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【水泳】〜『STORONG REVIVAL.』強い法政復活へ 〜 1年間にわたり土台を築き続けた男女主将、チーフマネージャーへのラストインタビュー!!③ 村上夏帆編

チーフマネージャーインタビュー
2023年9月15日(金)

男子団体総合8位、女子団体総合4位と共に昨年逃したシード権を奪還して2023年シーズンを終えた法大水泳部。強い法政復活に向けて、長期計画の1年目として土台形成を先頭で担ってきた男子主将・西田大晟と女子主将・庄司朋世、そしてチーフマネージャーを務めた村上夏帆に最後のインタビューをおこなった。今回はその最終弾、チーフマネージャー・村上夏帆へのインタビューである。

関東インカレ女子団体優勝後に4年生女子部員で記念撮影(村上:写真右)

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村上夏帆

コロナ禍の影響で目標を見失いかけていた彼女に新たな道を示したのは、インカレという大きな目標に対して必死に努力を重ねる水泳部の選手たちの姿だった。「選手たちの努力する姿や技術、気合いなど、自分が高校時代には感じえなかった大学水泳の魅力が詰まっていて、マネージャーとして傍で支えたいとその時に強く思った」と、1年生の8月にマネージャーとして法政大学体育会水泳部への門をたたいた。

しかし、入部してみるとマネージャーは自身を含めて2人だけで同級生は誰もいなかった。週に6日、朝4時半に起床して自宅から練習場へと通い、選手をサポートする日々。当時は今よりも部則や上下関係が厳しく、ひとり当たりの業務の量は膨大で辛いことだらけだった。2年生になってやっと仕事に慣れてきたと思えば、後輩マネージャーも新たに入部し彼らを教育する毎日。「入部してきた今の3年生を1人で教育していきながら、上からの指示もこなしていくというバランスにとても苦労した」と、真ん中の立場の難しさから家で涙を流す日もあった。それでも、部員が目標に向けて必死に泳ぐ姿に引っ張られるかのように、日々がむしゃらにマネージャー職をこなしていった。

400m個人メドレーの決勝前に庄司を笑顔で送り出した

そして迎えたラストシーズン。チーフマネージャーとして過ごしたこの1年は、これまでの日々とはまるで異なるものだった。普段の業務に加え、チーフマネージャーの職務をこなすようになり仕事量も増加。さらに、何とか今のチームを変えていかなければならないという責任感から部員や幹部と対立することもあった。自分が思い描いた理想と現実のギャップに苦しみ、初めて部を辞めたいと思ったと村上は言う。ただそんな時に彼女を支えたのが後輩マネージャーたちだった。「本当に全力でついてきてくれたし、こんな私と一緒に頑張ってくれる姿に背中を押された」。それまで温かくも時には厳しく接してきた後輩たちが、彼女を動かす原動力となったのだ。

最後のインカレは女子団体総合4位、男子団体総合8位という成績で、見事と男女共に目標としていたシード権を奪還してみせた。本人は、「西田、庄司両主将を中心に強くなったことを実感した大会だった」と振り返ったが、今回の躍進はチーム唯一の4年生マネージャーであった彼女の力があってこそのものだったはずだ。コロナ禍もあり、4年生にとっては最初で最後の声援が許された今年のインカレ。「聲」に思いを乗せて必死に応援し、その目に同期たちの雄姿を焼き付けて村上は水泳部での活動に幕を下ろした。

関東インカレ終了後に、4年生で記念撮影(村上:写真下段右端)

卒業後は自身の夢に向かって更なる歩みを進める。自分と、そして部員と真摯に向き合い続けたこの4年間の経験は、間違いなく今後の彼女の支えとなるだろう。「感謝の気持ちを忘れず、自分を大切に」新たなレースのスタート台へ、いざ。(野田堅真)

チーフマネージャーインタビュー

村上夏帆

-マネージャーに就任したきっかけは
きっかけは大きくわけて2つですかね。ひとつは、私自身が派遣留学をしたくてこの大学に入学した後にコロナ禍になってしまって派遣留学が中止になってしまったことです。目指すものが無くなってしまった時に、私も高校3年間水泳に打ち込んでいたこともあって水泳部のマネージャーに興味あるなと思い始めました。もうひとつは自分が選手として泳いでいた時からそうなのですが、誰かの役に立つことが好きだったというのもあってマネージャーというものが気になっていました。高校時代の恩師から「夏帆はマネージャーにも向いているよ」と、ポロッと言われたことを思い出してやってみようかなとなりました。ただ週に6回朝の4時半に起きて自宅から通うとなると、高校時代よりも過酷な生活になるなと思い、結局入部するのは1年生の8月末になってしまいました。

-当時はコロナ禍真っ只中で、大学に通うことすらも難しい時期だったと思うが、それでも水泳部のマネージャーになろうと思った理由は
6月に法政水泳部のInstagramがマネージャー募集ということで凄く動いていて、楽しそうだなと思い始めました。高校時代とは異なりインカレという大きな目標に向かって、チームで水泳に打ち込んでいくという大学水泳ならではの熱量に惹かれて、見学に行くことにしました。そこで見た選手たちの努力する姿や技術、気合いなど、自分が高校時代には感じえなかった大学水泳の魅力が詰まっていて、マネージャーとして傍で支えたいとその時に強く思い入部を決めました。

-高校生まで選手をやっていた中で、マネージャーとしてではなく選手として大学水泳をやりたいという思いなかったのか
自分が選手として泳ぎたい、プールに入りたいとかは引退するまで1度も思わなかったです。頑張っている選手を支えたいし、力になりたいなという思いが強すぎました(笑)。その中で、今まで自分が培ってきた技術や知識を部活に還元できればなと思っていました。

-1〜3年生時までのチーフマネージャーに就任する前の期間で大変だったことは
辛かったことは山ほどありました(笑)。1年生の時は、今と比べて部則や上下関係がとにかく厳しかったです。心身ともに疲れましたし、時には理不尽なこともたくさん言われました。自分の業務以上に、部則や上下関係を上手くやっていく難しさに本当に苦労しました。マネージャーも私を含めて当時は2人しかいなかったので1人でこなす業務量も多かったですし、がむしゃらに駆け抜けた1年でした。2.3年生になってからは、入部してきた今の3年生を1人で教育していきながら、上からの指示もこなしていくというバランスにとても苦労しました。真ん中の立場の難しさに直面して、辛すぎて初めて部活に入ってから自宅で大泣きしました(笑)。それでも部員がインカレに向けて必死に泳いでいる姿を見て、自分も負けてられないなという気持ちで日々頑張っていましたね。

-後輩マネージャーを指導していくにあたって気をつけていたことは
部則や上下関係など、部として100年近く続いてきたものを全て変えていくことはもちろんできないのですが、悪い伝統は変えつつ、時には心を鬼にして厳しく叱るようにしていました。ただ後輩にとって理不尽だなと思われることはしたくなかったので、自分がしっかりと業務をこなした上で、相手のことを考えながら筋の通った教育をするように心がけていました。

-チーフマネージャーとしての1年間は、これまでの日々とは異なるものだったか
全然違いましたね。私の1つ上の代はトレーナーなどを含めて裏方の部員が5人いたので、1番上の世代になってからやらなければいけない業務を分担してこなしていき、後輩への指導もうまく回していくことができていたのですが、私はそれらの仕事を全て1人でこなす必要があったのでどうしても捌ききれませんでした。また私が責任感が強いこともあって、自分がどうにかしないといけないという思いが強くある中で、どうしても叶えたい夢に向けての就職活動が重なってきてしまったことで、どちらも妥協したくないという重いから部活と就職活動のバランスがうまく取れないようになってしまいました。自分が持っている理想と現実の乖離がものすごくて、今年1年は何回泣いたか分からないくらい泣いていました。

-その時に助けになった存在は誰だったのか
同期とは絶対に上手くやっていけると思っていたのですが、最高学年となりチームを引っ張っていくうえで同期の間に亀裂が入ることも多々ありました。自分の1番のやり甲斐であった同期への応援の気持ちも薄れてしまった時期もありました。きついな、辞めたいな、ということは家族にも相談することもあったのですが、そういった辛い時期に支えになったのは後輩マネージャーたちでした。本当に全力でついてきてくれましたし、こんな私と一緒に頑張ってくれる姿に背中を押されました。もちろん最終的には同期たちの頑張りも大きな力にはなったのですが、この子たちを置いて私が勝手に辞められないなという思いが私の原動力になっていました。

-4年間の中で1番印象的なできごとは
去年の9月頃に、部の幹部の方と1度大きく衝突しました。コロナ禍の影響もあったとは思うのですが、昨年は男女共にインカレシード権を落とす形になり、チームの状況が過去最悪の所までいってしましました。その時に私が特に気になったことが、チームの練習体制でした。コーチと選手の間に信頼関係がほとんど無く、チームの方針が全く固まっていなかったので、ここで絶対に変えなきゃいけないと思い勇気を振り絞って幹部の方と話し合いました。チームを変えていくために、泣きながら衝突したことは特に印象深いです。

-コロナ禍で思うような学生生活が送れなかった中で、声を出して応援できた今年のインカレは特別なものだったか
今年は今までで1番最高のインカレでした。保護者の方も制限なく入場ができましたし、選手たちもメガホンを持って応援することができるなんて3年前は思ってもいなかったので、声を届けられることの幸せを感じました。後輩が朋世(庄司朋世)、大晟(西田大晟)へ必死で応援している姿を見て、2人に対する思いがどれだけ強いかも感じましたし、この2人を中心にこのチームは強くなったんだと思い感動して泣いていました。本当に4日間通して、ずっと泣いていました(笑)

-今年のインカレで特に印象に残ったレースは
主将2人のレースですね。朋世の個人種目では決勝へと進んで、リレーにも出てと体がきつい中でマルチにこなしていた背中は必ず後輩に響くものがあったと思います。最後の200m個人メドレーではなかなか調子が上がっていなかったのですが、「隣には絶対に負けないから」といってB決勝レースに望み、最後の自由形で力を振り絞って泳ぐ姿は目に焼き付けました。大晟は、今年1年怪我もあり競泳人生の中で1番辛い1年だったと思うんです。タイムも落ちるところまで落ちてしまって、そんな中でも弱音を周りには吐かず淡々と努力を重ねる姿を見てきました。インカレ最後の種目であった、4×200mフリーリレー予選の1泳でベストに近いタイム、今年のチームの中でも1番早いタイムで泳いできた時には、主将の意地を見せてくれたなと思いました。

-この4年間で成長できた部分はどこか
ありとあらゆる方向に感謝の気持ちを持てるようになれたことです。コロナ禍もあってできないことも多かったんですけど、同じ大学生たちが1つの大会に対してとても尽くしてくれているからこそ大会が成り立っているし、自分がマネージャーとして活動できていることもたくさんの人が陰で支えてくださるからだと実感しました。選手はコーチやマネージャーがいないと結果を出せないということがある一方で、私たちコーチやマネージャーも後ろで支えてくれる人たちがいるからこそ指導に尽力することができているなと思いました。

-後輩マネージャーに対して最後にメッセージを
学生スタッフっていうのは、表では見えない業務をこなす辛さがあると思います。選手の前では笑顔でいながら、誰も見ていない裏の仕事をこなし続けていると最終学年にはキャパオーバーしてしまうこともあるかと思います。そんな中でも大切にして欲しいことは、楽しいという気持ちを忘れないことと、無理しないことです。マネージャーとしての楽しさであったり、やり甲斐であったりが自分の心の中で満たされていないと、選手に幸せやパワーを分け与えることがなかなか難しいと思います。チームにとって一人ひとりが欠けてはいけない存在なので、自分を大切に最後まで活動していってほしいです!

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