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【陸上競技】大島史也 初の箱根路を振り返り 世界への夢を語る!! 駅伝主務・岡本崚太郎 4年間の苦楽を笑顔で振り返る! / 第102回東京箱根間往復大学駅伝競走振り返りインタビュー

第102回東京箱根間往復大学駅伝競走振り返りインタビュー

新春の風物詩、1月2日~3日の2日間にわたって開催された箱根駅伝。法大はチームとしての出場はかなわなかったものの、予選会落選校の選手によって構成される関東学生連合チームに大島史也(社4=専大松戸)が選出された。3区に出走し、区間18位相当の走りで、最初で最後の箱根路を駆け抜けた。今回は、その大島と共に主務として選出された岡本崚太郎(社4=相模原弥栄)駅伝主務のインタビューを合わせてお届けする。

▼大島史也結果

区間 選手 記録(参考)
3区 大島史也 1時間03分21秒

インタビュー

大島史也インタビュー

――最初で最後の箱根駅伝を走った感想は
まずは出走するということが一番重要という風に箱根前の取材でも言ったんですけど、やっぱり単独チームとして出られない分、自分が体調不良だったり、故障っていうので、出場しなければ、法政大学の(ランナーの)出場が途切れてしまうということもあったので、まずは出走できたことがほっとしています。
それと、箱根というものに出走して、初めてというのもあって、やっぱりすごくレベルの高さというのを感じさせられました。

――3区のコースはどうだったか
自分はほぼコースが分からないというか、何回も何回も行ってるとかではなかったので、初めて走るコースだったんですけど。去年、1区と2区を試走していて、都内を走るコースは割と把握していたんですけど、3区というのは1、2区とは違って、湘南海岸でしたり、海沿いですごく景色が綺麗というか、すごく美しいコースでした。

――当日のコンディション面を含めたレースプランは
箱根までの大体1ヶ月ぐらいで、自分自身ちょっと状態を上げきれていない部分もあって。スタート前はすごく不安はありました。やっぱり最初で最後の箱根というのもあったので、できる限り前半からしっかりガツガツ行きたいなという風に思って、そういうレースプランで組んでました。

――給水は昨年度主将の小泉樹(令七卒=現・黒崎播磨)さんと高校の後輩である深田健斗(経2=専大松戸)選手だったが、経緯は
自分が1年生の時に高須賀大勢(令五卒)さんに給水をさせていただいて、それを機箱根に対しての熱意というのが本当に強くなって、2年生でメンバー入りを果たすことができましたし、やっぱり給水を実際にすることで感じるものがあると思っていたので、やっぱり自分は、高校の後輩、深田は部屋も2年間一緒でしたし、頑張ってほしいという思いが本当に一番強いので、それで1人選びました。小泉さんの給水というのは、入学当初からやっぱり小泉さんは自分がすごく尊敬していましたし、選手としても人間としても、ずっと3年間見てきて、昨年の(小泉さんの)ラストイヤーで箱根、一緒に走りたかったんですけども、自分が発熱で走れなかったので。昨年2区の付き添いをさせていただいたんですけど、小泉さんの最後の走りを見て、やっぱり一緒に走りたかったなって思いもあったので、給水という形で今年一緒に走ることをかなえたいという思いもあって、給水で選びました。

――2人からレース前に連絡などあったのか
深田は初めての箱根だったので、すごく楽しみにしてくれていました。終わった後も「本当に選んでくれてありがとう」という会話はLINEでしました。小泉さんはやっぱり去年走れなかった分、「大島、楽しんでこい」と、残り15キロ地点だったので、「俺が渡してから6キロ、最後楽しんで来い」みたいな話は走りながらしました。

――運営管理車の坪田監督からはどのような声かけがあったのか
運営管理車、坪田監督さんだったので、他の区間の選手に聞いたら、「すごく優しい声かけしかなかった」という風に聞いたんですけど、やっぱり自分は坪田さんには4年間指導していただいて、すごく坪田さんが自分に対して熱意を持って指導してくださったので、それも最後に走っている最中もすごく愛のある、厳しい言葉ではあるんですけど、でも本当にそれが、一つひとつの言葉が自分にとってすごく背中を押されて、やる気が出ました。(印象的なものは)やっぱり本当は去年みたいに調子のいい状態で箱根を走りたかったんですけども、状態悪い中での出走で。やっぱり前半は結構しっかり突っ込んだつもりなんですけど、ちょっと助長してしまっていたところがあって、その時に坪田さんが「お前の箱根は最初で最後で、後にはもうないんだよ」と、「ためても意味がないから、もうガツガツいけ」、「ビビるなビビるな」みたいな感じで。その声かけと、あとは4年間、苦しかったこと、うまくいかなかったことが多かったので、そういうのを思い出せっていう話はすごく印象に残ってます。

――関東学生連合チームとしては総合16位相当、復路は7位相当の結果だったが、主将として振り返って
やっぱり個々で見たら、1区の川崎(颯、筑波大3年=東海大付属大阪仰星)くんとか、すごくずば抜けていい走りをしたと思うんですけど。やっぱり駅伝というのもあって、総合力で勝ち取ったものもあると思うので、全員がいい走りをしてくれて、学生連合史上初の総合11時間切りというのもすごく快挙だと思うんですけど、そういうのを達成できて、とてもいいチームになったなと思って。そのいいチームのキャプテンをさせてもらえて、すごく幸せだなと思います。

――来年からは実業団の強豪Hondaへ進まれるが、トラックを中心に考えているのか
そうですね。自分はやっぱりこの4年間、駅伝の舞台に立ちたいという思いで4年間やってきて、なかなか自分のロード適性というところには結構苦しんだ部分もあったので。とりあえず区切りはついたので、ちょっとトラックをしっかり、本気で目指したいって思いはありますね。(現状の具体的な目標は)具体的な目標は、まず次のロス五輪のトラック5000メートルで代表権と、1年目でニューイヤ駅伝(全日本実業団対抗駅伝競走大会)を走ってチームで優勝するということですね。

――Hondaにはトラック、ロードともに強い選手が多くいるが、話を聞いてみたい選手などは現状いるか
チーム全体のプレイヤー数が少なくて、もう本当に全員、自分が子供の頃からテレビの向こう側の、そういう憧れの対象であった選手ばかりなので。全員が自分にとっては見習いたいというか、入社したらすごく背中を追いかけたい選手ですね。(Hondaには法大の先輩である青木涼真(令二卒)選手が在籍しているが面識は)何度か合宿だったり、練習に参加っていうのはしているので。面識はとてもあります。

――改めて後輩へのメッセージは
自分が箱根を走って、他大さんの年間通して仕上げてくる力というのが本当にすごいものだと感じて。それでも、やっぱり法政大学のすごいところは、多分高校時代そこまでみんな活躍してないんですよ。それでもやっぱりこれまで箱根もずっと出てますし、やってることは間違ってないと思うので、本当に1年間諦めずに予選会に向けて頑張ってほしいという思いがあります。

――今回ともに選出された岡本主務は4年間通してどのような存在だったか
岡本に連合チームのマネージャーをやってほしいというのは自分からお願いしたんです。理由は、やっぱりこの4年、1年目岡本も選手として一緒に箱根を目指していた立場で、2年目から選手ではなくてマネージャーという立場から、一緒に箱根を3年間目指してくれて、本当に最後なので自分が箱根を走る姿を見せてあげられなかったので、最後このチャンスがあるなら岡本と一緒に箱根を走りたいと思って。そういった思いで最後、学生連合チームでやれましたね。

――最後にファンの方々へ向けて
今年度、今大会は単独チームとしては出場はできませんでしたが、来年度の新チームは野田(晶斗、社3=京産大附)を中心にすごく質の高いトレーニングを積んでいるので、予選会も通過してくれると思うので、引き続き応援をお願いしたいなと思います。

(インタビュー:篠﨑勇希)

岡本崚太郎インタビュー

――先日の箱根駅伝には関東学生連合チームのマネージャーとして参加されたが、振り返って
もちろん今回の箱根駅伝、自分としては最後の箱根駅伝を法政大学として飾りたかったなというところは、予選会が終わった時からちょっと悔いている部分ではあるんですけど。今回、連合チームの主務というのをさせていただいて、少し新しい、また別の箱根駅伝のドラマがあるんだなっていうのをすごく自分は感じて。今まで連合チームは自分自身も正直見てきていなかったところではあるので、やっぱりなにかまた違う箱根駅伝の舞台が予選会校からもあるんだなというのをすごく今回感じて、面白いなと思った箱根駅伝でした。

――最後に運営管理車では坪田監督と同乗することになった
やはり坪田監督は、今までいろんな形で一緒にチームを作らせてもらってきて。今回は予選会で落ちてしまいましたけど、法政大学のチームで(出場)というところが、どうしてもちょっと悔いてしまう部分ではあるんですけど。最後にこういう形でまた一緒に、運営管理車に乗ってこの箱根駅伝という舞台で一緒に乗らせていただけるっていうところは本当に感慨深いと言いますか、本当にこういう機会をいただけてありがたいなという。最後の1つの箱根駅伝の経験ということでもそうですし、思い出という形でも、すごくいい経験をさせていただいたなという風に思っております。

――共にマネージャーを務めた明大の菅野そよ香(1年=薬園台)さんをはじめ、関東学生連合チームの他のメンバーとのコミュニケーションは
連合チーム自体、元々予選会が終わって11月の頭ぐらいに、まだメンバーも確定していない状況で結成して。そこから色々やり取りが進んでいって、メンバーが確定して、合宿などを経て、という形でチーム運営をやっていっていたんですけど。その中で連合チームのいわゆる顔合わせというのが対面では2回しかなかったんです。それが記者発表の12月10日のところで1回集合して、集合写真の撮影などをするっていうのと、12月の12~13の1泊2日で選考基準にもなる練習会、選考会がありまして、その2つですね。ただ、自分がちょうどその時に体調を崩していまして、両方とも出ることができなかったんです。なので、本当に他の大学の選手ともスタッフともほぼ対面で顔を合わせたことがないまま箱根駅伝当日を迎えて、みたいな形ではあったんですけど。連絡などはしっかり、その他のスタッフさんも含めて、しっかり綿密に取らせていただいて、顔合わせができない分はそういうところでカバーさせてもらって。
あとは、関東学連の菅野さんですね。明治大学の菅野さんが結構、合宿だったりで、顔合わせのところもすごくしっかりとやってくれたので、そこで結構自分は助けられましたね。
あとはもう本当に当日もスタッフさんと連携しながら、自分が運営管理車で後ろから見守らせていただくのが本当に(選手との)初の顔合わせみたいな形ではあったんですけど。そこも本当に連携を取らせてもらって、色々お話させてもらって、うまく回すことができたので。本当に周りのスタッフさんにはちょっと自分がいろいろと体調不良とかで迷惑かけてしまった部分があるんですけど、本当に感謝しかないですね。

――同期でチームのエースでもあった大島選手が走る姿をどのように見ていたか
やっぱり今回の連合チーム(の主務)を引き受けたっていうのも、大島が出るっていう風に決まっていて。そこでもう、最後に大島の晴れ舞台をやはり今まで4年間自分も支えてきましたし、大島からも支えられて。その関係ですね、一緒にやっていく仲間っていうことで一緒に4年間やらせてもらっていたので、あそこで箱根を走る大島と運営管理車で見守る岡本みたいな形で、そういう形で最後できたらいいなという風に思って、やはり連合チームの主務も務めさせていただいたんですね。なので、大島は今回最初で最後の箱根駅伝になったわけで、1年から3年、実力的には本当に4年連続で箱根駅伝出走して、いい記録出してっていうのもおかしくないような選手なんですけど、体調不良であったりけがであったりということで、なかなかその出走の機会がもらえなくて。ようやく4年目で自チームという形ではないですけど、ようやく掴んだ箱根を出走して走っている後ろ姿を見て、本当にようやく史也の願いがかないましたし、こうして走ってくれているのを後ろの運営管理車から見守らせていただけてるっていうのも、本当にどういう感情で言ったらいいのかまだわからないんですけど、本当に幸せだなっていう。こういう風に今まで頑張ってきた大島を最後こういう形でマネージャーとして支られて本当に幸せだなっていう気持ちが一番ですかね。

――法大入学時は選手としてのスタート。周りには強豪校出身の選手も多い中どのような気持ちでチームに入ったのか
自分は元々スポーツ推薦ではなくて、実力もかなり不足しているところからのスタートになっていて。一般で入ってきた選手には規定タイムが年内に設けられるんですけど、その規定タイムを切らなきゃいけない一般生っていうのが、自分の他にも同じ学年であと2人いて、自分含め3人でスタートしまして。結果的に自分だけ最後その目標タイムを切ることができなくて、自分がマネージャーに転向するしかないっていうような状況にはなったんですけど。今振り返ってみれば、選手でやってきた1年っていうのも、そこの選手の経験も含めて今のマネージャーとしての考えというか、そこの経験があったからこそ、選手の気持ちがわかるマネージャーみたいな形も少し自分の中ではあるのかなっていう風に思っていて、決して無駄な1年ではなかったなっていう。その1年、選手として頑張ってきた、寮外生のもう2人ともやってきた1年があったからこそ、今のそのマネージャーの仕事だったり、選手との付き合いだったり、監督と選手をつなぐ役目っていうところですごく選手目線というところにも生きてきているのではないかなという風に思っていますね。

――3年生からは駅伝主務になったが、その経緯は
元々マネージャーの人数もそんなに多くはなかったので、自分が2年生でマネージャーになった時から、ある程度自分に駅伝主務としての仕事をどんどん引き継いでいってもらうという流れで。駅伝主務になるという形で一応進んではいたんですけど、やはり普通のマネージャーから、上がいなくなって駅伝主務という形に3年生の時になって。やはり誰かの下でマネージャーとして活動するっていうのと、自分がトップに立って、その下にしっかり振り分けて全体を見るという仕事の意味合いというか、その違いがすごくあって、主務になった当初は本当にそこが大変でしたね。

――先輩が在籍する中での駅伝主務だった
いろいろと自分の中で全体を見ないといけないというのもそうですし、自分が最上級生というわけではないので、やはりそこもなかなか、普通の4年生主務の人とは違う、難しいところだったのかなという風には思うんですけど。そこは本当に自分の1個上の小泉(樹、令七卒=現・黒崎播磨)さんの代が本当に自分にうまくやらせてもらって、仲良くさせてもらったので、そこが本当に駅伝主務になった当初はありがたいなって。そこでやはりちょっとうまく回して、仕事として回していたのかなというような感覚ですかね。

――主務を務めるなかでの一番印象に残っている苦労は
監督と選手をつなぐ役目というところがやはり一番大きいかなという風に思っていて。もちろん監督の意向で駅伝はこういう風にやっていこうという土台があって。その土台を踏まえて、監督がメニューを提示したり、練習内容を考えたりというところでやるんですけど。選手にも選手の思惑っていうのはもちろんありますし、そこの意見の衝突みたいなところをどう緩和させるかというか。やはりそういう監督と選手との意見のすり合わせっていうところが、自分は一番苦労しましたね。
そのうえで、選手からの意見を大事にするっていうのはもちろんそうなんですけど、やはり監督の言う法政のベースっていうのももちろんすごく大切なので、どこまで選手の意見を汲み取ってあげた方がいいのか、監督の意見を尊重した方がいいのかっていう、その辺りの塩梅というか、そこの調整が、自分の中では悩む部分が結構多かったように振り返ると感じますね。(学年を経るごとにそのバランス感覚の変化はあったのか)そうですね。初めは本当に自分だけの考えだと全然わからなかったので、その時の先輩たちと意見のすり合わせをしながら、「でも監督はこういう風に言っていて」という。いわゆる陸上部の長距離の幹部で話し合ったりという部分ではすごく助けてもらって。そういった3年生の経験を踏まえて、4年生になったらある程度、容量をつかむというか、監督がこういう風に考えていて、それをこういう風にチームに落とし込まないといけないっていうのが大体わかってくるので。4年生になってからそれぞれの代で色々意見が違ったりとか、4年生の最上級生の意見がちょっとチーム内でも違ったりとか、チームの方向も、もちろんその3年生の時と4年生の時で結構変わってはいたんですけど。4年生になってからは、そこのコミュニケーションというのも、3年生の時に比べたらうまくできていたのかなと、そこは本当に経験で、うまくできていたのかなっていうような形ですかね。

――同じく上級生が在籍する中での駅伝主務就任となった竹本智耶(社2=新居浜西)マネージャーへ伝えたいことは
竹本は本当に仕事の面ではすごくよくやってくれていましたし、1年生の頃からマネージャーとして入ってきて。経験としても、もう今年で2年目が終わるようなところで、今まで見てきてもすごく自分から率先して動いてくれたりとか、仕事もすごく的確にさっとこなしてくれたり。自分自身も3年、4年と一緒にやってきて助かった部分も多かったので、竹本なら本当に駅伝チームを任せていいかなっていう風に自分はすごく思っていますね。
やっぱり自分と違うところでいうと、大学入学の1年生からマネージャーをやってきていて、大学での選手経験が彼にはないんですけど。ただ、彼なら大丈夫だろうと自分は勝手に思っています。選手とのコミュニケーションみたいなところで、そこはもう(他の選手やスタッフにも)カバーしてもらって、選手の意見と監督の意見とっていうところ、やっぱりそこは自分もそうでしたし、竹本も結構悩むところなんじゃないかなとは思うんですけど、そこはうまくコミュニケーションを取って、やっていってもらいたいですね。

――主務を務めるなかで、一番の良かった思い出は
自分が裏方で、マネージャーという仕事というのももちろんそうなんですけど、「選手の、誰かの輝く姿を支える」みたいな、そういうのがすごくマネージャーをやってきて、自分にはすごく合っているんだなという風に感じていて、その中で一番うれしい瞬間というのは、やっぱり今まで頑張ってきた選手たちが結果を出して注目されて輝いている姿を見ると、本当に今までこの子を支えてきて良かったなっていう風に思いますね。今までマネージャーとして練習もやってきて、3年、4年ってやってきた中で大学駅伝というような場ではあまりいい結果を残すことができていなかったので、そこは本当に悔しいところではあるんですけど。すごく印象に残っているのは大島の13分35秒の法大記録更新みたいな、記録会とかで大幅に記録を更新したりとか、あとは今まで、故障とかでくすぶっていた選手がようやく走れてきて、1発目でPBを更新したというような、そういうのを見ていると、本当に今までこの子を支えてきてよかったなと。これからもちゃんと頑張ってもらえるようにサポートしていこうっていう風にうれしい気持ちにはなりますね。

――4年間を通して同期への思いは
自分は2年生からマネージャーをさせてもらって、やっぱり自分の学年にもそうですし、監督とのやり取りとかで、ちょっと自分がうまくいかないこととかもあったりして、すごく自分の学年にはもちろん迷惑も結構かけましたし、色々ちょっと不都合とかも多かったかなという風には思うんですけど、本当に自分たちの学年がいて、彼らが頑張ってきてくれたから、それを支えようっていう思いで今までやってこれましたし、そこは本当にありがとうっていう感謝の気持ちしかないですね。
今後も実業団で競技を続ける選手もうちには4人いますので。自分はもう一線を引いて、大学を卒業したら陸上ではなくて一般就職して、いちOBという形で法政を応援させてもらおうかなと思うんですけど、実業団に行く選手たちも陰ながら応援しているので、ぜひぜひ頑張ってほしいなという風に思います。

――後輩たちへのメッセージ
自分たちの代では主要な駅伝で結果を残すことができなかったりとか、最後の箱根駅伝でも、自分たちのラストイヤーの箱根駅伝本戦というのはもちろんありますが、やはり後輩の活躍の場を奪ってしまったというか、そのことが最後、駅伝主務としてできなかったっていうところは本当に申し訳ないなと思っているんですけど、もうこの箱根を終えた後の後輩、最上級生になる3年生とは3年間一緒にやってきましたし、その他の下の代、今の1、2年生っていうところも今まで関わってきて、彼らならしっかりと法政を巻き返して来年は本選で活躍してくれるだろうという風に思っていますので。
自分もちょこちょこ練習を見させてもらっているんですけど、本当に箱根予選を終えてから頑張ってくれているなというのは感じますので。自分は本当に、これからはいちOBという形にはなるんですけども、頑張ってもらいたいですね。

――坪田監督はどのような存在だったか
元々自分は選手で入ってきて、そんなに実力もないような選手だったんですけど、1年間は選手として法政で陸上をさせてもらったというのもすごくいい経験でしたし、そこからマネージャーになって、自分が正直結構抜けていることが多かったりとかで、監督にはちょっと迷惑をかけたりとかっていうところも今までの2年から4年までのマネージャーの中でも多かったんですけど、それでも自分のことを信じて、色々仕事とかも任せてもらったりとか、一緒にやらせてもらって。監督にここまで指導してもらえていたので、もうそこは本当に幸せだなという風に感じましたし、そうやって今まで色々迷惑をかけてきた中で、それでもすごく僕を信じて、いろいろと一緒に陸上部を作ってきてくださった坪田さんには本当に感謝しかないですね。

――応援してくださるファンの方へ
今まで辛い結果とかが結構多かったんですけど、自分が駅伝主務を務めさせていただいた2年間は、本当にたくさんの方々の応援だったりご支援というのがあって、今までできてきたなというのは本当に感じていますし、今まで辛い時期とかもすごく応援していただいていて、本当にありがとうございましたっていうところと。今回は箱根駅伝本戦への出場はできなかったんですけど、絶対に後輩が来年やり返してくれるという風に信じておりますので、引き続き応援をしていただきますと幸いです。今後とも法政大学陸上競技部の長距離をぜひよろしくお願いします。

(インタビュー:篠﨑)

※写真はご本人から提供していただきました

二人のドラマを取り上げたこちらの特集記事【陸上競技】箱根路にオレンジの伝統をつないだ1時間 エース・大島史也と駅伝主務・岡本崚太郎が見せた“支えあい”の最終章も合わせてお読みください

 

陸上競技部の写真はスポーツ法政新聞会の公式インスタグラムにも掲載しております。ぜひご覧ください。

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