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【水泳】将来 日本のバタフライを背負って立つ男「赤羽根康太」〜『ダークホース』から『主役』の座へ!! 〜

第96回日本選手権
2020年12月6日
東京アクアティクスセンター

10月に行われた日本学生選手権(インカレ)の100mバタフライで51秒83の自己記録をマークした赤羽根康太(人4)。このタイムは五輪派遣標準記録『51秒70』に迫る好タイムであった。52秒の壁を初めて突破し、来年の東京五輪が明確な目標になった赤羽根は、来年4月に行われる五輪代表選考会を見据えて、今大会に臨んだ。

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 4月の日本選手権でぶっちぎりの優勝を目指す(写真は昨年のジャパンオープン)

赤羽根康太 スペシャルコラム

赤羽根康太にとって、12月6日に行われた日本選手権、100mバタフライは東京五輪出場に向けた試金石であった。

大会後に東京五輪への自信を問うと、赤羽根はきっぱり言った。

「僕にもチャンスはある」。

五輪代表選考会を来年4月に控える中、現在の自分の立ち位置を知った赤羽根はそう口にした。

『51秒70』と『2位以内』。東京五輪の代表切符を手にするために来春の日本選手権 “決勝” のレースでクリアしなければならない条件だ。

だが、赤羽根が目指すのはそこではない。

「51秒7で代表になれるとは思っていませんし、2位を目指していてもダメだなと感じています。優勝と51秒1を来年4月の日本選手権決勝で狙えるように準備していきたいです」。赤羽根には強いごだわりがある。代表入りを争うライバルは2019年世界選手権代表の水沼尚輝(新潟医療福祉大職員)、この種目で短水路の日本記録を持つ川本武史(TOYOTA)、昨年のインカレで日本学生記録をマークした石川愼之助(日本大)、今年のインカレで赤羽根に勝って優勝を果たした田中優弥(新潟医療福祉大)など実力者が揃う。100mバタフライの五輪代表争いの厳しさは他種目と比べても群を抜いている。「ただそのような中で頭一つ飛び抜けたい」。赤羽根は、代表入りのその先を思い描く。取材中にはその口から"日本新"という言葉も飛び出した。

赤羽根の自己ベストは、今年の10月、"最後のインカレ"でマークした『51秒83』。五輪派遣標準記録の51秒70にあと0.13秒まで迫っている。本来なら五輪代表選考会は今年の4月に行われていた。もし五輪が今年開催されていたならばと尋ねると赤羽根はこう返した。「派遣標準は切れたかもしれませんが、五輪に行けたかは分からない。順当にいけば僕は3番か4番だった」。記録を突破することだけでは代表の座を勝ち取ることができないのが五輪選考レース。今年4月の段階ではまだ猛者揃いの100mバタフライを制する自信はなかった。「そういう意味では五輪が1年延期になって良かったなと感じています」。赤羽根は赤裸々に語った。ただ、その言葉は今だからこそ発することができる。本気で東京五輪を目指してトレーニングに明け暮れていた矢先に五輪1年延期が決定。張り詰めていた緊張の糸が切れ、「モチベーションが下がっていました」と回想する。「先が見えない戦いに苦しみましたね。もしかしたら次あるかもしれない、また次あるかもしれないという感じで常に気が抜けない状況が辛くて」。そんな赤羽根にインカレ開催の吉報が届いた。大学4年間の集大成の舞台が用意されたことで「同期と一緒に戦う機会が最後だったので、こいつらの為にも『やってやろう』、シード奪還に向けて『俺がやるしかないな』ということをずっと考えていました」と話す。

まだ52秒の壁を突破したことがなかった赤羽根にとって、まさにインカレは自身初の51秒台を出す絶好の機会だった。「インカレ前は『同期のためにも』、『チームのためにも』という気持ちがあったので頑張れました」。苦楽をともにしてきた仲間たちの前で大台を突破することに意欲を燃やし、これまで以上に厳しい練習を自らに課した。鍵となるのは後半の50mの泳ぎ。「27秒5で帰ってきたいと考えていたので、練習では27秒5よりも速いタイムで4本泳ぐとか6本泳ぐとかして、身体に後半の泳ぎを覚えさせた」と振り返るように、決勝で叩き出した『51秒83』という記録には裏付けとなる確かな練習があった。

「インカレは51秒83で2番となり、タイムに関しては目標を達成できました。そこで燃え尽きた訳ではないのですが、1週間リフレッシュをして、いざ練習を開始すると感覚が戻らなかった感じです」。インカレが終わってから2ヶ月という短いスパンで今回の日本選手権を迎え、 再び調子をピークに持ってくることは難しかった。それでも「決勝に残らないというのは良くない」と自らの気持ちを奮い立たせ最低限の6位入賞を果たしてみせたのである。

「本当に水泳が好き」。「この前の日本選手権で何が原因でダメだったとか、インカレでどうして51秒7を切れなかったのかとか、僕が五輪代表になるには何をしたらいいのかとか考えるとキリが無いです」。赤羽根はそう口にする。そんな常に研究熱心で自己の追求を止めることのない赤羽根は “もう一歩先” を見据えて次のように課題を挙げる。「もっと前半を楽に速く入れるようになれたらいいかなと思っています。7割から8割くらいの力で23秒8とかで泳いで、後半27秒3とかで帰って来られれば51秒1とか、日本新というところも見えてくる」。『51秒70』よりはるか先の『51秒00』という記録の更新を力強く誓った。『無理』という概念は一切存在しない。赤羽根にはどんなに高い壁にも真っ向から挑もうとする自信と覚悟でいっぱいだ。

「僕、実は中3の全国中学も高3のインターハイも大学4年のインカレも全部2番なんですよね」。いつも大事な所で勝ちきれない赤羽根はどうしてもシルバーコレクターの汚名を返上したいという気持ちがある。『ダークホース』的な存在から『主役』の座になりたい。4月の選考会に向けて今度は自分自身のために全身全霊をかけて準備を進めている。そんな赤羽根が4月に目にするのはどのような景色だろうか。それが表彰台のてっぺんから見える五輪ロードであることを期待したい。

(記事:根本 成)

インタビュー

ー 日本選手権に向けての練習状況は
インカレの時は「インターを切ること」、「51秒台を確実に出すこと」、「優勝すること」が目標としてあり、とにかくインカレに照準を合わせていました。インカレは51秒83で2番となり、タイムに関しては目標を達成できました。そこで燃え尽きた訳ではないのですが、インカレが終わって1週間リフレッシュをして、いざ練習を開始すると感覚が戻らなかった感じです。練習のタイムもあまり良くなかったですし、泳いでいてこんなにつまらなかったことはないっていうくらい、日本選手権に向けてはモチベーションが上がりませんでした。日本選手権の2週間前に長水路の試合に出場したのですが、そこで練習でも出せるようなタイムでしか泳ぐことができませんでした。そこから後2週間しかなかったので、「もうどうしよう」という感じでしたね。インカレが終わってからは、日本選手権で派遣標準を切って優勝というのを一つ目標として掲げていたのですが、1週間休みをとったら泳ぎが崩れてしまって。ただ決勝に残らないというのは良くないと思っていました。なかなかモチベーションが上がらないというのが日本選手権に向けてありましたね。

ー 100mバタフライ予選の感覚は
前半の50mのタイムが24秒6でした。大会前は練習でダイブをやっても25秒とか24秒9といったタイムしか出せませんでした。日本選手権の2日目に50mのダイブをやった時は24秒6で、本当は24秒前半で入りたかったのですが、今の調子ではそのタイムは期待できなかったので練習通りに泳ごうと思っていました。予選に関しては、後半意外と上手くまとめられたかなという感じでしたね。予選は52秒3でしたがコンディションが上がらない中で自分が思ってたよりも泳げたなと思います。2週間前の試合は53秒5くらいだったので。

ー 予選の結果を受けて、決勝のレースプランは
24秒6という前半のタイムでは、コーチと話してやっぱり遅いとなったので、決勝では24秒前半で入るというのを目標にして、後半はどこまで頑張れるかっていうのを意識してました。予選は全体の6番だったので、表彰台には悪くても立ちたい、レベルの高いメンバーが揃った中でも表彰台に立っておく必要があるなと思って決勝には挑みました。インカレと同じようなレースプランで先頭集団に混ざって前半を入って、後半は悪くとも27秒台で泳ぎ51秒台を出すっていうのが目標でした。

ー 決勝を振り返って
隣のレーンがインカレで僕が負けた田中君で、彼は前半型なので呼吸の時に前に見えたんですよね。前に出られすぎていたので、距離感的にも前半の入りは24秒中盤くらいかなという感じで折り返しました。後半は身体が浮いてしまいましたね。自分のレースはできたとは思いますけど、練習がしっかり積めなかったことが影響したのかなと。

ー 今後のプランは
2月のジャパンオープンで派遣標準の51秒70を突破し、そこで自信をつけて残り2ヶ月の練習を頑張って4月の選考会で五輪代表を決めるというのが長期のプランとしてあります。

ー オリンピックが今年開催されていたならば出場する自信はあったか
それが実はないんですよね。オリンピックがなくなって、これからまた練習していくとなった時にチームでミーティングがありました。その時に、もし日本選手権があったら代表に入れたかと聞かれた時に自信を持って「はい」とは言えませんでした。派遣標準記録は51秒70ですけど、現在その記録を上回っている選手が3人いて、派遣標準を突破しても代表に入れるというレベルではないんです。なので、ミーティングの時、僕は「派遣標準は切れたかもしれませんが、五輪に行けたかはちょっと分からない」と答えました。もちろん自分よりも速い選手が本番で失敗する可能性もありますけど、順当に行けば僕は3番か4番だったのかなと思ってますね。そういう意味では五輪が1年延期になって良かったなと感じています。

ー 今回の日本選手権を終えて、五輪を狙える手応えは
今回優勝したのが自由形が専門の松元克央選手だったのでそこはびっくりしました。予選を51秒66でトップ通過した水沼選手も安定しているなと感じています。水沼選手は今年51秒2で泳いでますし、普段の練習で100mを1本やっても51秒台を出しているという話です。そういうことから一枠は水沼選手で確定かなとも思っていましたが、決勝で水沼選手はタイムを落として派遣標準も突破できていなかったので僕にもチャンスはあるのかなとは思っています。ただ51秒7で代表になれるとは思っていませんし、2位を目指していてもダメだなと感じています。優勝と51秒1を4月の日本選手権決勝で狙えるように準備していきたいです。幸いにも僕は高3の時にリオ五輪の選考会を経験しましたけど、あの時感じた会場の雰囲気は異様でしたね。決勝で派遣標準記録を突破しないといけないのでノイローゼになりそうです。だから確実に決められるように、いつ泳いでも51秒前半で泳げるようにしたいです。インカレの反省から、もっと前半を楽に速く入れるようになれたらいいかなと思っています。7割から8割くらいの力で23秒8とかで泳いで、後半27秒3とかで帰って来られれば51秒1とか、日本新というところも見えてくるので残りの期間で戦える準備をしていきたいです。

ー ライバルを意識するところはあるか
100mバタフライは51秒台がもはや当たり前の時代になっていて、泳いでる身からすると誰が勝ってもおかしくないと感じてはいます。ただその中で頭一つ飛び抜けたいなと考えています。誰かを意識するというよりは、自分に徹してレースをしたいです。

ー コロナ禍でモチベーションの維持は難しかったか
今年4月の日本選手権が無くなった時は、どうしていいのか分からなくなってしまって。その後のジャパンオープンも無くなって先が見えない戦いに苦しみましたね。もしかしたら次あるかもしれない、また次あるかもしれないという感じで、常に気が抜けない状況が辛くて。モチベーションは上がったり下がったりでインカレ前の試合も全部無くなってしまったので6月頃はすごいモチベーションが下がっていました。そんな中でもひとまずインカレでは結果を残すことができたので、この先またどうなるのか分からないですけど、常に結果を出す準備というのを心がけてやっていければいいと思います。後輩たちには同じ思いをしてもらいたくないという気持ちが一番で、今の3年生のラストイベントがなくなって欲しくない気持ちが強いです。

ー インカレで51秒台を出せた要因は
今年はとにかくモチベーションが上がらなかった中で、何が引き金になったかというとやっぱり最後のインカレということが大きかったと思います。チームで戦うということが社会人になるともうないので、とにかく「結果を出したい」、「かっこいいところを見せたい」という気持ちが強かったです。僕が頑張る動機というのはいつも不順なんです。「もしかしたら可愛い女の子の目に留まるかもしれないとか」。それは冗談で、インカレに関しては「かっこよく終わりたい」という気持ちが大きくて、同期と一緒に戦う機会が最後だったので、こいつらの為にも「やってやろう」、シード奪還に向けて「俺がやるしかないな」ということをずっと考えていましたね。本当は派遣標準の51秒7を切りたかったんですけど、51秒8で2位に終わってしまいました。毎年、優勝タイムは51秒9とかだったのでレース前は51秒を出せれば勝てると思っていたんですけどね。本来ならば今年4月に51秒台を出すことを目標にしていて、出す機会がなくなってしまったので、それのうっぷん晴らしではないですけどインカレの開催が決まってからは、とにかく51秒台を出すことをモチベーションに練習していました。

ー 51秒台を出した時の泳ぎの感覚は
インカレの予選で51秒を出したときは、隣のレーンが昨年、学生新記録を出した石川君でした。いつも僕はレース中は周りを気にしないで自分の泳ぎに徹しているのですが、たまたまチラッと横を見たときにこの差だったいけるかなという感じでした。インカレ前は調子が良かったので練習通りに泳ぐことができれば51秒台は出せると思っていたので、逆にこれで出せなかったら無理だと思っていました。今回の日本選手権前の練習は上手くいかなかったんですけど、インカレ前の練習は上手くでき過ぎていたところがありました。

ー 練習から手応えはあったのか
51秒台を出すには24秒前半で入って、悪くとも27秒台後半で帰ってくる。もしくは24秒中盤あたりで入って、27秒中盤で帰ってこれれば51秒台が出せる計算になります。僕は、後半の50mを27秒5で帰ってきたいと考えていたので、練習では27秒5よりも速いタイムで4本泳ぐとか6本泳ぐとかして、身体に後半の泳ぎを覚えさせて試合に臨むような形でした。実際27秒台で繰り返し泳ぐということは、結構苦しいのですがインカレ前は「同期のためにも」、「チームのためにも」という気持ちがあったので頑張れましたね。後半で27秒5で帰ってくるためには繰り返し練習がとにかく大事で、インカレ前の練習は全部27秒台で来れていたのでインカレの2週間前くらいから51秒台を出せる自信がありました。

ー インカレの決勝で派遣標準は切れませんでした
一言でいえば、前半落ち着きすぎたということです。予選を終わった段階で田中君との一騎打ちになることを予想していました。田中君は23秒台で前半を入る選手なので、決勝のレースプランは24秒1であまり田中君に離されないで入って、後半一気に巻き返すことを考えていました。前半から行ってそのまま優勝するよりも、前半2番とか3番にいてタッチ勝負で勝つという方がカッコいいんですよ。「うわ!なんだあの追い上げ!」みたいな感じで会場も湧きますし。そういう余計なことを考えてたらレースも負けて、51秒7も切れませんでした。前半から行かなかったことだけは悔いに残ってますね。去年のインカレは24秒0で入っていたので、それくらいで行けてれば51秒6が出たのかなと思います。後半の追い上げを見てファンが増えればいいなと思っていたんですけどね。あそこで金メダル獲っていれば、僕がスポーツ法政新聞に載っていたかもしれませんね。僕、実は中3の全国中学も高3のインターハイも大学4年のインカレも全部2番なんですよね。そういった意味で詰めが甘いと言いますか、いつになったら勝てるのかなと思っています。

ー 大学3年以降で成長した要因は
2018年は全くベストが出ない年で、去年2019年はインカレ以外は出る試合、出る試合で自己ベストを更新しました。大きく変わった要因は水泳を好きになったことですかね。泳ぎの映像を見返すとか、練習内容を思い返したり、水泳一筋になったと言いますか、本当に水泳が好きっていう風になりました。この前の日本選手権で何が原因でダメだったとか、インカレでどうして51秒7を切れなかったのかとか、僕が五輪代表になるには何をしたらいいのかとか考えるとキリが無いです。休みの日とかも、もっとこうすれば強くなれるかもとか考えていて、そういうのが楽しいですね。とにかく昨日の自分を超えたい気持ちがあって、現状維持で満足せず、常に自分をアップデートしていく気持ちが大事だと思います。例えるならゲームのような感じで、一つ課題をクリアするとまた克服しなければいけない課題が現れて、どんどん自分を強化していく感覚ですね。現状維持は停滞です。インカレ後の1週間のオフの間も5日間くらいはインカレの映像を見返していました。ここもっと上手く泳げたなとか、スタートが上手くいっていなかったなとか。高校生くらいまでは、泳げば泳ぐだけ結果は付いてきましたけど、シニアになって感じたのは頭を使って考えることが必要だなということです。自分が伸びた要因は水泳を楽しんでいるからというのは後輩たちにも話をしていることです。とにかく自分がなりたい姿を思い浮かべて、それに向けてひたすら努力しろとは言っていますね。また、努力する中で自分で色々考えることが大切なんだと。とにかく今の後輩たちはやる気に満ち溢れている選手が多いので、頑張って欲しいです。

来年4月の日本選手権で悲願の優勝と東京五輪への切符を獲得できるか

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