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【レスリング】「コロナ禍でも自分にとってはプラスだった」G1覇者・大岩陵平が掲げる「プロフェッショナル・レスリング」の原点とは

法政大学レスリング部 特別特集

今年の夏に開催された新日本プロレスの夏のリーグ戦「G1 CLIMAX 36」で優勝した法政大学レスリング部OB・大岩陵平(令3年卒)選手。法政大学時代の思い出や、大岩選手が掲げる「プロフェッショナル・レスリング」についてお話ししていだだきました。(インタビューは9月9日に行いました)

◆大岩陵平(おおいわ・りょうへい)1998年(平10)11月7日、愛知県江南市生まれ。法大法学部卒。中学3年からレスリングを始め、法大在学中の2018年にJOC杯フリースタイル86キロ級で3位。21年4月に新日本プロレスへ入門し、同年8月にデビュー。23年からプロレスリング・ノアで武者修行を積み、24年9月に凱旋して「TMDK」に加入。26年8月には「G1 CLIMAX 36」で初優勝を飾った。得意技はTHE GRIP、ビッグロック。180センチ、110キロ。

「夢から逆算した」プロレスラーへの道

ーーまず、G1優勝おめでとうございます。大会全体を振り返っていかがですか
今回予選からの出場になってしまい、予選に選ばれたときは「なんで自分が予選からなんだ」と、結構悔しい気持ちが多かったですね。後楽園ホールでエル・ファンタズモ選手に勝ってG1出場が決まり、そこで勢いがついて本戦に臨めました。アメリカのシカゴから始まって、北海道から南は博多まで。日本中で自分のプロレスを魅せられたんじゃないかなと思っています。

ーー決勝の上村優也選手との試合には、どのような気持ちで臨みましたか
上村優也選手は、プロレスの思想が似ている選手なので、僕たちのプロレスを世界中に知らしめたいという気持ちでした。勝つのは当たり前ですけど、その上で試合内容にもこだわって戦いたいと思っていました。

ーープロレスラーを目指すきっかけは何だったのでしょうか
中学では野球部で、そのときはプロレスを知らずに野球を頑張っていたんです。そんな中、深夜に放送している「ワールドプロレスリング」を見て、「これだ」と思いました。それからは夢に向かって逆算してきましたね。

ーー大学進学にあたって、法大を選んだ理由は
スポーツ推薦をいただいた大学が2つあって、1つは関西の大学で、もう1つが法政でした。やるなら東京がいいかなと思って。結構浅い理由なんですけど、東京を選びました。

ーー高校卒業後、すぐにプロレスの世界へ進むことも考えていましたか
本心で言えば、高校を卒業してすぐプロレスの世界に入りたかったです。でも親がちょっと厳しい家だったので、親としては「大学に行っとけ」と。大学に行ったら好きなことをやっていいと言われたので、行くことにしました。行くからには、しっかりスポーツで頑張ろうと思ってやっていました。

ーー法学部での勉強とレスリング部の活動は、どのように両立していましたか
レスリング部の朝練が朝5時半からあって、その後に授業を受けて、午後も練習がありました。土日も練習で、週5、6日ぐらいだったと思います。体力的にはもうへとへとの毎日でした。授業にもしっかり出ていたんですけど、僕の中ではプロレスラーになりたい気持ちが強かったので、どちらかというとスポーツ優先でしたね。

ーー大学では、他の体育会の学生とも交流がありましたか
市ケ谷の体育館で、レスリング部の隣にフェンシング部があって、その隣に卓球部があったんです。同じ4階のつながりで、みんなで飲みに行ったりもしました。法学部でも剣道部や卓球部、レスリング部の学生とよく一緒に授業を受けていました。

覚悟を持って取り組んだレスリング

ーー大学時代にはJOCジュニアオリンピックカップのフリースタイルで3位にも入りました。法大の4年間で、技術面や精神面で最も成長したと感じる部分は
部活の練習はもちろんやるんですけど、その後に1人で残って、プロレスの入門テストでやるスクワットや腕立てを、自分の練習としてやっていました。スクワット1000回、腕立て500回とかを毎日やっていたので、フィジカル的にも強くなったし、メンタルも鍛えられました。あとは同期のキャプテンが、自分にも他人にも結構厳しい人だったので、刺激をもらいながら頑張っていました。

ーー大学時代、フリースタイルとグレコローマンの両方に取り組んだ理由は
僕の場合、目標がレスリングの成績ではなくて、プロレスラーになることだったんです。だから、やれるものは全部やって身につけたかった。フリーだけだと投げ技をあまり練習できないし、グレコだけだとタックルに入らないので、両方を学べるように経験しました。

ーー練習後も毎日、自分をそこまで追い込めたのはなぜですか
プロレスラーになる以外は考えていなくて、就活もしていなかったぐらいの覚悟でやっていました。入門テストの内容はネットで調べたら出てくるんですよ。例えばスクワット500回だったら、その倍の1000回をやっておけば絶対受かるじゃないですか。そういうモチベーションで毎日やっていました。

ーー当初は他団体への入門を考えていたそうですが、新日本プロレスを目指すことになった経緯は
大学3年生まで、ずっと他団体に入りたくて。本当は他団体志望だったんです。3年生の後半ぐらいに、レスリング部のOB会長が新日本プロレスの元選手・西村修さんとたまたま知り合いで、「レスリング部にプロレスラーになりたい子がいるから、話を聞いてもらってもいいですか」という会食が1回ありました。そこで西村さんが「プロレスをやるなら新日本がいいよ」と言ってくださって、新日本を目指すことになりました。法政じゃなかったら、僕は他団体に行っていたと思います。

ーー大学3年時には主に86キロ級、4年時には97キロ級に出場しました。階級を上げた理由は
大学3年生ぐらいまでは体重が84キロぐらいで、増やしたくてもなかなか増えなかったんです。3年生の後半から食事も変えて、本格的に体を大きくしようと、100キロを目指して頑張りました。ちょっと言い方は悪いですけど、レスリングの試合のために体重を落としたくなかったんですよ。目標はプロレスだったので。減量して今までの階級に出るぐらいなら、1つ大きい階級に減量なしで出たかった。それで階級を上げました。

ーー入学時から新日本プロレス入門までに、体重はどのくらい増えましたか
大学1年生の頃が80キロぐらいで、入門したときが100キロだったので、20キロは増えました。

ーー増量のために食事で意識していたことは
法政のレスリング部の寮では、常にお米が炊いてあって、いつでも食べられる状態だったんです。ちょっと空腹になったら、すぐ食べるぐらいでしたね。

ーー4年時はコロナ禍で大会や練習の機会にも影響がありました。その1年間をどう過ごしましたか
コロナ禍で試合がなくなったりもしたんですけど、自分にとってはプラスだったんですよ。自分の時間がいっぱいあって、トレーニングに充てられる時間も増えました。大学4年生の頃はほぼ単位も取り終わっていたので、1日中ずっとプロレスのことを考えながら生活できた。自分にとっては良かったかもしれないですね。

ーー新日本プロレスの入門テストには、どのような気持ちで臨みましたか
本当に落ちる気がしなかったんです。今までの練習量にも自信があったし、実際に20人ぐらいでテストを受けて、周りのみんながスクワットで潰れていく中、自分は最後までできた。合格通知が来るまでも、受かっただろうなという自信で過ごしていたので、「やっとか」という感じでしたね。

「自由にのびのびやって強くなるタイプ」法大レスリング部の魅力

ーー法大で培ったレスリングの技術が、現在の試合に生きていると感じる場面は
ありますね。試合の序盤でもアマレスの動きをすることが多くて、飛行機投げや首投げといった基本的な投げ技も使います。ヘッドロックはちょっとプロレスの動きになっちゃうんですけど。この間のG1決勝で言えば、上村選手のカンヌキスープレックスもアマレスの技で、それを僕がフロントスープレックスで返した。それもアマレスの技です。いろんな動きに生きていますね。

ーーアマレスで学んだ技術は、投げ技以外にも生きていますか
序盤の攻防や終盤のスープレックス技は、もろにアマレスです。細かいことで言えば、手の取り合い、体重のかけ方、相手の体勢の崩し方。全部アマレスで学んできたものなので、多分、自分の試合の3割ぐらいはアマレスの感覚でやっています。

ーー先日、全日本学生レスリング選手権を会場で観戦していました。足を運んだ理由は
たまたま予定が空いていたからですけど、毎年、行けたら行くようにしています。後輩の頑張りを見て僕も刺激をもらっていますし、僕も当時、先輩が差し入れを持ってきてくれたらうれしかったので。

ーー久しぶりに見た法大レスリング部の雰囲気はどうでしたか
行けたのが1日だけで、そんなに見られなかったんですけど、部の雰囲気は変わっていなかったです。2階席の緩い感じとか。みんな携帯をいじっていても、チームメートの試合が始まったら、みんなで応援する。僕のときもそうだったし、よくも悪くも法政レスリング部なのかなと。あまり人に干渉しない人が多いと思うんです。自由にのびのびやって強くなるタイプだと思います。

ーーその自由な雰囲気について、どう感じていますか
考える力も養われると思います。僕たちのときもキャプテンが厳しい人で、自分たちで「どうやったら強くなるんだろう」と、いろいろ考えながらやっていました。

ーー大岩選手の在学当時、練習中と練習前後で雰囲気に違いはありましたか
練習の前後は結構わいわいして、ふわふわしていました。携帯をいじったりもして。でも練習が始まれば、同期のキャプテンもいたので厳しい。切り替えはすごかったですね。練習中にも音楽を流して気持ちを上げたり、工夫しながらやっていました。

ーー現在の部員に伝えたいことはありますか
今はレスリングを頑張っていると思うんですけど、その頑張りが社会に出てからも絶対につながる。僕もそうですし、僕の同期もそうです。今頑張っていることが今後生きてくるので、精いっぱい頑張った方がいいよ、と伝えたいですね。

ーー現在レスリング部に所属する矢作元貴選手が、今年のインカレで47年ぶりに優勝しました
彼は大学に入る前から法政の練習に来ていて、そのとき僕はまだ学生でした。スパーリングをしたことも、指導したこともあります。優勝したのは本当にうれしい。でも、彼の人生はここが終わりじゃない。ここからまた何かをつかんでほしいですね。世界へのチケットは持っているので。

ーー当時の矢作選手はどのような選手でしたか
当時から練習は頑張っていましたが、インカレで優勝するほど強くなるとは思っていなかったです。だから、そこから今のインカレ優勝までに何があったのか、逆に知りたいですね。先輩選手に必死に当たりに行って、投げられても、やられても諦めない感じは当時からありましたね。

男子グレコローマン87㎏級で法大勢47年ぶりの優勝を果たした矢作元貴(人4=日本工大駒場)

「プロフェッショナル・レスリング」の真髄

ーー大岩選手の掲げる「プロフェッショナルレスリング」とは、どのようなプロレスですか
今のプロレスは派手な技が多くなって、パイルドライバーのように頭から落とす危険な技も増えています。僕は原点回帰というか、古典的な技でもしっかり極め方を知ればギブアップを取れるし、それでお客さんを盛り上げることもできると思う。あえて今の時代に逆行して、古いプロレスをしています。「プロフェッショナルレスリングって何か」と言われたら難しいですけど、レスリングの延長線上ですよね。それでお金を取る。僕と上村さんの試合を見たくて、お金を払ってチケットを買って来てくれる。それはもうプロフェッショナルですよね。

ーーG1決勝の上村選手との試合で、その考えを表現できた場面は
試合全体を通してですね。序盤から最後の最後まで、ヘッドロックという基本技で構成した試合だったんですけど、ああいう試合は相当テクニックがないとできない。相手の返し方を知らないと、あそこまで成り立たないんですよ。それがもうプロフェッショナルだと思いますし、多分、他の団体にはできない試合だったんじゃないかと思います。

ーー派手な技を使うプロレスについては、どう考えていますか
良くないわけじゃないんです。でも、みんなと一緒になってしまうのは難しいところですよね。プロレスは、他の人と違うことをするから個性になる。殴る、蹴るを武器にする選手も、モンスターのような選手も、悪いことをするヒールの選手もいて、みんなそれぞれだから面白い。僕のようにクラシカルなテクニックだけで見せる選手もいる。みんなそれぞれの武器で戦っているんです。自分が勝てると思ったのはヘッドロックや、そういう攻め方だったので、やっています。

ーー大岩選手にとって、試合の駆け引きとは
ヘッドロックを取られたら、相手も返し方を何パターンか持っていると思うんです。でも、またヘッドロックに入って、その返すパターンを減らしていく。将棋みたいな試合ですね。僕の場合はフィニッシュ技が5、6個ぐらいあって、ほとんどの選手は1、2個だと思うんです。3カウントやギブアップを取れる技がたくさんあるから、そこにどうつなげていくかというゲームです。

ーー10月のIWGPヘビー級選手権試合では、何を証明したいですか
相手が辻陽太になるか後藤洋央紀になるかまだ決まっていませんが、今チャンピオンの辻陽太には、G1で1回シングルで負けたんです。そのときバックステージで「スタイルとか言っても、結果を残さないと誰もついてこないぞ」と言われました。今は実際に結果を残して、お客さんの支持も得てきていると思います。言われたことには行動で返したいので、あとは試合の内容で、どれだけ自分のレスリングに相手を巻き込めるかですね。

スポホウこぼれ話

新日本プロレスとして初めて「プロレスリング・ノア」への武者修行を行った大岩選手。その際指導された小川良成選手について伺うと、「受け身が一番大事だと思っている方で、指導でも受け身が一番厳しかったです」と当時を回想。

指導方法にも団体で違いがあるそうで、「(小川さんの指導は)『できるまでやらせる』という感じで、体がきついというよりも、できるまで徹底的に同じ動きをやる。できなければ次の練習に行かないんです。新日本の道場とはまた違った厳しさですね。新日本の道場だと、例えば僕がスクワット500回しかできなかったら「600回やれ」と言われる。できないことを気持ちでやらせるような厳しさですけど、小川さんの指導は技ができるまでやるという厳しさでした」と赤裸々に語っていただきました!

(聞き手:加納正義、冨松健人 撮影:松野要)

法政大学レスリング部の活躍は公式インスタグラムにも掲載しております。ぜひご覧ください。

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