2022年11月12日(土)
今年も法大からプロ野球選手が誕生した。是澤涼輔(現4=健大高崎)は埼玉西武ライオンズに育成4位、村上喬一郎(法4=東福岡)はオリックス・バファローズに育成5位で指名を受け、幼き頃からの夢を叶えた。今回は先日お届けできなかった選手たちの独占インタビューを掲載。指名を受けた率直な気持ちを各選手に語っていただいた。
独占インタビュー
是澤涼輔 捕手
ードラフト会議から時間が経ちましたが、今の気持ちは
スカウトの方に指名挨拶に来ていただいたり、通過儀礼を経て、プロに向けて頑張ろうという気持ちが湧いてきています。
ー選ばれる前までは
ドラフト会議は自分で志望届けを出したのですが、どこか他人事のような気持ちのまま当日を迎えていたので、選ばれてとてもびっくりしました。
ー当日はどのように過ごしていましたか
当日は午前中に練習をして、そのあといつもは昼寝をするのですが、緊張したので昼寝せずに部屋でダラダラと過ごしていました。
ー名前が呼ばれた時の気持ちは
テレビで自分が名前を呼ばれるというのは小さい時からずっと憧れていたので大変驚きましたし、とても嬉しい気持ちにもなったし、いろんな感情になったので、一言では表せないです。とにかく嬉しかったです。
ー指名を受けて最初に連絡をした人は
すぐ取材だったので時間が5分くらいしかなかったので、そんなには話せなかったですが自分の母と祖母に連絡をして、伝えました。
ー是澤選手にとって二人の存在は
自分は母子家庭なのですが、女手一つでずっと育ててくれました。また、帰省した時には、庭であまり遠くに飛ばないボールでティーバッティングをするのですが、おばあちゃんにもティーをあげてもらったりして、練習に付き合ってくれたり協力してくれたので、「ありがとう」と感謝の気持ちを2人に伝えました。
ーライオンズの松井稼頭央監督にはどのような印象を
選手としては三拍子揃った、スーパープレーヤーという印象があります。また、監督に就任されてからは記事などで「機動力のある野球をしたい」という風に仰っていたので、僕は高校時代、走塁が有名な高校にいましたし、しっかりアピールできる部分があるのではないかなと思っています。
ー将来はどんな選手に
自分はスローイングの一芸を買っていただいたので、誰にも負けないスローイングや、まだ育成なので、支配下登録されて、源田選手に送球を受けてもらえるような選手になりたいと思います。
ー肩の強さがスカウトの目に留まったとのことでしたが、日頃から何か意識して練習されていたことは
キャッチボールから毎日強く投げていましたし、ブルペンにいることがとても多かったのですが、球をふんわり返すのではなくて、しっかり相手の胸に綺麗な回転で返すことを心がけていました。また、プロは143試合あるので、その中で長い期間投げられるためにと、同じくドラフト指名で入団が決まった村上と毎日2人でセカンド送球の練習をしていたので、その部分はつながったのかなと思います。
ー山賊打線と呼ばれる強力な打線と共に防御率も高いとのことですが、今後意識して取り組みたいトレーニングは
打撃はもちろん課題なのですが、捕手というポジションなので、スローイングはもちろん、ブロッキングやリード面はまだまだプロレベルには達していないので、まずは二軍の試合に出られるように、キャンプからしっかりアピールしていきたいなと思っています。
ー法大での四年間を振り返って辛かったことは
振り返ればそんなに辛いとは思わないです。ですが大柿(廉太郎、法4=健大高崎)、村上の2人が同学年にいたので先が見えず、その2人がいるので自分はずっと試合に出られないのだなという風にも思いました。でもそこに頑張って勝つという目標を立てて努力してこれたので、今回こういう結果になったと思いますし、大きな壁はありましたが、辛いとは思わないです。
ー四年間で一番変化したことは
自分は真面目な性格で、高校の監督とかコーチにも真面目だけど人間的に面白くないと言われていていたのですが、ここにきて一発ギャグをやれという風によく言われるので、遊び心も増えて、捕手としてのリードに良い配給をできるようになったのかなと思います。なのでリードが成長しました。
ー四年間で一番楽しかった瞬間は
練習試合とか紅白戦でヒットを打った後にベンチを見て、みんなが喜んでくれている姿というのは、今までずっとベンチにいたので、初めてグラウンド側から見た時に「あぁ、こんなに仲間が喜んでくれているっていうことは嬉しいんだな」、と四年夏に初めて思いました。
ー最後は努力が実を結びました
努力を評価してもらえたことは嬉しいのですが、試合には全然出られなかったですし、法大の成績が今季はあまり良くなくて、そこに貢献できなかったというのは僕自身悔しい思いもあります。努力というのは、計算でいったら途中式なので、これから結果を評価されるプロという環境に身を置くので、努力をしながらも結果を出せるように頑張っていきたいです。
ー法大のファンに向けて
埼玉西武ライオンズに育成指名していただいた、是澤涼輔です。なかなか皆さまの前に立つことができず、ドラフト会議で初めて知ったという方も多いと思いますが、これからもよろしければ応援していただけると嬉しいです。
ー埼玉西武ライオンズのファンに向けて
僕は柘植世那選手に憧れて健大高崎に入学したので、柘植さんと同じ球団でプレーできることを非常に光栄に思っています。なので柘植選手にたくさん話を聞いて、いつか柘植選手を超えるような選手になりたいと思っています。応援よろしくお願いします!
村上喬一朗 捕手
ードラフト指名から一週間経ちましたが、今の気持ちは
ドラフト会議が終わってから東大戦もあったので、そこまでは意識しないようにしていました。自分ではドラフトどうこうよりも、東大戦に勝って終わるということだけを意識していました。それが終わると、プロ野球選手になるんだという実感が湧いてきました。1月から新人合同自主トレが始まるので、それに向けて11月、12月の過ごし方について考えたりと、気持ちの整理ができたかなと思います。
ー当日の緊張や一日の過ごし方は
全然寝られなかったです(笑)。3日前くらいから寝られなくて、布団の中に入っていても寝たのか寝ていないのか分からない感じでした。体も疲れていて練習もしたくないくらいだったんですけど、東大戦もあったので調整しながら過ごしていました。でも緊張していて、前日の夜は本当に寝ていないです。ずっとテレビの前で自分がドラフトを見てるのを想像していて、呼ばれたバージョンと呼ばれなかったバージョンを想像しながら夜を過ごしていました。当日は朝練習して、そこから髪切りに行って、母や恩師の方に連絡して「どっちの結果にしてもここまで来れたのは支えてくれた方のおかげです」と感謝を伝えました。いざドラフトで呼ばれたら報道陣の方などの対応があり、その日も寝たのはすごく遅くて。なので正直東大戦の日は体がすごくきつくて、今は寝ようかなと思っています(笑)。
ー東大戦でははつらつとしたプレーが印象的でした
楽しもうというよりは神宮、六大学、支えてくださった方への感謝ということだけを意識していました。その結果周りからは元気に見えたり、はつらつとしているように見えたのかなと思います。
ー指名された瞬間の気持ちは
ゾワッとしました(笑)。あの場面に立った人にしか分からないというか、22年間の人生をあの一日に全部かけたので。自分が喜ぶより先に周りが喜んでいたので、僕は「あっ」というか実感がなかったですね。
ー指名後、一番最初に連絡した方は
お母さんですね。指名直後に連絡したので、その後に室内練習場で取材や会見があったためあまり長くは話せなかったのですが、電話かけたら大号泣で「おめでとう」と言ってくれましたね。
ーオリックス・バファローズからの指名ですが、チームの印象は
すごく強いというか、競争が激しいチームだなと思います。登録選手の名簿を見た時にも知ってる方が多く、本当に頑張らないと支配下どころか試合に出ることもできないと感じています。
ー大島公一助監督は選手、コーチとしてバファローズに所属していましたがお話は
当日は寮にいらっしゃらなかったので、電話しようと思ったのですが取材などで12時過ぎてしまい、次の日の朝の練習でグラウンドで話しました。「指名されました。ありがとうございます」と挨拶したところ、「おめでとう、これから頑張れよ」と声をかけて頂きました。
ーオリックス・バファローズの中で教わりたい、学びたい選手は
選手ではないのですが、中嶋(聡)監督です。プロで29年間キャッチャーをやられていて、野球論や技術面を学びたいです。指名される前もYouTubeなどを見ていて、すごい人物だと感じていましたし、先程スカウトの方が「みんなを見てくれる、教えてくれる」と言っていたので、僕はガンガン監督のところへ行き教えてもらいたいと思っています。
ーバファローズの投手陣でボールを受けてみたい選手は
日本シリーズを見ていても山本由伸選手を始め、150㌔を超える剛腕の選手が多いので誰がというより、皆さんの球を京セラドームで受けられる日が来ることを願っています。
ー大学四年間をふりかえって
振り返ると、やはり平らな道ではなかったなと。厳しいことなど色々あったなって思います。
ー一番辛かった時期は
二年生の夏です。一年生のときから同級生の大柿がレギュラーで出ていて、でも僕はフレッシュ(トーナメント)にも出ることができなくて。二年生になったらベンチ入りできるかな、フレッシュで試合に出れるかなと思っていたのですがそれも達成できず、ここで野球は終わりにしようと思いました。そのときにお母さんに電話して辞めようかと思ってると電話した、その時期がいちばん辛かったです。
ー転機は監督が変わったとき
そうですね。高校のときも、同じ状況でした。同級生のキャッチャーが一年生から試合に出ていて、自分はずっとスタンドで応援していました。その時にレギュラーになったきっかけは、監督が変わったことでした。(高校)二年の秋に監督が変わってレギュラーになったという経験があったので、大学でもタイミング的にはここかなと思い、監督にどんどんアピールしました。それが功を奏してレギュラーになれたと思います。
ー印象に残っている試合は
終わりの試合も印象的ではあったのですが、一番初めが印象的です。プロに行った三浦銀二(令三年度卒=現・横浜DeNA)さんや山下輝(令三年度卒=現・東京ヤクルト)さんと、一番初めに組むのが大先輩二人で。立大戦だったのですが次の日にドラフトだったので、僕のリードが悪かったらこの人たちがプロに行けないと考えるとすごいプレッシャーでした。その時も夜眠れず、泣いたりもしましたね。ただその経験があったので、ここまで来れたと思います。
ー今後に向けての目標は
一年以内に支配下登録されて、一軍の試合に出ることが目標です。
ー法大ファンに向けて
法政大学のファンのみなさん、いつも応援ありがとうございます。みなさんの応援のおかげで夢をかなえることができました。法政大学で学んだことを生かしてプロの世界で頑張っていきます。これからも応援よろしくお願いします。