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【特別企画】プロ野球開幕直前‼ 球団史上初のCS進出へ導いた法大OBハマ戦士へ独占インタビュー!!

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【特別企画】プロ野球開幕直前‼ 球団史上初のCS進出へ導いた法大OBハマ戦士へ独占インタビュー!!

2017年3月21日(火)
横浜スタジアム

日本列島を熱狂の渦に巻き込んだWBCも終わりいよいよプロ野球がセ・パ同時開幕する。昨季は日本ハムが日本一に輝いたが今年はどこが優勝するか。横浜DeNAベイスターズは昨季球団初のCS進出を果たし、98年以来の優勝へ期待がかかる。今回は今季活躍が期待される法大OBの2人の選手にお話を伺った。

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名実ともにハマのエースへ

選手インタビュー

石田健大 投手 (平24年度卒)

 ー現在の状態は
 いい感じで来てますし、キャンプでしっかりやることやれたので、順調に来てるかなとは思います。

ーオープン戦で投げてみて
 今はまだ数字どうこうよりは、ちゃんといい球投げれてるかとか確認状態だとは思うし、結果よりは球の良し悪しを見ながら確認してる状態なので、シーズンに向けての試合という認識です。

ー去年からは立場も大きく変わって、オープン戦の過ごし方も変わったのでは
 そうですね、開幕ローテを争うよりはその日に向けて調整をしていくので、去年とは全く別ですけど、絶対投げれるとは思わずにやってるつもりです。

ー開幕に向けて修正したい点は
 今は状態がいいので、シーズン始まってみたいと分からない部分もあるので、始まってからだとは思ってます。

ー法大に進んだ理由は
 僕の高校から法政にいくのが、初めてだったので、高校の監督に進められたのと当時監督だった金光(興三)さんからお呼びを頂いたことが大きいですかね。

ー六大学の印象は
六大学というのはビックネームですし、そこで投げれたのは嬉しかったですけど、その反面厳しい雰囲気も感じてたので、そこで投げれたのは今にも繋がってるとは思います。

ー六大学で印象に残っている選手は
 同級生だったら、中村奨吾(早大=現ロッテ),有原(航平,早大=現日ハム)。それから後輩の高山(俊,明大=現阪神)もいいバッターだと思ってたらプロでも活躍してるし、六大学出身からプロ入ってる人は大体活躍してると思いますね。

ー学生時代に1番印象に残る試合は
 慶応戦の15奪三振、完封ですね。自分の状態も良かったですし、本当に三振を取れてるときはいいときなので、スムーズに試合が進んだのは覚えてます。

ーリーグ戦優勝も経験しました
 何回も経験できるものではないですし、三嶋(一輝,平24年度卒)さんがいた時に優勝してもらいましたけど、あの雰囲気はもう一度味わいたいなと思いましたね。

ー4年生では副将も務められました
僕はピッチャーだったので、引っ張るというよりは投手陣をしっかり指導するぐらいでしたけど、引っ張るというのは、何を言ったらいいか分からないし、指導の難しさもそこで学びましたね。

ー4年生は肩の故障に悩まされました
 大学の頃は他にいないですし、投げるしかなかったですけど、自分なりに何かやればけがもしなかっただろうし、知識もなかったので。仕方ないといえば仕方ないのかもしれないですけど、今いる法政の野球部のみんなには体のこととかも教えていけたらなとは思ってますけどね。
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ードラフト会議では2位指名を受けましたが
いい評価してもらいましたし、出来れば1位が良かったですけど、そんな何人も毎年入れる訳じゃないですし、選んでもらっただけでも、嬉しいことだし、入ってしまえばみんな一緒なので、そんな気持ちでしたね。

ーベイスターズの印象は
雰囲気もいいチームでしたし、山崎康晃とかが活躍してすごい刺激をもらいましたし、これから先も刺激し合いたいとは思います。

ー入団した当時は中畑清監督でした
 本当に元気かあって、良い時も悪いときも、同じ顔をしてるのですごくいい人ですし、僕たちも頑張りたいと思えるような人でしたね。

ープロ初登板を振り返って
 緊張もしましたけど、この世界で投げれる投手は多くはないので、そういう気持ちを持って登板しました。

ー1年目はどんなシーズンでしたか
プロの世界で1勝する難しさを味わいましたね。何をしたら勝てるのか考えながらやってましたし、2勝止まりなのでいい年だと思えないですけど、ずっと投げさせてもらえたので、それが去年のに繋がったと思います。経験しないと数字も出ないと思うので、非常に我慢してもらって使ってもらったと思います。

ー去年は5月の月間MVPを獲得しました
そんなに好調というよりは、淡々と投げれた感じでしっかりとした球を投げれたので、そういう所からついてきた数字だと思います。

ーオールスターゲームに初選出されて、横浜スタジアムで先発も経験できました
スターが揃う場なので、そこの一員になれたのは嬉しかったですし、そこで先発させてもらったのは1番いい経験になる思います。初めてだったので、緊張もしたし、いい打者ばかりだと思いながら投げてましたね。

ー去年は9勝を挙げましたが、やはり10勝に届かなかったのは悔しかったと思います
10勝はすごい難しいですし、自分自身あと1勝という意識していたので、そこの何が必要なのかは考えて今年はやっていきたいと思います。

ー昨季は早いイニングでの降板が目立ちました
 当時は悔しかったですけど、今思うと肩のこともありますし、体も考えてのことだったと思います。規定イニングにはいってるので、そこは感謝してますね。

ーCSにも登板されましたが
負けたら終わりという試合はシーズン通してないので、緊張感だったり、球場の雰囲気も違ったりしました。でもそれを楽しみに変えてからこそ、いいピッチングが出来たので。自分が勝ち投手で終われれば良かったですけど、あの声援はずっと忘れないので、もう一回味わいたいですね。

ーシーズン後には日本代表の強化試合に参加されました
本当にいい経験できたというのが1番ですけど、あの場に入れることが大事だと思います。結果よりはいろんな選手を見たり、この経験がこれからにつながると思うので、すごくいい経験だったと思います。

ー開幕投手になった経緯は
監督に食事に呼ばれたので、何かあるのかなとは思ってましたけど、自分も開幕かなと思っていました。「開幕投げてみる?」と言われて嬉しいというのが大きかったですけど、やんないとなとは思います。その時は嬉しい気持ちが強かったです。

ーA・ラミレス監督の印象は
中畑さんと一緒で、裏表もないですし、4月、5月とチームが苦しい時期でもポジティブに言葉を発してる姿を見るとそこについていかないと思います。口に出すことは大事だと思うので、マネしないといけないと思います。

ー球団には法大の選手もたくさんいます
入って先輩がいたので、馴染みやすかったですし、助けてもらいましたけど、やっぱり刺激し合いながらやりたいと思ってますけどね。法政の後輩たちに僕たちがいい結果残して、法政のみんながちょっとでも名前を知ってくれたらなと思います。

ー4年生の時、部屋子だった熊谷(拓也,キャ4)は今年が勝負の年になります
僕がいた頃からいい投手でしたし、本当に1年生が投げる球とは思えなかったので、いい選手になるとは思っていました。3年、4年になってから勝負だと思うので、しっかりやれてば大丈夫かなと思いますけどね。

ー熊谷選手にもベイスターズに来てほしいですか
いや、ないです(笑)。自分で選べることではないので、入れることでもすごいことですし、入れるために頑張ってほしいですね。

ー最後に今季の目標と意気込みをお願いします
 今年はしっかり自分のピッチングをして、完投、完封目指して見てくれてるお客さんが1人でも笑顔で帰ってくれるように、そして法政の人たちにもいい結果を見せれるように頑張ります。

(取材:渡辺拓海)

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石田健大(いしだ・けんた)

経営学部卒 1993年3月1日生まれ
広島県出身・広島工高−法大−DeNA
180cm85kg 左投左打
キレのある直球とチェンジアップで打者をほんろうするサウスポー。法大時代は1年秋にリーグ戦初勝利を果たすと、その後も主軸投手として活躍し、リーグ戦通算19勝を積み上げた。14年ドラフト会議でDeNAから2位指名され、翌年入団。1年目に2勝を挙げると2年目の昨季9勝、防御率3.12と安定した成績を残して先発ローテーションを守った。今季は開幕投手に指名され、DeNAそして日本の左エースになれるか真価が問われる年になる。

三上朋也 投手 (平22年度卒)

ー昨シーズンを振り返って
チームにとっても初めてのCSということで、すごくよい経験が出来ましたし、経験したことによって今シーズンは自信を持って今やっているなというのは感じるので、とても良い経験ができたシーズンだったなと思います。

ー初めてのCSの雰囲気は
シーズン中とは違った雰囲気で、一発勝負という面があったので、学生時代、法政の時もそうですし、社会人を僕は経由していますけど、アマチュアの戦いの仕方に似ていたなというのがあったので、初めてだ、駄目だ、という感じは無くて、経験していたので良かったなというのはありましたね。

ー特に似ている点は
ファーストステージは2勝した方が勝ちですし、六大学も週末2回試合で、似たような緊張感の中で負けられないっていうところが似ているかなって感じです。

ー昨シーズンは59試合登板で60試合の大台には届きませんでした
そこはコントロールできる部分ではないので、監督コーチの指示のもと、登板機会があると思うのでそこに関しては納得していますし、そこが60いこうが70いこうが、良かったのかなと思ってます。

ー法大に進学した理由
高校は岐阜商業出身で、甲子園に行ってから上のレベルでやりたいとは思わなかったですけど、甲子園に出て、もうちょっと上のレベルでやりたいなという気持ちになったんです。進学先を東京に絞って探していたところ、1つ上の先輩で明治大学に行った金森(亮太)っていう先輩が居ますけど、六大学行きが久しぶりに出て六大学っていう存在がちょっと近くなって。たまたま当時監督だった方が見に来てくださって、そういう縁で六大学である法政を選びました。

ー4年間で最も印象に残ったことは
僕が2年生の時にチーム優勝と日本一になったので、それが1番印象に残ってますね。

ー4年生で急激に成績が伸びたきっかけは
よく分からないですね。急に出てくるってやっぱり何かあるんですかね。一応下の時からちょくちょく出ていたんですけど、4年の頃が1番良かったですね。まあ自覚かな。特に投球フォームを変えたわけではなく、技術的にはそんなに大きな変化はなかったとは思うんですけど、精神的にやっぱり自立したとかそういったことだと思います。

ー野球以外の大学生活は
本当に8割〜9割が野球関係の生活だったので、学校でサークルに入る訳でもなく、一般の友達もそんなに多くはないし、野球漬けの日々だったなというのが思い出ですね。

ー学部は
学部は経営です。市場経営学科でした。

ー良い思い出、辛かった思い出は
良かったのはさっき言った優勝です。悪かったのは…無いですね(笑)。今思えば辛いことも悪くないと思うんですよね。負けた試合はやっぱり思った通りの投球ができなくて力不足で負けた試合もありましたけど、それはあまり辛くないです。

ー「辛い」と思っている部員がいたとしたらどういった声かけができるか
先は分からないですからね。今を全力でやるかどうかじゃないですかね。やらないと先はないです。
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ー大学卒業後、社会人を選んだ理由は
第1に、実力が伴っていないなと思ったので。その中で社会人という選択肢があったので、選びました。

ー社会人野球に行ってみて
良かったですね。今の自分があるのも社会人を経験したのが1番大きいなと思いますし、野球もそうですし、会社員としても色々教えてもらったので、大人の人との付き合い方とかそういった日々の過ごし方だったり、当たり前に身につくことはそのままプロに行っていたら分からないことだったと思うので、すごく良かったなと思いますね。経験したことはプラスになっています。

ー最近の法大野球部について
時々ネットなどでみたりはしますけど、逐一ずっと見ているというのは無いですね。うちは法政出身が居ますので、あーだこうだはみんな言いますし、六大出身も居ますので、うちが勝ったうちが負けたって言ってるので、ちょっと入ってきていますね。

ーどういう印象か
正直あまり勝っていないなという印象ですね。東大に負けたとかになるとめちゃめちゃ言われますね(笑)。

ーご自身の時のチームは
僕の代は本当にパッとしなかったので。力もそんなになくて、下の子がやっぱり強くて、同級生でレギュラーが固まるというのはほとんどなくて、本当に2,3年生が中心のチームでしたね。

ー投手陣にアドバイスを送るとしたら
スポーツはなんでもメンタルが大事なんですけど、鍛えようと思ってもやっぱり難しいんですよね。練習をしっかりやることがちょっと鍛えられる1つの方法なのかなと思います。考えて練習することですかね。いかにサボるか、それも考える1つの方法だと思うんですよ。いかにサボろうか、どうやって隠れようかみたいな(笑)。結構ずる賢いのをこう転換すれば良い事があるかもしれないですね。頭の使いようです。

ープロでは1年目から中継ぎで活躍、振り返ってみて
1年目はアマチュアの野球の形とプロの野球の形って試合数も違って違いますけど、それに順応するっていうのに丸々1年くらいかかったので、常に全力で1年駆け抜けて、結果的に2年でパンクしたって感じですね。そういう1年でした。本当に常に全力で。

ー大学時代にはなかった夏に野球をやるというのは
本当に毎日毎日試合試合で。アマチュアではそんなにやることはないと思うので。キツかったですね。

ープロとアマチュアの差はそういったところが大きいのか
技術的な差は多少は多少はあるかもしれないですけど、そこはそんなに社会人と比べて無いなと思って。どちらかといったら試合数をこなす体力というか、タフな面、気持ちを含めて、プロは強いなと思いましたね。

ープロになると注目度も上がるが
最初はやっぱり戸惑いますよ。本当に騒ぐというかすごく取り上げてくれるし、もうお祭り騒ぎになっちゃうのでそこにやっぱり戸惑いというか、どうしたら良いのかというのは迷いましたね。でも今はもうこういうもんだなとちゃんと考えて対応できるようになって、1年目はやっぱりそういうのはびっくりしましたね。

ー1年目からオールスター出場されました
いきなり出て、すごい取り上げられて、訳も分からず色んなテレビで見たような選手に会って、うわあすごいな〜と思いながら終わってしまったオールスターというか。

ー他の出場選手と会話は
しましたね。同級生とかもちょっと出ていたので。そこは久しぶりとかそういう感じでありましたし、上のスター選手とかとも交流出来たので、プロになったんだなと改めて、感じましたね。

ープロに入って、この打者すごいなと思ったのは
誰ってわけでは無いんですけど、やっぱり何か凄さは持ってますね。どのバッターもここが強いあれが強いっていう。強いポイントが多いっていうのが稼いでる、やっぱりプロは違うなと思いますね。

ー2年目で右肘を故障しました
早く投げたいっていう気持ちはすごい大きくありましたし、でも投げれないっていうもどかしさっていうのが複雑な気持ちがすごいぶつかっていましたね。自分の中で。

ー故障の期間は
故障して投げ出すまではそんなに時間はかからなかったんです。リハビリというか、復帰に向けてカリキュラムをこなしていく中で、当初よりはだいぶ遅れましたね。例えば遠投50m、次いったら60.70と増やしていくんですけど、50投げれた、60投げれない、50投げれない、40投げれた、みたいに行ったり来たり、すごい時間がかかってしまって。やっぱり順調にいかないと焦りますし、すごいそういうのはありましたね。

ーどうやって乗り越えたのか
本当にやっぱり気持ちですよね。気持ちの問題でしたね。怪我しているときは。もう折れずにこなしていくしかないなっていう。もう折れてしまったらその年は何も出来なかったと思いますし。とりあえず治そう治そうと思って。焦ってもいましたし、焦らずにいこうというのもあって葛藤がありましたね。

ーベイスターズはどういったチームか
若くて元気、その通りです。多分そのままだと思いますうちは。本当に元気が良いし、年齢層もあんまり高くないし、後藤(武敏,平14年度卒)選手とか久保(康友)選手とかが1番上の代なので。先輩なので仲良くしてますけど。主力が若い中に居て、ベテランと言われている人たちが支えてくれるっていうか力を足してくれるっていう。本当にバランス的に良いなと僕は思うので、そういうチームですね。

ー法大の選手とは
みんな仲良いですよ。石田と三嶋とはいつもつるんでますし。その辺の年代は本当に多いので。みんなでご飯とかも行ったりしますし。

ー別の道を歩んだ同期のチームメイトは
頻繁には連絡とらないですけど、年一で年末とかには会うようにはしてますね。毎年毎年。近況報告で。今何やってるの?とか。そのくらいですね。

ー法大野球部に向けて
頑張れ法政!!!それしかないです。

ー石田選手に関して
大学時代は同じ部屋だったので、僕が4年であっちが1年だったので2人部屋で一緒だったので、そのときは入ってきたばっかりで本当に真面目な1年生だったっていうイメージがあって。今はもう仲良くというか、和気あいあいとやってますねあいつは(笑)。彼も彼なりに頑張ってるので、言うことはないです!とりあえず、頑張れ開幕投手!それくらいしかないです(笑)。

(取材:山口有沙)

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三上朋也(みかみ・ともや)

 経営学部卒 1989年4月10日生まれ
岐阜県出身・県岐阜商高−法大−JX-ENEOS-DeNA
190cm90kg 右投右打
変則的な投球フォームから威力がある直球で打者を仕留める豪腕リリーバー。法大時代、2年春にリーグ戦初登板を果たすと、4年次に春秋で4勝ずつあげ、大車輪の活躍を見せた。卒業後は、社会人を経て13年ドラフト会議でDeNAから4位指名され翌年入団。1年目に21セーブを挙げると3年目の昨季は59登板、チームトップの34HPを記録し、チームのAクラスに貢献した。今季から山口俊(巨人)の後を受け選手会長を務める。勝利の方程式の一角としてハマスタに歓喜をもたらす投球が期待される。

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  • isida800 R今季はエースとして二桁勝利は最低条件だ
  • ishidasit R取材に応じる石田
  • mikami800 Rグラウンドを背に決意の表情
  • mikamiguts Rカメラに満面の笑みをみせてくれた
 

 

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