北京五輪女子ビッグエア4位、スロープスタイル5位 岩渕麗楽選手インタビュー
2021年3月24日(水)
法政大学市ヶ谷キャンパス外濠校舎
新入生の皆さん、入学おめでとうございます!みなさんの入学を記念して、北京五輪で見事2種目入賞を果たした、法大在学中の岩渕麗楽(スポ3)選手のインタビューを公開します。新入生の皆さんへのメッセージはもちろん、普段の生活や北京五輪のお話もおうかがいしました。なお撮影時のみマスクを外しております。
(取材・撮影/東夏紀、伊藤朱音)
―北京五輪を振り返って
北京は風が強いなど、コンディション的に難しいと言われていた場所でした。実際行ってみて滑りにくさや気温もマイナス30度くらいで寒さがこたえて体が動きにくく感じました。そのため、ベストな状態に持っていくまでのコンディショニングが大変でした。
―今まで北京五輪の会場で滑ったことは
以前ワールドカップの時に1度だけありました。ただ、オリンピック用ということでコースが大きく変わってより難しくなっていたので、ワールドカップの時とはまた違ったコースになっていました。
―2回目の五輪出場でした。前回と比べて
前回4位で終わってしまったので、今回はメダルを取りたいと思って臨んだ大会でした。メダルは取れなかったですが、周りのレベルも上がっている中で自分のベストを出せたのは良かったかなと思います。
―海外での開催でしたが新型コロナウイルスの影響は
会場に入ってから毎日PCR検査はしていました。また、バブル方式を導入されて会場と選手村の行き来のみ許可されるなど、行動制限も厳しかったです。日本に帰ってきたら絶対2週間隔離なので、シーズン通して練習時間が削られたシーズンだったと思います。
―コンディションに影響は
本当は北京五輪前に日本に帰ってくる予定だったのですが、コロナの影響で帰国できず直接北京入りしました。3か月くらい日本に帰れないまま現地入りしたせいか、ストレスがかかり、胃潰瘍の手前までいってしまいました。北京に入ってから胃が痛くてご飯を食べられなくなり、内科を受診したら胃潰瘍の手前だったということがありました。人と話せなかったり、接触しないように一人の時間を増やしたりしたら体に影響が出てしまいました。
―スロープスタイルとビッグエアの2種目に出場されました。調整の割合などは
平昌五輪が終わってから4年あったのですが、最初の2年間はジャンプやビッグエアを中心に練習を組み立てていました。2年ほど前のスロープスタイルの大会からジブセクションのなかなか技が決まらなくなり、北京五輪のコースを見たときに今の実力だと上位に入るのが難しいと感じました。そのため、残り2年はジャンプの練習もしつつ、より意識してジブセクションの練習をするようにしました。
―スロープスタイルでは平昌五輪と比べ大幅に順位が上がりました。しかし試合後に「がっかり」という言葉が出ましたが理由は
3本中2本決めることができて、それが今回の順位につながったと感じているのですが、自分の中で小さなミスや攻めたときに決めきれない弱さを感じそこにがっかりしてしまいました。
―スロープスタイルでは日本勢最高位でした
うれしいことではあります。ただそれと同時に1位の選手など海外の選手との差を強く感じる結果にもなりました。自分の中では良かった、というより課題としてとらえて今後につなげていきたいです。
―ビッグエアでは女子選手初のトリプルアンダーフリップに挑戦しました
もともと、今回のビッグエアで金メダルをとったアナ・ガサー選手が4年前に違う方向のトリプルを成功させたのを見て、女子もトリプルをそろそろやらなくてはいけないなと感じたのがきっかけです。トリプルができるジャンプ台は少ないですし、時間がかかる技なのでオリンピックに照準を当てていました。本当に実践しようと考えたのは予選が終わった日の夜で、コーチと話してやることを決めました。
―会場によって飛びやすさに違いが
ビッグエアはジャンプ1つなので会場が街中と雪山の2種類があります。雪山で作るジャンプ台は飛びやすいことが多いのですが、街中のジャンプ台はやぐらを組んで作るものなので、着地の長さが短いなど、飛びにくいジャンプ台が多いです。
―左手を骨折している中で挑戦を決めた理由は
もともと他選手がやろうと決めていたバックサイドトゥエルブという技があったのですが、練習でそれがうまくいかなくて。その時に右ひじを少し痛めてしまったこともあり、決勝3本目でその技をやる自信がなくなったのも理由の一つです。トリプルアンダーフリップは右腕を使わないので、トリプルをやろうと決めました。
―決勝の3回目挑戦後に他の選手が駆け寄ったシーンが印象的でしたがどのような言葉を
私自身、その時は転んだ技でこんなにも注目してもらえると思っていなかったので、メダルを取れなかったことしか頭になかったです。それもあり、その時のことを全然覚えていないんですよね(笑)。ただ、褒めてくれていたのかなと思います。
―海外のメディアで称賛されるなど、人々の印象に強く残る結果となりました
今まではオリンピックで注目されるのはメダルを取った選手だと思っていました。メダルを取ったわけでも技を決めたわけでもないですが、人々に強く残る滑りができたのはうれしく思います。
―では次に、岩渕さん自身についてお尋ねします。スノーボードを始めたきっかけは
両親がスノーボードブームに乗っかって始めたのですが、そのまま趣味として続けていたのがきっかけです。4歳の時から家族でスノーボードをやっていたので、当たり前に身の回りにあるという感じでした。
―競技としてやろうと決めたのは
小学校1年生の時にスキー場のスクールに入ったのがきっかけです。スキー場の人たちにこういう大会があるよと紹介してもらい出たのが初めての大会でした。
―現在の2種目(スロープスタイル、ビッグエア)に決めたきっかけは
初めて出た大会はスピードを競う方だったのですが、小学2年生の時にスキー場にいた友達のお兄さんに声を掛けてもらいスロープスタイルの大会に出ました。その大会に出てみると、スロープスタイルの方が面白く、ジャンプを飛ぶのも好きだったので、競技を決めました。
―地元を離れて法政大学に進学した理由は
実は、もともとは大学に行くつもりがなかったんです(笑)。高校3年生の夏にジムに頻繁に通っていたのですが、その中で将来何をしようと考えたときにトレーナーになりたいなと。トレーナーになるには大学に行って資格を取る必要があると思い、進学を決めました。でも、願書の締め切りをしているところが多く、どこにしようと考えたときに、いとこが法政の付属高校に通っていたので法政に決めました。不純な動機で申し訳ないです(笑)。
―入学からの2年間を振り返って
すごく大変だなと感じています(笑)。高校生までは競技と勉強の両立もできていたのですが、そのレベルが二回りくらい上がったと感じます。試験ももちろんですが、資格を取るための勉強はすごく専門的なものが多いので、競技よりも集中して勉強する時間を作るのが大変だと感じています。
―資格のための勉強を
入学して、色々な授業を取る中で興味のある分野が少し変わったのですが、卒業までに1つ資格をとれたらと思っています。
―どのように学業との両立を
時間がある時に授業を受けるという風にやっています。私自身、対面の授業は1回か2回しか出ることができていなく、ほとんどオンラインだったので、練習場所にパソコンを持って行って、授業時間は授業を受け、終わったら練習に戻って、という風にやっています。海外にいるときは夜中に起きて授業を受けていました。考慮してくださる先生も多いのですが、試験の時間だけはずらせないので、真夜中に試験を受けていましたね。
―関東にいるときはどのような練習を
埼玉に、エアマットと人工芝を使ったクエストという場所があるのでそこを使ってジャンプの練習をしています。
―スノーボードの魅力とは
採点競技なので個々のスタイルが出やすくて、見ていて変化が多い競技だと思うので、同じ種目でもいろんな滑りが見れるところが魅力だと思います。
―自身のプレースタイルや強みは
技の丁寧さとエアーの大きさだと思います。
―今年度入学する新入生へ向けてメッセージ
新しいことに挑戦するのは怖くてなかなかできない事だけど今しかできない事に目を向けて頑張ってください!
―ファンのみなさんへ向けて一言お願いします
今回のオリンピックでの応援本当にありがとうございました。結果として残せたものはないけど皆さんの記憶に少しでも残る滑りができていたら嬉しいです。また四年後、今度はちゃんとメダルを持って帰ってこれるように頑張ります!