• HOME
  • 記事
  • サッカー
  • 【サッカー】Jリーグクラブ入団記者会見 法大5名がJの舞台へ 次なるステージに向けて意気込みを語る!

【サッカー】Jリーグクラブ入団記者会見 法大5名がJの舞台へ 次なるステージに向けて意気込みを語る!

サッカー

【サッカー】Jリーグクラブ入団記者会見 法大5名がJの舞台へ 次なるステージに向けて意気込みを語る!

Jリーグクラブ内定選手記者会見
2019年12月4日(水)
法政大学市ヶ谷キャンパス

  プロサッカー選手という夢をかなえた5名の選手たちが市ヶ谷キャンパスで内定会見に出席した。各選手が次なるステージへ、そして一週間後に開かれるインカレへの意気込みを語った

S  23175173 R
J内定者が意気込みを語った

監督・選手挨拶

長山一也監督

 まずは5名を紹介する前に今年の法政サッカー部を紹介させて頂きます。昨年インカレでチャンピオンを取りまして、そこで獲得した出場権でアマチュア代表として天皇杯に出場させて頂きました。ご存知の方もいると思いますが、Jリーグクラブを2つ倒す事ができて、大学サッカーの強さ、存在意義を証明できたかなと思っております。そのチームの中心で戦った5名がこうやってJリーグのクラブに内定を頂いてプロの世界に旅立っていける事を嬉しく思っています。天皇杯はその先(ラウンド16)で甲府さんに負けまして、Jリーグができてからの大学チームの記録を破る事はできなかったんですが、日本でベスト16に入ったという形で天皇杯を終えました。大学サッカーで言うと主な大会が総理大臣杯とリーグ戦とインカレという所で、総理大臣杯は天皇杯の勢いのまま決勝まで進む事ができたのですが、宿敵の明治さんに逆転負けをして。関東リーグでは4位でインカレの出場権を獲得しましたので、インカレでは2連覇を狙いながら明治さんにリベンジを果たしたいなと思っています。

 ここからは選手の紹介をさせて頂きます。まずは紺野和也。ご存知の方も多いと思いますが、ドリブルが得意な選手で高校生の頃から「武南のメッシ」と呼ばれていたような選手です。法政に入ってからも特徴であるドリブルで観客を魅了してチームの勝利に貢献してくれました。紺野が入ってきた時に魅力ある選手だなというのは感じていたのですが、プロで活躍するために何が必要かなと思った時に守備やハードワークであったり、フィニッシュなどドリブルの先のプレーという所があって。そこが大学の中で成長してきた所かなと思っています。今の大学でのトレーニングでもドリブル以外の部分で研鑽を積んでいますので、この先FC東京さんに行ってからもすぐに力になって、ドリブルで観客を魅了しながら数字を残せる選手になって欲しいなと思っています。彼は物静かなタイプではあるのですが、4年生になってからは後輩を引き連れてトレーニングをやってる姿も見られて人間的な成長も感じています。自分のプレーだけではなく人のためにという意識も芽生えてきたので、プロになってからも活躍して愛される選手になっていくのではないかと思っています。

 次は下澤悠太。彼は柏U-18出身という事もあって技術の高い選手で、1年生の頃から試合に出る事もありました。ミドルシュートやフリーキックも得意で、ビルドアップが非常に長けている選手です。なぜ彼はそういう技術が高いのかという所を4年間近くで見ていたのですが、彼は本当によく練習します。冬場のインカレが終わるとオフになるのですが、オフに頑張りすぎて始動日にけがして戻ってくるくらいの頑張りすぎちゃう選手です。バランスもうまく考えながらやっていかないといけない所は大学で学んだと思いますが、凄くサッカーが好きで研究して取り組む事ができる選手です。トップの世界に入ってもいろんな監督から刺激を受け、自分に落とし込んで成長していく選手になると思います。

 次が末木裕也。甲府U-18出身の選手です。末木も技術がすごく高く、サッカーセンスの塊と言ってもいいような選手です。彼もセットプレーが得意で、うちのチームではアシストを量産してくれました。今年の天皇杯でもFKからアシストをしたり、チームの核として活躍してもらいました。

 次は松澤彰です。特にありません(笑)嘘です。松澤は浦和ユース出身です。彼は恵まれた体格を持っておりまして、190cm近くあります。まだ発展途上で、(法大に)入ってきた時は筋力が足りないというか身体を上手く動かせないような状況ではあったのですが、年々努力を重ねて身体も動くようになっています。サイズを活かしてセットプレーやポストプレーの所でチームの柱として活躍してもらいました。彼は明るい性格で後輩の面倒見もよくて、ピッチ外でも慕われる存在です。凄く伸びしろがある選手なので、プロの世界でより成長して所属クラブの力になってもらいたいです。

 最後は森俊貴です。栃木ユース出身なので、また古巣に戻る形になりました。森は法政のサッカーにとって大事な存在で、攻守の核として活躍してもらいました。攻撃の所では点を取って、守備の所でも検診的にハードワークしてくれる選手でチーム欠かせない存在でした。彼は理系の情報科学部という学部に所属しておりまして、法政のサッカー部は多摩キャンパスにグラウンドがあるのですが、小金井のキャンパスまで距離があるので練習を20分くらいしたら戻らないと1限に間に合わないという日が週に2,3回ありました。なので、彼は大学の時にあまりトレーニングをしていないような状況でした。ですが、短い中でもできる事をやったり、夏休みや冬休みの期間に足りない分を補うような取り組みをしっかりしていました。難しい授業が多い学部ですが、文武両道をしっかり果たして理系出身Jリーガーとなった努力には敬意を表したいです。彼は古巣でサッカーができるという事でより熱い応援をして頂けると思うので、地元の栃木のために活躍して欲しいと思っています。

S  23175175 R

 

紺野和也

  現代福祉学部の紺野和也です。本日はこのような素晴らしい会を開いて頂きありがとうございます。来シーズンからFC東京でプレーできる事を今からとても楽しみにしています。1日でも早く青赤のユニフォームを着てピッチで活躍できるように日々努力していきます。応援よろしくお願いします。

S  23175184 R

紺野和也(こんの・かずや)

1997年7月11日生まれ。現代福祉学部4年。ポジションはMF。

経歴=武南高校 – 法政大

 

下澤悠太

  来季からブラウブリッツ秋田に加入する事が決まりました、社会学部の下澤悠太です。このような素晴らしい会を開催して頂きありがとうございます。ブラウブリッツ秋田でプロとしてのキャリアをスタートできる事をとても嬉しく思っています。今ここに立てているのは多くの方の支えがあったからだと思うので、感謝の気持ちを持ちながら少しでも早くピッチに立ってブラウブリッツ秋田の力になれるように日々精進していきたいです。応援よろしくお願いします。

S  23175186 R

下澤悠太(しもざわ・ゆうた)

1997年9月4日生まれ。社会学部4年。ポジションはMF。

経歴=柏レイソルY – 法政大

 

末木裕也

 来年からカターレ富山に加入する事になりました、スポーツ健康学部の末木裕也です。本日はお忙しい中お集まり頂きありがとうございます。小さい頃からの夢だったサッカー選手をカターレ富山で始められる事を嬉しく思いますし、これからカターレ富山サポーターの方々にいち早く認めてもらえるように日々努力していきますので応援よろしくお願いします。

S  23175192 R

末木裕也(すえき・ひろや)

1997年5月16日生まれ。スポーツ健康学部4年。ポジションはMF。

経歴=ヴァンフォーレ甲府Y- 法政大

 

松澤彰

  来季からカターレ富山に入団することが内定しました松澤彰です。富山のサポーターに早く認められるように日々精進して参りますので応援よろしくお願いします。

S  23175194 R

松澤彰(まつざわ・あきら)

1997年9月18日生まれ。現代福祉学部4年。ポジションはFW。

経歴=浦和レッズY – 法政大

 

森俊貴

  来季から栃木SCに加入する事が決まった情報科学部4年の森俊貴です。10年以上お世話になった栃木に直接恩返しができるチャンスを与えてくれた監督をはじめコーチ・スタッフの方々に感謝しています。栃木の一員としてしっかりと活躍して、J2で上の順位に行けるように日々努力していこうと思っています。応援よろしくお願いします。

S  23175201 R

森俊貴(もり・としき)

1997年8月29日生まれ。情報科学部4年。ポジションはMF。

経歴=栃木SCY- 法政大

 

監督・選手コメント

長山一也監督

ーそれぞれの選手を法政に呼びたいと思ったきっかけは
和也はやっぱりドリブルの所がスーパーだったので、よりいろんなものをプラスしていければ活躍できる選手になれるだろうと思って。
 松澤は身長という部分もありますし、練習参加に来た時からキャラクターがあって「法政でやりたい」という意志を表現していたので性格も含めた魅力を感じました。
 末木はセンスが抜群にあったので、そこに人間的な魅力というかリーダーシップを発揮できる所が加われば良い選手になれると感じました。
 下澤はポゼッション能力が凄くあって、ボランチでそういう選手が欲しかったという所がありました。真面目な性格で、高校時代に練習参加した時の面談でも自分の意志をしっかりと話してくれましたし。
 森は第一印象としてはもうちょっとやんちゃな感じがあったんですけど。大学で文武両道しながらサッカー以外でも多くの事を学んで、やらなきゃいけない事を理解しながら取り組んでいって。前はもっと自分の事を考えちゃう子なのかなと思ってましたけど、今ではチームの事を考えてやってますね。けがでインカレは出られないですけど、その中でチームに対してできる事をやっているのかなという所があります。
それぞれこの4年間で身体も大きくなりましたし、想像したような成長をしてくれたのかなと思います。

ー今の4年生は下級生の頃からたくさん試合に出ていた世代でしたが、やはり相当期待していたのでしょうか
そうですね。野木(健司)というスカウトがいて、去年の4年生から我々がスタッフになってから取り始めた選手なんですけど、1年目は大学の状況も高校の状況も分からない状態でスカウトした子達だったので。もちろん去年の4年生もしっかり見て取ったんですけど、(今年の4年生は)1年間通してどういう感じで大学サッカーをやっていけばいいのか分かった状態で取った子達なので思い入れがありました。

ー下澤選手が始動日にけがして合流したというエピソードについて詳しく聞かせて頂けますか
オフの期間なので、結構休む子達が多いじゃないですか。そこでも彼は地元のチームでバリバリやり続けてたので(笑)そのぐらいサッカーが好きなのは大したものだなと思いました。けど、休む事も覚えないと切羽詰まっちゃうし身体ももたないぞって(伝えて)。そこからはほとんど怪我してないんじゃないですかね。そういった意味ではアドバイスに対しての反応の良さもありますし、凄く賢い選手かなと思います。

紺野和也

―大学での会見を終えて率直な感想は
改めて法政から来年FC東京に行くということで、法政の看板を背負うじゃないですけど、しっかり責任と覚悟をもってプロの世界に飛び込みたいなと思いました。

―サッカーの面でもそれ以外の面でも大学生活の中で成長できたと思う部分は
サッカーの面でいったら本当に守備とハードワークの部分では成長できたと思います。高校の頃は、守備はしなくてもいいくらいの感じで(当時の)監督には言われていたので、そんな中で、大学サッカーでは守備もしっかりしないと試合に出れませんし、最初できなかった時から長山監督が口酸っぱく言ってくれたおかげで成長できました。普段の生活からサッカーでどう成長するかを考えながら生活できました。大学生になって時間もあったので、夕方に自分で自主トレをしたり、食事の栄養面であったり、睡眠の時間なども考えながら生活することができたので、そこは高校のときに比べて成長できた部分かなと思います。

―同じくプロへの内定が決まった仲間へ
4年間一緒にやってきた仲間なので、今はカテゴリーは違いますけど、いつかどこかのピッチで対戦したいなという気持ちはありますし、またその時に自分も成長している姿を見せたいと思っています。まずは、各自違うチームへ行きますけど、その中で一人一人が自分が成長するためにやるべきことをやって、どこかで再会できたらなと思います。

下澤悠太

―ブラウブリッツ秋田に内定おめでとうございます
ありがとうございます。なんとか決まりました。

―秋田には練習参加はいつごろからしていましたか
先月(11月)の初めから半ばくらいですね。3日間だけ参加して、そこでオファーをもらった感じです。

―秋田はどんなクラブですか
みんな向上心が高いと感じていて、一番感じたのは強度というか、プレッシャーの速さというところを積み重ねるというか、差異学とはまた一つ上のプレッシャーの速さだったので、やっていて刺激的というか、練習の内容とかも面白かったですし。一人一人がモチベーションを高くやっていて、良いクラブだなという印象でした。

―プロとしてのキャリアのスタートですが、どのような選手になりたいというイメージはありますか

大きな像としては、周りの人たちに影響を与えられるような選手になりたいというのがあります。それを細部で考えていくと、ゴールやアシストだったり、結果を示せる選手になりたいというのは強く思っていて、観客を魅了するようなプレーもやっていきたいですが、結局は上に行くためには数字が評価されると思うので、そういった部分も出していける選手になれたらなと思います。

―柏レイソル出身ですが、いつかは柏に帰りたいという気持ちはありますか
育ててくれたクラブですし、自分のサッカー観を変えてくれたクラブだったので、やっぱりいつかは黄色いユニフォームに袖を通したいという意識はありますね。

―大学の四年間で成長したと感じる部分はありますか
やっぱり人としてというか、また高校とは違った環境のなかで、人との接し方というか、四年間ずっと同じ寮の仲間達と生活する中で年齢が上がるにつれて後輩の面倒も見ないといけないというのもありますし、そういう立場の人間として成長することが出来たと言うことと、謙虚さというか粘り強さというか、そういった部分もサッカーを通してカズさん(長山一也監督)が謙虚さや粘り強さを大事にしている方なので、そういった部分をプレーの中で表現していく中で、どんな中でも諦めないという気持ちも強くなっていったかなと思います。

―『大学サッカーの集客』という内容で卒論を書いていると言うことですが、下澤選手自身は大学サッカーの集客の状況についてはどのように考えていますか
携帯電話でサッカーが見れる時代なので、大学サッカーがどのようなことで勝負するかと言うことが難しくて、高校サッカーだったら謙虚さとかひたむきさだったりとかがあって、プロだったら技術とか質じゃないですか。じゃあ大学サッカーってなんなのって言ったらどっちにも勝てないと思って、個人的には勝負するところがあまりないのかなというところで。そういう所が集客の面で弱いのかなと。そこで個人的に考えているのが地域との関わりだったりとか、プロサッカー選手であっても地域との関わりはあったりするとは思うのですが、多少たりともプロと観客の間には隔たりがあると思うので、大学サッカーの選手達が地域との関わりをどんどん増やしていけばファンも増えて、結果的には集客につながるのかなと思っているところです。やっぱり数年で変わる問題ではないので、難しいですね。

―法政はどんなクラブですか
四年間を通じて勢いがあるなと感じていて、トーナメントを見ても毎年勝てていますし、チーム内の選手同士の距離感が近いというか、とても仲が良いので、一つになったときの力という部分は良い物があるなと思いますね。

末木裕也

ー4年間で印象に残っている試合は
間違いなく2年生の時の大臣杯決勝です。僕がサッカーを始めた時からそれまで日本一を経験した事がなかったので、サッカー人生で初めて日本一になれたのが凄く印象に残っています。

ー古巣対決となった天皇杯の甲府戦では昔から見ていた山本(英臣)選手やユース時代のチームメイトと同じピッチに立ちましたが、何か会話は交わしましたか
入場する際に山本選手の所へ挨拶に行ったら「来るのおせーよ」って言われたり(笑)練習参加の時に仲良くなった荒木翔選手には試合後に「法政強かったね、お前らの分も頑張るよ」と言って頂きました。

ーサッカー部の公式サイトで『憧れの選手』として挙げた選手は覚えていますか
中澤(佑二)選手ですよね。あれは(プレースタイル的に)半分ふざけです(笑)でも、今バラエティ番組とかにも出てても明るくて人間的に面白くて喋りが上手くて。自分は全然そういう所がないので。中澤選手は見るからに優しさが溢れてるじゃないですか。自分もそういう風に愛される選手になりたいです。ふざけですけど、人間的にはガチで選びました。

ープレースタイルからガチで選ぶなら誰ですか
ヴァンフォーレ甲府の山本英臣選手です。天皇杯もあの人に全部決められた感じだったので。
(2点とも一瞬の隙を突いたパスから起点になっていましたね)
そういった場面のパスをミスらず百発百中で通してくるのが本当に上手いですし、一緒にプレーしていた時から身に染みて感じていました。

ー大学までずっと甲府の下部組織でプレーしてきてサッカー部の経験はなかったと思いますが、法政に入ってから感じた違いはありましたか
高校だと総体に出る時とかに部の紹介をされるじゃないですか。甲府ではそれがなかったんですけど、法政に入ってからは部の紹介だったりインカレの壮行会で(目立つ所が)あったので「こういう感じなのか」と思いました。

ー大学サッカーの中で一番強敵だと思った選手やチームはありますか
断然、今年の明治です。

ーやはり最後は明治にリベンジして終わりたいですか
今季3敗してるので、4敗目とかしちゃったらもう恥じゃないですか。そうしたらこの代は確実に明治の年になってしまうので。そこでなんとか『最後は法政だったね』という所を残したいですね。

ーちなみに、サッカーを始めたきっかけは
兄が二人いるんですけど、兄とお父さんがサッカーをしていた所に混ぜてもらったのが最初です。そこからすぐにハマりました。それで小3までは小学校のスポーツ少年団でやってたんですけど、小4からクラブチームに行きました。

ーカターレ富山への入団を決めたきっかけは
最初に声を掛けてもらったのと、環境面ですね。カターレは寮から練習場まで30秒で着ける環境で。他のクラブなら車を使ったりすると思うんですけど、そういった移動のストレスがないです。練習が終わってからすぐにご飯を食べられるのもサッカー選手にとって重要だと思いますし、そういう環境が良かったです。

ーカターレ富山サポーターに向けて「俺のここを見ろ!」という部分は
キックですね。法政ではセットプレーとかでアシストも結構できたので、そういった面を見せていきたいです。

ールーキーイヤーの目標は
1年目から試合に出ていきたいですし、まずは開幕スタメンで出る事です。

松澤彰

 ―富山に決めた一番の理由は
雰囲気が法政に似ている感じが個人的にあって…すごい入りやすかったですし、練習内容も、自分がレベルアップ出来るような練習内容で…そこで自分の良い物をだしていけるなーと言う感じがあって富山に決めましたし、富山の強化部長の黒部さんって方が、来て欲しいと言ってくれたので、決めました。

―富山の練習に参加するようになったのはいつ頃からですか
大臣杯終わった頃…最近ですね。まあでも富山とは毎年練習試合させてもらってるんで。そういうときにも色々見てもらってたのかなと思いますね。
―サッカーを始めたのはいつ頃ですか
小学校4年ですね。
―誰かの影響で始めたということですか
いや、特に影響はないですけど…最初野球選手になりたかったんですけど、みんながサッカーやってたから小4で部活でサッカー始めて、小5でクラブチームで始めた感じですかね。
―そのときのクラブは何というクラブですか
名古屋FCイーストっていうクラブで…名古屋FCが大元のクラブなんですけど、その地方のクラブみたいな感じです。
―中学校もそのクラブで
そうですね、小中そこでやらしてもらいました。
―そのころからFWで
サッカーを始めた頃は色々やったんですけど、クラブチーム入った頃からはずっとFWでやってました。
 
―レッズユースに移る訳ですが、レッズユースを選んだ理由はありますか
一番早く声をかけてくださったのが浦和さんで、関東でもあったし、その話があったときからすぐに県外に出ようかなというかんじではあって…親は反対したんですけど無理繰り行かしてもらいました。
 
―ユース時代に影響を受けた選手や指導者はいますか
みんなからいろんな影響もらったんですけど、一番はやっぱり邦本宜裕(韓国・慶南FC)っていう選手…分かります?あいつと僕が県外から来た組で寮も一緒で…で、そいつはもともとサッカーうまくて、まあずっと一緒にやってて…まあ早めに辞めちゃったんですけどね。まあアイツとサッカー一緒にやってて、レベルの差とか、違いとか。一応FWだったんで、アイツのうまさとか結構衝撃的で。浦和入った一年目はマジで苦しくて。自分の技術とか色々足らなすぎて。まあでもそこから色々あって、まあアイツの影響が一番大きかったです。
 
―法政を選んだ理由はありますか
特に大学どこに行きたいとかなくて。自分。で、ウチの監督の大槻(毅)さんに流経に一番入りやすいから「流経行きます」って言ったら「そんなんじゃだめだ」みたいに言われて、とりあえず法政大学行ってこいみたいに言われて、行かしてもらって。でも大学ってもっと『カタい』イメージで、上下関係厳しいイメージがあったんですけど、法政は…法政しか行ってなくて僕、で、すごい雰囲気が柔らかくて、良い雰囲気でサッカーしてて、まあ、カラーはオレンジだったんで少し抵抗はあったんですけど…まあそれは冗談なんですけど(笑)まあそれで入りたいなと…長山さんも欲しいって言ってくれたので、即決で決めさせてもらいました。
―大学時代に影響を受けた選手はいますか
まあ同期もそうですけど…まあやっぱり上田綺世は…すごく影響を受けましたね。なんか…自分と同じポジションだけど考えてることが密で。こだわりとか、FWには何が必要かということを吸収させてもらいましたね。
ー特にどのような部分で刺激を受けましたか
僕が一番学んだのは「FWはどんな失敗をしても点を取ればチャラになる」という事ですね。
 
―天皇杯の東京V戦の試合後にFWの練習メニューを上田選手が考えていると伺いましたが
そうなんですよ。綺世がいなくなる前…綺世自身はいなくなるのが分かってて自分達には言ってなくて。それで急にアフター(全体練習後)にシュート練が始まって、それでいろんな形とか。俺らとしてはいろんなシュート練しようと思ってたんですけど、綺世はなにかを残そうとしてくれたみたいで。後々話とかを聞いてみると。それで、いろんなことをみんなで話しながら綺世が今のこうだったよねとか話しながらシュート練とかしてて、で、いまでもいろんなシュート練とかクロス練とかやってて…そういう面では綺世からいろんな影響を受けましたね。
―松澤選手自身だけではなくて、法政のFW陣にも影響はありましたか
みんなでシュート練するようになったんですよ。綺世がいなくなったことで得点能力は下がることが分かってたんで。悔しいですけど。得点能力がなくなることは目に見えてたんで。そこはみんなで良い物を作ろうという意識でいつもシュート練やってます。
―大学時代を振り返って、自身が成長したと感じるところはなにかありますか
全部成長させてもらった感じです。何も出来なかった自分だったんですけど、大学にきて自分の出来ることとか、自分の体の特徴とか、そういうのを存分に生かして行かないとやっていけないなと感じて。本当に何も出来なかったんですよ、最初の頃。でも周りの先輩とか後輩とか同期とかに教えてもらって、こうした方が良いよとか監督に言われたりして、それを忠実にやってきた結果が富山に入れたってことになってると思うので、自分の足りない部分を大学で成長してもらえた感じです。
 
―法政は自身にとってどの様なクラブですか
もう家族みたいなもんですね。なんでも言い合えるし、一年生から四年生の壁もないんで、色々意見とかも試合中でも紅白戦でも後輩から言われたりするんですけど、良い意味で切磋琢磨出来る環境だなと思いますね。
 
―目指す選手像はありますか
イブラヒモビッチとかレバンドフスキとか、でかくて強くてシュート打てて点決めてうまい、みたいな選手にはなりたいですね。
―インカレのタイトルが残っていますが、意気込みはありますか
インカレは…自分インカレ大好きなんで(笑)。インカレになると途端に点取れるんで(笑)。良いイメージは毎年あるので、自分がまた点を取るだけじゃなくて決勝まで行って、決勝で点を取るというのが目標ですかね

 

森俊貴

―栃木SCに凱旋となりましたが、森選手にとって栃木SCとはどのようなクラブですか
サッカーの醍醐味をやっているクラブで、ハードワークしてガツガツ戦うようなクラブですね。

―国士舘大学の明本選手や昨年法大を卒業した黒崎隼人選手など、栃木SC出身の選手とまたプレーすることとなりました
隼人とは5、6年、大学も合わせたらもっと長い期間一緒にやっていて、タカ(明本選手)とは小学校の時から一緒にやっていたので、そういった選手とまたユニフォームを着て出来るというのは嬉しいですし、3人で切磋琢磨して、栃木の中心として高いレベルに連れて行けるように頑張ろうと思っています。

―森選手が大学に来て成長したと感じることはありますか
ハードワークするというところで、チームのために労を惜しまないプレーのスタイルになったと思います。守備面では目の前の相手にやらせないようにする守備とか、攻撃でも球際やフィジカルを生かした攻撃の起点となるようなプレーは大学に入ってから身につい他と思いますね。

―ユース時代と、今季も14番をつけていますが、何か思い入れのある番号ですか
もともとヨハン・クライフ選手が好きで、ユースでは14番つけさせてもらって、大学では四年生になって背番号選べるということで14番をつけさせていただきました。

―プロとしてのキャリアがスタートしますが、どのような選手になりたいというイメージはありますか
子ども達に夢や希望を与えられるような、目標となれるような選手になりたいなと思っていますね。やっぱり僕が小さいときから栃木SCの試合を見て、そこで活躍したいな、ああなりたいなと思っていて、それをかなえるチャンスが今あると思いますし、それをつかむかどうかは僕のこれから次第だと思うので、そうなれるように努力していきたいです。

―最後に、森選手にとって法政大学はどんなクラブですか
明るいチームというのが一番に出てきて、上下関係がほとんどないのが一番の特徴で、後輩先輩関係なくて、ご飯とか行って、練習中でも先輩後輩関係なく意見が飛び交うのが天皇杯とか、チームの調子の良さにつながってると感じますね。

フォトギャラリー

    • S  23175179 R紺野和也選手(左)と羽生直剛スカウト
    • S  23175188 R下澤悠太選手(左)と岩瀬浩介代表取締役社長兼強化部長
    • S  23175195 R末木裕也選手(左)、松澤彰選手(右)と黒部光昭強化部長
    • S  23175204 R森俊貴選手(左)と山口慶強化部長

関連記事一覧