2023年11月30日(木)
投打がかみ合わず、悔しさ残る4位で終えた秋季リーグ。弊会は秋季リーグ戦後の11月11日にインタビューを敢行。主力として戦い抜いた選手に秋季リーグ戦の振り返り、そして今後の展望についてのお話を伺った。最終回の今回は監督・助監督編と題して加藤重雄監督、大島公一助監督のインタビューをお届けする。(全7回)
インタビュー
加藤重雄 監督
―今季を振り返って
最初は期待していて、準備も十分していたんですけど、予想以上に怪我人だとか病人だとかが出たり不本意なシーズンになってしまいました。
―やはり篠木(健太郎、営3=木更津総合)投手と尾﨑(完太、キャ4=滋賀学園)投手の離脱は痛かった
そこは個人の責任ではないんですけど、両エースがもう1つ春のような活躍ができなかったと。常日頃言ってるんですけど、野球というのは打つ、投げる、走るそれだけじゃないんですけど、やはり守りの中心の役目はピッチャーが果たす。今日の午前中にバッテリーだけを集めて、バッテリーには「ピッチャーがチームを支えるんだよ。この冬にしっかり練習して自分がやってやるんだというピッチャーになってくれ。そこがないと優勝とか語れないんで」という話をして練習をスタートしたんですけど、やはりバッテリー。特にピッチャーにしっかりしてほしいというのは反省でしたね。
―篠木投手の状態は
本人じゃないと(状態が)どの程度かはわからないですけど、今は回復して、ピッチングはしてないんですけど、キャッチボールはやってます。幸いにも、全日本の候補選手に選ばれているので、12月の初旬だったと思いますが、松山の方のキャンプにも参加するので大丈夫だと思います。
―最終カードの明大戦ではベンチ入りをしていましたが
それは投げない予定で、私が監督終わりというのがもうわかってましたんで、篠木がいてくれて、自分の監督業もなんとか春2位になれたのもそのおかげがあるので、「最後はなんとか篠木入れたいな」ということでベンチに入れました。
―今季の運用で苦労したところは
その中で吉鶴(翔瑛、営3=木更津総合)がリリーフも先発も両方でいい活躍をしてくれたのと、毎試合投げされてしまったんですけど塙(雄裕、法4=常総学院)が頑張ってくれましたんで、4位という結果なんですけど、要所要所では頑張れたかなと。
立教戦でいいスタートをきれた(2連勝)ので、そのままの勢いで行きたかったんですけど、なかなか思うようにいかなかったのが現実です。
―吉鶴投手は防御率リーグ3位をマークしました
文字通りというか数字に表れているように頑張ってくれていたと思いますが、最後の方また故障じゃないんですけど、腰が痛いという話になって、途中で降板することになって、もっとこの冬に強靭な体を作り上げないと神宮ではなかなか活躍できないかなと。
プロ野球じゃないんで、アマチュア野球は1戦1戦全てが大事な試合でリーグ戦なんですけどトーナメントと同じ意識で。「全部自分が投げる」くらいな気持ちと体力がないとなかなか難しいと思いますね。5人、6人の投手が揃うのはなかなかないと思いますので、2人、3人がしっかり試合を作って守っていくと。投手に関してはそういうピッチャーを作り上げていかないと厳しいのかなと思います。
―塙投手は12試合に登板。やはり頼りになった
ええ。最後の試合も投げさせようかなと。投げれば規定投球回数にも乗るんで、防御率も3位あたりになれるんですけど、1位じゃないということと、ここで無理させて将来(彼は)社会人野球に行きますので、プロもゆくゆくは狙えるんでしょうから、ここで無理させないで休ませようと。最後尾﨑の後にもう1回投げさせてもと思ったんですけど、自分の思い出作りにそんなことやっても選手に悪いと思って休ませました。本当によく頑張ってくれたと思います。
―野手については
浦(和博、キャ4=鳴門)がよく頑張ってくれましたし、途中からですけど松下(歩叶、営2=桐蔭学園)も活躍してくれて、その分評価されてベストナインも取りましたし、キャプテンで3番と今泉(颯太、法4=中京大中京)にはプレッシャーがかかっていたんですけど、普段からキャプテンとして、それだけの人格の持ち主ですし。(監督在任中の)3年間みんないいキャプテンだったんですけど、中でも機能発揮というか、頑張ってくれたキャプテンだと思いますんで。前半はちょっと打てなかったんですけど、後半よく粘り強く持ち前の打力を発揮してくれたと思って、本当によく頑張ってくれたかなと思います。
―野手の采配に関して
今までのプロ野球の実績もあって、大島がサインは出していたんですけど、今シーズンは私が出して。最後ということもわかってましたんで、打順とかも全部。
それなりにと言ったらおかしいんですけど、みんな野手が頑張ってくれました。
やはり両内海、レフトを守ってた壮太(法3=御殿場西)の方が骨折してシーズンを棒に振ってしまったことと、内海貴斗(人4=横浜)は4番を任せてたんですけど、コロナとかインフルエンザではなかったんですけど、ちょっと体調を崩して1週間ほど練習を休まざるを得なかったと。残念ながら途中控えに回って、主力打者が不調もあり、怪我もあり、病気もあり力が発揮できなかった。
エースと主力打者を欠いてしまうとなかなか強敵相手に勝てるチームじゃないんでですね、その点で苦労しました。ラストシーズンでそういう風になってしまって残念なんですけど、これも仕方ないと思ってますんで。
―退任を決めたタイミングは
大学に言われたのは立教戦が終わってから。シーズン中に言われたんですね。こればかりは自分で決められないんで、終わりだと言われたら終わるしかないんで仕方ないと思ってます。
―この3年間を全体的に振り返って
三浦(銀二、令3年度卒=現横浜)のノーヒットワンランという珍しい記録で初陣を白星で飾れて、(最後のシーズンは)明治戦に勝ち点を挙げて終わろうという中で、もちろんその前は優勝も目指していたんですけど、今申し上げたようにいろいろな不運があって。それでも勝たないといけないんでしょうけど、そう現実はうまくいかなかったです。(最終カードの)明治戦(2回戦)の1回、2回に5点取られてそれを挽回して4連覇を阻もうと奮起してくれて勝利できたというのは、明治の4連覇を阻んだのはやはりいい思い出の試合になっています。
3年間を振り返るとコロナと戦いながら思うようには練習できず、ようやく今年になって動き始めたときに終わりということで非常に悔いも残る監督業だったんですけど、OBの中でもなかなか経験できないことを経験させていただいたんで、OB会には感謝の気持ちでいっぱいですね。
―今の時代の学生と接する上で気を付けたことは
気遣いというのも1年目はありました。私の頃と時代が違うので、昔のこと引っ張り出してもなかなか通じないということもあり、年齢は全然違うんですけど、ただ野球を通じて同じ思いで頑張ろうとする良き仲間という意識は持ちながら、共に同じ目標に向かって頑張ろうと。
これは私の気持ちをストレートに言えば、67と70近くになってこういう一生懸命頑張ろうとする学生たちと一緒に野球ができたのは素晴らしい3年間を体験させていただいたと思ってます。
ただ、それに優勝があればお互いもっと達成感を得られるんでしょうけど、これは言い訳でなくて、優勝は副産物であって、それに向けて一生懸命頑張ることが尊いことだと思います。常日頃言ってますけど、それが仕事に入っても、家庭を持っても、何事においても本気で一生懸命やることが価値があるんだから、その姿勢を崩さず、目標に向かって努力するということを学んでいこうという中で、それを実体験として私ももう一度学生とともにできたということと、学生には納会で同じようなことを言おうと思っています。要するに一生懸命、本気で努力することを今後も続けてほしいと思ってますし、それがともにできた3年間は本当に嬉しく思っています。
―実際に感じたジェネレーションギャップは
今はどこの学生さんもそうなんでしょうけど、先輩後輩ってあってないようなもので和気あいあいとしたもので、ただそれはいい場合と悪い場合とこういう組織というのは縦と横、けじめというのは持ってやるべきだなと。昭和の時代の話を今頃しても通じないでしょうし、高校時代からそれで慣れてる人たちにけじめをつけさせようとしても無理があると思いましたし、その辺は気遣いをしながら徐々に徐々に指導していったということは言えると思います。その辺は社会に出ても大事な節度になると思いますので、わかるわからないじゃなくて指導していったつもりです。
―初めて采配をしてみて
1球1球サインを出すものではないと自分は思ってますし、そんなに難しいという感覚はなかったんですけど、思うように試合が進まない中でどう動かしていくかというのは監督の力量なんでしょうけど、それがうまく出せなかったからこういう結果になったと反省しています。
―その中で反省というのは
もっと大胆にやるべきだったのかなと。試合じゃなくて練習ですね。練習をもっと厳しくというか。ただこれも言い訳なんですけど、授業があるときは本当に選手が揃わない。「これでもリーグ戦中の練習か」というような人数でやることもありますし、普段夏休み春休み以外思うように練習ができたかというと言い切れなくて、練習不足に終わってしまったかなと。今の時代ですと、ナイター設備もないですし、十分な練習ができなかった、やらせられなかったというのは悔いが残ってます。
―リーグ戦を終えた今はどのような指導を
同じです。契約は1月1日から12月31日までですから、今のところはオレンジの集いが20日にあって、その前くらいまでは冬季練習をしようかなと思ってますんで、もちろん契約上任期があるんで、監督交代となっても契約上はまだ監督ですので、この時期の練習というのは「今頑張らないと成長はしないよ」と学生には言ってます。「試合の時に何かを得ようとしてもそれは試合の結果を求めないとダメなんだから、今体力的にも技術的にも思い切ってチャレンジするなり、もっと実力を上げるためには食事を取って何キロ太るとか、目標を持ってウエイトするとか技術を磨くとかそういうことをやりなさい」ということを言っているので、今までと同じ指導は期限がくるまではやり続けます。
―新たな発見は
新チームになって4年生がいなくなったら3年生が元気よくなってきたなというのは感じますけど(笑)、これはもう自然の道理というかあたりまえのことで、その中で個人的に誰がどうとかではなく、気分を変えて再チャレンジしようというのがこちらにも映ってくるんで、これはもう全体的に評価できるかなという感じですね。
―退任された後何かしたいか
ないです。ゆっくりしたいです(笑)。
監督は3年ですけど、コロナの2020年は感染リスクがあって、私が原因で感染させたとなったら悪いんで1日も来なかったんですけど、その前は2014年からずっと土日休日通い続けていますんで、監督やった3年とその前の5年の約8年間は法政通りを歩いてきてもうこの門を通らなくなるのかなという感じはありますけど、ゆっくりしたいなと思ってます。
―ファンの方へ
優勝の報告ができなくて申し訳なく思ってます。この取材の時にも申し上げました通り、私としては大変いい経験をさせてもらって、改めて学生と一緒に野球ができたということは大きな喜びだと感じてます。
先日の閉会式の時は明治のOBの方からも「礼節を重んじた法政さんの学生さんの最後までの姿勢は加藤監督の日頃の指導の下で行われたことではないか。相手チームのOBなんですけど感動しました」というようなメッセージをいただきました。やってきたことが最後に今泉キャプテンの下やってくれたという優勝以外の満足感も得られましたので、学生たちには感謝の思いでいっぱいですし、今度はそのマナーや精神面だけでなくして優勝という文字に置き換えられるように新チームでは努力していってもらえたらなと思います。
(取材・皆川真輝)
加藤 重雄(かとう・しげお)
1956年4月20日生まれ
鳥取県出身・鳥取西高→法政大学→日本生命
『現役時代は投手としてプレー。4年次には春秋合わせて9勝を挙げる活躍。卒業後は日本生命でプレーし、都市対抗制覇にも貢献した。2021年から監督に就任すると、プレーだけでなく、人間性なども重視した選手育成に着手。優勝こそなく、23年春の2位が最高順位となったが、3年間で三浦銀二(令3年度卒=現横浜DeNA)など計5人をプロ野球の世界へ送り出した。』
大島公一 助監督
―助監督から見たこの秋は
やはり4年生を送り出す意味では少し残念だったかなと思いますし、勝利ということでいい思いをさせてあげたかったんですけど、なかなかうまくいかなかったというのが秋のシーズンでしたね。
―得点数はリーグ2位でした。野手に関しては手ごたえを感じてらっしゃる
最終的に勝利につながらなかったということではまだまだ足りないこともあったのかなと感じています。
―今季は野手も監督が采配をしました。その中でどういった役割を
個人的な状態を確認しつつ、少しでもいい方向へ向かうように、リーグ戦は土日になりますから、平日の練習の調整が難しいですので、そういったところのサポートができたらなと思っていました。
―選手からは『つなぐ野球』ということをよく聞きました
特に指導というよりかは低い打球、強い打球を打つということは心掛けていたような気はします。それが1つつなぐということになっていたような気がします。
―発案は選手
今泉を中心に、得点するためには1人が長打、ホームランという訳にはなかなかいかず、六大学のピッチャーは質がいいもんですから、コンパクトに内に行くということを意識したんじゃないでしょうか。
―監督就任が発表されました
まだまだ体制が整っていないということで、実感がわかないのが現実です。
―就任のいきさつは
OB会の方から推薦をいただいて、それを学校側が承認していただいた形だと聞いております。
―引き継ぎなどで加藤監督と話されていることは
やはり応援される野球部にしたい、しっかり社会で通用する人材を育成したいという加藤監督の思いを引き継ぎながらよりよいものを探求していきたいなと思います。
―どういった野球をしたい
六大学を含めて大学野球はロースコアというか競った試合が多いので、その中では1点ゲームをものにできる勝負強いチーム、勝負強い選手を数多く育成出来たらなと思います。
―プロなどで長い経験がございます。どのように還元していきたい
どういうものを求めているのかというのを察知できればいいなと思うのですが、なかなかできなくて、どういうことを伝えればいいのか、どういうタイミングで伝えればいいのか、そういうことを模索しながらやっています。そういう経験値が皆さんの役に立てばと思っていますが、なかなかうまくいかないのが現状です。
―過去に出会った監督で影響を受けた監督は
監督になるという実感がわかないんですけど、これは私の力だけではなくて沢山の監督に出会えたこと、これが大きな財産になってますし、その人たちのおかげだと思っています。その中で、うちの名誉会長になってます山中(正竹、昭44年度卒)さんがバルセロナオリンピックの監督だったことやプロ野球の中では仰木彬監督であったり、この2人の監督の影響が大きく、参考にしていたり目標にしている監督です。
―特にどういった点で
山中監督からは「野球から学ぶことが多いよ」ということを常々言われた気がします。そういう指導がまたできればなと思っています。仰木監督は選手を適材適所で起用される方でした。人を見る洞察力がすごく長けている方だなと思っています。そういったところを参考にしながら、少しでも近づけるように努力していきたいと思っています。
―オリックスが躍進を遂げています
3連覇ということで今回の日本シリーズでは関西ダービーで負けましたけども、やはり力強いチームを作っていますよね。安定した力を付けている。これはやはり球団を含めたスタッフの力が大きいですね。そこをすごく感じています。そういう意味では人材を育成すること、発掘すること、いい配置をすること、生かすことがリンクしているんじゃないでしょうか。
―来年に向けて取り組んでいることは
なかなか来年に向かえていない現状はありますが、フィジカルと基礎練習を中心にメニューを学生コーチが組んでくれています。来年に向けてという気持ちにはまだまだ慣れていないというのが現実ですね。選手はすごくよく動いてくれています。学校を含めて忙しい時期もあるので、なかなか集中もできにくいかなと思っています。
―改めて選手と話されたことは
なかなかそういう時間もなくてですね、個人間で話すのもグラウンドで会うくらいでゆっくり話せていない、新チームのミーティングも納会が終わってからを予定しています。今後どういったチームになっていくのか、なりたいのかを明確にしながら進んでいけたらなと思ってます。その始まりが近々あるかなと思ってます。
―自主性を重視する方針は続ける
学生野球なので学生が中心になってやるべきだと思いますし、歴史を踏まえながら自分たちがやりたいことをやるべきかなと思います。そういうものを少しでも吸い上げて、少しでも協力できる体制を私は作っていきたいなと思います。
―学生野球のあるべき姿とは
非常に難しいですけど、人間力と技術力のWゴールを目指さないとダメだと思います。野球がうまいだけでもダメですし、人間力だけでもダメで両方を目指す、それをバランスよく育てていく。それが社会に通用する1つのレールかなと思っています。
―大島さんにとって東京六大学野球とは
やはり野球の始まりでもありますから、その歴史を踏襲するとともに、その歴史をどう発展させていくかだと思います。ますます責任がある連盟なのかなと思います。
―意気込み
まだスタートが切れてないのはあるのですが、強い法政を復活させたい、再生させたい、そういう気持ちでやっていきたいと思っています。なかなかご期待に応えられないシーズンが続いてますけれども、ぜひ引き続き応援していただけたらと思います。来年もよろしくお願いします。ご期待に応えられるように、期待を上回れるように努力してまいります。
六大学の発展と野球部の発展のために学生とともに努力してまいりたいと思います。温かいご声援をよろしくお願いいたします。
(取材・皆川真輝)
大島 公一(おおしま・こういち)
1967年6月17日生まれ
東京都出身・法政二高→法政大学→日本生命→近鉄→オリックス→東北楽天
『大学時代は東京六大学のベストナインを3度受賞。プロ野球ではつなぎの打撃と好守で3球団にわたって活躍し、ブルーウェーブ時代の1996年にはイチローや田口壮らのスターとともに日本一に貢献した。ゴールデングラブ賞を3度受賞した卓越した守備力、通算1088安打と602四球、さらには265犠打を記録した打撃力をチームに還元し、加藤重雄監督から引き継いだチームで強い法政を復活させる。』