【陸上競技】第101回東京箱根間往復大学駅伝競走直前インタビュー 第5回 武田和馬、永島悠平、宮岡幸大
箱根直前インタビュー
2024年12月16日(月)
東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根)まで残すところあと2日となった。『坪田史上最強』を目指し、総合5位以内を目指してきた1年間。エントリーされた16人の選手たちと坪田智夫駅伝監督の計17名の様子や、1年間の思いを伺った。全6回となる第5回は武田和馬、永島悠平、宮岡幸大のインタビューをお届けする。 (インタビューは16日にzoomにて行わせていただきました。)
武田和馬
―出雲駅伝後からの足の状態は
あまり良くはなく、出雲駅伝終わってから1カ月ちょっと走れず、11月末から全体の練習に合流して、現状練習は積めてはいるんですけど、自分のベストの状態から比較すると、まだ50%にもなっていない状態(12/16時点)です。
―箱根駅伝では往路を走る希望は
往路を走りたい気持ちが強く、そこで戦うために今回の合宿含め、2週間で調整していきたいです。
―最終学年として今年のチームはどのように作りあげたか
チーム全体として、一人一人が考えて行動してほしいという思いがあって、4年生がグチグチ言うことはなかったですし、個人の考えを尊重して、自分で考えて陸上に取り組む選手が多くなったと思います。
―箱根駅伝で区間賞を獲得してから、陸上競技に対する向き合い方に変化は
大学入る前は箱根駅伝に出ることが目標で入学したので、区間賞を取って目標を達成してしまった部分はあったので、箱根駅伝にこだわらず関東インカレであったり、他の駅伝であったりで学生トップを目指したいと思いましたし、実業団も決まっていたので箱根駅伝で終わるのではなく、実業団入ってから日本選手権であったりニューイヤー駅伝であったりで活躍し、日本のトップの選手になりたいという思いが、今年から強く芽生えました。
―上を目指す中でプレッシャーや期待を感じたことは
自分はプレッシャーには強いタイプだと思っているので、周りから期待されることはあるんですけど、ポジティブにチームメイトから頼られていると感じながら、自分がチームのために良い結果を出したいと思っていたので、プレッシャーとかで体が動かなくなるより、自分がやってやろうという思いでできたので、そこは強みにして走ることができたので、トラックでも少しずつ結果を出すことができました。
―トラックシーズンで感じた手応えは
自分の中で印象に残っているのは関東インカレの5000㍍と10000㍍、全日本予選の最終組なんですけど、最後日本人トップは達成できなかったんですけど、他大学エースと互角以上に競ることができたので、そこは3年生の時まではできなかったので成長できたと思っているんですけど、タイムを出せなかったのは自分の弱いところだと思いますし、調整不足かなと思いました。
―夏合宿でのトラックからロードへの移行の苦労は
合宿地が山の中で、上り坂を苦手としているので、トラックから山のアップダウンへの切り替えがもともと苦手だったので、上手くはいかなかった印象があります。
―出雲駅伝で感じた課題とは
練習の成果を100%発揮できなかったのがチームの課題だと思っていて、1区~6区までチーム上位6名で組むことはできたんですけど、その力を全員が発揮できなかったですし、その面では個人の調整部分であったりとか、メンタルの弱さであったりが出てしまったと思います。
―そこから箱根駅伝に向けてチームの状態は
出雲駅伝で9位となり弾き返されてから慢心していた部分は無くなって、チームとしての危機感が多くの選手に芽生えたので、そこから気合いを入れて世田谷ハーフや箱根の選考レースがきて、中間層や下級生の追い上げがチームとしてできたと思います。
―ファンに向けて
今回で4回目の箱根駅伝になるんですが、達成できていない総合5位以内に向けて、全力で出し切って、絶対に達成するのでこれからも法政大学の応援、よろしくお願いします。
(インタビュー・松下天)
武田は配置を問わず好記録を望めるキーマンだ(写真:全日本駅伝予選会)
永島悠平
ー今シーズン全体を振り返って
春先にハーフだったり長い距離をたくさんやってて、 その時はコンディションとしてはそこまで悪くなかったんですけれども、夏、結構体調不良とかにもなってしまって。
例年に見ないぐらいコンディションが悪くて、箱根に向けて大丈夫かなっていう不安はあったんですけれども。この秋冬にかけてしっかり箱根に合わせられているというか、ここでコンディションが上がってきてるので。 通年良かったというわけではないんですけれども、自分の中でうまく調整しながらしっかり箱根に向かっていくことができているのかなとは思っております。
ーコンディションを上げるために意識していたことは
結構風邪を引きやすい体質なので、風邪を引かないっていうのは1番気を付けていたことで。あとは、 元々スピードを入れてコンディションを上げていくようなランナーだったので、原点に戻って長い流しを入れるように心がけていました。
ー3年時には出雲に出走するも箱根での出走はかなわなかった。当時を踏まえて現在の心境は
そうですね、やっぱり悔しかったなって。 チャンスを逃してしまったなっていう思いは今振り返ってもやっぱあって。それでも出雲に出れたことは1番大きかったなと思ってるので、悪いことだけではなかったのかなとは思ってます。
ー最高学年として今までの学年時との心境の変化は
自分は実業団の方には進まないので。やっぱり今までは高校が終わっても一区切りではあるけど、大学でも一応競技 があるという感覚はあったんですけれども。今まで10年間陸上やってきたんですけれども、それが終わるってなると、干渉深いものがあるというか。この1年間にあるものは全て「最後の」っていう単語がついてくるのが、やっぱりこれで終わるんだっていう意識みたいなのは、この1年間ありました。
ー現在のご自身のコンディションは
故障なくこの1年間練習の方はできているので。涼しい方が走るのが得意っていうのはあるんですけれども、徐々にコンディションは上がってきてるのかなっていう感覚はあります。
ー夏合宿ではどのような練習を
夏合宿は後半の方に体調不良になってしまって、 質っていう面ではなかなか追えなかったんですけれども、 前半の方はほぼパーフェクトでメニューをこなしてたので、夏合宿はとにかく量という感じでした。
ーその中で感じた手応えは
去年の方が体の動き的にはいい感覚ではあったんですけれども。感覚的にそこまで良くない中でも、去年より着実に力がついてるなっていう感覚はありました。
ーMARCH対抗戦の後から箱根に向けてはどのような調整を
MARCH対抗戦の時点ではまだメンバーに絡めるか怪しいラインというか。なので調整というのはあまりしてなかったんですけれども。ただ、どういった形で終わっても悔いの残らないような試合はしていたので、それは試合に限らず練習でも心にとどめておきながら取り組んでました。
ー永島選手にとって箱根駅伝とはどういった存在
やっぱり集大成の場っていうのが1番大きいのかなって思います。
ー箱根で走りたい区間とその理由は
個人的には7区か10区を希望しています。
7区は自分のチームの立ち位置的に1番無難というか、1番可能性のある区間なのかなって思っているので。
10区は個人的にゴールテープを切ることに憧れがあるというか、 ゴールテープを切りたいっていう思いから10区を希望してます。
ー法政大学を応援してくださる方々に向けて意気込み
最後に走ることができれば、この 10年間の陸上人生の中で1番いい走りをするので、最後まで応援のほどよろしくお願いいたします。
(インタビュー・艶島彩)
3年次には出雲駅伝で出走した最上級生・永島の最終レースに期待(写真:世田谷ハーフ)
宮岡幸大
ー夏合宿について
4年間の中で1番いい練習ができたのかなと思ってます。練習の量もそうですし、質も両方できてたのかなと思います。
ー出雲では脱水症状に陥るなど、なかなか苦しいシーズン、その中で感じた手応えや課題は
出雲は自分の状態があまり良くない中だのレースの組み立て方というのを考えるべきでした。
実際10月、11月はコンディションが全然良くなかったんですけど、今はだいぶそれも治ってきて、上尾や出雲はそれを治すきっかけのレースになったと思います。
ー現在のコンディションは
今はすごく調子も上がってきているので箱根でもある程度勝負できる手応えはあります。
ー副将として過ごした今シーズンを振り返って
前半の全日本予選で出場を決められなかったのもそうですし、出雲も5位を目指していた中で、自分が最後に順位を落としてしまったっていうのもあって、なかなかチームとしていい結果を残せていないし、その事が自分中であまり引っ張りきれてなかったというのがすごく大きかったのかなと思います。
ーこれまでの3年間と違って、副将として意識していたことは
3年生までは自分のことだけ考えていたんですけど、副将という立場をいただいて練習もそうですし、いろんな場面で前に出るようになりました。
苦しい練習の時に先頭に出るのもそうですし、雰囲気の悪い時とかの声がけも、意識してやってきました。
ー走りたい区間は
往路を走りたいなと思っています。やっぱりここ最近の法政、前回も6位を取れているんですけど、往路は少し出遅れた感がありましたし、往路でもう少しいい流れでいければ5位以上というのはもっと見えてくると思うので、そういった意味で自分が往路を走っていい流れを作りたいなと思ってます。
ー他校で意識している選手は
東洋大の梅崎蓮(4)です。高校の同期(宇和島東高)ですし、最後一緒に走れたらなと思います。
ー4年間を振り返って
一言で言うと、ただただ苦しかったのかなと思います。
ーその苦しさを克服するためにしたこと
なんかこれと言って決まったことをやるわけじゃないんですけど、1回完全に陸上のことは忘れて、その時の自分のブーム。釣りだったりゲームとかをして、マイナスな感情を無くす事をします。
ー改めて坪田監督はどのような監督だったか
厳しかったなと(笑)。
すごく毅然としてるというか、ハキハキしてらっしゃって、4年経ってもあまり慣れなかったですね(笑)
ー箱根へ向け一言
4年生として、副将として、最後に総合5位を達成して、個人としてはチームを勢いづけるような走りをしたいと思います。
(インタビュー・山口晴暉)