【硬式野球】4年生引退特集 第2回 ~チームを影で支えた男たち~
東京六大学野球秋季リーグ戦 対立大4回戦
2017年10月31日(火)
神宮球場
立大4回戦をもって4年生は引退。一枚岩で戦ってきた日々を終え、それぞれの進路へと進む。この4年間、彼らはどのような思いを胸に過ごしてきたのか。お話を伺った。
選手コメント
大崎拓也 内野手
ー最後の試合を振り返って
短い4年間と感じて、みんなと一緒に過ごした時間が楽しかったなと思いました。
ー今日の試合が始まる前はどういった心境でしたか
最終戦になると思ったので、アップから大事に1日過ごしました。
ー今季はサポートに回る機会が多かったかと思います
あまり試合も出ていなかったので、声を出して、チームが勝てばいいなと思ったので、声を出し続けていました。
ー法大での4年間を振り返って
色々辛いことも楽しいことも色々あって、東京に出てきてよかったなという4年間でした。
ー特に辛かったことは
試合に出れなかったり、監督に怒られたりして辛かったこともありましたが、こうやって最後はこうやって笑って終われたのでよかったなと思います。
ー4年間で自身が成長したなと思えたことは
高校時代は部員も少なかった一方で、大学は部員も多いので、チームみんなのことを考えて野球ができるようになりました。
ー4年間を共にした同期の存在は
最高の仲間です。最高です!
ー後輩に向けてメッセージを残すとしたら
可愛い後輩ばかりなので、絶対に優勝して笑ってくれたらいいなと思います。
ー森(龍馬,キャ4)主将について
あいつしかキャプテンはいないと思ったので、素晴らしいキャプテンで、この1年間、キャプテンとしてチームを引っ張っていってくれてありがとうと言いたいです。
ー特に期待する後輩は
小林満平(法3)と、向山(基生,営3)は可愛がっているので、頑張ってくれるといいなと思います。
ー卒業後の進路は
京都の社会人で、地元に帰って野球をやるので、関西でしっかり頑張って、2年後プロに行けたらなと思います!
ー最後に応援してくださった方へ
優勝できなかったですけど、いいチームで野球ができて、最後は勝って終われたので良かったと思います。応援ありがとうございました。
駒場嵩弘 捕手
―4年間の大学野球生活を振り返って
1回も優勝できなかったですし、辛かったですけど、良い指導者、同期に恵まれて、充実した4年間でした。
―野球部で良かったことと辛かったことは
1番良かったことは良い同期に巡り会えたこと。そして、普通の人が経験できないような経験を多くできたことです。 辛かったことは例えば、友達が旅行に行ってる時も、僕は練習してたり、4年間通して、休みという休みがなく、私生活では門限があるといった制限があるなかで、生活してきたことです。
―1度も優勝できなかったことについて
悔しい思いもありますけど、優勝に向けて、頑張ってきた努力というのはいつかは無駄にならないと思ってます。大学では咲かなかったですけど、いつか優勝できると思ってます。
―今年のチーム結果を振り返って
日本一を目指してやってきて、自分も捕手責任者としてやらせてもらってたので、優勝できなかったことは本当に申し訳ないですけど、来年後輩たちには優勝できるように頑張ってほしいです。
―法大進学の理由は
東京六大学で野球をしたいという昔からの夢で、誰もが憧れる場所でプレーしたいという思いが強かったので、法大を選びました。
―4年間の1番の思い出は
1番の思い出は沖縄県の渡嘉敷島で行った「渡嘉敷キャンプ」という地獄の走り込みです。人生で1番走ったと言っていいくらい、走りましたけど、振り返ってみれば、大きな自信になったかなと思います。
―具体的にどのくらいの距離を走りましたか
700m走を20本。坂ダッシュ20本。あとは砂浜ダッシュを3時間とかやりました。
―出場機会に恵まれなかった心境について
2年の春季リーグ戦から入れさせてもらえて、試合に出ることはできなかったですけど、ブルペンという場所で自分が仕事をできる場所を与えてくれた監督に感謝したいです。
―ブルペン捕手として一番気を付けたことは
一番は、試合に投げる投手が100%の力を出せるように準備をさせることですね。投手の表情や行動を通じて、心理を読み取って、投手が少しでもリラックス出来るような雰囲気を作ることを意識していました。
―ブルペン捕手なので、投手陣からの信頼も厚かったと思います。最終戦後、投手陣からは
投手陣は皆シャイなので、あんまりないですけど、その中でも菅野(秀哉,キャ3)とか試合終わったあとに来てくれたり、長谷川や熊谷(拓也,キャ4)も声かけたりしてくれたので、非常に嬉しいなと思います。
―後輩に期待することは
十分努力もしてると思いますし、優勝できる可能性は大いに秘めてると思うので、自分の力を100%出せるようにしたら、自ずと優勝できると思うので、ぜひ優勝して優勝パレードしてほしいです。
―捕手の面白さについて
捕手の面白さはやっぱり打者との駆け引きだと思ってます。 その駆け引きの中で試合を作っていける、投手とともにチームを勝ちに導くことが出来ることが大きな自信に魅力だと思います。
―4年間法大投手陣の球を受けてみて、1番すごかったなと思う投手は
うーん、菅野ですかね。健大(石田,平26年度卒,現横浜DeNA)さんも受けさせてもらったことありますけど、菅野は直球も速いし、変化球も球種が多いし、どれも打者が打ちにくいボールなのでそこが凄いですね。
―今後の進路は
一般就職で森永乳業に入社します。なので、野球は軟式野球部があるので、そこでやる程度くらいです。
―その野球部に入部するつもりですか
そうですね。熱心に勧誘を受けているので、やると思います。
―駒場選手にとって野球とは
大好きなものです。
―最後に応援してくださった方々に一言お願いします
4年間応援していただきありがとうございました。個人的に声をかけてくださるファンの方々もいたので、そういう方々に試合に出場している姿を見せられなかったことは非常に申し訳ないと思ってます。ですが、社会人という舞台で活躍できるように頑張りたいなと思ってます。
長谷川裕也 投手
―最終戦を終えて4年間の大学野球生活を振り返って
僕にとっては短く感じてて、そのわけは自分が初勝利をあげたのが4年の春なので、それまで、あっという間に過ぎたなと感じます。
―そのなかでも、勝てない苦しさがあったと思いますが
打たれることの方がこの4年間が圧倒的に多かったですけど、本当にもがいた4年間という感じですね。
―4年間の野球生活には楽しさと辛さがあったと思いますが
今思うと、楽しい思い出も一杯あるんですけど、やっぱり、やってるときは常にしんどかったなと感じましたね。
―辛かった理由は勝ち星に恵まれなかったからですか
そうですね。あと練習でも、試合でも、オープン戦でも上手くいかないときとか多々あったので、そのときは辛かったですね。
―それでもアンダースローで活躍された姿はファンの記憶に残ってると思います。アンダースローの魅力とは
やっぱり、一番は打者と遊べることですかね。
―今日の試合はブルペン投球練習されてましたが、意気込みは
常に僕がベンチ入ってるときは、いつでも投げれるように準備してます。 あとは、投げてる投手の菅野とかに託す思いもありました。
―青木(久典)監督や真木(将樹)コーチから試合後かけられた言葉は
さっき、ロッカーで会話をしましたけど、「今までありがとう」という言葉と「来年から頑張ってくれ」という言葉をかけられました。
―今季は3位となりましたが
僕が頑張ればもっと上に上がれたのかなという責任は感じてます。
―春季に比べて、秋季の成績は下がってしまいました。不調の原因は
春季に結果を残しただけなのに、過信して自分に甘えが出てしまったところからかなと感じてます。
―4年秋に先発の座を下ろされてしまった悔しさは
監督も僕を信頼して、起用してくれていたので、辛いというか、チームに対して申し訳ないという思いでした。何とかしてあげられない自分にも腹が立ちましたし、本当に申し訳ないなという気持ちです。
―4年間で一番印象に残っている試合とシーズンは
一番嬉しかったのは、明大(1回戦)から勝ち星をあげたときですかね。僕も初めて勝ちましたし、それまで苦しんでた熊谷も、その後しっかり抑えてくれて、4年生で勝てたということが非常に嬉しかったですね。
―印象に残ったシーズンも4年春ですか
そうですね。
―ドラフト会議では、残念ながら指名されませんでした
秋季だけの結果を見てたらこのような結果になるのかなと重く受け止めてますね。
―森主将のチームはどのようなチームでしたか
背中で引っ張ってくれるので、ついていきがいがあるといあか、ついていこうと自然と思えるチームだったので、まとまりは良かったのかなと思います。
―同期の仲について
本当に本当に良い同期だと思ってますし、へこんでるときも常に盛り上げてくれるような同期がいてくれたので、僕自身も今までやってこれたと思いますし、本当に感謝したいです。
―4年間誰にも負けないくらい練習したことは
試合を想定したピッチングは人一倍に意識してやってきたつもりです。 あと、最近だとウエイトトレーニングは一番取り組んでます。
―後輩に声をかけるとしたら
僕たちの1学年下の代から、結構強いチームだと思いますけど、その世間の評価に甘えることなく、一つ一つ努力を積み重ねて成長していってほしいです。
―期待している後輩は
やっぱり、同じ部屋の柏野(智也,営1)には色んな私生活や練習に一緒についてきてくれるような存在だったので、あいつにはやってほしいなと思います。
―神宮は長谷川投手にとってどういう場所ですか
自分自身の練習の向上心を持たせてくれるというか、やっぱり、神宮で投げたいと思うと、練習も一生懸命やれたので、向上心を持たせてくれる場所だと思います。
―今後の進路は
詳しくは決まってないですが、監督と話して、社会人野球の方に進むと思います。
―応援してくれたファンに一言お願いします
神宮での応援が自分達の頑張る力になってますし、また、ファンの喜ぶ声を聞きたくて、一生懸命練習する糧にもなってるので、今後とも法政大学を応援してほしいなと思ってます。
町田大輔 内野手
―最終戦を振り返って今のお気持ちを教えてください
僕はもう野球は終わりなので、野球人生ラストの試合だったですけど、今日は出番をもらって自分が打っていればもっと早く終わっていたなと思いつつ(笑)、でも最終的にずっと一緒にファーストをやっていた中山(翔太、キャ3)が打って、勝てたのですごくうれしいです。
―中山選手が打った瞬間はどんな気持ちでしたか
いやー、ほとんど覚えていないんですけど、飛び上がって喜びましたね。しっかり仕事をしてくれたなと思います。
―最高学年で過ごした今シーズンはいかがでしたか
僕自身は野球の実力という部分ではまだまだ足りないかなという選手だったので、ひたすら後輩に追い付けるように頑張ったかなと思うような1年でした。
―4年間を振り返って辛かった思い出や良かった思い出はありますか
辛かったというのは高校で軽い病気のようなことをしたので、入部して森も同じけが人で1年の時に一緒にリハビリをしていたのは辛かったかなと思います。最終的に目標にしていたメンバーに入れて、代打で試合に出してもらえるところまで来れたので、それはすごく良かったかなと思います。
―桐蔭学園時代には病気をされて法大野球部に入部されましたが、当時の心境というのはどんなものでしたか
個人的には高校生最後の時に両親にプレーしている姿を見せられなかったというのが一番の悔いだったので、どうにかして両親の前でプレーしたいなという風に思って、大学生活を頑張っていました。
―代打の切り札として神宮でプレーすることが多かったと思いますが、その経験というものはいかがですか
高校まではずっとスタメンで出してもらえるような選手でしたけど、大学に来てそこで新たな役割というかそういうところを任されて、はじめはすごく難しくて戸惑うところもありましたけど、ひとつチームの中で大きな役割というか大きな存在になれるように努力できたかなと思います。
―同期に向けて伝えたい言葉はありますか
僕はスポーツ推薦で入った選手じゃなかったのでそういった意味ではベンチに入れていない選手もたくさんいて、その中で入れていただいたので本当にみんなには感謝していますし、自分が打席に入った時にベンチから声援がたくさん聞こえてきて力強かったので、ありがとうという思いが強いですね。
―後輩に向けてのメッセージをお願いします
後輩の実力はもう十分だと思っているので、あとは勝ってくれという感じですね。
―今までの野球人生を振り返って、この大学4年間というものは大きいものになったのでしょうか
病気を経験したことですごく意味のある4年間だったので、野球に対する取り組み方も大きく変わりましたし、何よりも野球に向き合った4年間だったかなと思います。
―これからの町田選手はどのように歩まれますか
これからは一般で就職するのでもちろん仕事をしていかなければいけないですけど、どこかしらで野球に携われるようになれば嬉しいかなと思います。就職先もちょっと野球に関係のある所なので、またそれでうまい具合に野球に携われたらいいなと思います。
―最後にファンの方々へメッセージをお願いします
結果という部分では物足りなかったかなと思いますけど、本当に応援してくださる方々がいてそのお陰で頑張れた自分がいるので、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
プレイバック
大崎拓也 (心優しき内野手のリーダー 勝利への執念見せた魂のプレー)
4年間でなかなか試合に出られなかった辛さは確かにあった。しかしラストゲームの直後に大崎が口にしたのは「こうやって最後は笑って終われたのでよかった」という充実感、そして共に過ごした同期への感謝の思いだった。
高校時代は名門・智弁学園高校で主将を務めた。法大入学後は1年春からリーグ戦に出場。その後はレギュラー定着とはならなかったが、代打や代走、守備固めとしてマルチに活躍できる貴重な戦力となり、チームに貢献した。4年になってからは周囲からの信頼を受けて内野責任者に。内野手陣はもちろん、部員全員のことを考えながら大所帯のチームを支えてきた。 4年間の集大成として迎えた今季の出場機会はすべて試合終盤だったがその中で最高学年としての執念を見せたプレーがある。代打として打席に立った対東大2回戦の9回裏。逆転のために何としてでも後続に繋がなくてはならなかったが、二塁への当たりで一塁へ決死のヘッドスライディング。内野安打をもぎ取り、反撃ムードをさらに高めるこのプレーが、勝利に対する大崎の熱い思いが表れた瞬間だった。
卒業後は地元、関西の社会人チームで野球を続け、2年後のプロ入りを目指す。法大野球部で過ごした時間、そして監督からも後輩たちからも信頼され、愛された人柄はこれからもずっと大崎にとって大きな財産となるだろう。(渡辺詩織)
大崎拓也(おおさき・たくや)
法学部4年
1995年7月17日
大阪府・智辯学園
181cm 78kg 右投左打
通算成績:35試合出場 14安打 0本 4打点 4盗塁 打率.304
駒場嵩弘 (2年春からベンチ入り 憧れの神宮に立ち続けた“ブルペンの神様”)
憧れの神宮でリーグ戦に出場することは叶わなかった。誰もが憧れる神宮でプレーする。それを夢見て名門・法大の扉を叩いた。2年春からベンチ入り。念願の神宮でのプレーは目の前だった。しかし壁は高かった。高校時代に甲子園で活躍した全国区のプレーヤー達が凌ぎを削るレベルの高い環境が彼の出場の大きな壁となった。それでも彼は腐らず、ブルペン捕手としてチームを支え続けた。勝っている時、負けている時、晴れている時も雨が降っている時もブルペンに走り、球を受け続けた。「試合に投げる投手が100%の力を出せるように準備をさせる。そして投手の表情や行動を通じて、心理を読み取って、投手が少しでもリラックス出来るような雰囲気を作ることを意識していた」と語るように献身的に縁の下の力持ちとしてチームを支え続けた。
今年は捕手責任者としてもチームを支えた。駒場は捕手というポジションの魅力についてこう語る。「捕手の面白みは打者との駆け引き。その駆け引きの中で試合を作って、投手とともにチームを勝ちに導くことが魅力」と。その言葉通り、バッテリーの共同作業無くしては投手陣の活躍はありえない。それもレギュラーの捕手だけではなく控えの選手が投手と良い関係を築くことが重要である。それをまさに体現したのが駒場であろう。本当は試合に出たくて出たくてたまらないであろう。それでもリリーフの投手を笑顔でマウンドに送りだす。そんな言葉にできない感情を抱えながらも彼はひたむきにグラウンドに立ち続けた。
優しそうで大柄。まさにキャッチャーを彷彿とさせるその出で立ちは駒場の優しい人間性をも表している。卒業後は就職して軟式野球部に属するという。「野球が大好き」と語る駒場。どんな環境でも野球を続けてくれることは彼にとって喜びもひとしおだろう。最後に「2年の春季リーグ戦から入れさせてもらえて、試合に出ることはできなかったけど、ブルペンという場所で自分が仕事をできる場所を与えてくれた監督に感謝したい」という言葉を残した。
ブルペンは駒場の場所。来年、再来年、いやこれからもずっと彼の笑顔がそこにある気がしてならない。いや我々の心に彼の屈託のない笑顔は残り続けていくだろう。月見草のように目立つことはないけれど。(石川大悟)
駒場嵩弘(こまば・たかひろ)
文学部4年
1995年6月15日
栃木県・鹿沼
173cm 84kg 右投右打
長谷川裕也 (4年春にブレイクした苦労人 観衆を魅了した”神宮のサブマリン”)
「打者を観察」
これが、“法大のサブマリン”こと、長谷川裕也(営4)の投球テーマである。埼玉・聖望学園高校に所属。優れた投手陣のなかで活躍するために、高校2年の冬から下手投げに転向した。「絶滅危惧」とも言われつつある下手投げの魅力を聞くと、毎回同じ答えが返ってくる。「打者と遊べることができる」。 白球をリリースするまで、「打者を観察」し、打気にはやる打者には、計測不明の超スローボールや抜いた直球で、タイミングをずらす。剛速球ではなくても、打者を抑えられる「下手投げの面白さ」を神宮で何度もファンに見せてくれた。 長谷川のリーグ戦初先発、初登板は3年春の慶大2回戦と遅咲き。指定校推薦入学の右腕が、スポーツ推薦の投手を押しのけて、実力で勝ち取ったマウンドだった。だが、六大学のレベルは高く、4回1/3を投げ、4失点。悔しい試合となった。結局3年時は、3試合に登板するも、勝ち星を掴めなかった。
だが、努力は必ず実を結ぶ。長谷川の転機は、4年春だった。明大1回戦に先発登板。7回1失点の好投で初勝利を掴むとともに、1引き分けを挟み、開幕4連敗を喫していたどん底のチームを救い、「苦しんでいた熊谷とともに4年生で勝ち取った試合だった」と長谷川はこの試合を一番の思い出に残る試合と語った。その後、チームは6連勝。長谷川も3勝、防御率リーグ3位の2.52と好成績を残し、一気にブレーク。「やっとチームの役に立てた」と嬉しい笑みを浮かべた。さらに、周囲からドラフト候補と評価を受け、長谷川もプロ志望届を提出するなど順風満帆な野球人生を歩むかに見えた。 しかし、秋季にサブマリン右腕は再び苦しむ。開幕から4度先発するも首脳陣の期待を裏切り続けた。東大2回戦では、自分の投球を研究され1死も取れずKO。試合後、ロッカーで涙を流した。残酷なことに、この試合が長谷川の最後の登板となってしまい、まさかの未勝利で最後の秋を終えるとドラフト会議では、今季の結果が響き、指名漏れに終わった。
「打たれることの方が、圧倒的に多かった。もがいた4年間」というように、通算成績は春にあげた3勝のみ。だが、どんなに苦しくても「神宮で投げたい」思いが、練習の向上心をあげるモチベーションとなった。また、結果に表れなくても、長谷川は常にチームを支えてきた。降板後、ベンチにいるときは、オレンジのメガホンを持ち、選手を鼓舞し続けた。得点が入れば、ベンチでガッツポーズを見せる。自分が投げなくても、勝利の執念を仲間に託し続けた。長谷川にシーズンの個人の成績について聞くたびに、いつも「チームの役に立てたか」で自分の成績を評価していた。4年最後の試合後には「自分が勝てればもっと上にいけた。責任を感じる。チームに対して、本当に申し訳ない」と語るように、チームのことを一番に考える。今季開幕前には、「4年生の同期のサポートや、学生コーチに感謝の気持ちをプレーで見せたい」と語った。大学生活最後のリーグ戦を終えると、ブルペン捕手として支えてくれた駒場に声をかけたり、同期をはじめチームメイトへの「感謝」も常に忘れなかった。 4年秋の結果、ドラフト漏れ…。不本意な結果で最後のリーグ戦を終えた長谷川。今後の進路は未定だ。それでもどんな場で野球を続けようと、浮き上がるスピンの利いた直球と超スローボールで打者を幻惑し、クレバーな投球術で打者を手玉に取るサブマリンの姿を今後も法大ファン、いや六大学野球ファン皆が期待しているに違いない。(藤原陸人)
長谷川裕也(はせがわ・ゆうや)
経済学部4年
1995年12月10日
埼玉県・聖望学園
184cm 75kg 右投右打
通算成績:15試合3勝3敗 57回2/3 39奪三振 防御率5.77
町田大輔 (代打の切り札を務めた元気印 悲劇を乗り越え見せ続けた笑顔)
「代打・町田」 引退試合となった立大4回戦。町田大輔(社4)はこの日も代打の切り札として神宮の地に立っていた。だが、彼がこう呼ばれるまでには紆余曲折の道のりがあった。
小さい時から野球を始め、チームの中でも常にスタメンを手にするような野球少年。そんな町田を高3の夏、突如病気が襲った。緊急の手術を要され、試合はおろか身体に大きな後遺症が残る危険性さえあると診断された。「野球ができないなら生きていたくない」。それは野球が大好きな町田少年にとってあまりに酷な試練だった。進学した高校は、野球の強豪校である桐蔭学園。想像を超える厳しい練習。決して恵まれた体格ではなかったが、持ち前の明るさとひたむきな努力を重ね、高3でレギュラーを掴み取った。そして、夢にまで見た甲子園。幸い手術は成功したものの、憧れの舞台を目指して仲間と共にグラウンドに立つことはできなかった。
野球ができなくなる。どんなに苦しい練習に比べても、これより辛いことはなかった。法大で野球を続けることを決め、入部後は1年間の辛いリハビリにも耐えた。そして、今ではチームに欠かせない〝代打の切り札〟だ。町田がグラウンド入れば、明るく大きな掛け声で、仲間を笑顔に変える。
「野球に向き合った4年間」法大で過ごした時間をこう振り返った。どんな苦境に立たされても決して諦めず、野球がやりたいというただその思いで、走り続けた4年間。引退後は野球を続けないが、何かしらの形で野球には携わっていくと語ってくれた。 町田の野球人生はここで一度幕を閉じる。だが、仲間に愛され、ファンに愛された背番号23は私たちの記憶の中に留まり続けるだろう。(大平佳奈)
町田大輔(まちだ・だいすけ)
社会学部4年
1995年10月21日
東京都・桐蔭学園
168cm 68kg 右投左打
通算成績:11試合出場 2安打 0本 0打点 0盗塁 打率.182