第102回東京箱根間往復大学駅伝競走 特集記事
新春の風物詩、1月2日~3日の2日間にわたって開催される箱根駅伝。法大はチームとしての出場はかなわなかったものの、予選会落選校の選手によって構成される関東学生連合チームに大島史也(社4=専大松戸)が選出された。3区に出走し、区間18位相当の走りで、最初で最後の箱根路を駆け抜けた。その後ろ姿を運営管理車から見つめるもう一人の法大戦士がいた。

2人のランナー
2026年1月2日。新春の陽光を浴びながら湘南新道を駆け抜けるランナーがいた。大島史也(社4=専大松戸)だ。その後ろを走る運営管理車からは、4年間大島が指導を受けて来た坪田智夫駅伝監督の『愛ある』げきが飛ぶ。車内には、法大から主務として選出された岡本崚太郎(社4=相模原弥栄)の姿があった。まさに「チーム法大」が、形を変えて箱根路を共闘した1時間だった。

2022年春、15人のランナーが箱根駅伝82回(当時)の出場を誇る名門・法政大学長距離ブロックの門を叩いた。その中に入学前の12月に出場した日体大記録会で当時の5000メートル千葉県高校記録となる13分50秒04というタイムを持ち、周りからも注目を集める大島がいた。
「5000メートル13分台をまずは出して、箱根前には13分30秒台を出したい。箱根の往路で勝負したい」
当時の大島はこのように力強く語り、法大のエースへの青写真を描いていた。
一方、スポーツ推薦外の選手、いわゆる一般生として3人のランナーも入部した。その中の1人が岡本だった。
その3人には1年以内にクリアしなければならない規定タイムが設けられていたが、岡本のみがそのタイムを切れずに2年時からはマネージャーに転向する事になった。
「そこの選手でやってきた1年も含めて今のマネージャーとしての考えというか、選手の気持ちが分かるマネージャーとしての形も少し自分の中ではあるかな」
岡本は当時の1年間をこのように振り返ってくれた。
大島・大記録樹立と岡本・駅伝主務就任
岡本がマネージャーに転向した2年時には大島もチーム内で頭角を現し始めた。6月の全日本予選会でメンバーに選出されると3組10着。さらには10月に行われた出雲駅伝にも出場し2区9位の成績を残した。秋の日体大記録会では当時の1万メートルの自己ベストを大幅更新する走りを見せ、トラックでも成長を見せた。2023年正月の箱根駅伝は1区にエントリーされたものの惜しくも当日変更で出走はならず。

その2023年正月の箱根駅伝が終わると新幹部が発表され、岡本が新3年生ながら駅伝主務に就任した。この年、大島もその名を歴史に刻むこととなった。9月に開催された絆記録会では13分35秒33で5000メートルの法大記録を11年ぶりに更新。さらに11月のNITTAIDAI Challenge Gamesでも28分10秒11で24年ぶりとなる1万メートルの法大記録を更新した。勢いに乗って臨んだ2025年の箱根駅伝は念願の1区出走予定も直前の体調不良でかなわず。チームもその1区から流れに乗れずシードを落とす結果に。翌年度は4年ぶりの予選会スタートが決まった。
「もう1回挑戦したい」2人の箱根駅伝
2025年の大島はトラックで活躍した。シーズン前半は5000メートルを中心にレースに出場し、「背中で引っ張る」エースとして13分台を連発。10月の箱根予選会ではチーム内2位と粘りの走りを見せるも、「自分の弱さが出てしまい後悔している」と振り返り、チームは11年ぶりに箱根路を逃す結果に終わり、目には涙を浮かべた。

「もう1回チャレンジできるなら、箱根路に挑戦したい」
予選に落ちて落胆する大島は坪田監督からは「(学生連合チームは)大島で行く」と言われ、もう一度箱根への道を走り出した。そんな大島には一緒に箱根を走りたい仲間がいた。
「岡本に連合チームのマネージャーをやってほしいというのは自分がお願いしたんです」
予選会を11位で敗退したチームの中から選ばれる関東連合チームのマネージャーには法大から1名が選出される。箱根予選会で全体としては引退となった4年生の中で、岡本も例外ではない。主務の業務は後任の竹本智耶(社2=新居浜西)に譲っていた。そんな中で大島からお願いを受けた岡本は「4年間自分も支えてきましたし、大島にも支えられて。一緒にやっていく仲間っていうことで4年間やらせてもらったので、そこで箱根を走る大島と運営管理車で見守る岡本みたいな形で、最後にできたらいいなっていう風に思って」と引き受けた。
岡本が大島に対して「1年から3年まで実力的には4年連続で箱根駅伝に出走して良い記録を出していてもおかしくないような選手ですけど、なかなかその機会がもらえなくて、ようやく4年目でつかんだ箱根を出走して走っている後姿を見て、最後をこういう形でマネージャーとして支えられて本当に幸せ」と語れば、大島も岡本に対して、「1年目は選手として一緒に箱根を目指していた立場で。2年目からはマネージャーとして3年間一緒に目指してくれて、最後に(法大のチームで)自分が箱根を走る姿を見せてあげられなかったので、このチャンスがあるなら一緒に走りたいと思って」と語る。
まさに岡本の言う互いに支えあう存在であることを感じられた。

4年前、共に箱根路を駆けることを夢見て法大に入学した2人のランナーは、様々な苦楽を共に最後は箱根路を駆け抜け、新春の海を照らす太陽の輝きにも負けないオレンジの伝統を私たちの目に焼き付けてくれた。そのたすきは次代の暁の勇者へと確かに渡された。
(記事:篠﨑勇希)


