【テニス】男子硬式テニス部4年生引退インタビュー

4年生引退特別インタビュー
法政大学多摩キャンパステニスコート

昨年、大学テニスを引退した法大硬式テニス部4年生7名。今回は引退特別インタビューと題し、4年間を振り返っていただきました。今回は男子編です。

矢島淳揮主将(スポ4)

ー今の率直な気持ちは
すごい学びのある4年間だったなと感じてますね。

ーではその4年間を最初から振り返っていきましょう。まず、法政大学を選んだ理由を教えてください
自分は早慶に行けるレベルではなかったので、法政、明治、中央のどこかに行けたら良いなと考えていたんですよ。その中で、明治は寮で1人の時間が無くて辛いと思いました。そこで法政か中央で迷ったのですが、法政は練習に対して、自主的に前向きに取り組んでたところが良いなと感じましたね。あとはその時、法政が1部リーグの中で早慶に次ぐ、3位だったことですね。

ー入部した時の印象は
不用意なルールが多いなと思いました。1年生はやらなきゃいけない仕事があったこととか、練習の何時間前に行かなきゃいけないルールがあったんですよ。テニスを頑張りたくて入った中で、テニスに労力を使えないほどの仕事もあったことがもどかしかったです。自分が上になったら、こういうルールは無くそうと思っていましたし、上になった時はその活動に取り組みました。

ーテニスの面はいかがでしたか
本当に先輩たちが強かったです。「こうなりたいな」って思いました。格好良かったし、すごい結果を残していたので、入った当初はすごい先輩に対して憧れの気持ちが強かったです。

ーちなみに1番憧れていた先輩は
4年目で優勝するのも難しい中、2年目で夏関に優勝したんですよ。あとインカレも結局ダブルスで優勝してますし。すごい圧倒的な実績があるにも関わらず、奢ってなくて本当に謙虚なんです。何事にも前向きで全力なところにすごい惹かれてまして、今も憧れの存在です。岡垣さんみたいになりたいなと思ってます。

ー同期の印象は
なんだろうな。すごい優しい人が多いという印象でした。僕は弱音を吐いてしまうタイプなんですよ。表では出さないようにしてますが、裏で相談した時にこちらの気持ちを考えて、寄り添ってくれるところが全員に共通してますね。本当に目標に向かって一緒に突っ走しってくれる人たちが多かったので、本当に同期で良かったなと思っています。本当に支えてくれてありがとうという感じです。

ー高校生と大学生のテニスの違いは
高校生の時はひたすら攻めていました。今とは攻め方も違いまして、相手の弱点を突くことはあまりしなかったんですよ。自分の実力を100%出しきることだけに集中していました。今はもちろんそれ以上に、相手を見てプレースタイルを変えるようになりました。高校と大学のテニスで1番変化したところだと思います。

ー1年生の時はいかがでしたか
とても苦しい時期でしたね。高校は全国大会に出られるくらいだったので、ある程度の自信を持って大学に入学しました。ですが1番最初の春関では本戦に行けたものの、1回戦目ですごいボコボコに負けてしまったんですよ。今まで培ってきたテニスが通用しないことに挫折を感じました。その後の夏関や新進でも本戦で勝てない状況が続きましたね。テニス自体をどうすればいいか悩んでいました。

ー2年生の時はいかがでしたか
答えが分からないまま、2年目になりましてね。春関ではラッキールーザーの枠に入れて、なんとか本戦に出られたものの、2回戦目の相手が法政の先輩でして、0-6、0-6で負けてしまいました。その時、どうすればいいかわからないぐらい自分のテニスが壊れてしまったんですよ。なので次の日に2個上の柚木武さん(2021年卒)に自信の無いフォアハンドの全てを教えてもらいました。そのおかげで、後日開催されたインカレ本選敗者復活戦で無事出場を決められ、インカレ本戦はベスト16に入れました。本当にどん底まで行って、そこから勝つ方法を学び、這い上がれたことが4年間の中で1番印象的でしたね。

ーインカレでベスト16位になった 1番の要因は
1番の要因は圧倒的な自信ですね。自分はこれだけ長い時間、質の良い練習を誰よりもしてきたと思えるくらい練習をしました。なので試合でも雑念や不安がなく、試合に入れました。自分のことに囚われないのは、 相手の弱点や苦手な所に思考を当てれるじゃないですか。なので今まで以上に冷静に戦えましたね。あとは苦手の克服です。先程も言ったように、苦手なフォアハンドを先輩方に練習してもらい、結果的にフォアハンドの方が武器と思えるくらいになりました。圧倒的な練習量と苦手がなくなった自信が力になりましたね。最後にプレースタイルの確立です。今までより仕掛けを1つ早くしました。この3つですね。

ー相手を見てプレースタイルができるようになったきっかけや時期は
意識的にできるようになったのは、3年目の春関からですね。2年生のインカレでベスト16に入れ、自分的にはある程度満足する結果でした。ですが、4ヶ月後のインドアでは実力を出し切ったにも関わらず、負けてしまったんですよね。そのため、自分より強い相手に勝つには力を100%出させない、相手の力を落とさせる必要があると思いました。そこから、相手が気持ちよくプレーできない戦い方を考えるようになりましたね。

ー3年生のインカレはいかがでしたか                                                               1つ上の8シードに挑戦したいと思っていたのですがベスト16を決める試合で、あと2ポイントあったら勝てたという状況で負けてしまったんですよ。試合では勝たなきゃというプレッシャーが強くなってしまいました。相手の弱点を突くことはできましたが、自分のプレーを100パーセント出せなかったのが悔しかったです。ダブルスは田中さんにおんぶに抱っこでした。全部、田中諒弥さん(2022卒)に戦略と指示をもらっていました。一応ベスト16という結果は出せましたが、連れて行ってもらったという実感が強かったです。本当に田中さんと組んでから勝てるようになったので、感謝しています。

ー初めてのリーグ戦は3年生の時です。1戦目の中大戦は圧勝でしたね                                             そうですね。やればやるほど相手の苦手や弱点を突けるようになっていました。戦術や戦略を明確化できていたので、自信をもってプレーできましたし、快勝することができました。考えるテニスができている実感が嬉しかったのと、初めて直接的にチームの勝利に貢献できたのが本当に嬉しかったです。印象深い試合でした。

ー2戦目、3戦目の慶大戦や明大戦は苦しい結果となりましたね                                                   簡単に負けてしまいましね。その要因も中大戦で少しだけ、本当に少しだけ自分の調子が良いと勘違いしてしまったんです。考えるテニスができていたから勝てていたのに、調子がいいから勝てたという勘違いをしてしまいました。考えるテニスが若干疎かになって、相手を見れずに負けてしまいましたね。悔しいより申し訳ない気持ちの方が大きかったです。

ーそして主将に任命されました。率直な気持ちは                                                          自分の今までが認められた感じがして、率直に嬉しかったです。でもそれも束の間で、チームの改革や王座優勝について考える方にすぐベクトルが向いたので、そこからは責任感が強かったです。

ー主将として辛かったのは                                                                     時期で言うと2月、3月ぐらいです。と言うのも、主将に任命してもらってから皆んなで目指す初めての試合が新進でした。ですがコロナの影響で中止になったんですね。あと運が悪いことにその時、コートが工事になってしまい、電車で1時間弱かかるところへ練習に行かなきゃ行けなくなりました。どこに目標を合わせるかわからない時期と移動時間が大変な時期、そして4年生が就活に入ってしまった時期が重なってしまいました。そこで選手のやる気が少し落ちてしまい、私が練習に行けなかった日の夜に監督さんから「全然練習に身が入ってない。 体育会じゃなくて、サークルと一緒」という電話がかかってきてしまったんですよ。私がいる時はある程練習に対して前向きに取り組んでいましたが、私がいない時にそうなっていたことを知り、虚しくなってしまいました。その時期が1番辛かったですね。意識を変えさせてあげたかったのですが、上手くいかず、4年生の春関の良くない結果はそこが響いてしまいました。

ー成長したと感じた部分は                                                                 最初は組織をうまく運営していくにあたって、トップの人間はどう動くべきかを常に考えていたんですよ。先輩方から任命されたので責任がすごい重くて、最初は全部自分で抱え込んでパンクしてしまいました。ですが途中で、もちろん自分が1番頑張るし、チームを思って動くんですけど、それ以上に周りに頼ることが大事だと学びました。

ーインカレでは主力メンバーが直前にコロナにかかったと聞きました。そこからリーグ戦までに立て直せた要因は                         まずインカレでは、法政の売りであるダブルスの本戦に出られたペアが1組もいませんでした。本当に前代未聞らしく、本当に不安でした。なのでその気持ちをみんなに共有しました。後輩にどうしたら響くか考え、「今のままじゃ絶対にリーグ戦で勝てない。降格してしまうと、来年は王座や日本1を目指せない」と伝えました。危機感をみんなに与えたことが功を奏したのかわからないですが、練習も試合もがむしゃらに、全部頑張ってくれるようになりました。

ーリーグ戦を終えてみて                                                                 率直なことを言いますと、王座優勝を目指していましたが、近年の成績を保って、入れ替え線にかからなかったことにホッとしてしまいました。そこが1番正直悔しかったです。本当だったら、みんなで泣くぐらい悔しがりたかったんですよ。私含め全員がホッとした様子だったので、最後までチーム全体の意識を本気で「王座優勝や王座出場」というところに持ってけなかったこと。これが1番後悔してますし、そこの意識を変えられれば早慶に食らいつけたんじゃないかと思っています。自分がチームをそう言う状態に持っていけなかったことが非常に悔しくて、心残りですね。

ー辛く大変な時もあったと思いますが、続けられた要因は                                                   辞めたいと思ったことはありませんでした。苦しい時、部活を休みたい時、辛い瞬間はありました。ですがそういうマイナス面より、今からもっと練習して試合で結果を出した時の喜びの方が絶対大きいと思ったんですよ。なので苦しみにもめげずに頑張ろうと思っていました。

ーその心持ちが保てていたのはすごいですね                                                           でも、保てた理由があったんです。大学中は寮にいまして、月1で母が料理や必要なものを持ってきてくれました。家族の支えがあって成り立ってると感じていたので、恩返ししたいとずっと感じていましたね。そのためには結果を出すしかないと思っていたので、家族に恩返しするため、自分の喜びのため、勝つために練習していました。使命だと思ってやってましたね。

ー1番印象に残っている試合は                                                           4年のリーグ戦、対明大です。対戦相手は中高から試合の度によく話すくらい仲が良く、自分と同じ主将でテニスのレベルもある程度同じ選手でした。それに自分が試合に入った時は自分を含めた残りの3人が全員勝てば、明治に勝てる状態だったんです。絶対勝たなきゃいけない中で、自分の4年間の集大成とも言えるような プレーをして勝つことができたんですよ。人生で1番嬉しかった試合だったので、今でもすごい覚えてますね。

ー引退後はどのように過ごしていますか                                                               テニスのプライベートレッスンとテニスクラブのコーチのアルバイトをやっています。あとは旅行やボーリング、サウナに入ったり、いっぱい飲んだりって感じですね。大学生活の中で1番自由な時間です。でももう社会人になるので資格の勉強もしてて、ちょうど来週試験があるんですよ。今のうちに自由時間を目一杯楽しんでおきつつ、新社会人に向けての準備も並行して進めていけたらと思ってます

ー今後テニスは続けますか                                                                    続けますね。一応実業団としてやっていきます。月〜金は仕事して、土曜日の午後と日曜の午前が練習なので、1日休みが無くて大変ですね。ですが実業団でテニスをするのもあと5年なので、仕事を頑張った残りの体力でテニスにも頑張って取り組もうと思ってますね。

ー特に期待する後輩について教えてください                                                             本当は全員名前出してたいくらい、頑張っています。ですが中でも、3年生は全員期待しています。去年のリーグで3位という成績を出せたのは、間違いなくその4人がいたからだと思います。最上級生になって最後に追い込まれた時、去年以上の実力を出してくれると思いますね。2年生、1年生に関しては、まずスポーツ推薦勢には全員期待しています。学校側もテニスを通じて、法政大学の価値をあげることに期待していると思うので、その意図に応える使命があると思っています。他の2年生で言うと平井と松崎、1年生は矢崎です。この3人にはすごい期待してます。練習の態度もですが、練習試合の内容を見てるとスポーツ推薦に遜色ない、なんなら追い抜いていくんじゃないかというプレーをします。その3人が来年リーグに出てても、驚かないぐらいの実力を持ってると思います。向上心を持って前向きに取り組んでほしいですね。

ー監督・コーチ、スタッフの皆さんはどういう存在でしたか                                                     私が主将になって意識改革をする前までは、間違いなく選手よりスタッフの方の「王座に行きたい」という気持ちが強かったと思います。そのくらい法政が勝つために動いて考えてくださりました。自分がブレずに「王座優勝」を見続けられたのも、そのスタッフ方の支えがあったからこそです。本当に感謝しています。

ー新チームについてはいかがですか                                                               今のところ心配はしていません。すごい悔しい話にはなりますが、去年のリーグも4年生は自分と守屋しか出ていない状況なので、法政の戦力と周りの大学のレベルも考えて、まず降格はないと思います。なおかつ王座に行けるチャンスが間違いなく、去年より高いと思います。テニスのレベルに関しては心配してませんが、少し心配なのは考え方の面ですね。今は大田・加藤木ペアがインドア優勝して、波に乗ってますよね。ですが、その波が終わってしまう可能性があるじゃないですか。その時に立て直せるのは、 テニスの実力ではなく、考え方だと思います。それは乗り越えるのにすごい苦労すると思いますが、その壁に当たった時の持っていき方によって、チームの意識や実力が上がると思うんですよ。その考え方の部分が少し心配ですが、今の代なら大丈夫だと思っています。あとは個人的な王座優勝はできませんでしたが、OBとして貢献したいと思っています。何かあれば頼ってほしいですね。

ー最後に同期に向けてのメッセージをお願いします
まず「支えてくれてありがとう」っていうことは伝えたいです。みんな私が苦しい時にうまく支えてくれて、本当に感謝してます。これからは会う時間が少なくなってしまうけど、社会人になっても定期的に集まりましょう!

(取材:溝口真央)

村田雄飛(社4)副将

ー4年間を終えて率直な気持ち
テニスに対して自分がそこまで自信があるわけではなかったので、入って自分はどれだけできるのか少し不安でした。しかし、先輩や後輩、同期などチームメイトの皆さんの雰囲気がとてもよく、気持ちよくテニスをする環境を作ってくれました。試合などでくじけそうになり、やめたいと思うことは何度もありましたが、周りの部員の方たちに本当に助けられた4年間だったと思います。テニスだけでなく、人間的にも大きな成長があったと思います。

ー法政大学に入った経緯は
自分自身関東に行ってみたいと思っていましたし、自分が知らない環境でどれだけできるか挑戦してみたいという思いがありました。また、見たことがないことや、やったことがないことを体験してみたいという気持ちがあったので関東に行くことを決意しました。法大に入ろうと思ったのは、レベルの高いところで挑戦したいという思いと、早稲田と慶應という上位の2校を倒したいという明確な目標があったからです。

―入部したときの印象
自分が1年生の時の3年生と4年生が非常に強かったですし、オーラがすごかったですね。正直怖いという印象を持っていました。自分が上級生になったときに、こういった存在に自分たちが果たしてなれているのかという不安もあったので複雑な気持ちであったことをよく覚えています。

―同期のみなさんの印象は
一言でいえば本当に同期に恵まれたと思います。高校の時は正直チームが団結しているという感じではなくて、仲もそこまでよいというわけではありませんでした。ただ大学の同期とは、仲も良く、高みを全員で目指すという雰囲気でやっていたので、足並みはそろっていたと思います。

―上級者の方とダブルスを組むことが多かったと思いますが、その際に大切にしていたこと
いろんな方と組ませていただいたのですが、先輩方の試合での頼もしさが違ったかなと思いますね。絶対に勝つという強い気持ちがあって、勝ちに対する情熱を組んでいて感じていました。勝ちに貪欲にいくことの大切さを学びました。

ー4年間で得たもの                                                                       テニス面に関しては継続していく上で、もういいやと思ってしまう時期があったのですが、信念を持ち続けることが大切だと感じました。これから社会人になっていく部分でも必要不可欠なことかなと思います。人とのコミュニケーションもテニス部で学びました。前は人に対してそこまで興味がなかったのですが、誰かのために対して自分が犠牲になってもいいから親身になって取り組んであげるという気持ちがこのテニス部に在籍して芽生えましたし、たくさんの方と密接に関わる機会が増えて、人の良い部分を吸収して少し自分にも取り入れてみようと考えたこともありました。コミュニケーションや人間性についてよく学べた期間だったかなと思います。

ー1番印象に残った試合                                                                    3年生の春関のシングルスの二次杯ですね。ダブルスは先輩の方と組ませてもらって、自分の中ではダブルスに出ることは割と普通のことという認識があったのですが、シングルスに関してはなかなか勝つことができなくて、1年や2年のときも関東大会の本戦にも上がれませんでした。春関の本戦出場を懸けた二次杯の前は、練習はとにかく自分にプレッシャーをかけてきつい練習に取り組みました。その結果、シングルスで初めて勝つことができて、関東大会の本線に出場することができました。全国大会とかに比べれば、スケールは落ちるかもしれませんが、自分の中ではその試合で勝てたことが鮮明に印象に残っています。

ーコロナ禍での苦労は何かあったか
2年生のときに部員全員が実家に帰省しなければいけなくなって、個人で練習することになりました。3ヶ月ほどしてまたメンバーと会って、打ちあったときにこんなに球が返せなくなってるんだと実力の衰えを実感しました。これではやばいと感じました。立て直すのにかなり必死でした。

ー後輩の印象
僕らが4年生のときに一緒に戦った3年生は、本当にチームを引っ張っていってくれましたし、大事な戦力でした。3年生の試合でのパフォーマンスは、4年生から見ても素晴らしいなと感じる部分がありました。彼らであれば、王座という目標を叶えてくれるのかなと思います。責任感も出てきていますし、彼らに任せておけば大丈夫だと感じています。逆に2年生は引っ張っていくリーダー的な存在がまだ見つかってない部分があるので、そこは不安材料かなと思います。しかしポテンシャルの部分では申し分なく、レベルアップしていけばそのうちに責任感なども背負っていってチームがまとまってくれると思います。

ー同期のみなさんへ一言
当たり前になってしまうかもしれませんが、ありがとうという気持ちです。7人にしか出せない空気感があったと思いますし、気を使う部分もありながらも、素直に話せることもたくさんありました。感謝しかないです。

(取材:脇野剛)

守屋達貴(人環4)副将    


ー部活を終えて今の気持ちは
やっと終わったー!という気持ちと、同期はもちろん、3学年いる愉快な後輩たちに会えなくなるのが寂しいなという気持ちが半分ずつくらいですね。

ーインカレインドアにも出場されましたが、リーグ戦後は練習は
全然やってないですね(笑)。3週間前くらいから週3でやり始めました。元々そんなに練習しなくていいやっていうタイプなので、体力を戻すことをメインに安田さん(トレーナー)が来る日に練習をやってましたね。後輩と組むので、自分がつって負けるようなことがあると組んでもらう意味がないので、つらないようにしようと走っていましたね。

ー現在はどのように過ごしていますか
やっぱり遊ぶのにはお金が必要なのでバイトバイトバイトたまに遊びって感じで過ごしてますね(笑)。
テニスは練習はしてないけど、小さい団体戦が週末に開催されているので、矢島くんに誘われてそれに出ていたり、他大の子とチーム組んで試合に出るのが楽しいですね。

ー法政二高に入学した経緯は                                                                    僕が元々いたクラブの強い先輩が代々法政二高、法政大学に入学してたからです。僕の3つ上の石澤祐輝さん、その3つ上にも五十嵐さんという方がいました。その人たちのプレーをずっと見ていましたし、二高の団体戦を見に行ってすごいかっこいいなと思って。神奈川は慶應や湘南工科が強いけど、そこには一切入る気がなかったです。先輩が自分も法政に行くんだろうなと思っていたら、そのまま入っていました。徳くん(航太、明大)、米田、守屋達貴の3人が神奈川で中学トップ5に入っていて、「どこ行くの?東海見てるんだー」みたいに話してたらたまたま二高に3人入ってたんですよね(笑)。

ー大学進学は迷わずに法政大に決めましたか
法政が1部だったこともあり、特に他の大学に行く考えはなかったかな、というと嘘になりますね(笑)。全国選抜準優勝して、監督から他大のAO受けることもできるよと言われてはいました。テニスそんなにやらなくても良いかなと思って2部校やマーチの他大学に練習に行ったんですけど、1部よりはしっかりしていなくて。ここの部活入っても腐りそうだなと思って、1日練習だった所を半日で帰りましたね(笑)

ー市ヶ谷キャンパスを選んだのは
多摩にコートがあるので、ガッツリやらずに済むからですね(笑)。元々部活をやるかも決めてなかったし、週3で体育会って言えるならいいじゃんと思い第1希望を人環にして出しました。

ー部活に入ると決めた理由は
指定校や一般入学じゃない人は春の合宿に参加する必要があったんですけど、合宿の5日前くらいに決めたんですよね(笑)。高校時代一緒に頑張ってた岩崎(敬一=令3年度卒)さん、加藤(季樹=令3年度卒)さん、佐野(有佑=令3年度卒)さんがいたこと、同期で部活を続けるのは米田だけだと思ってたんですが、森田湧介が俺も入ると言ったことが理由の一つです。法政は全国から強い人が入ってくるので、付属は埋もれちゃうことが多かったけど、埋もれちゃっても一緒に頑張ってきた人たちがいて楽しくやれるかなと思いましたね。もう1つの理由は、週3しかやってないけど就活で体育会ですと言えるので、やる方が得だと思ったことですね。絶対に勝ってやろうと言うよりは、きついのを耐え凌いでやろうという気持ちで入ったのが本音でした(笑)。

ー同期の印象は
自分の中でこれと決めたらそれしか見えなくなる、頑固者が多いですね(笑)。自分をしっかり持ってる、堅物が多かったです。堅物だけど、みんな部のことを考えてる協力的で、基本いいやつでした(笑)。

ー1年生を振り返って
元々ダブルスが好きだったし強かったので、ダブルスをぼちぼちできれば良いかなと思ってました。春関、夏関、新進すべて森田湧介と組んでました。春関は2次SF、夏関も2次SFで、チャンスがあるはずの新進は1次SFで負けちゃって。ちょっと頑張ろうかなと思っていたダブルスで2次にも行けなくてもういいやって思っちゃってました。

ー意識が変わったきっかけは
ありましたね。2年生でコロナ禍になって、春関が延期になり、リーグも無くなっちゃったので早々に代交代をしたんですよね。岡垣(光祐=令2年度卒)さんがめっちゃいい人だったから好きだったし尊敬してたんですけど、引退式で「高校選抜決勝まで無敗のD1でテニス上手いのにやる気なくてフラフラしてるのもったいない。お前がテニス勝ってる姿を見たい」と言われて、それがグサッと心に刺さって。横尾(淳司=令2年度卒)さんにも、「お前見た目チャラチャラしてテニス強くないのは1番ダサいぞ、チャラチャラしててもテニスうまいのがかっこいいんだぞ」と言われて。あんなにテニス上手な人たち、尊敬してる人たちがテニス真面目にやってないやつのことを見ててくれたんだ、と思いそこから真面目にやろうと思いましたね。それが7月か8月で、次の春関で加藤木と組んで初めて本戦に上がってベスト8まで勝って、いきなり結果が出て人生変わりましたね

ー加藤木選手(塁、経3)とペアを組んだ経緯は
ダブルスの決め方として、自分の組みたい人を第1希望、第2希望、第3希望で主将に送るんですけど、お互いそこに入ってなかったんです。守屋・加藤木で組む予定全くなかったんですけど、余ったから組んでみろで始まりました。お互い全く考えてないペアと組まされたって感じです(笑)。俺が前後というより2人前に出て戦いたいタイプで、加藤木も入部した時はまだまだ荒かったけど前で戦えるので自分的に好きなダブルスでできてました。

ー2年生ではインカレにも出場しました                                                                まさかインカレに自分がでるなんて思いもしませんでした。コロナの関係でインカレ予選もなく、ベスト16から本戦、ベスト32の中から2ペア本戦という形でした。しかも、岡垣・柚木(武=令2年度卒)が中川(舜祐=令3年度卒)・大田(空、スポ3)ペアに負けてベスト32だったのでほぼ1本確定で。絶対に負けられない中、相手が部内で1度も勝ったことない矢島・村田で。インカレ懸けで同期とやるのでやりずらかったんですけど、加藤木が同期じゃないから1人だけ伸び伸びやって引っ張ってもらい勝ちました。インカレは、真面目にテニスしてなかったので、まさか自分が出れるとは思わなかったですし、推薦で入った同期に勝ったところも含め素直に嬉しかったです。ちゃんとやってほしいと言われ、勝つにはどうするかめちゃめちゃ考えて、結果が出たから少しの努力が報われて嬉しかったです。

ー3年生になり春関で準優勝されました。練習は                                                         週3から週4にしようかなと思い、トレーニングの日もちゃんと行くようになりました。

―2年生の後期は週3回でしたか
2年生の後期はコロナであまり部活ができてなかったです。年明けて、インドアに出られる可能性がある人だけできました。部活はできなかったですが、勝ちたいって思いが強くなっていたので、家でめっちゃ筋トレしていました。そうしたら、体が大きくなって高校の時来ていた試合着が肩幅ぴちぴちで着られなくなるくらいで、パワーもつきました。

―3年生全体を振り返って
1番結果がついてきた年だと思います。(加藤木)塁と組んで春関準優勝して、インカレは中川・大田に当たって負けちゃったけど、全国で第6シードがついていて。夏関も(大田)空と組んでベスト4に入れて、インドアでも矢島・佐野ペアと当たって初めて全国ベスト8に入れて。やってきたことが結果に出たときは本当にうれしかったです。

―4年生を振り返って
春関も第1シードで、これまでの戦績がプレッシャーになっていましたし、就活と部活を両立しなきゃいけないし、とにかく大変でしたね。ペアが後輩だから、自分が就活でテニスをしてなくて足引っ張っちゃったら申し訳ない気持ちもあり、葛藤もありました。インカレ予選からになってやばいなと焦りが出てましたね。就活の休憩中にハイキュー!!を見て
「俺も部活頑張らなきゃだ!」と思い部活に行ったその日に靭帯を切っちゃいました。それで1か月テニスできなくて最悪でしたね。けがして初めての試合がインカレ予選だったけど試合勘もなくて。ファーストは取ったけどどんどん動けなくなって、予選敗退になりました。大田くんのポイントを落としちゃって最悪でしたし、運がついてなかったですね。

―リーグ戦も出場されました
勝てなかったですね。高校の時は団体戦強いと思っていたんですけど、大学になってそんなことなかったなって思いました。3年生の時のリーグもファイナルで2回負けて、今年も競って負けて。亜細亜戦は勝ったけど、大事な明治・慶應戦は負けちゃって。けがで試合をするうちに動かなくなったこと、慶應戦で負けたこともあり、大田くんに「守屋・加藤木は出ない方がいいんじゃないですか」と言われ早稲田戦は加藤木・大西が出て。最後の中大戦どうするかとなった時に、最後の試合は出たいけど自分が抜けた後を考えたら、(大西)洋平が出るから出してあげたいなという迷いがありました。周りに決めてもらいたかったけど、同期に「お前が決めろよ」と言われ、迷った挙句出ることにしました。

―最終戦は思い入れが強かった
最後だから勝ちたい気持ちもありますし、洋平を差し置いて出るので負けられない気持ちで、必死こいてやりましたね。最後だって思ったら吹っ切れたのか1番調子が良かったですね。僕たちのペアがいちばん早く終わったんですけど、ラケットバッグを持ってコートを出て、地面にバッグを置く瞬間に(加藤木)塁との思い出がぶわっと蘇ってきて。もう本当に終わりなのかって思って泣いちゃいましたね。塁はそれ見て笑ってたんですけど(笑)。終わり良ければすべてよしって感じですね。

―副将も務めました
元々、主将・矢島、副将・村田で決まっていたんです。インドアで結果出したら監督・部長の中で「結果残した人の発言が役職無しだと重くない。守屋を副将にした方が良いのではないか」という会議が開かれました。自分的にはどっちでもよくて、(矢島)淳揮は役職で俺を縛ることでもっとちゃんとテニスをやってくれるんじゃないかと考えていたんですけど、まあ性格は変わらないですし(笑)。やりたいやりたくないより、就活で副将って言えるの大きいって思ってなりました。結局、村田君に頼りっぱなしで副将っぽいことはできなかったので、頼りない副将で申し訳なかったです。

―その中で意識したこと
先輩の代と比べてダブルスが弱くなっちゃったので、ダブルスができそうな大西や田嶋などにアドバイスしたことが唯一の仕事でした。

―1番思い出に起こっていることは
春関準優勝が一番思い出には残っていますね。症状も楯ももらえたし、決勝に行けたことが思い出に残っています。ただ、一番うれしかったのは大田・加藤木が優勝したことです。俺じゃ力不足だなと実感しつつも、自分が組んでいた2人が優勝したことは本当にうれしかったです。明治戦も印象に残っていますね。徳航太っていう裏切り者を成敗できたところ、大田空が最後勝ったところも含めうれしかったですね。

―4年間で得たものは
目標に向かって努力することは大切だなと実感しました。大学入った時は、サークル入って彼女作ってバイトして、、というザ大学生な生活を想像していたんですけど、目標を持ってやった方が考える力も付くし視野も広がったし協調性も付いたと思います。今は部活に入って良かったと心の底から思いますね。

―同期へメッセージをお願いします
こんなフラフラしたやつを気にかけてくれてありがとうと言いたいです。あと、俺がいて、活躍する同期がいて良かったなって(笑)。

―同期との思い出は
淳揮と一緒にインカレに行っていたこと、米田・齋藤と家が近いからコロナ禍に遊んでいたのも思い出です。1年生の時に(村田)雄飛の家にスーツケースもって住んでいたし、山口の家にも住んでいたし、みんなと思い出があります。雨の日に部室でいろいろゲームしたのもなんだかんだ一番楽しかったですね。全員フッ軽じゃないから、もっと遊びたかったですね。

―後輩の印象は
みんなだいぶ適当だね(笑)。平井、新井とかはとんでもないし、(青木)一晟、飯泉も適当だし。ふらふらしているのは良いけどどっか自分で真剣にやる瞬間を作ってくれたら良いなと思いますね。4年間は長いようで短いからどこかで頑張るポイントを見つけてほしいですね。

―3年生は                                                                           みんな可愛いですよ。高校時代から知っている人だから引退した時悲しかったし泣いちゃいましたね。(加藤木)塁とはずっとダブルスを組んでいて、家にもずっと行ってましたしね。空とは高校の決勝でダブルス負けたんですけど、その強い人が後輩になってくれたことがうれしかったですし、一緒に賞状もらえたことも嬉しかったです。森田凌矢も全国大会で2回学校として当たっていて、縁ありそうだなと思っていたら後輩になって嬉しかったですね。佐藤太耀なんて小学生くらいの時から知っていて、高校で直属の後輩になって、大学もSSI使わないでほしかったけど、使ってでも入ってきてくれたのが本当にうれしかったです。この4人が強いから部を引っ張ってほしいですね。

―後輩へメッセージをお願いします                                                              ぼちぼち頑張れよ、と言いたいです。真面目にテニスだけやっていても伸びないですよ。テニス以外で色々と経験して、それがテニスに結び付いてくると思うので、気楽に遊んでおけよと言いたいですね。二高生には、俺らの結果を越せよと言いたいです。

(取材:東夏紀)

 

山口貴大(経4)

ーテニスを始めたきっかけ
母がよくやっていたので、その影響です。

ー4年間を終えて率直な気持ち
スポーツ推薦で入ったのですが、なかなか結果を出すことはできず、テニスの面では少し不完全燃焼で終わってしまいました。しかし同期や後輩たちと良い関係を保つことができたのは良かったと思います。

ー法大に入った経緯
浦和学院という高校に通っていたのですが、高校のテニス部のコーチが法大出身だったということもあり、コーチから勧めてくれて入部しました。法大の雰囲気は非常に魅力的で、人間的に成長できると思いましたね。

ー実際に入部しての雰囲気
上になっていけばなっていくほど気楽にプレーできる環境が整っていました。下級生のときは与えられた役職をきっちり守らなきゃいけないということもありますし、なかなか大変でした。先輩から言われなくなったらやっと落ち着いてプレーできるという感じですね。

ー同期のみなさんの印象
全員が足並み揃ってるっていうイメージですね。この人がすごく能力的に抜けてるというのがなかったからこそ全員で高みを目指していけたのかなと思います。

ー下級生のとき大変だったこと
1個失敗すると、けっこう先輩から何日か経ってもそのことを言われ続けるということがあったので、それは少し辛かったかなと思います。

ー印象に残った試合
正直少ないのですが、1年生のときに先輩とダブルスを組んだことがあって、その試合は勝つことができたのですが、その時に一緒に組んでいた先輩が試合後涙を流したんです。その経験が自分にとってはけっこう嬉しかったですね。先輩にとっては大事な試合だったらしく、まさか泣いてくれるとは思ってもいなかったのですが、2人で勝てたという思いがありました。

ーテニス部で1番頑張ったこと
後輩のケアはけっこう頑張ったと思います。同期のメンバーが少し厳しい言葉を後輩に使ってしまった時に、後輩に対してフォローを入れるようにしていました。後輩をなだめることは多かったので、そういった部分では機能していたと思います。

ー後輩たちに対してどんな印象
1個下は、みんな技術が高くて、この前優勝したペアもいて勢いに乗っていると思いますし、伸びてきている選手もたくさんいるので今後が本当に楽しみだと思います。2年生以下のメンバーは、僕らと似ていて誰かがすば抜けてるわけじゃないですけど、全員で切磋琢磨して戦っているというイメージですね。1年生も良い選手が揃っていますし、本当に期待しています。戦力的にも全体的に整っていると思っています。

ー同期のみなさんに一言
本当に感謝しています。なかなか結果が出なくて苦しい時もあったのですが、試合で負けたときもいつも通り接してくれましたし、それはありがたかったですね。

(取材:脇野剛)

米田圭佑(経4)

―法政大学に入った経緯は
僕は法政二高でテニスをやっていて、大学で練習試合をさせてもらうことがあり、なんとなく法政テニス部の雰囲気を知っていました。また、高校でテニスを一生懸命やっていたので大学でも頑張りたいと思い入部しました。

―次に法政テニス部の第一印象はいかがでしたか
入る前は自由なイメージがあったのですが、入ってみて違ったのはほかの大学に比べてもしっかり練習をするところでした。自由でありながら、やる時はやる大学なので、いろいろな大学がある中でもずっと一部にいるんだろうなと感じました。

―同期の皆さんの印象はいかがでしたか
同期とは仲良くやっていたと思います。特に大きな喧嘩もなく楽しくやれたかなと思います。

―1年生の頃振り返っていかがでしたか
1年生のころはあまり勝てず、レギュラーも一人もいなかったので、みんなで仕事ばっかりやっていました。一年生の頃の方がちょっとギスギスしたり、下から頑張らなかったりしたので結構大変だったのですが、一番思い出に残っているのは一年生の頃なので今振り返ってみると、よかったのかなと思います。

―2年生になりコロナ禍となりましたが大変だったことや変わったことなどはありますか
大変だったのは部活や試合がなくなったため、モチベーションを保つのが難しく、空白の一年になったと感じています。変わったことは、僕は実家から通っていて、オンライン授業を受けてから部活に行っていたので練習に行けない日が増えました。1年生の頃はほぼ毎日テニスをしていて疲れていました。練習が減って、逆にリフレッシュできて3年生になれたのでそこはよかったかなと思います。

ー3年生の頃を振り返って
練習メニューを4年生が決めてくれて、後輩も仕事をしてくれたので、のびのびやれたかなと思います。終わり頃に就活が始まったり、最高学年になったりして忙しくはなったのですが、全体的にのびのびやれました。

ー4年生を振り返って
あまり結果が出ず、リーグでも4年生が2人しか出れなかったので負い目を感じていました。リーグでは最終的に3位に終わってしまったのですが、良かったのかなと思いました。

ー監督やコーチの存在は
毎日、監督やコーチが来てくださるわけではなかったのですが、監督がいる時の練習はいつもよりも身を引き締めて練習することができました。特に厳しく指導された記憶がなく、優しくアドバイスしてくださったのが大学スポーツらしくていいなと思いました。

ー高校と大学のテニスの違いは
大学の方が人が多く集まり、いきなり関東大会から始まるのでレベルが高いと感じていました。また、大学からは自分がやるかどうかが大事になってくると思いました。

ー4年間で一番大変だったことは
1年生の頃は、コートが濡れていたら乾かさないといけないのでそのために朝早く起きたり、朝練が大変だったりしました。

ー朝練は何時から始まりますか?
朝練が7時半からで準備をするために7時にはコートに着く必要がありました。また、実家から向かうときは始発で向かわないと行けなかったので本当に大変でした(笑)。

ー主務として大変だったことは
試合の申し込みや入場者リストの作成、会計などといった責任のあることを1人でやっていたので大変でした。

ー4年間で楽しかったことは
楽しかったことは、イギリスっていうテニスの遊びを練習後にずっとやっていました。イギリスが本当に楽しくて、自分たちの代は極めてしまったので結果が出なかったのかなと思います(笑)。

ー勉強と部活の両立は
単位を落とすことなくしっかりやれたと思います。

ー4年間で印象に残っている大会や試合は
3年の春関のシングルスと4年の春関のダブルスです。3年の春関では、ずっと本戦に出たいと思っていて、出場がかかる試合で勝てて、出場できたので印象に残っています。4年の春関では、1年生と組んでいて、自分も就活があって厳しいかなと思っていたのですが、良いプレーができたので印象に残っています。僕は出場していないのですが、4年時のリーグ戦での明治戦も印象に残っています。4対4で後輩たちが格上の相手を倒してくれて、泣きそうになるくらい嬉しかったです。

ー4年間全体を振り返って
入ってよかったなと思います。きついこともあったのですが、10年後には良い話の種になると思いますし、同期とは卒業後も会う予定なので良い仲間を持てて幸せだと思います。

ー同期の皆さんに一言お願いします
4年間本当にありがとうございました。僕には持っていないものを持っている人たちだったので刺激を受けて、僕自身最高でした。

ー期待している後輩は
佐藤(太耀、現3)です。高校の頃は僕の方が強かったのですが、大学で成長しているので、これからも頑張ってほしいと思います。

ー後輩の方々にメッセージをお願いします
法大が王座になるという歴史的な瞬間を見たいので頑張ってください。

(取材:盛岡惟吹)

齋藤皓介(営4)

ー法政大学に入った経緯は
自分はみんなと違って一般入試で入りました。MARCHのどこかに入れれば良いなと思っていて、その中でギリギリ受かった法大に進学しました。サークルか部活で迷ったのですが部活を選びました。

ー法大テニス部の第一印象は
怖くて厳しいイメージがあったのですが、先輩たちは優しく、エネギルッシュな人が多い印象を持ちました。

ー同期の皆さんの印象は
面白い人が多く、このメンバーでテニスができてよかったなと思います。

ー1年生の頃を振り返って
自分は市ヶ谷キャンパスだったので、午前中授業を受けてから多摩に移動してから練習して、自分はさらに居残り練習をしていました。家に着くのが0時になる生活を送っていて、今思うとよく頑張ったなと思います。

ー2年生になりコロナ禍となりましたが大変だったことは
自分の中でモチベーションが芽生えてきたところで、コロナ禍になりテニスができなくなり、緊急事態宣言中はテニスを考えずに過ごすようになってしまいました。

ー3年生を振り返って
学連として1部校のリーグを開催できてよかったです。また、夏関のダブルスで森田と組ませてもらって2次の決勝まで進出できたことが印象に残っています。あまり記憶はないのですが、微かに残っている記憶はずっと忘れたくないです。

ー4年生を振り返って
就活が終わってからは、自分はもう選手でなかったので、どうすればメンバーが戦いやすい環境をつくれるかを念頭において頑張っていました。

ー高校と大学のテニスの違いは
自分は県立高校出身で、強豪校ではなかったので法大に入って環境が大きく変わったと感じました。特に違っているのは、大学のみんなはテニスが好きで勝ちたい気持ちと勝利への追求心があると感じました。

ー監督やコーチの存在は
監督は自分にも丁寧に教えてくれたので、これからも長生きしてほしいなと思います。

ー学連として大変だったことは
大会の始まりから終わりまで会場にいないといけないことが大変でした。3年時のリーグでは試合をしたい選手たちと安全の確保を優先して試合の開催を認めない大人たちとの間に立たされて、どちらの期待にも応えようと考えていた時が大変でした。

ー4年間で楽しかったことは
レベルの高い人たちと毎日テニスができる環境が高校の時はなかったのでみんなとテニスができて楽しかったです。

ー勉強と部活の両立は
1年生の頃は家に全くいない日が多く大変でしたが、2年生からはオンライン授業になったので単位が取りやすくなりました。

ー4年間全体を振り返って
本当にいい4年間を過ごせたなと思います。ちゃんとした組織に身を置くことができて自分の財産になりました。また、学連になり外部の人と交流する機会があり、社会人になってからも色々なことに挑戦したいと思える4年間になりました。

ー同期の皆さんへ一言お願いします
これからもずっと仲良くしてください。

ー期待している後輩は
キャプテンの佐藤に期待してます。怪我をしたり、就活があったりと大変だとは思いますが、責任感の強い奴なので頑張ってほしいです。

ー後輩の皆さんへメッセージをお願いします
自分は知り合いが誰もいない状態で入ったのですが、先輩方が自分に話しかけてくださったのがすごく嬉しくて自分も後輩たちに積極的に話しかけました。4年間は長いので抜く時は抜いて、やる時はやって納得のいく4年間を過ごして欲しいです。

(取材:盛岡惟吹)

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