ー総合6位という結果でした 今大会を振り返って
『総合5位』を目標にしていたので、一歩届かなかったということに対しては非常に悔しさが残ります。ですが力は10人がきっちり出し切ってくれたのかなと思っています。
ー箱根駅伝初エントリーが3人いました 今回のメンバー起用、区間配置の意図は
初の駅伝だった野田は、11月12月とかなり状態が良かったので、本当は3区のところで勝負できるかなということを想定していました。結果的には区間順位が悪かったのですが、 1年生で3区ということで、多少プレッシャーはあったのかなと思います。前半から動きが悪いなとは思っていて。練習を見ている限り区間5番とか7番とかで走れるのではないかなと思っていました。タイム的にも、私の中では2分くらいマイナスで想定をしていたので、自信を持って送り出したつもりでした。あそこで少し流れが途切れてしまったというか、力を出し切れなかったという印象です。
7区の矢原、8区の清水に関しては、全区間楽な場所はありませんが、復路の大事な区間で区間1桁もしくは前半のところで行って、差を広げたい、詰めたいという思いがありました。例えば3区や4区、9区や10区など、重要な区間に配置できるだけの準備はできていたので、ある程度勝負できるのではないかと思っていました。しっかりと仕事はできたのかなと考えています。
ー1区の宮岡幸大選手は序盤からペース配分が難しいレースだったと思います
メンバーを見た時に、「かなり速い展開になるだろう」と思っていました。途中から集団が分かれてしまったので、「これなら安定して走れるのではないかな」思いました。宮岡は上尾や日体大の記録会で実績を出している選手だったので、ある程度いけるのかなと。そんなに序盤から遅れることはないだろうというか、そのあたりの心配はありませんでした。六郷橋の手前で差し込みがあったようで、最後に出し切れなかったというようなことを本人は言っていました。区間順位的にはあまり良くありませんが、しっかりタイム差なく走ってくれました。欲を言えば、10秒から15秒速く走ってくれたら、松永も走りやすかったのかなと思うのですが、まずまずの滑り出しだったのかなと思います。
ー駿河台大のレマイヤン選手や駒大の篠原選手など、1区は高速レースが予想されました レースプランなど事前にお話しされたことは
「速い展開になっても、準備はできているので自信を持って走りなさい」というような話はしていました。そうはいっても、速すぎると潰れてしまうので、例えば今回のような展開まで行くと、後ろに下がって判断をして、というような話もしていました。集団も分かれてくれたので、走りやすい展開だったかなと思います。
ー2区松永伶選手に関しては、坪田監督も以前から決めているとおっしゃっていました
よく走ってくれたんですが、前半突っ込みすぎて(笑)。それも本人にはかなり何回も言っていたのですが、2区は10㌔くらいまで平坦なんですよね。非常に走りやすいコースなのですが、前半の10㌔で速すぎると、後半の権太坂や新道のアップダウンでタイムをロスしてしまいます。「とにかく10㌔までは、ある程度早いペースで回しながらも余裕を持って行きなさい」というような指示は、かなりしていました。ちょうど(前が)見える感覚でずっといて、本人も嬉しくなってしまったのか(笑)、8㌔通過のところで区間トップ、区間新記録の相澤(晃)くんよりも良いペースで走っているという情報が入りました。正直「これはまずいな」と思っていて、もしかしたら最後の新道でフラフラになる可能性があるなと思っていました。それを考えると、よくまとめてくれたんですけど、ある程度刻んでいくようなレースをすれば1時間6分台で区間5番くらいに行けたのではないかなと本人に話しています。ある意味もったいないよね、という話は本人としました。
ー序盤から集団につける攻めの走りをされていました 監督車から声掛けはされましたか
実は、監督車で5㌔の声掛けができなかったんですよね。1、3、5㌔は全くできなくて。車列が並んでいくと追いつけなかったりするんですよね。ちょうど2区もある程度密集で鶴見中継所を出て行ったので、やっと追いついたのが8㌔くらい、ちょうど横浜駅通過時点で区間トップという情報が入った時くらいでした。「抑えろよ」と言った時には出し切っていたので、「集団で溜めて余裕を持って、後半に備えよう」という話をしました。
ー3区の野田晶斗選手は、唯一1年生でエントリーされました
10区間の中でも、唯一力が出し切れていなかったのが野田のところでした。練習を見ていても、宮岡や小泉以上のものをできていたので、期待値が高かった分、1区2区で下がってきてもあえて野田を置いて、流れを巻き返す走りができるかなと思って配置しました。スタート位置は何人かの集団で走れたので、割と走りやすかったのかなと思います。ですが5㌔手前くらいで離れてしまって、ちょっと苦しい展開でしたね。本人も終わってから「緊張しました」というような話をしていたので、ちょっと消化不良というか、出し切れない区間でした。
ー区間順位こそ本人も悪かったと振り返りましたが、順位を一つ押し上げる走りでした 来年以降に向けてどうご覧になりましたか
箱根駅伝はこういう大会だ、ということを経験できたのは非常に大きいと思います。来年以降はエース級になってほしいなと期待している選手の1人なので、本人は悔しい思いをしていると思いますが、この1年間、今回の結果を受けてトレーニングをして、強い野田選手として箱根路に戻ってきてほしいなと思います。
ー4区は2年ぶりの箱根となった小泉樹選手でした 天候の心配もあったと思いますが、何かお話しされたことは
気温が低い状況だったので、「前半あまり速いペースでいくというよりも、体が温まってからエンジンをかけるように」というような話をしていました。小泉も1年生の時みたいにベストな調整ができていた状況ではなくて、ギリギリの状況下でした。その中でもある程度練習が流れれば、今回のような走りができると判断をしました。区間12位ということで、もう少しいけるかなとは思いましたが、しっかりまとめてくれたと思っています。
ー小泉選手は2つ順位を上げる走りを見せました
前半から冷静に走って、中盤も中だるみすることなく押し上げてくれたのかなと思います。最後3㌔でひと伸びすることはできませんでしたが、持っているものは出し切ったのかなと思っています。
ー5区細迫海気選手は3度目の山上りでした 「髙橋選手と悩んでいる」とのお話もありましたが、細迫選手を起用された意図は
今年も髙橋を16人のエントリーに入れていました。上りのテストで言うと、ほぼ遜色なかったです。髙橋が登っても、72分から72分30秒くらいの設定で送り出す準備はできていました。ただ、11月の記録会や直前での練習を見る限り、細迫の方が上だろうと。例えば、上りのテストで大幅に髙橋が良ければ起用も考えられました。ですが、テストを2回やってどちらもほぼ同タイムだったので、そうなってくると経験値の高い細迫を起用するという形になりました。
ー大東大の菊地選手と一緒に走るシーンが長くありました ご覧になって
前半で詰められたのですが、追いつかれてからは冷静に大東大の選手を使うというか、お互いに競り合いながら上って行けたことは、細迫も走りやすかったのかなと思います。途中で細迫が仕掛けたりもしたのですが追いつかれていましたね。上り切ってからの下りに関しては、過去2大会は15㌔まで区間5、6番で行っていても失速して、最終的に区間2桁順位ということがありました。最後は置いていかれましたが、あまり得意ではない下りでも、大東大の選手が見える位置で走れたことは良かったのではないかと思います。
ー6区武田和馬選手は、16校の一斉スタートと走りづらさもある中で区間賞を獲得されました
本当に素晴らしい走りだったと思います。6区とはいえ復路の1区になるので、そこでの出遅れは間違いなく致命傷になります。その中で、今年も非常に難しい展開というか、16校での一斉スタートと経験したことのない展開になりました。不安はあったと思いますが、この1年間で平地の走力が上がってきたので、自信を持って前半は冷静に上りつつ、下りに入ってからは積極的なレースをしてくれました。ここでシード争いではなく、もう1つ前の5から8位あたりまで順位を押し上げられたのは、7区以降の展開が変わってくるので、非常に良い走りをしてくれたと思います。
ー湯本のあたりで監督車が合流した際に何かお話しされたことは
そこも声掛けができなくて(笑)。通常は合流するとすぐに声をかけられるので、そこで発破をかけて残りの1㌔に挑んでもらおうと思っていました。ただ声を掛けられたのが残り1㌔のところで。もう一度区間賞の話をしたのと、全選手に言ったことですが、(高橋)彰太の分まで頑張ろうという話をしました。「苦しい場面でも彰太の分まで振り絞ろうよ」という話をしましたね。
ー7区、8区は初出走の2年生コンビでした
武田が良い位置で持ってきてくれたことによって、単独走にならなかったので、間違いなく展開としては良かったと思います。初駅伝らしからぬというか、後ろから追いついた選手をうまく使いながら走ってくれました。矢原に関しては、ずっと並走していた選手たちを1㌔手前で置き去りにして、清水に良い位置で渡せました。本人は「区間3番以内を狙います」と大きなことを言っていましたが、私も区間5番くらいでは行けるのかなと思っていました。それだけの実力をこの1年間でつけてくれて、矢原に関しても力的には自信を持って送り出すことができました。力を発揮してくれたということを考えると、今大会だけではなく、来年は主力として頑張ってくれるのではないかなと思います。
ー矢原倖瑛選手は初出走にして法大記録を更新されました 前日には緊張もあったというお話もありましたが、監督からご覧になって
前日に芦ノ湯で武田と夕食を食べていた際に、矢原とLINEをしていたようで。矢原が「緊張でごはんを食べたのですが吐きそうです」みたいな連絡をしていて(笑)、やばいなと思っていました。でも、当日の朝に本人と電話をしても、落ち着いて会話ができていましたし、スタートから硬くなる動きは一切ありませんでした。落ち着いて走っているんだなと思いながら見ていました。
ー清水郁杜選手は順位を2つ押し上げました 清水選手も緊張感はありましたか
清水は割と普段からカチカチッと走るのですが、最初の1㌔は硬いなと思いながら見ていました。最初の硬さが最後の失速につながったのかなとは思います。15㌔過ぎたところあたりまでは区間5番くらいで推移していたので、本人にも「区間3番から5番くらいは行けるよ」という話をしていました。ただ、最後の1㌔でかなり失速してしまって。順位を押し上げたというのもそうですし、良い位置でつないでくれたというのは、稲毛も走りやすかったのではないかなと思います。
ー9区稲毛崇斗選手は國學院大と並走しながら前を追う展開でした
なかなか良い状態で2年目も3年目も箱根駅伝を走らせてあげることができませんでした。3年目に関しては故障でスタートラインに立てず、2年目も直前に故障があり、ギリギリの状態で出場してもらって、苦しい走りになっていました。4年生、副キャプテンらしく、終始落ち着いた走りを見せてくれました。國學院大の相手は1年生だったのですが、2人で並走しながら、かといって4年生だからと力んで前に走っていくということもありませんでした。最後は中継所の手前で詰められましたが、21㌔のあたりで引き離す走りをしてくれたので、最後の最後に復路のエースらしい走りをしてくれましたね。
ー強い表情でレースを進めていたのが印象的でした
私は背中しか見えず、顔を見られなかったのですが、「やるぞ」という気持ちは背中に見えました。力んで走るというわけではなくて、「自分はここできっちり仕事をする」というような気持ちがあったと思います。また、稲毛は亡くなった高橋の直の先輩に当たります。みんな思いはあったと思いますが、やっぱり10人の中でも思い入れが1番あった選手だと思います。「彰太が一緒に走ってくれる」「最後の苦しいところで押してくれる」という話をみんなにしていました。稲毛は國學院大の選手だけではなくて、彰太と23㌔走ったのではないかなと思います。そういったものが背中に現れていました。
ー10区はこれまでチームを支えてきた主将の宗像直輝選手でした 10区起用の意図は
12月前後くらいのところでは、私の中でざっくりと「別の区間でオーダーしよう」と考えていました。ですが、気温も高くなり始めていたので、天候が分からないというところと、もしかしたらラスト勝負になるかもしれないということがありました。彼は本当にラストのスパート力がすごくある選手です。なので、どういう位置であっても、日本橋からのスパートは必要になるかなと思いました。あとはキャプテンということで、この1年間引っ張ってくれて、その責任感ということで、最後にたすきをゴールまで運んでくれることを期待して、宗像を起用しました。結果的に國學院大の選手には離されてしまいましたが、國學院大とはずっと50秒差で、引き離さなければ順位の変動はないというところでした。その中で、途中から早大が詰めてきて、最後の20㌔あたりで4秒とか5秒差まで迫ってきたんですよね。20㌔の声掛けとラスト1㌔の声掛けで、見えない敵との争いでしたが、「最後に上がってくれば順位をキープできるよ」と発破をかけて監督車を離脱しました。彼のスパートがなければ、間違いなく1つ順位は下がってのゴールだったので、気持ちのこもった走りで順位をキープしてくれたのかなと思います。
ーラストスパートがすごく印象的でした どうご覧になりましたか
あそこの出し切り方は順位のキープにつながったのかなと思います。100回大会だけではなく、残った学生も見ていると思うので、間違いなく101回大会につながるスパートだったと思います。
ーさまざまなことがあったシーズン 改めて今年はどのようなシーズンでしたか
春先からうまくチームが回らないというか、故障者が出たりしていました。3月に松永や武田が学生ハーフで好走したことはありましたが、チームとしてグッと上がる感じのないまま、ズルズルとトラックシーズンに入りました。「これはまずいな」というのが半期の振り返りでした。「きちんと締めて夏合宿をやっていかないと駅伝シーズンが難しくなる」と選手にも伝えていました。練習だけでなく、練習への取り組みなど緩い部分が見られたので、実際はシードでしたが「このチームで箱根駅伝の予選会に入っていたとしたら間違いなく落ちるよ」「そういう雰囲気だよ」と、ずっと夏くらいまで言い続けていました。夏くらいからやっとチームが締まりつつある中で、8月のユニバから帰ってきて、彰太の件があって。選手も暗いムードというか、気持ちが落ちてしまったりすることも多数ありました。ただ、そこから選手たちが「彰太の分まで」ということで踏ん張ってくれて、チームがまとまって。選手一人一人の成長が非常に見られたシーズンだったと思います。彰太に頼っている部分もあると思いますが、苦しいことや厳しい状況をみんなで乗り越えて、一人一人が競技者として以前に人として成長できた1年間かなと思います。
ー来年への意気込み、応援してくださったファンの方へ
2日間だけではなく、今シーズン陸上部員を応援していただき、本当にありがとうございました。今日(1/4)チームは休みに入りまして、101回大会の目標はまだ固まっていませんが、ここ3大会は5位に届きそうで届かない状況でした。今回も非常に高く分厚い壁に弾き返されました。ですが見えない位置ではないので、私自身はそういったところにチャレンジしていきたいなと思っています。なんとか目標の順位をクリアできるように、また頑張っていきたいと思います。
(インタビュー・芦川有)