになってからもまともに練習ができていなかったので、まずチーム作りを大切にしました。シーズンのことは置いておいて、チーム作りからっていうことを考えていました。

ー自粛期間中の息抜きではどんなことを

たまにですけど、温泉に行ったりしていました。あと、学校の施設が使えなくなったったときに、他のグラウンドを使ったんですけど、そこの近くに川があったので、夏は練習終わりにみんなで川に入ったりしていました。オフの日は、大体寮でゆっくりしていますね。

ーリーグ戦に入る前の目標は

選手権出場は絶対したいなと思っていました。今年はラグビーで(将来社会に出て)行くためには、結構大事な時期でした。色んな企業からすごいなと思われて、企業に声がかかることを目標にやっていました。出られなかった2試合にたくさんの企業が来ていて、その試合に出られなかったことはすごく残念でした。

ー今季印象に残っている試合は

最終戦の専修大学戦ですかね。去年、一昨年負けたので、僕たちの代はすごく気持ちが入っていました。相手も法政にはいけるだろと思っている部分がちょっとあったと思うんです。後半の途中までは接戦なんですけど、最後の最後でやられるっていうパターンが2試合連続で続いてたので、絶対勝つぞという気持ちがありました。75点も取れて、自分たちの力が勝って、僕たちが支配できたことは嬉しかったです。ここまで差をつけて、1年間でやり返せたことは印象に残っています。

ーFW陣の強みは

去年もなんですけど、スクラムが強みですかね。やっぱり練習でも意識していて、僕たち法政FW陣の誰に聞いても、みんなスクラムが強みだと回答してくれるんじゃないですかね。これからもそれを強みにして行こうかなと思います。

ー尊敬する先輩は

4年生の山下憲太です。同じ長崎(出身)で、高校は違ったんですけど、国体とかで一緒にプレーしてすごいと感じました。同じポジションなんですけど、いつも肩持ってくれて、ラグビー以外のところでも仲良くさせてもらています。飯も連れて行ってもらって、優しいです。尊敬しています。

ー山下憲選手から大澤選手とはフラットな関係とうかがいました

僕は同期とも仲良いんですけど、4年生5人と僕1人とかでいることが多くありました。僕が1年生のときからずっと同じ感じで、憲太君と仲良い先輩と僕1人みたいな関係があって、ずっと一緒にいるので、後輩なので友達と言っちゃだめですけど(笑)。普通のみなさんが感じる先輩後輩の仲というよりかは、友達寄りな関係です。高校から知っているので、(山下憲のことを)憲太君と呼んでいます。

ー来年の法大の課題は

4年生は結構(試合に)出ていて、欠けることは痛いです。出ていたFWの半分の4人も4年生でした。スクラムを強みにできていたのも、去年から今の4年生が主体的になって、チームの要となっていたからでした。今年もチームを引っ張ってもらっていて、スクラムの要の4人が抜けることは結構痛いです。来年もスクラムを強みにするには、結構大変かなと思います。それを補う人たちは僕ら3年生以下で、補えるのかどうか分からないですけど、これから成長して行きたいです。BK(バックス)もキャプテン(根塚)がいて、大学のU-20に選ばれる人でした。BKにも試合の中でも結構頼っている部分がありました。3年生にBKのリーダーのような人がいないので、これから作り上げる必要があると思います。僕たちも偉そうにしているんじゃなくて、成長しなければという感じですね。

ーご自身が考える来年のキーマンは

(背番号)1番の稲田壮一郎です。去年、けがで出られなかったんですけど、今年は全試合に出てもらいました。あいつ自身はスクラムでは負けないって気持ちが強いです。結構強気で、トップリーグのチームともスクラムを組みたいと言うくらいです。ウエイトも本当にストイックで、自分自身でめちゃくちゃ追い込みます。4年生になったら、スクラムであいつに勝てるやつはそういないんじゃないんですか(笑)。それくらい強いです。スクラムをあいつの後ろで押すことがあるんですけど、勢いがやっぱり違います。僕たちと同じような他のプレーをしながら、スクラムでは前列が一番きついんですけど、その中でも押してくれます。それを後ろで見て感じると、すげーなと思います。スクラムの練習でも、後ろの人たちは相手とぶつかることがないので、思いっきり押すことだけに集中できるんですけど、フロントローは色んな競り合いがあるんですよ。首を取り合ったりとか、相手を落としたりとか、色んなことをやっているんです。スクラムでも、フロントローが一番汗かいていて、一番きついんです。そういう頑張っている姿を見たら刺激をもらえます。

ー今季副将としての役目は

3年生だったので、結構伸び伸びさせてもらいました。副将としてどう仕事をしたかって言うと、副将としての仕事はあまりできていなかったんですけど、副将だからこうっていうことは考えていませんでした。チームのトークで喋るときは喋りますし、(主将や副将が)誰もいないときは僕が引っ張るという感じでした。

ー来年の主将については

今はまだ決まっていないですね。監督がキャプテンするやろとか言って来るので、すんのかなーって感じです(笑)。今まで通りやっていこうかなと思います。高校のときもキャプテンをやっていたので、プレッシャーはそんなに感じないです。

ーラグビーを始めたきっかけは

めちゃくちゃくだらないです。僕は兄が2人いて、父がラグビーをやっていました。長崎にいて、一番上が小学校3、4年生で、2番目が小学校1、2年生くらいのときに、父がラグビースクールの体験に行かせたんですよ。2人とも頑張ってラグビーをするって話になったら、父がDSを買ってあげたんですよ。僕もDS欲しくていいなーって思って始めたことがきっかけです。

ー法政大学に入学した理由は

兄も法政だったんですよ。その影響もあります。他のところからもちょくちょく声はかかっていたんですけど、ラグビーだけ強くても……という部分がありました。兄も行ってたので、弟として行くと可愛がられますし、憲太君以外にも長崎の先輩もいたので、法政を選びました。

ー経験したフランカー(FL)とNO8(ナンバーエイト)の違いは

あまり変わらないですけど、大きな仕事としてフランカーはやっぱりタックルが求められます。スクラムから一番最初に出て行くポジションなので、タックルを見られます。NO8は、スクラムからボールを確保して、持ち出してぶち当たりに行くので、コンタクトの強さが求められます。スクラムから持ち出してぶち当たりに行くときは、絶対目の前にフランカーがいるんですよ。だから、フランカーはディフェンス。NO8はディフェンスもしますけど、アタックという感じです。大きく違うからフランカーは嫌だ、NO8は嫌だっていうことはないです。スクラムくらいしか変わることはないので、あまりこだわりはないですかね。

ー大学に入って成長したことは

ウエイトがめちゃくちゃ強くなりました。高校のときは馬鹿みたいに腕と足と背中をただひたすらやるだけだったんですよ。大学に入って、色んな種類のメニューのおかげで、体が大きくなりました。高校のときにきつかった重さが、今じゃ最初のウォーミングアップみたいな感じです。高校のウォーミングアップでやった重さが、今は使わないくらいです。ウエイトの部分では大分上がりました。

ー今までで挫折を感じたことは

強いて言うなら今季のけがです。今年に懸けてた部分が結構あったので、自分でもめちゃくちゃ焦っていました。膝をけがしたんですけど、とりあえず足を細くしたくないから数日しか経っていないのに、いきなりスクワットをやっちゃっていました。治療も毎日やってたんですけど、結局トレーナーから出さないって言われてしまいました。色んな企業が観に来ていて一番懸けている試合に出られなかったので、この試合に出られないならもうという気持ちがちょっとありました。しかも、選手権に行くことも逃したので、最後はもう4年生と勝ちを目指すだけかなという感じでした。けがでメンタルが崩れてしまったことです。

ー来年の目標は

いつも目標はチームで決めるんですけど、僕の中では選手権に出たいです。僕は1年生から出てないので、初出場みたいなものなんですよ。今年で言えば、4年生がまだ1年生のとき出てて経験した人もいるんですけど、僕らは誰も経験していないです。選手権に出たいです。選手権に出るとやっぱり全国から見られますし、注目度も違います。リーグ戦で今年4位だったんですけど、選手権に出ないと見られるのが関東だけなので、全国に出るということが一つ重要なんじゃないんですか(笑)。リーグ戦の1部にいることよりも。選手権に出ることを目標に、次こそは絶対に出たいです。

 好きな食べ物は豚骨ラーメン。市販されている『うまかっちゃん』がおすすめとのことで、是非一度ご賞味下さい。

山下憲太(社4)副将

ー今季を振り返って

最上級生として取り組んだんですけど、やっぱりコロナ禍で難しいところがありました。対外試合もできない中で、自分たちでどうやるか考えることに苦労したシーズンだったのかなと思います。

ーコロナ禍での練習は

最初は段階を踏んで練習するということを協会から通達が来ていました。最初はボールを使わない走る練習だったりで、徐々にタックルの代わりにタッチをする練習をできるようになりました。それから、段階的に体を当てられるようになったので、基礎的な部分はしっかり練習することができたのかなと思います。

ー試合ができない中での気持ちのモチベーションは

春の試合が無くなったときは、各自寮に残る人だったり、実家に戻る人がいて、全体で集まって練習ができませんでした。自分のランニングを計測してくれるアプリがあるので、チームの中で5、6人ぐらいのチームに分けて、お互いの記録が見られるので、1週間の記録を競い合うような形でそこをモチベーションにして走っていました。秋があるかも分からなかったんですけど、僕らはもう最後だったので、とりあえずやれることは準備しておこうという気持ちでやっていました。

ーリーグ戦開催が決まったときは嬉しかったですか

嬉しかったですね。練習不足な部分もあったんですけど、それは他の大学も同じなので、その中で頑張ろうってなりました。

ーリーグ戦に入る前の目標は

自分の目標としては、今まで結構けがが多くて、脳しんとうとかで全試合フル出場できたことがなかったんですね。それがあって、脳しんとうをしない、けがをせずに4年生として長い時間グラウンドに立てたらいいなと。それが目標でした。

ーチームトップのトライを奪いました

僕のトライは結構たまたま取れたという感じです。モールで押し込んだり、BK(バックス)とコミュニケーションを取ってするサインプレーだったので、BKの選手が上手く僕を使ってくれてトライを取れたっていう感じです。あまりトライを取ろうと意識したことはないです。

ー今季印象に残っている試合は

やっぱり日大戦ですかね。日大戦が本当に僕らのターニングポイントだったので。そこに勝てたら選手権の可能性が広がるし、負けたらもうほぼ自分たちの力ではもう期待ができないっていう試合でした。秩父宮で観客がいるという試合でもあって。その前にサッカー部にコロナが出て1週間ちょっと練習ができなくて、それでもやっぱり試合に出たい気持ちが強かったです。僕自身は全然だめで試合の内容というよりかは、試合も結果的には負けてしまったんですけど、取り組む意識は一番高かったと思います。

ー自身の内容が良かった試合は

やっぱりMOM(マン・オブ・ザ・マッチ)を取った最後の専修なのかなと思います。80分出れたっていうこともありますし、トライも結果的に取ることができたので、楽しめた試合だと思います。

ー支えられたチームメイトは

同期の吉永純也です。僕が長崎で、純也が東福岡だったので、近いっていうのもあったし、同じポジションで。純也は高校のときに日本代表にも選ばれていて、自分が目指す選手だなと思っていました。大学で一緒にプレーできることになって、1年生のときから両フランカー(FL)で組めていて、ずっと刺激をもらえる選手でした。試合中でも、練習中でも本当にストイックで意識が高いので、純也みたいになりたいとずっと思ってプレーしていました。

ー今季の反省点は

反省点は運動量がちょっと低かったことです。80分出たいと思って、無意識にセーブしてた部分があるのかなと思います。やっぱり出し切る気持ちで行けなかったことが反省点です。後は、体作りが難しかったんで、やっぱり走り込みだったり、ウエイトトレーニングも全員に押されてたので、体作りも反省点だと思いますね。

ー今季のFW陣のセットプレーはどうでしたか

スクラムにすごく力を入れて、練習からやっていました。僕らの中では『リーグ戦で一番強いスクラムを組むチーム』という自負があって、シーズンを通して押されたり、上手くいかない部分も結構あったんですけど、それでも僕らが練習してきたことは力になっていたと思います。スクラムは、毎回組むことが楽しみでした。ここで絶対押すぞって気持ちを8人全員が持っていたと思います。あと、ラインアウトが結構取れなかったりとかあったので、そこはコミュニケーションだったりで修整できるミスだったと思います。そこは、来年後輩たちに良い勉強になったと思って頑張ってほしいです。

ー来年の法大の課題は

課題はやっぱり、ずっとそうだったと思うんですけど、入りと終わりが良くないことです。僕が1、2、3年のときも逆転負けが結構あって、最後気持ちが緩んでしまっていることです。トップ3のチーム(との試合の)最初の入りで(気持ちが)抜けちゃっていて、受け身になっています。最初からガツガツ行けるように後輩には意識してほしいです。

ー期待する後輩は

全員です。全員なんですけど、1人強いて言うならエイト(NO.8)をやっていた大澤蓮です。僕が中学・高校同じ長崎で、国体のときも一緒にフランカーを組んでずっと知っている選手であるので、また法政でプレーできて嬉しかったです。やっぱりこれからの将来が期待できる選手です。フラットな関係で、そんなに先輩後輩って感じではないですね。

ー4年間で学んだことは

ラグビー面で言ったら、ミスをしないことが大事だと学びました。規律を守ることです。高校のときはミスしてもしょうがない、どっちもいいやと博打みたいな感じでした。大学に入って部員が多くなって、部員全員の思いを背負って試合に出てると思うと一つ一つのプレーを軽くできなかったので、規律を守ることの大事さを学びました。

ー山下憲選手にとってフランカーとは

激しいタックルの仕事人です。どのチームのフランカーを見てもタックルがすごく強いです。ジャッカルだったり、グラウンドの中での登場回数、プレーに関わる回数がすごく多く、タックルもされるので仕事人な面があります。僕はフランカー大好きですね。フランカーしかできないので。

ー今まで応援してくれた方へのメッセージを

4年間法政ラグビーを応援して下さって感謝を伝えたいです。また、僕たちが卒業してこれからも法政ラグビーは続くと思うので、後輩たちにも熱い声援をよろしくお願いします。

 後輩に広く慕われ、大澤には「憲太君」と呼ばれるほど親しみやすさがある。

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