【リオ五輪特別インタビュー】第3弾~フェンシング 男子エペ 見延和靖選手~
2016年6月6日(月)
国立スポーツ科学センター
リオ五輪特別インタビュー 第3弾はフェンシング男子エペに出場する見延和靖選手(平21年度法学部卒=NEXUS株式会社)。初の五輪出場を叶えた見延選手に五輪への熱き思いをうかがった。
見延和靖選手コメント
―学生時代はどのような学生でしたか
僕らの代はオールスターと言われる位同期に恵まれていて、全員が全員他の大学にいたらエースを張れる実力を持っている選手でした。法政は名門ですし、代々そのような感じでしたのですごいですよね。そんな中で僕自身は、高校からフェンシングをやり始めたので、他の選手に比べたら落ちる部分があったんですけど、法政大学の名に恥じないような選手には4年間でなりたいと考えていました。
―性格面ではどうでしたか
大学のカラーはありますけど、他の大学からすると話しかけにくいような、オーラのあるチームだったような気がしますね。その中では自分は割と田舎出身(福井県)ということもあってか、そこまで結構…….そんなことないか(笑)。他の選手と変わらなかったと思います。話しかけづらい感じはあったと思います。その分仲間意識はすごくありましたし、とても楽しい大学生活を送っていましたね。部内ではムードメーカーのような感じだったのではないかと思います。
―今の大学のフェンシングの試合を拝見すると、他大学関係なく和気あいあいという印象を受けますが
そうですね。結構変わってきている感じはしますが、それはそれでいいのではないかと思いますね。横の繋がりって大事ですし、フェンシングって小さいコミュニティなので、その中のさらに小さい大学の中で留まるのはよくないので、かかわりが増えるのはいいと思います。大学の色というのを忘れずに、「法政大学だ」という誇りは今の学生たちにも持っていてもらいたいですね。
―小学生時代に空手、中学生時代にバレーボールを習われていましたが、何故高校からフェンシングを学ぼうと思われたのですか
法政大学に入りたかったからです。大学に進学することが目的でした。勉強をするかスポーツをするか親に選択を迫られまして、私の父親がフェンシングをやっていた関係で、福井県にある名門校でフェンシングをやってみないかと誘われて、(フェンシングを)体験してみたら自分に合っているなと感じて始めましたね。
―空手・バレーボールの経験はフェンシングに生かされていますか
僕は多趣味で色々なものに手を出して色々な体験をしていますが、それらすべてがフェンシングに限らず今の生活に繋がって、生かされているなと感じていますね。空手もバレーもフェンシングも全然違うものですけど、常に心掛けていたのは目の前にあることは一生懸命にやる。100%の力を注いでやってきました。その中で得られるものは大きいですし、3つ(空手・バレーボール・フェンシング)は通じていると思います。具体的にフェンシングで言うと、空手は対人競技なので間合いの取り方とか、カウンターを狙う一撃の技がありますけど、そのカウンターのタイミングや、間合いの取り方は独特のタイミングを僕自身が持っていると感じていますね。バレーボールはもちろんジャンプ力で、フェンシングでは一番ありますし、直にフェンシングに生かされていますね。
―フェンシングにはフルーレ・エペ・サーブルの3種目がありますが、その中でエペを選んだ理由はなんですか
フェンシングを選んでいる時点であまのじゃく的なところがありますが、メジャー所を避けたいという気持ちもありました。フェンシングの中でエペを選んだ何よりの理由は、フェンシングは決闘からきているスポーツで、その中でもより決闘に近いのがエペの形です。フェンシングの原型がエペにあると言われていますが、まずはルールが単純ですよね。フルーレだと攻撃権が存在して、叩いて突いたら勝ちだとか、同時に突いているけどより前に出ているから勝ちだとかルールがややこしくて、やっていて腑に落ちない部分が僕自身の中にあって、納得できていない部分がありました。その点高校時代からやっていたエペは、一本一本がやられたら負けだし、やったら勝ちだし、その辺が自分の性格に合っている感じがします。
―大学時代はフルーレもされていましたよね
大学に入ったらエペに転向したいな、専念したいなと思っていましたが、大学にはフルーレの成績で推薦をいただいていたので、1.2年生の間はフルーレをする必要がありました。あとフルーレの方がエペよりも結果が良かったということもあります。さっきも言ったように僕は本当に同期に恵まれていたので、フルーレだとしたら僕なんかよりも強い選手がいたので、そう考えるとエペ一個でやってやろうかなと思いましたね。
―フェンシング種目の中でエペ競技は世界人口が一番多くて、その分勝つのが難しいという気持ちにはなりませんでしたか
もちろんありますし、日本人じゃ勝てない種目だと言われていました。絶対そんなわけはないですけど。韓国人選手は勝っているのに、何で日本人には無理なのかと思っていました。韓国人や中国人にフェンシングを教えたのは日本人、法政の先輩なんですよね。だけど先を越されているのはおかしいですし、嫌ですよね。フェンシングのアジアの原点は日本なのにと思って、勝ち上がっていきたいなと思いました。
―大学時代の目標はなんでしたか
一応学生のタイトルは個人も団体も全て取りましたね。初めは大学に入ることが目的だったので、大学は行ったときは4年間ちゃんとできればいいかなというふうにしか思っていませんでした。ここまでやってこられたのは負けず嫌いという気持ちが強いからだと思いますが、少しずつ目標が変わっていって、少しずつ高いところを目指すようになっていきました。そこには法政大学出身という気持ちはありますし、歴代の先輩に恥じないような選手になりたいと思っていました。その中でも新人戦を取りたいだとか、日本ジュニアの代表になりたいだとか、学生で一番になりたい、全日本で一位になりたい、ナショナルチームに入りたいとかどんどん目標が上がっていって、大学卒業するときにはオリンピックを目指すようにはなっていましたね。大学3年生にときにナショナルチーム入りして、その時にちょうど北京オリンピックがありました。その北京オリンピックに法政大学の先輩の西田祥吾先輩が出場していますが、その先輩に対する憧れが強くあって、西田さんとの出会いがあったからオリンピックを意識するようになったのは間違いないですね。それからロンドンオリンピックを目指すようにはなりました。
―大学時代に身について、今に生かされていることはありますか
大学の練習はつきっきりで教えてくれるということがなかったですね。外部の監督なので他の仕事も兼任されていて、休日や合宿の時しか教えてもらう機会がなくて、コーチ・監督のいない中練習することが遥かに多かったです。その中で自分はなにをしなきゃいけないのかなど、自分で考えて自分に必要なものを探してトレーニングしていかないといけなかったので、自分から行動するようにはなりましたね。高校の時は自発的に行動するときもありましたけど、監督が常にそばにいたので、積極的に行動するようになったのは大学に入ってからですね。
―同じく五輪に出場する佐藤希望選手は福井県出身ということで、ご一緒に市民栄誉賞を受賞されていますが、仲は良いのですか
他にも今回は徳南選手も青木選手も同じ高校出身なので、ほんとに奇跡的だなと思いますね。これまでやってきたことが正しかったのだと証明している気がします。仲もいいですね。佐藤選手は普段一緒に練習していますし、落ち着きますよね。同じ福井弁で喋っていたりすると。(笑) 種目が違うとスケジュールがなかなか合わないのでみんなで遊びに行ったりはできないですけど、関わりはもちろんあります。
―休日のリフレッシュ方法はありますか
オンとオフはしっかりしていますね。田舎出身なのでフットワークは軽くて自然が好きなので、週末とかは地方に出かけることが多いですよね。車で富士山に行ったり、群馬とか栃木とかよく行きますね。とにかく明るいので。(笑)
―先ほどちらっと盛り上がった筋肉が見えましたが
そうですね。ちょっとやりすぎている部分はあります。コーチに「そんなにいらねぇ」と言われていますけど。(笑)フェンシング、特にエペはコンタクトがすごく多いです。日本人は小柄で、ぶつかったときに当たり負けしてしまうことがとても多いので、それは避けたいなと思っています。僕のスタイルとしては、飛び込んでいくことが多いので、その時には当たり負けしないということがとても重要になってくると思うので、体は鍛えないといけないと思いますし、全然無駄にはなっていないと思います。どちらかというと攻撃力を上げるための筋力というよりは、防御力を高めている感じですかね。
―これまで行われた大会で一番印象的だった試合はなんですか
一番思い出深いのは大学生の時に5冠を達成した時ですかね。全日本選手権でNEXUSという今僕が所属しているチームと戦いました。当時のNEXUSのアンカーが法政大学のOBでオリンピック出場経験のある西田選手とで、最後一本を勝ち取って5冠を達成しました。あの時の感覚は今でも忘れられないですね。
―5冠って達成するのは本当に大変ですよね
やっぱりそうですね。年々難しくなっていると思います。学生のレベルも上がっていますけど、社会人も強くなっていて、難しいと思いますね。
―エストニアの大会で日本人が1位、2位を独占されましたが、その時のお気持ちはどうでしたか
誇らしいですよね。エペはずっと勝てない種目と言われていたので。そこで君が代が流れて日本の国旗が二つ“バッ”と上がっていったときは鳥肌が立ちましたし、他の選手たちも見ていて泣きそうになったと言ってくれたので、すごく嬉しかったです。外国人のコーチも「日本人選手はすごい選手だと」言ってくれましたし、一番うれしかったのは日本人でワンツーを取れたことですね。これまでも日本人選手でメダル取る選手はいましたけど、優勝するのは日本の歴史を通して初めてで、さらに1位2位を取るのはほかの国を見てもなかなかない事なので、それを日本人が達成したってことは相当偉大なことをしたと思いますね。宇山選手もすごく喜んでいました。2位でしたけどね(笑) 2位なりの喜びでしたね。
―今年2月は五輪を懸けた団体戦で敗れ、惜しくも出場を逃してしまいましたが
一番そこを目指していたので。日本人でワンツーを取れる実力なので、全然日本は弱くないですし、この間のアジア選手権でも優勝していますし、それで五輪への切符を逃してしまったのは相当へこみましたね。ここで出場して、東京オリンピックを団体戦でメダルを獲ることが僕のプランでした。結果遅れてしまうことになったので、これから大変ですね。悲しいです。
―個人戦と団体戦はどちらを重視されていましたか
もちろん団体戦ですね。団体戦で出場できれば個人戦でも出場できることなので、そのために個々の能力の向上はもちろんですから。他の協会の方からエペのチームが一番いいと言われていて、チームワークの点などを評価してくださっています。これまでの積み重ねてきたことだと思いますし、それだけ僕たちが団体に懸けていたということだと思います。
―チームワークの点で気を付けていることはありますか
おかしな奴らの集まりです。先ほどあまのじゃくといいましたけど、みんなそんな感じの個性派ぞろいです。僕はキャプテンをやらせてもらっていますが、そんな彼らをまとめるのはなかなか大変ですね。それぞれが強いキャラクターで楽しいですけど。
―ブダペスト大会では個人戦10位に輝いてオリンピック出場が確定し、初のオリンピックということですが
オリンピック出場確定させたのも、アジア県内で争う形となったのですが、初戦の相手が競っていた相手だったので、その相手を自分の手で下して出場権を得ることが出来たので、自分の自信につながりました。初出場ですけど、表彰台に立った経験もあるので、出場できたからといって喜んでいるわけでもないです。五輪出場はあくまで通過点でしかなくて、ようやくスタートラインに立てた感じなので、ここからはオリンピックにピークを合わせてメダルを獲ります。
―団体戦での悔しさは影響されていましたか
なかなか立ち直るのは大変でしたけど、坂本選手とか僕より年配の選手とかいて、彼は日本のフェンシング界を引っ張ってくださっていますが、まだオリンピックは経験していないです。坂本選手に教わることが色々あったので、一緒にオリンピックに行けない悔しさはありますね。僕だけ出場する申し訳なさもありますし、色々な気持ち、悔しい気持ちもあって、なかなか立ち直れない部分がありました。他のメンバー、特に坂本選手から「団体は出られないけれど、個人戦があるだろ。今回は出られなかったけど東京があるだろ。お前がオリンピックに出て、結果を出してくれることが今後の日本のフェンシングに繋がるわけだから、出場が叶わなかった団体戦の事はしょうがない。前向いて進め。」とおっしゃってくださって、ホッとしたというか、自分に今やれることだけをやるべきだと感じて、気持ちの切り替えが出来ました。坂本選手は唯一年上の先輩で、フェンシングの技術も長けているので、その辺のお話を色々と聞いていますね。
―ロンドンオリンピックに向けてはなにをされていましたか
学生の延長線上でやっている部分がありましたね。ロンドンオリンピックを目指したとは言いましたけど、緩い気持ちでしたね。目指していると言えるのかという気持ちもありましたし、学生時代がトントン拍子でいっている感じがありましたからね。人一倍努力したなと言われると、多分人並みの努力だったなと思います。流れで順々に言っていたので、この流れでいったらオリンピックに行けるだろうという気持ちがどこかにあって、死に物狂いでやっていたわけではなかったですね。だからこの4年間はやることがたくさんありましたし、いろんなことをやってきました。
―その4年間は具体的に何をされていましたか
1年目は基礎体力を作り直すところから始めなきゃなと思って、肉体改造をしました。筋力トレーニングもしましたし、心拍系のトレーニングもしました。一通りベースアップを図りましたね。
2年目には、日本はフェンシングの発展途上国なので海外に出てフェンシングを学ぶ必要があると感じていました。武者修行で海外に行き、新しい技術を取り込む期間にしました。
3年目には監督と一緒に新しい技術を日本に持ち帰って、コーチと話し合い、彼の持っている物と僕の持っていたものをミックスして自分のスタイルを構築することをやってきました。
4年目は自分のスタイルを確立させて、この結果オリンピックに繋がったのかなと。そしてピークをいかにオリンピックに合わせられるかメンタル面の強化を図りましたね。
―世界ランクングが着実に上がっていて現時点で9位という一桁台になりましたが
スケジュール的にフィジカルやメンタル、技術を組んできて、それと同時に世界ランキングも目標をもってやってきました。ワールドカップでの順位もスケジュールとして目標に書いていて、4年前に建てた計画通りに来ているので怖いなと思う部分もありますし、4年間やってきたことが間違っていなかったということだと思うので、この調子でいけばメダルを獲れるのではないかと思います。
―強さの秘訣は
僕ですか。強くないですよ。(笑) 全然強くないですよ。 秘訣なんてないです。でも、しいて言うなら強くなりたいって思っているからですかね。落ち着いたらそれこそ引退するときだと思っていますし、限界なんてないと思っているので、向上心と行動力が自分を強くしているポイントだと思います。
―オリンピック出場が叶った要因は
前回のロンドンオリンピックに出場できないという悔しい思いをして、この気持ちを忘れる前にしっかり考えて、やらなきゃいけないことを書き出して、計画的に毎日全力でやってきたことがリオオリンピックに繋がったと思っています。
―最後にオリンピックで目指すべきものは
優勝して金メダルを獲ることです。ここまで積み重ねてきたものがありますし、これまで立ててきた目標を全てクリアしてきたと思うので、間違いなくオリンピックでも自分の掲げた目標を達成できると思うので、自信をもって試合に臨みたいと思います。
力強いガッツポーズを見せてくださった
〈取材:和多慎之介、撮影:向井知優〉※取材内容は6月6日に行ったものです。
フォトギャラリー
- 狙うは金メダル
- 全力投球で練習に臨む
- 熱き思いを語る
- 時には笑顔も
- 競技日程(日本時間)
- 8月9日 21時00分~
- 放送日 8月10日 7時30分~(NHK)