【リオ五輪特別インタビュー】第4弾~競泳 女子4×200㍍フリーリレー 青木智美選手~
2016年7月14日(木)
法政大学市ヶ谷キャンパス
リオ五輪特別インタビュー第4弾は競泳女子4×200㍍フリーリレーに出場する青木智美選手(社4)。法大水泳部女子から史上初の五輪出場という快挙を成し遂げた青木選手に、五輪への意気込みをうかがった。
青木智美選手コメント
ー水泳を始めたきっかけは何ですか
水泳を始めたのが3歳なんですけど、6歳上の兄がいて、その兄が水泳をやっていてじゃあ私もという風になりました。
ー水泳を特にやりたいというわけではなかったのですか
あまり覚えていないんですけど、兄がやっていたので私もやろうという感じだったんですかね。
ー青木選手は25㍍プールのアリーナつきみ野を拠点にしてずっと練習しているとのことですが、その場所で行っている意味などはあるのでしょうか
環境は変えたくない気持ちが1番にありますね。環境が変わってしまって駄目になってしまう選手も何人かいらっしゃったので。それと、コーチとの信頼関係が結構できているので、そういった部分でもコーチの指導を受けたいと思ってずっとこのクラブでやっていますね。
ークラブでは25㍍プールということですが、50㍍のプールにはこだわりはないのですか
やっぱり50㍍のプールがいいですけど、25㍍でもやれることはいっぱいあるので、特に不満とかは思っていないです。
ーコーチはずっと同じコーチなんですか
そうですね、小学校の時から同じコーチです。10何年の仲ですね。
ー大学に入学して、代表選手にまでのし上がる中で何か転機がありましたか
大学2年生の日本選手権に出場した時に、自分はベストタイムすら出せなくて、決勝にも残れませんでした。同年代の選手がどんどん代表権を掴んでいくのを見て、「自分何やってんのかなぁ」と思って、それがすごく悔しかったのでそこからですね、日本代表に私もなりたいと思って、練習回数も増やして頑張った結果、その年の日本学生選手権で大幅にタイムも上がって、その時のランキングも上位になって世界短水路の代表に選ばれたので、その大学2年生の時の日本選手権が転機です。オリンピックを意識し始めたのは最近なんですけど、日本代表になりたいと強く思ったのがその時でした。
ーその時に影響を受けた人はいますか
同年代の活躍がすごく刺激になって、私の世代は萩野公介選手(東洋大)や瀬戸大也選手(JSS毛呂山))がいる黄金世代と言われていて、やっぱり同年代が活躍しているのに自分が何もできないのが悔しくて、それで火がついたと言いますか、影響を受けていますね。
ー負けず嫌いですか
負けず嫌いなところもあります。
ー水泳をここまで続けてこれたモチベーションはありますか
タイムが出るうれしさといいますか、自分が頑張っていて試合で結果が出ることがうれしくてここまで続けてこれたのだと思います。
ー水泳の魅力ですかね
そうですね。
ー日本選手権では自己ベストの1分58秒80を出していますが、調子はいかがですか
この前三重で試合を行ったのですが、ベストタイム近くで泳げていたので調子は上がってきているのかなとは思います。
ーレース後によく口にされる57秒台への特別な思いはありますか
個人で57秒台を出さないと日本記録の更新と決勝が見えてこないので、今も57秒目指して練習していますし、自分の力が出せれば57秒台は見えてくると思います。
ー57秒台を出せれば日本新記録も現実味を帯びてきますか
そうですね、57秒を4人泳げれば日本新記録を更新できますね。
ー若いチームですが、若さからの不安はありませんか
不安はないですね。みんなオリンピック初出場なので、オリンピックというものがどういうものなのか分かっていない状態なんですけど、怖いもの知らずの気持ちでいけるんじゃないかと思うので、そういう心配とか不安は特にないです。
ー代表の練習は特別変わったことはしないですか
変わったことはしてないですけど、やっぱり代表の選手と練習することでモチベーションは上がりますね。
ーリオが決定してから以降の練習も今まで通りですか
今までやってきたことをずっと続けている感じです。
ーこれまで1番お世話になった人は誰ですか
コーチはもちろんなんですけど、両親がずっと支えてくれていたので、両親に結果で恩返しできればいいかなと思っています。
ー応援してくださる方々へメッセージを
遅咲きの私がこうしてオリンピックに出れたということは、諦めなければ誰でもできるという風に思ってくれればうれしいですし、そういった人たちのためにもリオで結果を残していきたいと思います。
壮行会後にはガッツポーズを見せてくれた
〈取材:宮坂天、撮影:鈴木理子〉