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【陸上競技】第100回東京箱根間往復大学駅伝競走 往路出走選手インタビュー

第99回東京箱根間往復大学駅伝競走
2024年1月2日(火)、3日(水)
東京・大手町-神奈川・芦ノ湖-東京・大手町

チーム目標を総合5位以内に掲げた法大が東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根)に挑んだ。往路、復路ともに法大はミスのない走りを見せ、昨年の順位を一つ上回る総合6位でフィニッシュ。復路は4位と健闘を見せた。今回は、往路出走選手へのインタビューをお届けする。

試合結果

総合成績

順位 大学名 記録
1位 青学大 10時間41分25秒
2位 駒大 10時間48分00秒
3位 城西大 10時間52分26秒
4位 東洋大 10時間52分47秒
5位 國學院大 10時間55分27秒
6位 法大 10時間56分35秒
7位 早大 10時間56分40秒
8位 創価大 10時間57分21秒
9位 帝京大 10時間59分22秒
10位 大東大 11時間00分42秒
11位 東海大 11時間01分52秒
12位 国士舘大 11時間01分52秒
13位 中大 11時間01分58秒
14位 立大 11時間03分04秒
15位 日大 11時間06分06秒
16位 日体大 11時間06分30秒
17位 順大 11時間06分42秒
18位 駿河台大 11時間06分58秒
19位 中央学院大 11時間07分26秒
20位 明大 11時間07分28秒
21位 神奈川大 11時間07分37秒
22位 東農大 11時間09分16秒
23位 山梨学院大 11時間11分11秒

 

個人成績

区間 選手名 記録 区間順位 総合順位
1区(21.3㎞) 宮岡幸大(スポ3) 1時間02分03秒 14位 14位
2区(23.1㎞) 松永伶(経4) 1時間07分33秒 11位 13位
3区(21.4㎞) 野田晶斗(社1) 1時間04分07秒 17位 12位
4区(20.9㎞) 小泉樹(現3) 1時間02分48秒 12位 10位
5区(20.8㎞) 細迫海気(社4) 1時間12分32秒 8位 9位
6区(20.8㎞) 武田和馬(社3) 58分02秒 1位 区間賞 7位
7区(21.3㎞) 矢原倖瑛(経2) 1時間03分44秒 9位 8位
8区(21.4㎞) 清水郁杜(社2) 1時間05分21秒 9位 6位
9区(23.1㎞) 稲毛崇斗(社4) 1時間09分51秒 6位 6位
10区(23.0㎞) 宗像直輝(社4) 1時間10分34秒 14位 6位

選手インタビュー

1区 宮岡幸大

ー1区での走りを振り返って
最低限の走りしかできなくて、後続の9人に助けられました。

ースピードのある選手が多く出走 どのような心構えで臨みましたか
ハイペースになるというのは予想できていたのでそこの準備はしっかりしていました。その中でどれだけ先頭と差をつけられないか。正直、区間賞は厳しいと思っていましたが先頭について行くことを考えてレースに臨みました。

ータイムに意識は
全体の流れ次第ではあるのでタイムに意識はなかったんですけど、先頭との差が40秒ほど離れてしまったので、ちょっとそこは良くなかったかなと思っています。

ー監督からのアドバイスは
1区なので流れ次第というところはあったんですけど、1つ言われたのは「六郷橋を過ぎたら好きにしろ」とのことでした。でもその前に離れてしまったので、指示は結果としては無くなりました。

ーたすきリレーの際、松永選手とやり取りは
そうですね。ちょっと、きつすぎて覚えてないです(笑)。

ー目標達成ならずも総合6位となりました
もうちょっと往路でいい位置につけていれば5位が見えてきたと思うんですけど、それでも全員がミスなく走ることができて。5位もそうですがもうちょっと上、3位だとかを目指すことができるチームになりつつあるのかなと思います。

ー当日エントリー変更での出走 1区起用に至った経緯は
区間エントリー発表の前日に「このオーダーで行く」と言われていたので。そこで監督から「1区で行くぞ」と言われました。
でも前々から「(1区を)頼んだぞ」という話はあったので準備はできていました。

ー宮岡選手自身は元々9区志望とのことでした
本当は1人で走りたかったんですけど(笑)。最近だと、法政は1区を走ると次の年は2区と言わ流れができつつあるので、そういった意味でも監督から信頼されている表れかなと思っていたので。とりあえず任されたところをしっかり走ろうと思っていました。

ー宇和島東高校時代の同期、東洋大・梅崎選手が2区で好走しました
67分フラットくらいでは走るのかなと思っていたんですけど、自分の想像を超える走りをして。高校の時からずっとそうなんですけど、タイム的なもので言えば似たようなものだったんです。でもいつも彼が1歩先にいて、僕がそれを追いかけるという。実際、今年の箱根でも彼が2区で僕が1区ということで、ずっと追いかけている部分はあるので来年は僕が前に出られるようにしたいです。

ー来年、2区を走りたい気持ちは
自分が行かないといけないなとは思っています。松永さんだとかエースが抜けて、その穴を埋めないと箱根では厳しい戦いになると思うので、自分が埋めたいなと思います。

ー最終学年となる来季のチーム目標は
具体的な目標はまだ決まっていないんですけど。出雲、箱根駅伝の出場が決まっているのであとは全日本予選をしっかり通過して、なおかつ全日本と箱根はシードを取って来年のチームにその先を残したいと思っています。

ー小泉選手、武田選手らとチームをけん引する活躍が期待されます
その2人もすごい力があって。2人と僕で、まずは走りで後輩たちを引っ張っていきたいと思います。

ー注目の後輩は
メンバーには入ってないんですけど、2年の花岡慶次、そして1年生の星野泰地。2人はけがさえしなければ箱根を走る力というか、ポテンシャルがあると思います。特に花岡に関しては年末も結果出しているので、今年期待しています。

ーその2選手の強みは
2人ともに言えるのは、まあ自分との比較になるんですけど、レース時の嗅覚が違います。2人のレースを見ていると、「おお、ここでこうするのか」みたいな、すごい走りをすることがあるので。やっていることの意味はわかるけど、自分ならできないな、みたいな。

ーオフシーズンの時間の使い方について
オフシーズンっていう概念が自分の中ではないです。とにかく2~3月も学生ハーフであったりとか、レースは続きますし、年間通してチームを引っ張っていければいいなと思います。

ー来季へ向けた抱負
自分は大学で競技を引退するので1年間けがせず楽しめたらいいかなと気軽に考えています。

ー引退後のビジョンについて
コンサル業を目指しています。理由としては、ざっくり言うと今自分が競技しているということは人前に出ているということになるじゃないですか。でもコンサルって支援というか、裏方に回るものだと思っています。
その中で、大学4年間自分が競技できているのはそういった影でサポートしてくれる裏方の人のおかげだと感じていて。
競技が終わったら今度は自分が裏方に回って何かいろんな人の手助けができたらなと思って、コンサル業に今は興味を持っています。

ーファンの皆さまへ一言
2日間応援、サポートありがとうございました。結果としては目標にあとひとつ届かなかったんですけど、皆さんには楽しめてもらえたのではないかなと思います。
来年はもっと上を目指して、もっとテレビに映って。見ている人を楽しませられるような駅伝をしたいと思います。

(インタビュー・嘉藤大太)

2区 松永伶

ーチームとして総合6位という結果でした
自分がシード圏から遅れる順位でたすきを渡したんですけど、そのあとのみんなが一致団結して順位を少しずつ上げてくれました。みんなで取った結果だと思います。

ー個人としてはエース区間で松永選手らしい攻めの走りを見せました
正直、みんなが66分台を出している中で、自分が67分半と悔しい結果でした。区間順位も、区間5位など一桁を目指せる中で11位だったので、悔しさは残っています。でも、前半突っ込んだ中でも後半しっかり粘り切ることができたことは収穫なので、このレースは今後にも生かせるレースなのかなと思います。

ーレース前の緊張などはいかがでしたか
さまざまなレースを経験してきて、比較的緊張しない人ではあったと思いますが、最後の箱根で2区ということだったので、前日も結構緊張していました。ですが、みんなと話したり、緊張をほぐしてもらいました。当日は仲間や内田(隼太)さんにも給水をしてもらうなど、みんなの支えのおかげで緊張もほぐれました。

ー6㌔過ぎに集団に追いつく走りを見せました あの時はどのようなことを考えていましたか
坪田監督からは「後ろの國學院大の平林さんと一緒に行こう」ということを言われたのですが、見た感じ後ろが見えなくて、だいぶ離れていました。あとで30秒くらい離れていると知ったのですが、そういった状況だったので、少し前にいる早大の山口(智規)くんについて、一緒に行ったら流れに乗れるのではないかと思いました。山口くんがさらに前にいる大きな集団に追いついて行ったので、自然と自分もペースが上がりました。集団に着くかどうかは迷いましたが、坪田監督からも「前には強いランナーがいっぱいいるからな」と声をかけていただいて。もっとゆっくり追いついても良かったのですが、確実に集団の力を借りて流れに乗りたいと思い、最初は突っ込んだ形で行って、集団で楽をしようと考えていました。

ー早大の山口選手とは、ともにニューヨークシティハーフマラソンへの出場を決めています レース前後に何かやり取りはありましたか
レース前にも早稲田と法政が同じくらいだったので、「対決ですね」みたいなことを話していて。レースの展開とかも含めて、ワクワクした気持ちで試合に臨みました。試合後は、自分がかなり定点1位で突っ込んだことなどをいじられました(笑)。僕が「今回2区負けたわ」「またニューヨークで」みたいな感じで最後は話し終わりました。

ー松永選手の走りがSNSでも話題となっていました ご覧になりましたか
まだ全部は見ていませんが、SNSの画像とか短い動画とかを見ると、正直「突っ込みすぎたかな」という部分はあるんですけど(笑)。やっぱり攻めたことは悪いことではないと思っていますし、自分自身11月の上尾ハーフでも前半に突っ込んで、後半に粘るというレース展開をしていました。なので、そういった展開は予測していたので、予測より速いペースにはなりましたが、後半は粘り切りました。

ー横浜駅前通過時点で1位のタイムでした 1位ということは把握していたのでしょうか
区間上位で行っているかなというか、1桁前半から中盤あたりで行っているかなとは思っていました。坪田監督から「定点1位だぞ」という声掛けをいただいて、「ちょっと速すぎたかもな」という気持ちと少し驚きはありました。

ー給水は4年生の三原伶王選手、そして昨年2区を走った内田隼太さんでした
前半突っ込んで、中盤あたりからずっときつい粘りの状況が続いていました。ですがそういった中で、三原の力強い声掛けと、内田さんがギリギリまで並走してくれて応援してくれた気持ちと、仲間の思いや関係者みんなの思いが頭の中をよぎりました。後半は力水のおかげで粘り切ることができました。

ー内田さんとは何か事前にお話しされましたか
前日の夜に電話をさせていただいて。20分くらい話したんですけど、どうやってレース展開を進めたら良いかとか、「松永なら大丈夫」みたいなことを言っていただきました。レース展開については、順位を意識した走りや4年生として悔いのない走りをする、というような話をしました。

ーお電話なども踏まえ、当日走る中でどのようなことを意識されましたか
もらった位置が14位ということで、少なくとも自分でシード圏内に近づけたいという思いがありました。流れに乗って、今年のスローガンが『脱兎の勢い』だったので、スローガンの通り、勢いに乗ってレースをしたいと思っていました。

ー2区は権太坂、戸塚の壁と厳しいコースが続きます 実際に走ってみて
同期の稲毛や細迫と比べると上りが得意な方ではなくて。その中で権太坂やラスト3㌔などきついところがあったのですが、離されても離されすぎないように粘りの走りをしていこうと思っていました。戸塚の壁に関しても、ラストスパートで1人抜いて、結果14位から13位に1つ順位を上げることができたので、そういった上りの粘りは自分自身の中である程度できたのかなと思っています。

ー事前取材では「戸塚の壁」の対策をしている、ラストは出し切れる自信があるとの言葉がありました
100%理想の展開としては、単独で良いペースで走って、平林選手たちと徐々に順位を上げる形だったと思います。集団に落ち着いて、後半粘っていく中で、最後は足も動かないんじゃないかと思うくらいきつかったのですが、800㍍から1㌔のあたりですごい坂が待ち受けているのは知っていたので、出し切ることはできたのではないかなと思います。レース展開の中では出し切ったと思います。

ーこれまで憧れてきた選手たちと同じ「箱根」という舞台を二度経験して
箱根は自分も中学生から見てきて、憧れとなったり夢になるような舞台でした。それを目標にして練習に励んできて、モチベーションになっていました。なので、今回自分がそういった立場になれたのだとしたら、これまで頑張ってきたことは良かったなと思います。今回悔しい結果ではありましたが、楽しく走り終えることは達成できたのかなと思います。

ー改めて今年の4年生はどのようなメンバーでしたか
2020年、コロナの年から始まって、入寮後すぐに実家に帰されて、ご飯にも全く行けない状況で、全然同期と話せませんでした。当時法政大学は箱根のシードを取れていなくて、チーム状況も今よりは良くないというか、そういった雰囲気でした。ですが、4年生になるにつれて少しずつチームや学年がまとまっていく姿を見て、一歩一歩前進しているなと思いました。今回は目標の5位に届きませんでしたが、メンバーに限らず、走れなかった人も含めて良いチームを作れたと思います。

ー後輩たちにはどのようなことを期待したいですか
僕たちが達成できなかった『総合5位』を達成したいという思いは、後輩も強いと思います。ぜひ、坪田監督の就任以来最高順位となる5位を達成してほしいです。新戦力の台頭もあると思うので、僕は実業団に進みますが、法政のOBとして後輩たちを応援したいなと思っています。

ー今後はニューヨークシティハーフマラソンも控えています
上尾ハーフと今回の箱根で山口くんに負けてしまったので、「次こそは絶対に勝つ」という気持ちでいます。海外選手のレベルも高いですが、そういった舞台で戦える姿を見せて、61分台で自己ベストを狙っていきたいなと思っています。

ー春からは実業団に進まれます 大学4年間で学んだことをどのように生かしていきたいですか
大学でさまざまな大舞台を経験させていただいて。大学ではチームで戦うことが多いですが、実業団ではもっと個人で戦うことが多くなってきますし、さらにレベルも高くなるので、そんな中でも粘りの走りや周りへの感謝を忘れずにいたいです。

ー応援してくださったファンの方へ
多大なるご声援、ありがとうございます。今回総合5位を達成できず、自分としても法大記録を狙っていた中で悔しさはありました。ですが、沿道の声援や、見えないところでもサポートをしてくださっている皆さまには感謝しきれません。これからも、法政大学の応援をよろしくお願いします。

(インタビュー・芦川有)

3区 野田晶斗

―記念すべき第100回箱根駅伝に出場できたことについて
出雲駅伝では走ることができず本当に悔しい思いをして、箱根こそはという思いでそれ以降は練習してきました。法政大学を背負って出場できたことについては本当に嬉しいんですけど、今回の結果を見るとただ走るだけで、チームの足を引っ張るような形になってしまって。1年目として走ることができたのは良かったのですが、総合5位という目標にも自分は足を引っ張るような結果だったので、本当に悔しい結果で終わってしまいした。

―3区を走られましたが、ご自身の走りを振り返って
まず3区に選んでもらって、練習の段階でもここまでパーフェクトでやってこられていて、練習の質に関しても自分としてはチーム内でもトップレベルの練習ができていたので、練習からの自信を持って挑むことはできていました。ただなぜか自分でも今でもよく分からないんですけど、走り始めると体の動きとかが重く感じて、普段通りの走りが全くできずに終わってしまって。自分の持ち味である粘り強さというのも、ラスト8㌔で海岸線を走るのですが、そこで粘りを見せつけることができず、自分としてももう一度やり直したいと思ってしまうような3区にはなりました。

―3区の起用が伝えられたのはいつ頃だったのでしょうか
12月28日に坪田さんの方から、全体の前で1区から10区まで誰がどこを走るのかというのは伝えられました。ただ、その前から自分はおそらく走るのであれば、3、4、7区かなと思っていたので、どの区間を任されても行けるような準備はしていました。

―3区を任されると決まったときの心境は
3区は各大学の強い選手が往路でもあるので集まりますし、3区は特に流れというのがあって、前半突っ込まなくてはならなくて。走り方としても難しさがあるので、3区と言われたときは最初は「3区か」ってなったんですけど、選ばれたからにはしっかりと過去のデータを確認して、自分がやれる最大限の準備をして挑もうと思いました。

―3区での出走が決まったときのご家族やご友人の反応は
詳しくはあんまり言ったらいけないという感じだったので、ただ29日に区間エントリーが出たときに、友達とか親からは「3区なんやね」みたいなことはいただいて。やっぱり3区は往路でもありますし、1年目から3区を走ることについて周りは驚いていました。応援してくれる人も多かったので、それは嬉しいですね。

―当日のレースプランは
当日は自分は64分かかってしまったんですけど、坪田さんから出されていた目標としては、練習の出来具合とかから見ても、62分半から63分の間ではいってほしいというタイムを出されていて。そのタイムで走る練習は自分としても絶対できていたと思うのですが、ただ実際は思うようにはいかなかったですね。

―戸塚中継所ではエースの松永選手から13位でたすきを受け取りましたが、スタートラインに立ったときのお気持ちは
エースからたすきをもらうということで、初めての箱根駅伝というのと、チームを背負っているのもあって、自分も「しっかりやらなきゃな」という緊張感はありました。あと配信でレースを見ていて、松永さんの前に選手がいることは分かっていたので、しっかりその選手を使って前に行かなきゃなということは、スタートラインに立ったときから思いました。

 ―松永選手とのたすきリレーの際には何か言葉は交わされたのでしょうか
前半相当突っ込んで入っていったので、後半松永さんもキツかったと思いますし、何か声かけはしたかったと思うんですけど、なんか「あー!」って叫びながらたすきを渡してくれましたね(笑)。多分相当キツかったんだと思うんですけど。

―3区の5.4㌔地点から遊行寺の下り坂に差しかかると思いますが、一気に長い坂を下る上で意識していたことは
自分としては急な下りというのはそこまで得意という思いはなかったので、チームメイトの同期とかにも下りを得意としている選手がいて、そういう選手に聞いて、リラックスするコツとかを教えてもらったり、あとは下るときに「少し前傾をかけたほうがいい」とも言われてたりしていて。実際3区は下りが多いコースにはなるので、下りではもらったアドバイスを意識して走りました。

―3区は湘南の海を横目に見ながらのコースだと思いますが、海風が走りに影響することはありましたか
予報では追い風と聞いていて。ただいざ海岸線に到着して走り始めると、おそらく向かい風だったと思うんですけど、途中から向かい風に感じるところが多くて。自分としては粘りたかったんですけど、キツい中での向かい風だったので、普段通りの粘り強さを出すことはできなかったです。

―3区の給水を担当された方はどなただったのでしょうか
4年生の蛭田さんと、同部屋だった1年生の林ですね。自分としては中盤からほんとにキツくて、声掛けは正直あまり覚えていないんですけど、ただ蛭田さんと林においても、自分を後押ししてくれるような熱い言葉をかけてくださいました。

―他大学で意識していた選手は
正直3区は速い選手が多かったので、「速い選手がいるから勝てない」というような考えを捨てて、「絶対にみんなに勝つぞ」という思いで挑んだので、特に誰かをマークするとかはなかったですね。

ー走っていて印象に残っている坪田監督からの声掛けは
ラストの海岸線に入ったところで、そこでは粘り強さが必要だと思うんですけど、そのときに坪田さんからの「お前のねちっこい粘り強さはここからだぞ!」という声掛けが印象に残っています。あとはラスト3㌔ぐらいのところで、亡くなられた先輩の彰太さんのことについて挙げられて「彰太の分まで頑張れ」と言ってくださったことですね。これらの声掛けのおかげで、キツい中でも踏ん張ることができたと思います。

―沿道の大声援を受けながら走ったことについて
最初から最後の21.4㌔が終わるまで、ずっとどこを走っても法政大学の応援が絶えなくて。「法政大学頑張れ!」ってだけじゃなくて、自分の下の名前を呼んでくださる方もいたり、自分の名前が書かれた看板を作って持ってきてくださった方もいたりして、自分の背中を押してくれる応援が多くて助かりました。ただ普段なら応援されて「よしもっと頑張ろう」とキツくてもなれるんですけど、今回は後押しはされたんですけど、それ以上にキツさが目立ってしまって、沢山の応援に応えることができなかったです。

―野田選手のご家族も応援に来られたのですか
そうですね。来てくれたんですけど、本当に人が多すぎて、気づきたかったんですけど気づくことができなくて。あと、家族の他に友達も来てくれていたんですけど、全く気づくことができずという感じでした。でも唯一気づくことができたのが、高校の顧問の松田先生という方がいるんですけど、ラストの16㌔地点で「10位のシード権と約30秒差!」と大きな声で伝えてくださいました。それはすごい覚えていますね。

―順位を1つ押し上げて平塚中継所に入ったと思いますが、4区を走る小泉選手とのたすきリレーの際に何か言葉は交わされたのですか
自分も「頑張ってください」みたいなことは言いたかったんですけど、松永さんと同じようなことなんですけど、キツすぎて声が出なくて(笑)。確か小泉さんからは、「お疲れ様」みたいな感じで手で背中を叩いていただくようなことはあったんですけど、自分から声かけというのはキツすぎてできなかったですね。

―3区を走り終えたときの心境は
まずは「やってしまった…」っていう気持ちが大きくて。1人東農大の選手は抜かしたんですけど、坪田さんからも「シード権まで行くぞ」という声かけはされていたので、最低限シード権のあたりまで行きたかったです。

―4区以降のレースはどのような気持ちでご覧になっていたのでしょうか
4区には小泉さんという強い選手がいて、小泉さんは状態は上がってきてはいたんですけど、練習が全然積めていない状態で。正直良い方に転ぶのか、悪い方向に転ぶのかってところが小泉さんもおそらくあったと思うので、大丈夫かなという思いはあったんですけど、4区でシード権まで押し上げてくださいました。5区の細迫さんも、4年生として最後素晴らしい山登りをしてくださいました。それ以降の復路も、4年生が特にチームを押し上げてくださって、自分は失敗してしまったので感謝しかないです。

―6区を走った武田選手は区間賞を獲得されましたが、武田選手の走りを振り返って
6区は復路でいう1区だと思うんですけど、一斉スタートにはなってしまったのですが、流れを作る大事な区間で素晴らしい走りをしてくださいました。やっぱり武田さんは、下りの才能もそうですし、走力もあるんですけど、改めてすごいなと見ていて思いました。

―9区には副主将の稲毛選手、10区には主将の宗像選手がいらっしゃいましたが、その先輩方の走りをご覧になって学んだことは
稲毛さんは國學院の少し後ろでたすきを渡されて、おそらく5位を狙っていったと思うんですけど、後ろに付くんじゃなくて自分でしっかり引っ張って攻めの走りをしていたので、最後の箱根ということで、稲毛さんの目標に対する思いが走りから伝わってきて、「自分も来年はもっと頑張らないといけないな」と見ていて思いました。10区の宗像さんは調子が上がりきってない中で、國學院の選手に対して粘り強い走りでしっかりついて、ラストも宗像さんの持ち味であるラストスパートで、早稲田大学にもギリギリ勝つことができました。4年生の、目標に対して最後まで諦めない頑張りというのはすごいですし、自分も今後頑張らないといけないなと思いました。

―今大会を終えての収穫点、課題点は
課題点が多く浮き上がります。自分は夏にけがをしてしまって、上尾ハーフでも同じことを感じたのですが、トラックレースの10000㍍などは体力がもつんですけど、ハーフの距離になると体がまだ対応しきれていないというか、スタミナ的にももちきれていない感覚があって。やっぱりまずは第101回の箱根駅伝までに、けがなくしっかりハーフに対応できる力をつけていきたいと感じました。あとは今回とかだと3区で前が見える位置で持ってきてくださって、少し難しいような場面ではあったのですが、やっぱり駅伝ってどんな場面でくるか分からないので、どんな状況でたすきを持ってこられても、しっかりと対応できる力を身につけたいなと思いました。

―来シーズンの目標は
まず一番は、一年後の箱根駅伝で、今回のリベンジがしたいという思いが本当に強いです。総合6位でゴールしたときに、周りは喜んではいたんですけど、その中で自分は「自分のところでもう1分削っていたら、総合5位にいけたんじゃないか」とすごく思ったので、来年の箱根に向けてけがなく練習を積んで、今年のチーム目標が総合5番だったので、どの区間を任せらせても、区間5位以内で走れるような選手になりたいです。あとはチームが全日本大学駅伝に出場できるように、自分自身も予選会でしっかりチームに貢献して、出雲、全日本、箱根と三大駅伝を全て走りたいという思いが強いです。

―帰省したらやりたいことは
まずは地元の友達に会いたいのと、家族にも箱根は応援に来てもらったんですけど、会うことは全くできなかったので、家族にも夏以降半年ぶりに会いたいですね。

―2日間応援してくださった法政のファンの皆様へ
法政大学の応援ありがとうございました。箱根駅伝を初めて走って、最初から最後まで法政大学の沿道での応援はすごくて、テレビから応援されていた方もいると思うんですけど、本当に周りの応援というのは、自分も他の選手もそうですけど、走る走者にとってすごく力になったと思います。今後は今回の悔しさを糧にして、結果に結びつけていけるよう頑張りますので、これからも熱い応援をよろしくお願いします。

(インタビュー・髙瀬真帆)

4区 小泉樹

ーチームとしては総合6位でした 結果を振り返って
目標としていた5番には届かなかったんですけど、昨年から1つ順位も上がったので、悔しさもありますが、やり切ったという気持ちの方が強いです。

ーご自身のレースを振り返って
自分の走りは正直最低限だったかなと思っています。順位を2つ押し上げることができたので、仕事は果たせたかなというか、役割は果たせたのかなと思っています。ただ、区間12番で、タイムも昨年の扇(育)さんより劣るということで、全然満足できる結果ではなくて。悔しさももちろんあります。

ー事前取材の際には調子が上向いているとのお話がありました 当日のコンディションは
調子は良かったと思います。ただ、11月からポイントを始めて、2か月くらいで仕上げるという形だったので、その中でのベストは尽くせたのかなと思います。でも練習は裏切らないと言いますか、やっぱりもっと継続して練習を積んで箱根に臨まないと、これ以上の結果はついてこないのかなと感じました。

ー三大駅伝を走るのは2022年の出雲以来でした 緊張はいかがでしたか
三大駅伝はこれまで全て1回ずつ走っているので、そこはかなり自分の中でも自信を持ってレースに臨むことができました。やはり多少は緊張がありましたが、硬くなったりとか、悪い意味での緊張はなかったかなと思います。

ー雨が激しく降る中のレースでした 天候や気温はいかがでしたか
雨にプラスして気温も低くて、かなり寒かったという印象があります。正直ちょっと動かなかった部分はありましたが、そこは4区を走った選手は全員条件が一緒で。その中でも区間12番であまり速く走れなかったということで、あまり言い訳にはできないなと思います。アップもしっかりしたつもりですし、最善の準備をして臨むことはできたかなと思います。

ーレースプランはどのように考えていましたか
直前に、坪田監督との電話の中でも「大東大であったり東海大、帝京大までは大体30秒くらいで前にいるから、そのあたりまで行ってほしい」と言われていました。なので自分が順位を押し上げるというのは考えていました。ただ、僕が1年生の時の箱根駅伝では前半に突っ込んで後半垂れてしまったので、そうはならないように、徐々に詰めていきました。後半までペースを落とさずにまとめれば、しっかり前を狙えると思っていたので、最後までまとめて順位を上げるというレースプランでした。

ー二宮のあたりでは同じ頃に中継所を出た大東大を交わし、東海大の見える状況でした
大東文化大学さんは最初の2、3㌔ですぐに抜かして順位を上げたんですけど、東海大学さんは見えていたのに詰まりそうで詰まらないような差で走っていて。5区にたすきをつなぐ前に、自分が抜かしたいという気持ちでしたが、最終的にそこまでは行けませんでした。ただ、少しは詰めることができたので、本当に最低限ですが、仕事はギリギリ果たせたかなと思います。

ー酒匂橋の時点では日大が前にいる状況でした どのあたりで10位に浮上されたのでしょうか
日本大学さんは酒匂橋の時点ではまだ見えていなかったんですけど、急に落ちてきたという感じで。そこからはすぐに抜かせたので、18㌔か19㌔地点くらいだったかなと思います。

ー1年次の箱根を踏まえ、「後半で失速しないようにしたい」との言葉がありました 振り返って
多少はペースダウンしてしまいましたが、少し上りということもありますし、そこまで大きくペースダウンをしたわけではないのかなと思います。なので、1年生の時の反省を生かして、今回しっかり最後までまとめられたかなと思います。

ー中継所でたすきをつなぐ際、細迫選手と何かやりとりはありましたか
たすきを渡す時に「行くぞ」と声を掛けました。詳しくは覚えていないんですけど、「おう、分かった」「おう、任せろ」みたいな感じで、「行くぞ」の言葉に応えてくれた感じでした。

ー順位を2つ押し上げ、チームの目標達成に貢献しました 走っているときはどのようなことを考えていましたか
昨年は直前で故障してしまって、箱根を走れなかった悔しさがずっとあって。ただ、その悔しさを持ってこの1年間やってきたんですけど、今シーズンも苦しいシーズンになってしまいました。そんな中でなんとか出走までこぎつけて、やってきました。この1年間の苦しかったことを思い出すと気持ちが込み上げてくるものもありました。それにプラスして、走れない選手の分であったり、「高橋彰太の分も」ということも考えて走っていました。途中ちょっと泣きそうになるような場面もあったんですけど、やっぱり応援の力もあって、楽しみながら走れたかなと思います。

ーどのようなことが走る上で力になりましたか
下のユニフォームに付けていた高橋彰太に向けての喪章が本当に力になったなと思っていて。走っている時も、苦しくなった時に左手で握ったりして、高橋彰太のことを思っていました。気のせいかもしれないんですけど、すごい後ろから押されているような感じがして、楽になったというか。押してくれるような感覚が強かったです。

ー観客の数なども2年前の箱根とは大きく違ったと思います
2年前に走った時とは比べ物にならないくらい大きな声援があって、人もすごく多かったです。声援が途切れない上に大きいので、途中ちょっと坪田監督の声掛けが聞こえないくらいだったんですけど、それくらい沿道からたくさん聞こえたなと思います。

ーご家族は沿道に来ていましたか
もともとどこにいるかは知らなかったんですけど、見に行くとは言っていました。走っている途中で見つけることができました。声掛けも聞こえて、パッと見た時に「あっ」と思ったので、ちょっと反応はできたかなと思います。

ー試合前後になにか連絡はありましたか
LINEで連絡は来ていて、「楽しんで頑張れ」っていうのと、終わってからは「お疲れさま」と言われました。

ー実際に箱根で楽しんで走ることはできましたか
昨年走れなかった分もあって、2年分の思いを背負って走ったので、すごく楽しかったです。あとは1年目に走ったこともあって、懐かしさもありつつ、箱根駅伝を存分に楽しめたのかなと思います。

ー箱根を終えてやりたいことや楽しみにしていることは
中学校の同期とか、高校の同期と久しぶりに会う約束をしています。あとは結構サウナが好きなので、サウナとか温泉に行って、体をリラックスさせて、しっかり休もうかなと思います。

ー改めて今年の4年生はどんな代でしたか
良い意味で「先輩面をしていない」というか。後輩にもフレンドリーに接してくれて、あまり堅苦しい上下関係がありませんでした。僕たちもすごくやりやすかったですし、頼りにもなる先輩方だったなと思います。今は先輩方が引退してしまって、自分たちが最上級生になるというのが寂しい気持ちです。

ーついに春からは小泉選手の代が最上級生となります どのようなチームにしていきたいですか
チーム目標はまだ決まっていませんが、立てた目標を達成できるチームにしたいです。これまでの4年生が作ってきたチームのように、キャプテンや副キャプテンに頼るチームではなく、4年生全員がチームを引っ張っていくようなチームづくりをしていきたいです。

ー来季に向けて、小泉選手個人としての目標は
まずは故障せず、1年間試合に出続けられるようにしたいと思っています。おそらく来年最後の試合が箱根駅伝になると思うので、箱根駅伝ではエース区間である1区2区で他大学の強い選手と勝負できるようにしたいです。特に1区を走りたいという気持ちがあるので、1区でチームに流れを持ってくるような走りをしたいです。

ーファンの方へのメッセージを
今回は、本当にたくさんの応援ありがとうございました。走っていて、本当にたくさんの方が応援してくれたり、たくさんのメッセージをいただいたりと、自分の力になりました。目標の5位は達成できませんでしたが、まだ来年も残っているので、来年は必ずチーム目標を達成して終われるように頑張っていきたいと思います。

(インタビュー・芦川有)

5区 細迫海気

―今回のチームの総合6位という結果を振り返って
このチームは今大会も総合5位を目指していた中で総合6位というあと1歩及ばない結果にはなったのですが、走ったメンバー含め、サポートに回ってくれた選手だったりトレーナーさん、マネージャーさん、みんなが支えてくれて、そして何より走った10人がベストを尽くしてくれた結果の6位なので、個人的には納得のいく結果ではないですけど、あまり悲観的になるようなレース内容でもないかなと思います。

―個人としての5区の結果についてはいかがでしたか
3年連続で5区を走らせていただいたんですけど、調整の段階でもこの4年間で一番体の状態が良かったですし、3年連続ということもあって全く緊張することもなく、自信を持ってスタートラインに立つことができたと思います。レース内容としても、8キロ過ぎから大東文化大学の(菊地駿介)選手と一緒に前を追うことができたので、2人で行けたことが区間順位にも、そして前を詰める要因にもなったかなとも思います。あとはここ2年課題としていた下りを、今年はしっかりと走ることができたので、本当にレース内容としては満足のいく走りができたと思います。

―ご自身が走る前の1区から4区までご覧になっていて、どのような心境でしたか
本当に往路の4人が頑張ってくれて、本当にいい位置で持ってきてくれたなと思います。そこまで前との差も離れていなかったので、とても前を追いやすい位置で持ってきてくれたなと思います。4人には本当に感謝しています。

―雨の中での5区は初めてだったと思いますが、そこについてはいかがでしたか
雨ということでスタート前は少し不安もあったんですけど、2年時にラスト5キロで低体温症を経験したこともあって、しっかり寒さ対策はこれまで以上にやってきました。何より3年連続5区を走らせていただいている分、他の選手と比べて経験値も高いので、これまでの経験を生かして走りました。

―スタートする前の時点ではどのようなレースプランを考えていましたか
雨なので、最初の4キロ弱の函嶺洞門までは余裕を持って入って、上り始めてから徐々にギアを上げていくというプランを立てました。実際に坪田監督からも電話があって、例年より函嶺洞門まではゆっくりでもいいからと言っていただいたので、自分としてもウォーミングアップの感覚でとにかく余裕を持って最初の4キロ弱の函嶺洞門までは走ることができました。そこで余裕を持った分、しっかり上りにも対応できたかなと思います。

―先ほどのお話にもありましたが、中盤では大東大の菊地選手に並ばれる形になりました。その後のレース展開はいかがでしたか
自分以上にとてもいいペースで走っていて、抜かれてから自分自身も余裕があったので、大東文化大学の菊地選手についていけばしっかり前を追えるなと思って一緒に走っていきました。あと一番は、自分が前に出る時に声をかけて、一緒に行こうということで、一緒に前を追えたというのがすごく大きくて、実際に菊地くんが前に出る時も前を追っていこうとをかけてもらったので、お互いに鼓舞しながら山を上れたのが本当に大きかったなと思います。

―事前インタビューでも、上り切った後の下りと宮ノ下の上りの2つを課題として挙げていました。その2か所で特に意識した点はありましたか
宮ノ下を左に曲がってから始まる急激な上りに関しては大東文化大学の菊地くんと一緒に行っていたので、2人で行けば自然とペースは上がるかなと思っていましたし、やはりそこまでしっかり余裕を持って走れたので、宮ノ下からペースアップすることで区間順位にも大きく影響してくるかなと思って走っていました。あとは15キロまで余裕を持っていけたので自分が課題としているラスト5キロの下りに関してもしっかり対応することができましたし、何より菊地くんが前にいてくれたので、とにかく菊地くんに離されないように前を追いました。

―最後はたすきに手をかけるような形でフィニッシュされました。その時はどのような思いでゴールしましたか
たすきを握った大きな理由は、やはり昨年8月に亡くなった(高橋)彰太への思いが一番大きいです。出雲駅伝の稲毛のゴールシーンを真似して、たすきに手をかけてゴールしたんですけど、本当にここ2年間課題としていた下りをしっかり走り切ることができたのも、何より彰太が背中を押してくれたんだなと思っています。最後はここまでチームを1つにしてくれた彰太への感謝の意味を込めて、最後は出雲の稲毛のゴールシーンと全く同じように、たすきに手をかけてゴールしました。

―ご自身としては今回が最後の箱根だったと思いますが、そこについてはいかがでしたか
スタート前から、最後のレースだとはあまり思わないようにしていました。とにかく往路の4人がつないでくれた順位をしっかり上げて、まずは自分がシード権に乗せるというのと、あとは6区を走る武田のために1秒、復路の選手のために1秒、チームのために1秒という思いで走りました。最後、こうして大学最後の箱根駅伝を終えたんですけど、本当にこの3年間で1番納得の行く結果が出せましたし、本当にこれまでやってきたこと全てを出し切れたので全く悔いはないですし、本当に納得のいくレースができたかなと思います。

―レース中の監督からの言葉で何か印象に残っているものはありますか
坪田監督から言っていただいた中で一番印象に残っているのは、「走れなかった4年生の分もしっかり走れ」というのと、あとは「彰太が力を貸してくれる」という声かけが、本当に自分の力になりました。きつい時は走れなかった同期の4年生の顔を思い浮かべながら、そして彰太を思い浮かべながら走ることができましたし、そこでしっかり最後粘り切ることができたかなと思います。

―復路はどのような心境でご覧になっていましたか
今年のチームは復路が強いチームなので、6区の武田から始まる復路の5人は本当に安心して見ていられましたし、実際に武田が区間賞の走りをしてくれて、前をどんどん追ってくれたのが本当に頼もしかったです。最後の9区と10区では4年の同期がしっかり走ってくれましたし、7区と8区の矢原、清水もこの1年で成長した選手なので、本当に復路の5区間に関しては不安要素もなく、安心してレースを見ることができました。

―改めてこの4年間全体を振り返って
自分は箱根駅伝を3度走らせていただいて、本当に何より坪田監督には、高校時代、世羅高校という強くなれる環境にいながらも弱かった自分を法政大学に勧誘してくださり、そして箱根駅伝でも3度走らせていただけるほどの選手にまで強くしてもらったので、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。あとはここまで支えてくれた両親のためにも、箱根駅伝で活躍する姿を見せようと思ってこの4年間やってきたので、3度箱根駅伝を走ることができましたし、こうして箱根駅伝で引退することができて、本当に幸せな4年間だったなと思います。

―4年生と後輩、それぞれに向けて何かメッセージを
同期の中でこれから実業団で続けるのは松永のみなんですけど、松永は本当に強い選手ですし、まだまだ伸びしろのある選手なので、これからもっともっと世界に羽ばたいていってくれる選手だと思います。僕たちは陸上から引退するんですけど、これからは松永の応援をしっかりしていきたいなと思います。後輩に関しては、本当に来年も強い選手がたくさん残っていますし、楽しみな選手もたくさんいますので、本当に安心して見ていられるなっていうのが一番です。あとは今回達成できなかった総合5位をこれからの後輩に託していきたいなと思います。

―応援してくださったファンの方々に向けてメッセージを
2日間、たくさんの応援ありがとうございました。総合5位を達成することはできなかったのですが、これからの後輩たちが必ず総合5位を達成してくれると思います。そして何より、この3年間5区を走らせていただいたんですけど、最後の最後にいい姿を見せることができて良かったなと思います。引き続き、法政大学のご支援ご声援よろしくお願いします。

(インタビュー・岩瀬智悟)

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