コージ・トクダ独占インタビュー
2020年3月19日(木)
法政大学川崎総合グラウンド
新入生の皆さん、入学おめでとうございます!我々スポーツ法政新聞会から新入生へのプレゼントとして『35憶』フレーズでブルゾンちえみさんらと大ブレイクを果たしたコージ・トクダさん(平21年度卒)から金言をいただきました。主将としてチームを率いたコージさん。学生時代から芸能生活まで数々のエピソードを古巣法大アメフト部のグラウンドに訪れていただき当時に思いをはせながら語っていただきました。最後には読者プレゼントもありますので隅々ま必見です!!
(取材・須藤大樹、撮影・宮川昇)
独占インタビュー
川崎総合グラウンドにおもむいていただきインタビューを行った
―数年ぶりに法大グラウンドを訪れてみて
僕らの時とはグラウンドからトレーニングルームまで全て変わってるんで、こんな環境でできる学生が羨ましいなと素直に思いますね。
―当時は砂のグラウンドでしょうか
そうですね。黒土でした。黒土だから足の負担とか結構きたりとか、ただ芝みたいに足ががっと取られることがないのでけががしにくかったと聞きましたね。でも練習がずっと土だから試合の時に踏める芝が本当に嬉しくて試合の時にテンションが上がる、そんな経験がありますね。
―アメフトはいつから
始めたのは高校ですね。
―きっかけなどは
ずっと僕は野球をやっててそれで高校で野球部に入るか心機一転ギター部に入るか迷ってたんですね。ちょっとかっこつけようかなと思ってたんですけど(笑)。そんな中で、ギタ―部の部室というのが、どっかの教室借りてやっているんで日に日に変わるんで、それをどこ探してもなかったんすよ。行く日も行く日もどこだと思ってるときに帰り道にアメフトの先輩がずーっと立ってるんですよ。それで「キャッチボールやろうよ」て言われてやって、それでも「野球部かギター部で迷ってるんで…」と言って毎回断ってたのをずっと繰り返してたら、その先輩に親近感湧いてきて「なんかこの人面白いな」と思い始めて「力めちゃくちゃ強くなれるよ〜」とかそんな話を聞いてたらアメフトも良いんじゃないかなと思って気がついたら入ってましたね。
―高校時代に辛かった経験などは
練習もそうなんですけど、何より人が少なくて、大学ではあまり考えられない『両面』(リャンメン)て言うんですけど、オフェンスとディフェンスを両方やらなきゃいけないという状況が1年生からそうだったんで、「楽しさよりもキツさが勝つぞ」と思ってて、それで高校2年生のときに監督に「辞めます」言いに行ったんですね。「僕はやっぱり野球がやりたいから野球部に入ります」と言いに行ったけど、やっぱり監督も人数が少ない中でプラスまだ動ける方だったので、「絶対やめさせたくない」と言われて、計10回くらいその間練習に行かずに繰り返しました。僕としても色々な提案をしたんですね。「月水金はアメフトやるから、火木週末は野球をやらしてくれ」とか色々な提案をしに行ったんですけど、どれも全部却下でアメフトだけやれと言われて、泣く泣くまた戻ってアメフトをやることになりました。
―そのような中で法大と出会うことに。きっかけなどは
やっぱり、その当時のフットボールの憧れの場所だったんですよ。日本一にもなったし。ただ、僕の大阪の高校から東京の法政大学に入れるわけない、そんな進路があるわけないと、高校自体もそんなに強くない高校だから別にルートはないんですよ。でもなんとかして関東のチームには行きたいと思ってたんですよね。法政じゃなくても。それで監督に「関東の大学で行けるところどこかありますか」と聞いたら「専修大学と日体大と…」とか色々提案してもらったんですけど、やっぱりどうせ行くなら日本一のチームが良いなと思って、それで監督に提案して「無理でも良いからセレクションを受けさせてください」と言ってやらせてもらいました。だから法政との出会いは自分発信ですね。
―大学では主将を務めましたが
やっぱり、さっき山岸(達矢、社4)くんにも聞いたけど毎年変えていかないとっていうのがあるんですよね。同じことやったら後退になっちゃうから何か新しいことをやって進んで行こうということで、僕らの時も新しいことやろうと思って色々考えてやってみました。下級生とのコミュニケーションという面でレクリエーションをやりましたね。練習後にみんなで駆けっことか綱引きとか、言わば遊びみたいなことをみんなでやろうと。1年生からしたら4年生とチーム一緒になって遊ぶなんてことはなかなかないので、そういうのをやったら面白いんじゃないかなと思って結局ずっとやりました。
―そのようにチームを1つにまとめあげたのですね
そうですね。それが1つの要因になったのは間違いないんじゃないかなと思います。
大学時代は主将としてチームを率いた(本人提供)
―主将として苦労したことなどは
僕はキャプテン1人でディフェンスエンド、あと副キャプテン2人いたんですけどオフェンスで、ある意味絶対休めなかったんですよ。ディフェンスを引っ張る人がいなくなる、あとキャプテンというのは僕の中で、練習を休んだらダメだというのがあったから多少しんどかったりとか、多少の身体の痛さくらいやったら練習に参加しないとなとやっていました。あまりよくないことかもしれないですけど。でも結果的にケガもなくできましたけど、やはり身体の辛さはありました。
―法大アメフト部の黄金期を支えた主将の1人ですが
今のチームの雰囲気とはちょっと違うと思うんですよね。なんて言うんかな、「絶対に勝つぞ」はなかったんですよ。もう「負けるわけがない」という空気。だから「あいつらに勝つぞ!!」ということよりももっと先を見ていたのかなというのがチームの空気でした。それが1年生の時からそれが味わえていたというのはたぶん黄金期ならではだったのかな。
―4年間で1番思い出に残ってる試合は
やっぱり引退試合というのは1番思い出に残ってますね。4年生の時の甲子園ボウルか。各年代でやっぱり(思い出に残ってる試合)があって、僕が2年生の時は監督から嫌われてたから試合に出してもらえなかったんですよ。試合には全然力的には出なきゃ行けなかったんですけど、その代わりの人がけがしたときに、誰もが自分が出ないとこの試合負けると思ったところに、監督があえて全く違う新人の子を出したことがあってあの試合の悔しさというのは絶対忘れないですね。あれが日大と法政の最終戦やな。その試合は日大に負けた試合なんすけど、悔しい試合でしたねあの試合は。試合中にヘルメット投げつけて帰ろうと思いましたよ(笑)。
―卒業してみて母校の活躍というのは
僕が4年生の時の1年生のやつが4年になった時の甲子園ボウルが最後なんですよね。今は甲子園を経験してない子たちがいる中で、もちろん応援はしてるんですけど、「どうすれば甲子園が当たり前にあったあの状況になれるのかな」というのはちょっと難しいところではあるんですけど。何か教えられることがあれば教えたいとも思うんですけどね。
―実際にスタジアムに訪れたりなどは
そうですね。でも今はいろんな試合見てます。大学だけじゃなくて。
―近年は甲子園から遠ざかっていますが
大きくチームの状況も変わったんで、こういう下積み期間というのも大事なんだろうなと思うんですけど、そろそろ勝ちも味わって欲しいなと思います。僕が4年のときに甲子園ボウルに行けたということだけでもいまだに「甲子園ボウル行ったよー」と自慢できるから、そのありがたみというのはいつまでもずっと残ってるものなので、それをみんなに味わって欲しい。
―学生アメフトにとって甲子園とはどのような場所ですか
目指すべきものですもんねあの場所って。でもあの感覚は立たないとわからないですよ。関西の人たちの感覚だったら地元感があるんでしょうけど、僕らからしたらアウェイに行くような感覚なので、あれは「強くなるよ」と関東の人に言いたいですね。僕らが良いプレーしても一切盛り上がってないのに、向こうのちょっとしたプレーですごい盛り上がる。あの状況はねやっぱりたまらないですねぇ。めっちゃ良いですよ。
―学生時代、オフの過ごし方などは
オフないすよ(笑)。ずっとトレーニングで。4年間で休み自体はもちろんあったんですけど、大阪に帰るとか、休みっていう休みをあまり感じてないですね…。部活の友達みんなでスーパー銭湯に行ったりとかそんなのが休みだったかな。そんなに(オフの)記憶がないですね(笑)。
―大阪出身ということで、学生時代は一人暮らしでしょうか
はい、そうですね。
―一人暮らし、部活、さらには学校と大変でしたか
一人暮らし組がみんな近くに住んでるんですよ。その辺の支え合いというか。しんどいのをやめようみたいな部活内でも取り組みがあったりしていたので。部活内で授業の集まり見たいのもあるんですよ。要は「今日はミーティングありまーす」とかでみんなで(授業の内容を)共有したりとかちょっとしたノートの交換とかもやってたりしてたんで、うまく支えあってはいたなと思います。
―同期には栗原嵩(平21年卒=現福岡サンズ)さんがいらっしゃいますが
やつはずっと刺激になってますね。大学の時から本当に練習しないやつだったんですけど(笑)。でも今は日本人としてちゃんとプロのフットボーラーとして活躍しているやつがたまたま同じ年に副キャプテンをやっていてくれたというのが、僕が芸能界目指そうと思った時の支えになる人間でした。1つの道標に近いかもしれません。
―現役時代の行きつけのお店は
今なくなっちゃったかな、エルアミーゴですね。ステーキ屋さんです。本当にみんな大好きで500gくらいあるステーキかな、ドカンッと出てくるんですけど、めちゃくちゃうまくて。それか天下ですかね。天下って言う中華料理ね。
―学生生活の私生活で1番の思い出は
大学の時はね、授業にSSIというのがあって、スポーツ推薦の人が単位取りやすいように専門の授業があるんですけど、SSIを僕はスポーツ推薦なのに取らなかったんですよ。大学生活も満喫したいなと思って(笑)。英文学科に入って英語が僕は得意だったのでみんなと同じように授業受けて。SSIだったらまた違う授業になるからみんなと一緒に受けたいなと思ってね。1人だけねスウェット履いて、みんな大学生してるのに僕だけね大きいカバンを持ってかなり端の方に座ってて、浮いてて恥ずかしい思いをしたんですけど、やっぱりみんなは英語に関してはスペシャリストじゃないですか。僕らはゆーてもスポーツ推薦なので答えられなくて恥ずかしい思いをしたとか。大学の授業は他の部員よりも楽しんでいた方だと思います。卒論も書いたし。
大学時代から芸人生活、アメフト復帰と多くのエピソードを語っていただいた
―大学とはコージさんにとってどのような場所ですか
本当にね9対1っていうくらい部活ですね。1は本当に少しの授業を受けた、学食でご飯を食べたぐらいの記憶しかないんですけど、(部活動で養った思考は)僕の基盤になってますね。根幹というか。全ての物事を考える時のベースを作ってくれたというのが部活なのかなと思います。
―卒業後は芸人へ。きっかけなどは
1番はアメフトで、4年生の時に甲子園ボウルのグラウンドに立ってあの大歓声を浴びたことでこれを二度と味わえないのが寂しいなと思ったんですよね。もう一回あの歓声をあびることは何なのかなと考えたら、就職して社会人になる方ではないのだと思ったんですよ。直感的に。だから就職をやめました。だから結局全部アメフトが原因というか、この世界を目指そうと思った原因の一つはやっぱりアメフトでしたね。
―芸人としてはブルゾンちえみさんらと大ブレイクを果たしました
大学で言うと1年生みたいな感じで、あまり見えてないし、何が起こってるかわからないし、地に足がついてない感じでした。周りは「○○ですよね」と気づいてくれるようになったんですけど、なんか自分が自分でないような。見よう見まねでついて行っているような感じでしたね。楽しくはあったけど、あまり状況把握というか、「いま何が起こってるんだろう」という状況が結局1年くらい続いちゃったのかな。もちろん、いろんな経験させてもらって楽しかったですよ。
―芸人生活で大学の経験はどのように生きていますか
芸人としてというよりもこの世界にいる人間としてようやく物事を自分で考えて、自分で動いてという責任が必要なんだなと。やっぱり「事務所任せにしちゃダメなんだな」とか自分でいま何が最善なのか考えていくというのはこの部活と一緒でようやく分かったのかなと思いました。
―新入生はどのような大学生活を送って欲しいですか
僕の時もそうなんですけど、教授とどんだけ仲良くなれるかというのが、あの人の話をどんだけよく聞けるかってたぶん一生味わえないことだと思うので、それをなんでやってこなかったんかなって自分でも後悔してるんですよね。もう一回大学に入ったとしたら教授と終わった後ご飯行くくらい仲良くなりたいなと思うんですよ。だって僕のゼミの先生が英文学科だけどアイルランド文学の専門の人で。アイルランドの文学専門の人ってちょっとおかしい人じゃないですか(笑)。「アイルランド文学だけってなに」って。やっぱり良い意味でおかしい人が多いんですよ教授って。なんかそんな人ともっと喋っとけばよかったなという後悔がめちゃくちゃあるんですけど、教授はみんなおかしい人だからもっと話を聞いておけばもっと面白いことがたくさんあるよと思います。
―新入生に向けてアメフトとは
やっぱりめっちゃ難しいんですよ。難しいから変えようと思ってもう一回飛び込むんですけど。スポーツ自体もほんと面白いけど、スポーツ外でみんなでどれだけ触れ合ったりとか、スポーツ以外の場所でも選手たちと触れ合えますし、サイン書いてもらえる場所もあるよとか距離が近いとか、見てるだけで興奮するとか、火めちゃくちゃ出るよとかそういうの言いたいんすよ。でもよく考えたら『熱さ』しかないかなと。だから僕はそれを変えたいと思ってもう一回行くんですけど。火をボンボン出したいんすよ。お笑いじゃないけど見てるだけで楽しめるようなスポーツにしたいと思うんですよね。エンターテインメント性を強くしたい。あとはアメフトは一つ一つのスペシャリストたちが集まったスポーツなので、要素的にはアベンジャーズですね。4年間ずっとそのポジションしか練習しないっていう。だからそれ以外は動きも知らないし(他のポジションを)やれって言われたらできないっていうのは他のスポーツだとあんまりないと思うんですよね。野球でも外野と内野は多少違いがあるとは言え、ほぼできるのはできると思うんです。ただ、DLがレシーバーやれと言われてもできないじゃないですか。そんなスポーツもあまりないんで、みんなそれぞれ特性を生かしてやってるというのは学生ながらに社会を学んでるという風に思います。そんなスポーツだよ!
―最近ではお笑いだけでなく俳優としても活躍しています
お笑いというのはいかに自分の素を出すかというのがお笑いなんですけど、俳優というのは自分じゃなくて自分を出しながらもいかに役に入り切れるかというところなんですけど、その面白さが去年の「ノーサイドゲーム(TBS系、2019)」というドラマに出させてもらった時に感じて、違う自分になりきってるという不思議な感覚という面白さに気づいたから新しい新境地でどんどんアメフトで学んだことと同じように自分を良くするためにやっていきたいなと思います。
―ノーサイドゲームではラグビー選手役ということで、ラグビーをやってみてアメフトとの違いは
ラグビーめちゃくちゃ面白いですよ。面白いし、しんどいし、日本人が好きスポーツだなって思います。うん、日本人に向いてる。身を挺して仲間を守って、ボールをギリギリのところで相手に渡して「自分が死ぬからボールは任せた!」というのが目に見える状況って結構日本人は大好きなんだろうなというスポーツですね。現に僕も大好きだし。家族感が強いスポーツだと思います。
―最近ではコンビを解散しましたが
「解散しちゃった」というわけでもなくて、お互い好きなことをやろうと思ってこの世界に入ってきて、たまたまブルゾンさんに見つけてもらってwith Bという形でやらせてもらったんですけど、改めて自分を見直した時に本当に自分の好きなことを100%できているのかな、やるべきことがちゃんとできているのかなと思った時に「やってないな」と思ったんですよ。お互いそこに突っ走ろうと、守るものは何もない状況で戦っていこうかというのを2人で話し合って決めました。
ーブルゾンちえみさんも海外へ行かれるということですが
その話は聞いたりとかしましたけど、ずっとネタでも言っているようにあの人は『本能のままに』って。もうそういう人なので、あの人が決めたことは僕は大賛成というか、逆に見習ってます。
―そのような中コージさんはアメフト復帰宣言を
何個か理由があるんですけど、アメフトを芸能活動やりながら普及活動的なことをやってたんですけど、結局いま一歩あのラグビーの盛り上がりには勝てないなと思ったのは何かもう一つおっきなものが必要だなと思ったのが一つと、あとは僕自身引退してる後輩とかの話を聞いていると純粋にやりたくなったというのが一つ。やるとしたら年齢的にもう後がない、ここで挑戦するのは自分的にも面白いかなと。もっと身体ガンガン鍛えてやり直すというのは自分の人生で考えた時にありかなと思います。
―今は色々なチームと交渉をしているということでしょうか
もうチームは決まっています。
―どのような選手になりたいですか
もちろん、どんどん練習してみんなの先陣を切る選手になりたいとは思っているんですけど、昔とちょっと違うのは「この試合なにがなんでも勝つぞ!」とかもちろんそれはあるんですけど、どうしたらこの試合もう一回見に来てもらえるかなとか、どうしたらラグビーに勝てるんだろうとか、勝つ相手が変わってきたかもしれないですね。
―アメフトを広げることが新たな対戦相手ということですね
そうですね。どうやって楽しんでもらえるとか。それにはどれだけデカい敵がいるんでしょうけど、運営とかね。「そんなことをやらなくても純粋なアメフトの面白さだけでやっていく」という運営の人もいるから難しいでしょうけど。
―大学時代はDEということで、復帰後もDEとして挑戦でしょうか
それが1番良いのかなと思っています。ただ、このタイトエンド(TE)とかも興味あるんですけど、何より怪我しないようにというのが一番なので、今までやってきたポジションの方がけが率が少ないと思うんですよね。
―挑戦するにあたり一般生も含めて法大生全体に向けて「俺のここを見てほしい」というポイントは
プレーじゃないところを見て欲しいかな。プレーで貢献するよりも、それ以外で貢献したいという気持ちが強いので、フィールド外、ソーシャルメディア、どうすればアメフトというのが認知されるのだろうを考えてこれからは生きていくのでその先陣を切れたら良いかなと思います。もちろんフィールド内でもやりたいことはいっぱいあるんですけどね。
グラウンドで中村幹副将や多数の部員と談笑をされた
―先程、グラウンドでは選手と談笑をされていましたが
本人が進路に迷っているというお話をしてて、という相談に乗ったんですよ。「今何年生?」って聞いたら4年生で「もう卒業かぁ」なんて話をしていたら「まだ4年生になったばっかりなんです」って。「だったらそんなこと考えずに、絶対試合に勝て」と「試合になったらそのあとなんてなんぼでもできるから」と。相談乗った時の「ありがとうございました」をもらいました。
―部員との交流もありますか
いやいやないです。初めてですね、今の4年生の子とご飯に行ったのは。
―改めて母校のアメフト部の後輩たちに期待するものは
学生でもう一生ないことやから、勝ったら僕みたいに一生言えるということがあるから何がなんでも勝って欲しいというのがありますね。良い人になれというのはそのあとで本人たち目の前にしたらやっぱり良い人間にはなれとは言いたくなるけど、勝負の世界なので絶対に勝ってくれと思います。
―最後になりますが読者の皆様に
僕と栗原で良いアメフト人気の良い指針になろうかなと思っています。法政の出身の2人がどうアメフト界を変えるかというのが僕の永遠のテーマだから法政のプライド持ってやるんで見ていってほしいと思います。一部員だった2人が最後にアメフト界を変えれたら良いなと思ってやるんで楽しみにしててください。
コージ・トクダという男
☆生年月日
1987年12月20日
☆出身高校
大阪学芸高校
☆大学時代の学部学科
文学部英文学科
☆得意な科目
英語
☆ポジション
DE(ディフェンスエンド)
☆趣味、特技
トレーニング、スイーツ
☆尊敬する人
武井 壮
☆座右の銘
すべて筋肉が解決する
☆好きな食べ物
生クリーム
☆出演
ノーサイドゲーム(TBS系、2019年)
トップナイフ(日本テレビ系、2020年)
担当記者が現役時代のプロフィールを発見!
先日、部室の掃除をしていると現役時代のプロフィールが掲載された新聞を発見しました。この1年後に自らが主将となってチームを引っ張り、2年連続の甲子園ボウル出場へと導きました。(スポーツ法政新聞第171号:2008年12月21日発行)
『項目①身長②体重③学部学年④40㍎走⑤セールスポイント⑥自分にとってアメフトとは⑦日本一への意気込み⑧寸評』
取材後記
コージさんの全ての根幹には『アメフト』があるように感じました。今回のインタビューは体育会生に向けたコメントが多いと感じるかもしれません。しかし、彼がアメフトという根幹のもとに行動している、つまり一つの信念のもとに行動していることは一般生にも当てはまると思います。彼の言葉は何か一つの信念を持つことの重要性を示してくれているかのように感じました。皆さんも大学生活で信念になりうる何か『熱中するもの』を探してみてください。そうすれば必ずや充実した大学生活が送れると思います。
(須藤大樹)
読者プレゼント!!
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[応募要項]
①宛先:spoho11@gmail.com
②記載事項:①氏名②住所③電話番号④本紙への感想
③期限:4月31日 弊紙250号発送より1か月後
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たくさんのご応募お待ちしております!