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【硬式野球】今季けがから復帰した最速151キロ右腕、丸山陽太はチームのためにフル回転し、次のステージへ(秋季リーグ戦振り返りインタビュー⑤)

丸山 陽太 投手

――率直にリーグ戦をチーム、個人ともに振り返って
チームとしては、優勝しようということでずっと練習してきたので、それがかなわなかったのは悔しいところですけど、十分奮闘はしたのかなと個人的には思っています。個人としては、自分が大事な場面で使ってもらっていたんですけど、少し不甲斐ない結果になってしまったかなという感じです。

――2年生のシーズンは春秋通じて4試合に登板。2年秋のフレッシュリーグでは自己最速の151キロも計測するなど、これからが期待される中でのけが。手術を決断した時の心境は
自分としてもフレッシュで151キロ投げることができて、感覚的にも良くなってきていて、これから3年生に向けて上がってきているときにじん帯を切ってしまったので。だいぶ落ち込んだんですけど、自分としてはもう一度神宮に立って、マウンドで躍動している姿を家族はもちろん応援してくれている人たちに見せたいと思って。もうしょうがないと、手術してからの期間でもっとパワーアップしようと思っていました。

――リハビリ中はどのようなことを意識して、また励みにして生活していたのか
リハビリ期間は、まず一番に体重を増やそうと決めていまして。いろいろな人の記事とかを読んでいて、リハビリ中に体重、筋量を増やしたという人がほとんどだったので、自分もけがをしない体をつくろうというので、ウェイトトレーニングだったり、そこでつけたパワーを上手く使えるように身体操作系などでトレーニングして、体重を増やしつつも動ける体をつくろうっていうのと。ボールを強く投げることはできなかったので、とにかく150キロを投げていた時の感覚をもとにして、自分はこんなふうにピッチングしたいんだというのを常に持ってイメージトレーニングしていました。リハビリの励みは、小中高と共に野球をやってきた仲間たちから常に応援の連絡が来ていて、「また神宮に立っているところがみたい」とみんな言ってくれていて、自分の両親も「負けないで頑張ってほしい」という感じで。みんなから連絡をもらっていたので、それが励みになりました。

――夏のオープン戦からAチームでマウンドに上がっていたが、シーズン前の調子や体の感覚は
リハビリ期間中には体重を増やしつつも動ける体をつくろうと思ってやってきたんですけど。もちろん実践で、チームとしての最前線で戦うとなったら、体が思うように動かなくて、調子としてはあまり良くはなくて。150キロ投げていた時の感覚とはかけ離れていて、フォームもけがしないようにということを考えてやっていたので。自分の今までの一番の状態からはかけ離れていて、何とか試行錯誤して調子を上げていきたいという感じでやっていました。

――シーズン前は個人的に具体的な目標は持っていたのか
それはなかったですね。オープン戦はワンポイント起用という感じでやっていたので、リーグ戦も同じような感じになるのかなと思っていて、任されたイニングを全部無失点で抑えようという感じでした。

――慶大2回戦で3季ぶりの神宮のマウンドではどのような景色が見えたか
やっとここに立てたというのは少し思ったんですけど、ピンチの場面での登板だったので、結構緊張した気持ちが強くて、絶対に抑えなきゃという感じで上がりましたね。

――慶大4回戦は前日までリリーフで2連投からの初先発。いつ頃伝えられたのか
前日の夜ですね。(その時の心境は)自分自身もとても驚いたという感じで。もともとリーグ戦に入る前から監督の方からは「先発も準備しておけ」ということはよく言われていたので、もしかしたらいつかは任されるかもなとは思っていたので。ここで先発が本当に来たという感じで驚きました。

――初先発のマウンドにはどのような意識で上がったのか
気温も高くてとても晴れていたので、「良い景色だなぁ」って感じでマウンドに上がって、今までの中継ぎとは違って、自分でしっかりとゲームメークをしようという感じでマウンドに上がりました。

――結果は5回まで2安打に抑え、6回に先頭打者に安打を許した場面で降板(5 0/3回3安打1失点)となったが改めて投球を振り返って
ずっと1イニングだけを投げるというのでやってきたので、自分としてはゲームメークをしようという意識はもちろん持っていたんですけど、先発でどう投げれば良いかというのは頭では分かっていても体の方は上手く動かなかったので。先発としてロングイニングを投げるというのはあるんですけど、1イニングずつを丁寧に丁寧に投げて、1イニングずつ抑えていこうというのを考えていました。

――この試合で初勝利をつかんだが、チームメイトからの祝福は
少しありましたね(笑)(具体的に覚えているものは)バッテリー組んだ井上(和輝、法1=駿台甲府)が部屋子なんですけど、彼から「初勝利おめでとうございます」と部屋で言ってもらったくらいしか覚えていないですね(笑)

――この試合でご自身のリーグ戦初安打も
これまで打席にあまり立っていなくて、六大のピッチャーを打席で見て、「すごい球投げてるな」と思っていたので、真っすぐ来てくれって感じで振って、(初安打となり)うれしかったです。(シーズン通して打席にはどのような意識で立っていたのか)とにかくバットに当てなきゃという感じで。来た球に対して反応で打つというのはできなかったので、真っすぐだけに絞って、バットに当てられるようにということだけを考えていました。

――前日の先発からの連投となった立大3回戦は0-0から8回に登板し、2死から小林隼翔(2年=広陵)選手に被弾。あの場面を振り返って
1回戦で野崎(慎裕、営4=県岐阜商)が外の直球を右中間にはじき返されているのを見て。(小林選手は)外にも強いんだなというところを考えて2回戦では先発の時に井上和と話し合って、外を見せてインコースでしっかりと勝負するというのをやって、良い感じに抑えられたというのがあったので。外一辺倒で投げたら右中間の当たりが生まれるのではないかというのもあって、3回戦もまずは内を見せてから外で勝負というのを考えていたんですけど、その見せ球の内をあんなにきれいに打たれてしまったので、選択を間違えたかな、もっと厳しく攻められたかなというところで、後悔しました。

――早大戦は1、3回戦にどちらも先発での登板だったが、振り返って
初めて第一先発を任された試合だったので、前日の夜から結構緊張していて。立教戦の後に空き週があったので、そこで早稲田をどう抑えるのかということで、このままだと先発で抑えるのは厳しいという感じで、球種を増やして。ツーシームをそこから初めて使いだしたんですけど。真っすぐで押していくというよりかは、変化球などを使って上手くかわしていくピッチングを早稲田戦からは意識し始めて、立教戦までは1球ごとに全力で投げていたんですけど、早稲田戦からは監督の方から5回じゃなくてもっと長いイニングを投げられるようにということを言われていたので。早稲田戦からは長いイニングを投げ切るという意識に変えて挑みました。(ツーシームを投げることはご自身で考えられたのか、高村助監督から助言があったのか)ツーシーム(を投げること)はずっと言われていて、自分が投げれないっていう感じで。遊びで投げてはいて、それを使ってしまおうと思い切りました。

――明大1回戦では初めて100球を越え、最長の7回までの投球だったが、あの登板を振り返って
まず、初回に投げた時にバッターのスイングがすごくて驚いたというのがあって。2イニング目は厳しく攻めなくてはいけないという気持ちだったんですけど2回に連打を食らってしまって。その時は結構ベルトラインの球を投げてしまっていて、もっと低めに集めなくてはという感じで、2回に反省して、3回以降は投げれるようにという形で、自分の中でフォームを見直してみたりというので変えてみて。そこからは守備のみんなにも助けられながら、うまくゼロを並べられたという感じだったんですけど。100球というのはまだ投げたことがなかったので、そこで失点してしまったのは悔しいなという感じです。(その球数や投球回は予定通りだったのか)慶應、立教、早稲田と徐々に球数が増えていって、90球近く投げていたので。明治戦から100球を越えるだろうというのは、言われてはいなかったんですけど、自分の中で考えていて。球数の方もありますけど、明治戦で自分が3失点した後に、侑生(品川、文4=三重)のホームランがあって、同点にしてくれたというのがあったので、自分がチームを勝たせなきゃというので、意地を張って投げ続けていたのもあります。

――お話にあったように、7回は先頭に二塁打を許すと、2死三塁から今井英寿(4年=松商学園)選手に被弾。あの場面を振り返って
先頭に甘く入った真っすぐを痛打されて、ノーアウト二塁だったんですけど、そこからもう一回下半身を上手く使って、コーナーを意識して投げてツーアウトまでは行けたんでけど。今井選手のスイングがすごく強かったので、自分もコーナーを狙いすぎてスリーボールまで行ってしまって、一塁は空いていたのでベンチからは歩かせても良いというふうに言われていたので、思い切ってボールになっても良いという気持ちで外に真っすぐを強く投げようという感じで。フォアボールになっても次の打者にしっかりと切り替えられるようにと思って、楽な気持ちで投げたら、あんな感じで打たれてしまったので。純粋に今井選手がすごいなと思いました。

――今季通算成績はチームトップタイの10試合に投げ、防御率2.84はリーグ4位タイ。改めてシーズン全体の個人成績を振り返って
先発を任されたんですけど、5、6回で(マウンドを)降りてしまって。先発としてはもっと長いイニングをというのが大島さんの考えにはあったと思うので、それに対してはあまり答えられていないなというのがありつつ。自分の肘の状態を見て5回まではしっかり投げようとは考えていたので、その分イニングは短かったですけど、ゼロで抑えられているのが多かったと思うので。2.84という数字に対してはよく頑張ったんじゃないかなと思います。

――毎試合球数が少なく省エネ投球の印象だが、投球の組み立て方の意識は
まずはストライクゾーンを大きく使うことを意識しつつ、同じ球を続けるのは危ないというところは重要視していて。アウトローの真っすぐを投げて、インコースのスライダーを投げてといった感じで。アウトコースを2球続けるのであれば、その後はインコースのカットボールだったりツーシームだったりで少し動かすという感じで。ボール球を増やさないということは常に考えていたので、良い投球ができていた時は内と外を上手く使い分けられていたのではないかなと思います。

――4年間で一番印象に残っている試合は
2年生秋の東大戦ですね。自分も神宮のマウンドで投げたいというのをずっと思ってきて、勉強もしてきましたし、1年生の時からいろいろな人にアドバイスをもらって、神宮で投げさせてもらえるように自分なりに努力もしてきたので。その努力が実って神宮に立てたのがうれしいという気持ちはありつつも、東大さんに打ち込まれてしまったのもありますし、神宮の雰囲気に飲み込まれてフォアボールも出してしまったので、まだ努力が足りないなというのもありましたし、工夫していかないといけないなと思ったのも2年秋の東大戦なので。いろいろな考え方も変わってきて、今季こうして神宮で先発を任されるまでに成長できたので。成長するきっかけになった試合だなと思います。

――浪人を経て法大に入学。法大に入って良かったことは
今は少し変わっているんですけど、加藤さんが監督だったときは全体練習もありつつ、個人での自由な練習が多かったので、そこで自分で工夫して練習したりというのもあったので。やりたいことをやらせていただいたと思います。

――前任の加藤監督も含めて、大島監督や高村助監督ら首脳陣への思いは
加藤前監督は、自分がピッチング練習するときも見に来てくれて、指導してくださいましたし、リーグ戦に入る時も、「一般入試組でも神宮で活躍できる姿を見せなさい」というような形で鼓舞していただいたので。加藤前監督にはしっかりと法政大学を背負って投げるということを言われたのがすごく印象に残っています。大島監督からは常日頃、「神宮で投げるんだろう」という感じで、先発を任せるかもしれないという感じで自分を鼓舞してくれたというか、選手全員に対して向き合っているというのもありますし。ランニングしてる時にも「もっと走れるだろ」と熱く指導してくださったので、大島さんに常日頃声をかけていただいていたおかげで、モチベーションを維持してやってこれたのかなと思います。高村さんが一番、自分が頼っていた方で。ピッチングに対しては高村さんはプロフェッショナルという感じなので、自分が「こう投げたいんですけど」というような質問はずっとさせていただいていて。その一つの質問に対していろいろな選択肢を返してくれる方だったので、それに対して自分の最適解を見つけられたというところで、すごく頼りになる方でした。

――同期にかける言葉は
ホントに自分がここまで楽しく野球をしてこれたのは同期のみんなのおかげなので、純粋にありがとうという気持ちと、自分は今まで甲子園に出られるようなチームで野球をしてこなかったので、スポーツ推薦のみんなには、いろいろと野球のことに関して聞いてきて。みんな優しくアドバイスだったり、個人の感覚というのを教えてくれたので、みんなの優しさのおかげで、楽しく野球をやりつつも成長することもできたというのがあるので。自分で言うと、勢濃(俊哉、法4=法政二)と一緒にいることが多かったんですけど、彼とスポーツ推薦のみんなからピッチング練習の仕方とか感覚を教えてもらって、二人で共有しあって夜にネットスローをしたり、アドバイスしあったり。ウェイトトレーニングも一人だとモチベーションが低いときは勢濃と一緒にやってきたので。それに対しては二人でやることが多かったんですけど、4年生ピッチャー全員で。オビ(帯川翔宇、文4=札幌一)とか國府田(将久、文4=磐城)とかも一緒にトレーニングルームで練習してきたので。本当にみんなとやってこれて楽しかったなと思います。

――特に仲の良かった後輩は
最近だと助川(太志、グロ3=茗溪学園)ですね。(理由は)同じAチームで練習するようになってからはピッチングに関する質問を一番もらっていたのがスケなので。それで一緒にリーグ戦も(ベンチに)入ることができて、いろいろと喋って。二人でサウナとかに出かけたり、どこかに出かけるのが一番多かったのが助川ですかね。(どのような言葉をかけたいか)「次からはエースとして頑張ってほしい」という感じですかね。

――来年の法大で期待する選手は
今季は登板がなかったんですけど、針谷(隼和、営3=桐光学園)君には頑張って欲しいですね。(理由は)同じピッチャーですし、リーグ戦期間中の練習ではシートバッティングで投げる練習が多かったんですけど、すごい球を投げているので。来年からは第一先発としてチームをけん引している姿を見たいなと思います。

――ご自身の今後の予定は
社会人の方で野球を続けられることになったので。自分が大学まで野球をさせてもらって、トミー・ジョン手術を出来たのもお父さんのおかげなので。社会人野球で野球をしている姿をまだまだ見せられるというのもすごくうれしいと思っていて、都市対抗に出て東京ドームで躍動する姿を両親に見せたいなと思います。

――ファンの方に向けて一言
リーグ戦は2か月と長かったのですけど、自分たちが試合をする日に皆さんが来て応援してくださったり、配信で見て応援してくださっていたと思うので、それはすごく力になりましたし、励みにもなりましたので、これからも法政野球部をよろしくお願いします。

(インタビュー:篠﨑勇希)

丸山陽太(まるやま・ようた)
スポーツ健康学部4年・2002年12月3日生まれ
千葉県出身・成東
179cm74kg・右投右打
今季成績:10試合 2勝3敗 15奪三振 12四死球 自責12 防御率 2.84

硬式野球部の写真はスポーツ法政新聞会の公式インスタグラムにも掲載しております。ぜひご覧ください。

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