• HOME
  • 記事
  • 水泳
  • 【水泳】一歩ずつ積み重ねた努力の先に 副主将・中嶋蓮人が駆け抜けた妥協なき4年間/インカレ事後インタビュー&幹部インタビュー

【水泳】一歩ずつ積み重ねた努力の先に 副主将・中嶋蓮人が駆け抜けた妥協なき4年間/インカレ事後インタビュー&幹部インタビュー

インカレ事後取材②

最後のインカレ。個人としては100メートル、200メートル平泳ぎに出場し、3年前から目標に掲げていたメドレーリレーでの決勝進出を果たした中嶋蓮人。副主将としてもチームを支え、学年の垣根を越えて誰もが意見を発信できるチームづくりに尽力してきた。目標としていた男子総合7位には届かず、個人としても悔しさの残る大会となったが、4年間を通して積み重ねてきたものは決して小さくない。挫折を乗り越え、仲間とともに歩んできた水泳人生。その最後に何を思い、どのような4年間を振り返るのか。

記事

中嶋の大学水泳生活は、決して順風満帆なものではなかった。高校時代にはインターハイへの出場経験がなく、大学入学当初に掲げた目標は「インカレ決勝進出」。しかし、その目標に向けて一歩ずつ努力を重ねる中で、大学2年のインカレで大きな挫折を味わう。出場を予定していたメドレーリレーのメンバーから外れ、個人種目の200メートル平泳ぎでも23位という結果に終わった。「その経験だけはすごく今でも全て鮮明に覚えているぐらい悔しかった」。その悔しさを胸に刻み、以降の2年間は練習に妥協することが怖く、自分自身と向き合い続けた。3年には日本選手権の標準記録を突破。小さな目標を一つずつ積み重ねてきた努力が、着実に実を結んでいった。

競技面だけでなく、チームを支える存在としても大きな役割を担った。副主将として意識していたのは、幹部と後輩をつなぐこと。主将や女子主将の考えを後輩たちに伝える一方で、後輩の意見にも耳を傾け、それを幹部へと届ける。1年生がチームに馴染みやすい環境をつくるため、自ら積極的に声をかけ、練習以外の時間もともに過ごしてきた。「1年生から4年生まで、誰もがいい方向で発言できるチームにしたい」。そんな思いで築き上げてきたチームは、最後のインカレでも学年を問わず多くの選手が自己ベストを更新する、活気ある雰囲気に包まれていた。

そして迎えた最後のインカレ。3年間追い続けてきたメドレーリレーでの決勝進出という目標を達成し、安堵の表情を見せた一方、個人の200メートル平泳ぎでは17位に終わり、チーム目標として掲げていた男子総合7位には届かなかった。それでも、インカレ後に出場した日本短水路選手権では、長年指導を受けてきたクラブチームのコーチのもとで練習を重ね、最後のレースを泳ぎ切った。「日短では全てやりきったなっていう気持ちで最後レースを終えられた」。3歳から続けてきた水泳に一区切りをつけた今、振り返るのは苦楽をともにした仲間たちの存在だ。「同期がいなかったら水泳をやめていただろうな」。家族以上とも表現する仲間への感謝を胸に、中嶋は19年間の競技生活に幕を下ろした。

(記事:浅岡凜)

水泳部の写真につきましては スポーツ法政新聞会公式インスタグラム よりご確認ください。(青字をクリックしていただきますと移動いたします。)

 

インタビュー

中嶋蓮人

ーーインカレの総括
個人としては自分は平泳ぎ専門で100メートルと200メートルで出て、あとはメドレーリレーを出たっていう風な形なんですけど、まず2日目の100メートル平泳ぎでは、自分は100メートルがあまり得意じゃなかったんですけど、久々に100メートルでベストも出て、かなり調子も良かったんですけど、少し泳ぎの部分で気になるところがあったので、そこは次の日のメドレーリレーで挽回しようかなと思っていました。3日目のメドレーリレーでは、3年前からずっとメドレーリレーで決勝に進出するっていう目標がずっとあったので、その目標が達成できて、まずはホッとしたっていう風な形です。
4日目の200メートルでは他のチームのことも考えて、自分が決勝に進んでいれば、目標としていた総合7位を達成できたっていうところがあったんですけど、そこで自分が17位という風な形で終わってしまって。
自分として決勝に進出したいっていう目標もあったし、自分のせいでチーム目標が達成できなかったっていうところもあったので、すごく悔しい4日目にはなりました。
チームとしては、初日からすごくいい雰囲気で大会に臨めたと思いますし、1日目から3日目に関してはすごくみんなもう本当に頑張ってくれて、このままいけば勝てるんじゃないかっていう風なこともあったので、4日目までいい流れを持ってけなかったのは、チームの弱さなのかなって思っています。4年連続総合男子は8位だったので、この歴史がどう動いていくかっていうのは来年すごく楽しみだなっていう思いはあるんですけど、やはり自分たちの代で総合7位を達成したかったなっていう気持ちはありました。

ーーインカレで「今まで経験してきた4年間の中で1番雰囲気もいい」と言っていたが
やはり自分たちが1番上として関わってきたからそう思うのかなって風な感じなんですけども、客観的に見ても、1年生から4年生までがすごく満遍なく自己ベストを更新し続けられていたなって思っていて。やはり1年生は環境の変化からベスト更新できなかったり、チームにうまく馴染めていけなかったりっていう風な部分が今まですごくあったんですけど、その雰囲気を私たちは変えようと思っていて。1年間丸々過ごしてきて、1年生から4年生関係なく誰もが、いい方向で発言できるチームにしていきたいっていう風なチーム作りの目標がありました。良くも悪くも発言をうまくしていけるチームを作りたいっていう気持ちがあったからこそ、こうやっていい雰囲気で臨めたのではないかなっていう風に考えています。
(ーー1年生が馴染みやすくなるため、具体的に取り組んだことは)どうしても3つ上ってすごく怖くて、後輩からは話しかけにくいと思うので、自分たちから積極的に声をかけて、練習中もそうですし、練習終わった後の寮生活であったり、一緒にご飯に行くであったり、そういうことをして、水泳以外で様々な話をして打ち解けていくっていうことはすごく自分はやっていたことかなと思っています。

ーー副主将に就任した経緯は
元々副主将っていう幹部はなかったんですけど、僕たちの1個前の代から始まって。
自分たちの中では、主将と女子主将と寮長だけ決めたみたいな感じだったんですけど、なんか副主将がいた方がやりやすいんじゃないかっていう風な意見が同期内で出て、そうなったら僕っていう風な形になったんですけど。
あんまり大人たち監督たちの方から何か指示があったわけでもないんですけど、あった方がいいっていう風な僕らの意見でできました。

ーー副主将に就任してからの1年間を振り返って
主将の齊藤(優太)であったり、女子主将の森田(眞心)であったり、統括の山口(雄大)っていった部分がいる中で自分がどう振る舞っていけばいいかっていうのがすごく難しくて。主将より前に出ることは絶対ダメだと自分は思っていたので、その中でどうチームをまとめていくかっていうのがすごく難しくて。そうなった時に、自分はどちらの意見もよく聞ける立場ではあると思っていたので、幹部からの意見をどううまく後輩に伝えていくかであったり、逆にその後輩たちの意見をどう主将たちに伝えていくかっていうのがすごく大事な自分の役割だと思っていたので、そこはすごくいろんな人と話をして、どういう風な考えを持っているのかであったり、どういうチームにしていきたいかっていうのを聞いて、それをチームに落とし込んでいくっていうのがすごく大事だと思っていたし、そういう役割を担っていたと思っています。

ーー主将の齊藤優太、女子主将の森田眞心については
もう森田に関しては本当にいうことなくて、すごくて、本当に自分も憧れるような存在だったので、こんなに自分のことでも苦しいのにチームのことをよく考えられているなっていう風に思っていたので本当にすごく尊敬できる人だなと思っています。
主将の齊藤に関しては寮生活も一緒にしていたので、主将じゃない時の1年生、2年生、3年生の時の齊藤もよくわかっていたので、本当に切り替えが上手だなっていう風に思っていて。普段はこう、おちゃらけてる部分がかなりあるんですけど、チームとしめなきゃいけないっていう部分はしっかりしめられていて、後輩のことだったり、自分たちのことで頭を悩ませていたところもあったと思うんですけど、それを表には出さずに常に明るくいて、チームのためを思って行動してくれる人だったので、本当に苦しかったことは彼の中でたくさんあったと思うんですけど、そこで不満を発さずにチームのために動いてくれたことには本当に尊敬しかないです。

ーー次代の幹部へメッセージ
1個下の場合は、後輩の中では1番深く関わってきた、長い時間一緒に過ごしてきた人たちなので、すごく自分の中でも思い入れがある後輩たちです。可愛いですし。そういった子たちだからこそ頑張ってほしいですし、この1番上に立つことの難しさっていうのは、彼らが今一番感じていることだと思うので、もちろん挫折しそうなこともあると思うし、苦しいこともたくさんあると思うんですけど、それを乗り越えた先のインカレで目標が達成できた時のホッとした気持ちであったり、やりきったっていう気持ちは何にも代えがたいものだと思うので、その1年後っていうのを頭に入れながら、この苦しい期間を乗り越えていってほしいなっていう風に思っています。

ーー佐賀の日本短水路がラストレースとなったが
日短に関しては、去年出場することができなかったので、今年初めてになるんですけど。もう学校で練習することはなくて、元々いたクラブチームで練習させていただいて、今回出たっていう感じなんですけど。久々に十何年一緒にやってきたコーチの練習をして、そこにも思い入れはありましたし、最後に日短出られて、全ての選手権に出場したかったっていう気持ちがあったので、そこに出れてよかったなって思いますし、そこまで練習メニューを組んでくださったクラブチームのコーチにも感謝したいです。でも、そこでいい結果が出なかったっていうのは少し悔しかったんですけど、最後のインカレは少し悔しい思いをしたんですけど、日短では全てやりきったなっていう風な気持ちで最後レース終えられたので、すごく良かったなって思っています。

ーーラストレースをここにした経緯は
元々最後はそのクラブチームから出るっていうつもりでエントリーしてたんですけど、色々あって、結局法政から出ることになって。元々はクラブチームの名前で出たかったっていうのがあったのでそこが1番のメインだったんですけど、そこが叶えられなかったので、最後の日本短水路では、1番やっぱりインカレでの結果が出なかった悔しさがあったからこそ、もう1レースしたいなっていう風な気持ちがあったので、日本短水路出たみたいな感じです。

ーー引退してからの生活は
3歳からずっと水泳をやっていて、1回もやめたことがなかったので、もう本当に水泳漬けの人生だったので、なんかなくなったことへの違和感ってのはすごくあって。自分って何が趣味なんだろうとか、この先何をしたらいいんだろうなっていう風な気持ちはすごくあるので、喪失感じゃないですけど。今まで寮生活でみんなと一緒にいたのが当たり前だったので、そこもなくなってしまったのは少し寂しいなっていう気持ちもありますけど、これから先の人生の方が長いので、なんか新しい趣味でも見つけられたらいいなっていう風に思っています。

ーー大学4年間で最も壁にぶつかった時期や出来事は
僕は元々本当に早い選手じゃなくて、高校時代はインターハイにも出場したことがなかったので。その中で1番最初は「インカレで決勝に残ることが目標です」っていう風に言っていて、誰もが多分叶えられるはずがないと思っていたと思うんですけど、急にそこを目標にするんじゃなくて、小さいところを常に着々と目標にしていくっていうのが僕だと思っていたので、そこはぶらさずやっていたんですけど、やっぱりそれは難しくて。
大学2年の時のインカレが自分の中での1番の挫折かなっていう風に思っていて、元々メドレーリレーに出る予定だったんですけど、前日に急に元々個人メドレーの選手だった人が出ることにになって。本命種目じゃない人に、メリレ(メドレーリレー)のメンバーを取られることがすごく悔しくて、この経験を絶対忘れたくないなっていう風に思っています。それでその年の200メートル平泳ぎでも23番ぐらいで終わってしまって、大学1年生のインカル終わってから1年間、ずっと着々とベスト出ていたんですけど、そこのインカレで大事なとこでベスト出なかったっていう風なことがあって「なんで自分はここでベスト出ないんだろう」っていう風に思って、やっぱりそこが1番の挫折だったかなっていう風に思っています。
(ーーその挫折をどう乗り越えられたか)悔しさは僕は結構すぐ忘れる人間だと思ってるんですけど、その経験だけはすごく今でも全て鮮明に覚えてるぐらい悔しくて。その悔しさがあったからこそ、そこからの2年間は練習を妥協することが怖くて、練習を挫折したらまた同じことになってしまうんじゃないかなっていう風な気持ちがあったので、とにかくその気持ちを忘れずに自分と向き合い続けながら練習できたから、最後のインカレは少しこけてしまったんですけど、そこまでは結構うまくいっていて、その経験があったからこそ、うまくいっていたのかなっていう風には思っています。

ーー4年間過ごしてきて一番の思い出は
生活面で言ったらやっぱり1番は寮生活で、1年生の時はすごく仕事も多くて、理不尽なことで怒られたことも何回もあって、それは辛かったことではあったんですけど今では同期と話す時には笑い話になって、辛いことがあったからこそ、同期との仲も深まったと思うし、そういったことを笑いながら話せるようになったっていうのは、すごく僕の中ではいい経験だったし、楽しかった思い出だなっていう風に思っています。水泳に関しては3年生の2月に最後の日本選手権を切る最後のチャンスのレースで。やっと切れた時が本当に嬉しくて、自分はあんまり泣かないタイプなんですけど、初めて自分のレースで泣いて、同期の山田(辰哉)が終わった後に駆けつけて、一緒に抱き合ってくれた時は本当に1番嬉しかったです。

ーー同期はどのような存在だったか
なんかもうただの同期って言えないなと思っていて、家族とかそれ以上の仲間だったなっていう風に思います。多分同期がいなかったら水泳やめていただろうなって思うし、な同期がいたからこそ、ここまで選手としても人間としても成長できた部分はかなりあったので自分も含めて11人がいなかったら、楽しくなかったなっていう風に思っていたので出会えてよかったかなって思います。
(ーー特に支えあったメンバーは)寮生が自分含めて9人いるんですけど、その9人がいなかったらダメだったと思うし、その中でも山口と齊藤にはすごく迷惑もかけたし、すごく支えてもらったこともあったので、自分が支えられなかったことが少し悔やまれるんですけど、それでもその2人はそんな見返りも求めずに僕に手を差し伸べてくれていたので、その2人には感謝してもしきれない部分はあります。

ーーともに戦ってきた同期や後輩へのメッセージは
同期のみんなにはこれまで長い間関わってくれてありがとうっていう気持ちと、これから先、みんなと会う機会はかなり減ると思うんですけど各々でいい人生を送って、それをたまに会って話して、また笑い合えたらいいかなって思っているので、またいつかみんな会いましょうっていう風な気持ちです。後輩に関しては、本当にこれから先辛いことももちろんあると思うし、苦しいことがほぼ大半だと思うんですけど、僕たちは水泳ってすごく地味だと思うので本当にその一瞬の嬉しさっていうのは、みんなこの長い水泳人生やってきてすごくわかってると思うので、その一瞬の喜びのために、その苦しさとかその辛さっていうのを乗り越えていけるように、1人じゃなくて、チームとして、同期として支え合いながら頑張ってほしいなっていう風に思っています。

(インタビュー:浅岡凜)

 

 

関連記事一覧